第6話 原作とは違うヒロイン
原作ヒロイン・エリシアと、ついにきちんと話すことになったリゼリア。
けれど、彼女の様子はどうにも“原作通り”には見えなくてーー。
「はじめまして、リゼリア様」
エリシア・ベルナールは、私の目の前でにこりと笑った。
……どうして。
なぜ、そんなに嬉しそうなの?
私は一瞬返事を忘れた。
「……はじめまして、エリシア様」
どうにかそう返す。
公爵令嬢としての微笑みは崩さない。
けれど頭の中では、ひたすら原作の記憶を探していた。
こんな場面、あった?
エリシアが編入初日に、わざわざリゼリアを追いかけてくる。
そんなイベント。
……少なくとも、私は覚えていない。
「先ほどは、急にお呼び止めしてしまってすみません」
「いえ。それは構いませんけれど」
構わない。
構わないのだけれど。
問題はそこではない。
「私に何かご用でしょうか?」
「はい!」
エリシアは大きく頷いた。
その勢いに、私は少し身構える。
まさか、原作開始早々に何かイベントが?
いや、まだ早い。
最初の嫌がらせイベントはもう少し先だったはず。
それに私は何もしない。
何を言われても、冷静に。
「その……」
エリシアは言いかけて、少しだけ迷っているようだった。
それから、私の顔をじっと見つめる。
「ずっと、一度お話してみたくて」
「……私と?」
「はい」
「なぜ?」
思わず即答してしまった。
エリシアが一瞬目を丸くする。
しまった。
少し警戒しすぎたかもしれない。
「失礼。少し意外でしたの」
「そうですよね」
なぜか彼女は困ったように笑った。
「でも、本当にお話してみたかったんです」
「……そう」
分からない。
本当に分からない。
原作のエリシアは、少なくともリゼリアに自分から積極的に近づくようなタイプではなかった。
それが今はどうだ。
目の前のエリシアは緊張しているというより。どこか安心しているように見える。
「リゼリア様は……」
「はい?」
「お元気そうで、よかったです」
私は黙った。
今、なんて?
「……元気そうで?」
「あっ」
エリシアの顔が明らかに強張った。
やっぱりおかしい。
今の言い方はまるで、以前の私を知っているような、そんな言い方だった。
「以前、どこかでお会いしたことがありましたか?」
「い、いえ! ありません!」
即答。
早い。
「本当に?」
「はい!」
「そうですか」
「はい!」
分かりやすく動揺している。
私はじっと彼女を見る。
エリシアは、少し視線を泳がせた。
「ええと……その……」
「無理に取り繕わなくても結構ですわ」
「す、すみません……」
素直に謝る。
その様子に、逆に毒気を抜かれた。
もし私を陥れようとしているのなら、もう少し上手く隠すだろう。
少なくとも今の彼女から、悪意は感じない。
「それで」
「はい」
「本当に、それだけですの?」
「え?」
「私と話してみたかった。それだけ?」
エリシアは少し考えてから。
「……はい」
と答えた。
嘘。
たぶん。
でも今は追及しない方がいい。
初対面で問い詰める悪役令嬢なんて、原作通りすぎて嫌だ。
「でしたら」
私は一度息を吐いた。
「今後、学園で分からないことがあれば先生方や周囲の方々にお尋ねになるといいですわ」
「……え?」
「貴族社会には慣れないことも多いでしょうし」
「あ、はい」
「では、私はこれで」
「えっ」
私は軽く会釈をして、その場を離れようとした。
今のところ、敵意はない。
なら無理に関わる必要もない。
私の三箇条、その2。
攻略対象には必要以上に近づかない。
そして。
原作ヒロインにも、できる限り近づかない。
これが一番安全。
「リゼリア様!」
また呼ばれた。
私は足を止める。
……なぜ。
どうして、そんなに私を追いかけるの。
「まだ何か?」
「その……」
エリシアは少し迷ってから、意を決したように言った。
「また、お話してもいいですか?」
「……」
私は完全に黙ってしまった。
原作ヒロインが、悪役令嬢に、また話しかけてもいいかと聞いている。
意味が分からない。
「それは……もちろん、学園内でお会いすれば」
「本当ですか?」
「ええ」
「よかった……」
また、あの表情。
ほっとしたような顔。
どうして、私と話せることがそんなに嬉しいの?
