第一話:出会い
入学式を終えたばかりの校内は、まだどこか落ち着かない空気に包まれていた。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、それぞれ手にした案内状を頼りに、これから始まる学園生活の第一歩を踏み出していく。
その人波から少し離れたところで、一人の少女が手元に視線を落とした。
『シャトーブランA棟 入寮式』
「……これから入寮式。」
黒い髪を後ろで一つに結んだ少女――山吹凛星晴は、案内状に記された場所をもう一度確認した。
指定された会場へ足を踏み入れる。
まず目に入ったのは、その広さだった。
高い天井。大きな窓から差し込む光。豪華な装飾が施された壁や柱。 ホールというより、まるで城の広間のようだった。
その中にはいくつもの円卓が整然と並べられている。 各テーブルの中央には、それぞれ寮の棟名が記された札が置かれていた。
凛星晴は順番に文字を追っていく。
そして、一つの円卓の前で足を止めた。
『シャトーブランA棟』
「……ここね。」
既に何人かの少女が席についていた。
まず目についたのは、水色の髪をハーフポニーテールにした少女だった。 長い髪は綺麗に整えられているのに、本人は俯きがちで、周囲と目を合わせようとしない。 時折ちらりと顔を上げては、またすぐに目線を落としている。
その近くには、紫色の髪を美しくまとめた少女。 背筋を伸ばして座る姿には隙がない。 けれど、どこか周囲との間に見えない壁でも置いているようだった。
そしてもう一人。
赤いパーカーを羽織った少女が、椅子に深く腰掛けて足を組んでいる。
――ずいぶん堂々としているのね。
凛星晴がそんなことを考えていると、別の少女と目が合った。
白い長髪を三つ編みにした少女だった。 毛先には淡い色が混じっている。
少女は少し困ったような下がり眉のまま、凛星晴に向かって軽く頭を下げた。
「…………。」
凛星晴も小さく会釈を返し、空いている席についた。
会話はない。
まだ互いの名前すら知らないのだから、当然といえば当然だった。
しばらくして、また一人、少女が会場へ入ってきた。
その足取りは軽い。
白いボブヘアに、青のグラデーション。 そして何より目を引いたのは、その顔立ちだった。
――芸能人?
一瞬、本気でそう思った。
少女は周囲から向けられる視線など気にした様子もなく、軽やかにこちらへやってくると、空いている席についた。
それからも、少女たちは一人、また一人と集まってくる。
緑色のボブヘアの少女。
凛星晴は、その制服を見て眉を寄せた。
絵の具がついている。
今日が入学式だったはずだ。 当然、制服もまだ新品に近い。
――なぜ、もう絵の具が?
少し気になったが、聞くほどのことでもない。 凛星晴は何も言わず視線を戻した。
次にやってきたのは、ふわふわとした茶色の髪をした少女だった。 物静かというのとも少し違う。どこか掴みどころのない、不思議な雰囲気を纏っている。
凛星晴は円卓を見渡した。
一、二、三――。
八人。
事前にもらった資料では、シャトーブランA棟は九人部屋だったはずだ。
時計を見る。
十三時五十八分。
入寮式の開始は十四時。
あと二分しかない。
それでも、最後の一人が現れる気配はなかった。
やがて時計の針が、十四時を示す。
会場のざわめきが少しずつ収まっていった。
前方に立った教師が、集まった新入生たちを見渡す。
「それでは、カトレア女子学園高等部の新入生の皆様。これより、入寮式を始めます。」
その声が響いた――そのときだった。
ガチャリ。
ホールの扉が開く。
自然と、いくつもの視線がそちらへ向いた。
そこに立っていたのは、ピンク色のふわふわとした髪を下ろした、小柄な少女だった。
「……遅れました。」
それだけ。
謝罪するでもなく、慌てるでもない。
少女は自分へ集まる視線にも大して興味がないようだった。
何人かが怪訝そうに顔をしかめる。 ちらりと一瞥しただけで、すぐに前へ視線を戻した者もいた。
少女はそんな反応にも構わず会場を見渡し、『シャトーブランA棟』と書かれた円卓を見つけると、空いていた最後の席に腰を下ろした。
これで九人。
教師は一度少女を見たものの、特に何も言わず、入寮式を続けた。
