ティアラ
バー 「オーキッドブラン」 は日没とともに開店する。もっとも閉店時間は決まっていない。たいていの客はマダムが店にいる間はずっといるので、マダムがカウンターの後ろのドアから自室に引っ込めば、閉店となる。
マダムが店に来るのは月に10日ほど。毎日顔を見せることもあれば、半月くらい御無沙汰な時もある。マダムが来なくても、ウエイトレスのミレーヌとバーテンのキムがいれば、酒は出るので店は開いている。休みは5の倍数の日。
その日の朝、元気いっぱいのお日様が、無遠慮に酒場のスイングドアの奥まで照らし始めた頃、店には昼間の従業員たちが来ていた。
グラス洗いのジーク、賄いのメイベル婆さん、掃除のフランク爺さんの3人だ。ジークはフランクとメイベル夫妻の遠縁にあたる。みんな人族だ。
フランクがいつものように店の床をモップがけしていた時、そいつはやってきた。
「助けて! 助けてください、お願い!」
破れた服から下着をのぞかせた、若い獣人の女が駆け込んできた。もつれた髪と化粧がはげかかった顔が涙で濡れている。
「こっちおいで。」
慣れた調子で、メイベルは女を店の奥のトイレの入り口につれこんだ。フランクがすかさず隠し扉のスイッチを入れる。トイレの一番奥の個室には秘密の小部屋があるのだ。
「くっそー、あの女、どこに逃げやがった。」
「こっちにゃいません。」
「さっきの路地は行き止まりでした。」
朝のすがすがしい空気をかき乱して、ガラのよくない男たちが右往左往している様子が聞こえてくる。そのうちの一人が、スイングドアを押して
「おいっ、ここに女が来なかったか!」
と叫んだ。
「ああ、そこにいるばあちゃんは女だよ。」
とすました顔でジークが言う。
「ちっ、ばばあなんぞに用はねえ。もっと若い女だよ。」
すると外から、
「おい、そこはやめとけ。マダムの店だ。」
と別の声がかかった。ドアのところですごんだ男は、「へいっ」と返事をして立ち去った。
男どもの気配が消えてしまうまで待ってから、フランクはさっきの女を隠し部屋から連れ出した。メイベルが温かいスープとパンをテーブルに並べる。
「おなかがすいてると、落ち着かないからねえ。わたしらの朝ごはんの残りだけど、おあがり。」
「あ…、ありがとうございます。」
女が食べ終わるのを待って、ジークは言った。
「おいら、ジークってんだ。名前は?」
「ティアラ。」
「その化粧だとダンサーかい。生まれはどこさ?」
「イエローベリーヒル。ここからずっとずっと南にある、農場ばかりの小さな村です。」
「大都会の大きな舞台で踊って、お金も稼げるって言われてきたんだろ?」
女は小さくうなずく。
「たいてい一月やそこらは、故郷での宣伝文句通りの仕事をやらせるんだ。故郷にいい暮らしぶりを手紙で知らせた後を見計らって、難癖付けて仕事を干して、客を取らなきゃ食っていけないように仕向ける。ここらのギャングの常套手段だよ。」
フランクが痛ましそうな顔で言う。
「そんな…、じゃ、私、最初からだまされて…?」
「ここ、サンノアは、大都会ロアックスのベッドタウンだからね。本当に上玉ならロアックスのカジノ付きホテルのショーガールに連れてゆかれるんだよ。そこで落ちぶれればこの街のキャバレーへ、さらにモノにならなきゃ自分を売るしかない。どこで人生のまちがいに気がつくかは人による。最後まで気づかない子もいるがね。」
メイベルが気の毒そうに言う。フランクが思い出したように床のモップがけを再開する。女の止まっていた涙がまたあふれ出す。
「…どうしよう、私、お金が要るんです。うちの人の農場は、去年のハリケーンで、オレンジの木がめちゃめちゃになってしまって…。」
「あんた、亭主持ちなのかい。」
メイベルとフランクが顔を見合わせる。
「あたしゃ、てっきりまだ…。」
「私だって、したくて結婚したわけじゃありません。3年前、村に魔獣が出て、仕留めようとした父さんや村の男の人が大勢亡くなって…。仕方なく大地主の息子ダイクンの妻になったんです。男手がないと農場はやっていけなくて。」
「なるほど、お金もだけど、故郷に帰りたくないんだね。」
とたんに3人の目が輝いた。
「あんた、いい働き先があるんだけど、聞く気はあるかい?」