「では、また!」
エリシアは嬉しそうに笑って、今度こそ自分の教室へ戻っていった。
私はその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「……どういうこと?」
原作が始まった、そう思っていた。
ヒロインが現れて、これから攻略対象たちと出会っていく。
そして私は、悪役令嬢にならないように距離を取る。
それだけのはずだった。
なのに。
エリシア・ベルナール。
原作ヒロイン。
彼女は、私の知っているヒロインとは少し違う。
◇
その日の昼休み。
「リゼリア様、ご一緒してもよろしいですか?」
「……」
私は手元のスープを見た。
そして、目の前に立つエリシアを見る。
「なぜ?」
今日二度目の台詞だった。
エリシアは、少し困ったように笑う。
「一緒にお昼を食べたくて」
「私は今、友人たちと一緒ですけれど」
「もちろん、ご迷惑でしたらーー」
「まあまあ」
私の隣にいた令嬢が楽しそうに口を挟んだ。
「せっかくですし、ご一緒しましょう?」
「ちょっと」
「リゼリア様も、編入したばかりのエリシア様を気にかけていらしたでしょう?」
「私は別にーー」
「ありがとうございます!」
決まった。
私の意思はどこへ。
「では、こちらへどうぞ」
「はい!」
エリシアは嬉しそうに席へ着いた。
私は小さくため息をつく。
周囲の令嬢たちは、珍しい光属性の編入生に興味津々。
「ベルナール男爵領では、どんなお料理が多いのですか?」
「ええと、王都より少し味付けが濃いかもしれません」
「まあ」
「エリシア様は何がお好き?」
「甘いものです!」
即答。
思わず私は彼女を見た。
エリシアもこちらを見る。
「……リゼリア様は?」
「え?」
「お好きな食べ物です」
「私はーー」
一瞬迷った。
こんな情報、原作にはない。
というより、ゲームのリゼリアが何を好んでいたかなんて考えたこともなかった。
「……焼き菓子は好きですわ」
「本当ですか?」
「ええ」
「私もです!」
「先ほど甘いもの全般がお好きだとおっしゃっていましたものね」
「あ」
エリシアが少し恥ずかしそうに笑う。
その姿を見て、私はまた妙な気分になった。
原作ヒロイン。
ずっと、そう考えていた。
でも目の前にいる少女は、好きな食べ物を聞かれて嬉しそうに答えて、慣れない貴族の食事作法に少し緊張して、話しかけられれば一生懸命答える。
普通の女の子だった。
「エリシア様」
「はい?」
「ナイフは、もう少し外側から」
「あっ」
彼女の手が止まる。
「こちらですか?」
「ええ」
「ありがとうございます」
「お気になさらず」
反射的に教えてしまった。
……しまった。
私は何をしているの。
距離を置くのではなかった?
でも、目の前で困っている人を無視するのも違う。
「リゼリア様って、お優しいんですね」
「……その程度で?」
「はい」
「大げさですわ」
私は少しだけ視線を逸らした。
優しい。
そんなふうに言われると、どうにも落ち着かない。
原作のリゼリアなら、絶対に言われなかった言葉。
「そういえば」
友人の一人が声を上げた。
「エリシア様は、アルベルト殿下とはもうお話しされました?」
私はぴたりと手を止めた。
来た。
原作。
エリシアとアルベルト。
ヒロインとメイン攻略対象。
「あ、はい。先ほど少しだけ」
「まあ!」
「どうでした?」
「とても親切な方でした」
原作通り。ここから少しずつ。
そう思った。
でも、エリシアはなぜかアルベルトの話をしているのに、ちらりと私の方を見た。
その視線に気づいて、私は眉を寄せる。
また、何かがおかしい。
ヒロインは、攻略対象を見ればいいのに。なぜ、そんなに私を見るの?
◇
午後の授業が終わった後、私は一人で廊下を歩いていた。
昼休みのことを思い返す。
エリシアは何もしていない。
ただ話しかけてきた。ただ一緒に昼食を食べただけ。
なのに、妙に気になる。
私を見た時の反応。
『お元気そうで、よかったです』
あの言葉。
……何より、私に対する距離の近さ。
ゲームのエリシアと違う。
でも、考えたところで分からない。
「……気にしすぎね」
私は小さく呟いた。
私自身が原作と違うのだから、ヒロインの反応だって多少変わることはある。
そう、きっとそれだけ。
原作のリゼリアは、エリシアに敵意を向けていた。
でも私は何もしていない。だから彼女も、私を恐れていない。
それだけだ。
「大丈夫」
私は自分に言い聞かせた。
悪役にならなければ原作は変えられる。
八年間、そう信じてきた。
だから、ヒロインが少し原作と違うくらい、むしろ良い兆候なのかもしれない。
そう思うことにした。
この時はまだ、エリシアの違和感がこれから起こることのほんの始まりに過ぎないなんて、私は知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございます。
距離を置くつもりが、なぜかエリシアの方から距離を縮められていくリゼリア。
次話では、二人の学園生活をもう少し描きながら、原作の最初の“嫌がらせイベント”が近づいていきます。




