第二話:共同生活
入寮式を終えた九人は、案内に従って寮へと向かっていた。
誰も、口を開こうとはしない。
山吹凛星晴は先頭を歩きながら、手元の案内図と周囲の景色を交互に確認していた。
その少し後ろを、早乙女紫が一定の距離を保って歩いている。
紅松焔蘭はポケットに手を入れたまま、周囲には目もくれない。
木通恋乃羽もまた、誰かと話す様子はなかった。
本若夢雨は俯きがちに歩き、時折、前を歩く少女達の背中へ視線を向けては、すぐに目を伏せる。
真白心珠も何か話すべきか迷っているのか、何度か口を開きかけては、結局何も言えずにいた。
黄瀬恵は静かに歩いている。
その視線が何を追っているのかは、凛星晴にはよく分からなかった。
一方、森ヶ丘翠佳は道沿いの木々や花壇へ目を向けながら、時折足を緩めている。
そして――。
「ねぇねぇ〜、寮ってどんなところなのかなぁ〜♡ お部屋も可愛いといいよねぇ〜♡」
蒼井結璃愛の明るい声だけが、九人の間に落ちる。
「…………」
返事はなかった。
「……みんな静かだねぇ〜♡」
結璃愛はそう言って笑ったが、それでも会話が続くことはなかった。
今日、初めて名前を知った者同士。
同じ寮で生活することになったというだけで、まだ互いのことは何も知らない。
しばらく歩いたところで、凛星晴が足を止めた。
「……ここね」
八人の視線が、目の前の建物へ向けられる。
白を基調とした大きな建物。
正面には広い玄関があり、その脇には『シャトーブランA棟』と記されたプレートが掲げられている。
凛星晴が案内状の文字と見比べる。
間違いない。
ここが、今日から九人が生活する寮だった。
しばらく誰も動かなかった。
やがて、焔蘭が口を開く。
「鍵。全員持ってんだろ。誰か開けろよ」
「あら」
紫が焔蘭へ視線を向けた。
「他人に命令する前に、ご自分で行動なさってはいかがですの?」
「あぁ?」
焔蘭の眉が寄る。
「……うるせぇな。開けりゃいいんだろ」
ポケットから鍵を取り出し、玄関へ向かう。
その背中を見ながら、凛星晴は小さく息を吐いた。
――こんなところでまで喧嘩なんて。
これから共同生活を送るというのに、初日から揉め事を起こされては困る。
秩序が乱れるようなことは、できるだけ避けたかった。
焔蘭が鍵を差し込む。
カチャリ、と小さな音がした。
扉を開ける。
まだ新しい木の香りが、九人を迎えた。
玄関の先には、白を基調とした広々としたホールが広がっていた。
高い天井まで続く吹き抜け。
その中央には大きなシャンデリアが吊るされ、差し込む陽の光を受けて静かに輝いている。
正面には二階へと続く階段。
吹き抜けを囲むように廊下が延び、その先には九つの個室が並んでいた。
一階へ目を戻せば、大きな観音扉がある。
その先が共有のリビングになっているらしい。
凛星晴は案内状に記された間取りへ目を落とした。
来客用の部屋。
三つのバスルーム。
二つのトイレ。
九人で生活するには、十分すぎるほどの設備が整えられている。
けれど。
その光景に、驚きの声を上げる者はいなかった。
紫は当然のように中へ足を進め、焔蘭は鍵をポケットへ戻している。
結璃愛がシャンデリアを見上げ、翠佳は壁や柱の意匠を眺めていたが、それも珍しさに目を奪われているという様子ではない。
凛星晴自身も、特に何かを思うことはなかった。
九人にとって、この程度の造りは見慣れたものだった。
「…………」
凛星晴はもう一度、案内状へ目を落とす。
建物は確認した。
次は――これから九人で生活するにあたって、共有しておかなければならないことがある。
「……先に、寮の規則を確認するわ」
その声に、何人かが凛星晴を見る。
「説明などなさらなくても、淑女たるものこれくらい分かりますわ」
紫だった。
「…………」
――また、この人。
凛星晴は案内状から顔を上げた。
凛星晴は紫を一瞥した。
しかし、言い返すことはしなかった。
ここで余計なやり取りを増やしたところで、何の意味もない。
手元の案内へ視線を戻す。
「……寮生は三人一組のグループを作り、家事を分担すること」
その言葉に、何人かが僅かに顔を上げた。
三人一組。
今日初めて顔を合わせた者同士で、これから家事まで分担しなければならないらしい。
凛星晴は構わず、その先を読み進める。
「午前八時以前、および午後七時以降に外出する場合は、学校の許可を得ること。休日の外出は自由。ただし、定められた門限を厳守すること」
淡々とした声だけが、広いホールに響く。
「帰省は原則として月一回以下。寮生同士、互いを尊重し、仲良く生活すること」
そこで凛星晴は、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。
仲良く。
先ほど顔を合わせたばかりの八人を見渡す。
誰も口を開かない。
当然だ。
互いの名前すら、つい先ほど知ったばかりなのだから。
「……寮生以外の者を許可なく寮内へ立ち入らせないこと。ただし、保護者等については例外を認める場合がある。指定された設備、場所以外での火気の使用は禁止」
まだ続く。
「外泊する場合は事前に学校へ届け出ること。共有スペースに私物を放置しないこと。平日は原則として、朝食および夕食を寮内でとること」
一通り読み終え、凛星晴は案内を閉じた。
短い沈黙が落ちる。
「まぁ」
最初に口を開いたのは、やはり紫だった。
「淑女として当然の掟ですわ」
まるで今しがた聞いた内容など、わざわざ説明されるまでもないと言わんばかりだった。
「厳しいねぇー」
翠佳がのんびりと呟く。
不満というより、ただ思ったことをそのまま口にしたような声だった。
「……いちいちうるせぇな。門限とか」
焔蘭は面倒そうに吐き捨てる。
その近くでは、夢雨が何も言わずに視線を落としていた。
心珠は手元の案内をじっと見つめ、恵は相変わらず何を考えているのか分からない表情をしている。
結璃愛も、先ほどまでとは違って口を挟まなかった。
そして――。
「…………」
恋乃羽は、何も言わない。
凛星晴はそちらへ視線を向けた。
反対するでもない。
頷くでもない。
そもそも、今の説明を聞いていたのかすら分からなかった。
「…………」
凛星晴は小さく息を吐く。
「……とにかく、規則は守ってください」
それだけ言って、九人を見渡した。
返事はなかった。