寮生活における基本的な規則。 施設の利用方法。 共同生活にあたっての注意事項。
説明はしばらく続いた。
やがて一通りの案内を終えると、教師は円卓に集まった新入生たちを見渡した。
「それでは最後に、これから同じ寮で生活する皆さんで、簡単に自己紹介をしてください。各寮の寮長からお願いします。」
教師の言葉を聞き、凛星晴は静かに立ち上がった。
入学前から伝えられていた。
シャトーブランA棟の寮長。
それが、山吹凛星晴に与えられた役職だった。
「寮長の山吹凛星晴です。寮生活なので、規律はしっかり守ってください。よろしくお願いします。」
必要なことだけを淡々と告げる。
「では、時計回りに自己紹介をどうぞ。」
その瞬間。
紫色の髪の少女の眉が、わずかに動いた。
「……まぁ。随分と棘のある自己紹介ですこと。」
凛星晴の視線がそちらへ向く。
「しかし……言っていることは筋が通っておりますわね。」
少女は姿勢を崩すことなく、堂々と続けた。
「わたくし、早乙女紫と申しますわ。以後、お見知り置きを。皆さま、淑女として当然の振る舞いをなさって?」
「…………」
――随分と言うわね。
自分のことは棚に上げていないだろうか。
とはいえ、初対面でわざわざ言い返す必要もないだろう。 凛星晴はそのまま次へ視線を移した。
水色の髪の少女が、びくりと小さく肩を揺らした。
「……ほ、本若夢雨と言います。よろしゅ、たのんみゃげもんで……。」
方言か。
声は小さい。
名乗り終えると、逃げるように再び視線を落としてしまった。
次は、制服に絵の具をつけていた少女。
「あー、えーっとー、森ヶ丘翠佳っていいますー。よろしくー。」
間延びした声。
先ほどまでの二人とは、まるで違う空気だった。
そして、その隣。
「私はぁ、蒼井結璃愛っていいますぅ〜♡よろしくねぇ〜♡」
先ほど凛星晴が芸能人かと疑った少女が、にっこりと笑う。
表情も、声も、仕草も、妙に完成されている。
「やぁ〜ん、みんな怖い顔してるぅ♡勿体ないよぉ〜♡」
「わたくしは貴女のようにチャラチャラとしていないだけですわ。見苦しい……。」
早乙女紫が即座に言い放った。
「…………。」
自己紹介で喧嘩を始めないでほしい。
秩序が乱れてしまう。こんなに非合理的なことはない。
凛星晴は口を挟みかけたが、その前に次の少女が面倒そうに顔を上げた。
「……あ?」
赤いパーカーの少女だ。
「……紅松焔蘭。どうも。」
足を組んだまま、それだけ言う。
愛想というものは、欠片もなかった。
次。
「……黄瀬、恵。」
茶色の髪の少女が名乗る。
そして、ふと窓の方へ顔を向けた。
「今、風さんが寒いって。」
「…………。」
風さん。
凛星晴は一瞬だけ考えた。
考えたが、理解できなかったので、考えるのをやめた。
「ま、真白心珠と申します!」
白い三つ編みの少女が、背筋を伸ばす。
「これから、どうぞ、よろしくお願いいたします……!」
勢いよく頭を下げる。 先ほど凛星晴に会釈をした少女だ。
そして。
全員の視線が、最後の一人へ向いた。
入寮式が始まると同時に現れた、ピンク色の髪の少女。
「…………。」
何も言わない。
一秒。
二秒。
まだ何も言わない。
「……早く、自己紹介をしてくれる?」
とうとう凛星晴が促した。
少女はようやく顔を上げる。
「……名前か?」
それ以外に何があるというのだろう。
「木通恋乃羽」
それだけ言って、再び口を閉ざした。
「……それだけ?」
「…………。」
少女――木通恋乃羽は、少し考えるように間を置いた。
「……あと何か言うことあるか?」
「礼儀のなっていない方だこと。」
早乙女紫が呆れたように言う。
「えぇ〜? 寂し〜い♡」
蒼井結璃愛が頬に手を添える。
「……うるっせぇな。」
紅松焔蘭が、小さく吐き捨てた。
「名前言ったんだから、もういいだろ。別に。」
「…………」
凛星晴は円卓を見渡した。
頭の高い少女。
人に怯えている少女。
妙にのんびりした少女。
やたらと可愛らしく振る舞う少女。
ぶっきらぼうな少女。
風と会話する少女。
緊張しきっている少女。
そして、周囲にまるで興味を示さない少女。
――これから、この八人と生活する。
しかも。
自分が、まとめる。
「…………」
凛星晴は小さく息を吐いた。
「……先が思いやられるわね。」




