第14話 私たちは、たぶん敵じゃない
原作では敵になるはずだった二人。
けれど、同じ事件を追い、同じ時間を過ごすうちに、リゼリアの中でエリシアの存在は少しずつ変わっていきます。
翌日になっても、教科書事件に新しい進展はなかった。
教師たちも調査を続けてくれているけれど、証言の食い違いについて新しく分かったことはなく、犯人に繋がるような情報も見つかっていないらしい。
けれど私は、不思議と昨日までほど焦ってはいなかった。
もちろん、事件そのものが気にならなくなったわけではないし、次に同じような事が起きるのではないかという不安もある。
ただーー。
『今回のことは、二人で調べましょう』
昨日、自分で口にした言葉が思っていた以上に胸に残っていた。
これまでは、破滅を避けることは私一人の問題だと思っていた。
前世の記憶を持っているのも、この世界が『花冠のエリュシオン』と同じだと知っているのも、自分が悪役令嬢でいずれ破滅する可能性があると知っているのも。
全部、私だけ。
だから、私一人で何とかしなくてはいけないと思っていた。……けれど今は。
「リゼリア様」
「……何?」
「聞いてました?」
向かい側に座っているエリシアが、少し頬を膨らませていた。
「何のお話でした?」
「やっぱり聞いてなかったんですね」
「少し考え事をしていましたの」
「最近、本当に多いですね」
「申し訳ありません」
「珍しい」
「何が?」
「リゼリア様が素直に謝りました」
「私だって謝りますわ」
「そうなんですけど」
エリシアがくすくす笑う。
昼休み、私たちは中庭にあるベンチで昼食を取っていた。
いつもなら食堂を使うことが多いけれど、今日は天気が良かったこともあって、エリシアの提案で外へ出ている。
春の終わりに近づいた風は温かく、花壇には色とりどりの花が咲いていた。
「それで、何のお話でした?」
「もう一度言うんですか??」
「お願いします」
「今度の魔法実技の話です」
「ああ」
「先生が二人組で行うっておっしゃっていたでしょう?」
「そうでしたね」
「誰と組もうかなと思って」
「……」
嫌な予感がした。
「まさか」
「一緒に組んでいただけませんか?」
やっぱり。
「エリシア様」
「はい」
「あなた、私に頼りすぎではありません?」
「そんなことないです」
「魔法理論も、礼法も私でしょう?今度は実技まで?」
「リゼリア様の説明が分かりやすいんです」
「私は教師ではないと何度言えば分かるのかしら」
「でも、組んでくださいますよね?」
「まだ何も言っていません」
「お願いします」
両手を合わせて見つめられる。
私はしばらく黙っていたものの、結局小さく息を吐いた。
「他の方と約束していないなら構いませんわ」
「本当ですか?」
「ただし、自分でできるところは自分でしてください」
「はい!」
分かりやすく嬉しそうな顔をする。
つい数週間前まで、私はこの少女から離れようとしていた。
目が合えば、なるべく深く関わらないようにして、話しかけられれば警戒して、昼食へ誘われただけでもどうして私なのかと考えていた。
それなのに、今では一緒に魔法実技をする約束までしている。
「……本当に、どうしてこうなったのかしら」
「え?」
「何でもありません」
「またですか?」
「独り言ですわ」
私は飲み物に口をつけた。
向かいでは、エリシアが昼食に入っていた小さな焼き菓子を嬉しそうに眺めている。
その様子を見ているうちに、ふと気になった。
「エリシア様」
「はい?」
「学園にはもう慣れました?」
彼女が編入してきてからそれなりの日数が経った。
最初の頃は、授業の内容だけではなく貴族の学園特有の礼儀や習慣にもかなり苦労していた。
最近では、以前ほど困っている姿を見なくなった気がする。
「だいぶ慣れました」
「そう」
「最初は、毎日逃げ帰りたいくらい緊張していましたけど」
「そんなに?」
「だって、周りは貴族の方ばかりですし、知らないことも多かったので」
「あなたも一応、ベルナール男爵家の令嬢でしょう?」
「一応って言いました?」
「細かいことは気にしないでください」
「気になります」
エリシアは少し不満そうな顔をしたものの、すぐに笑った。
「でも、今は楽しいです」
「それならよかったですわ」
「リゼリア様がいますし」
何気なく言われた言葉に私は一瞬固まった。
「……私?」
「はい」
「どうしてそこで私になるの?」
「色々教えてくださるし、一緒にご飯も食べてくださるし、困った時も助けてくださるので」
「それくらい、他の方だって」
「でも」
エリシアは少しだけ視線を落とした。
「リゼリア様がいいんです」
言い切られてしまった。
私は返す言葉を探したけれど上手く見つからない。
「……あなた、時々すごいことを普通に言いますわね」
「すごいことですか?」
「自覚がないなら結構です」
「?」
本当に分かっていないらしい。
私は視線を逸らし、中庭の花壇を見る。
白、青、淡い黄色。小さな花が風に揺れている。
ゲームのタイトルにも、この世界では花がよく使われていた。
『花冠のエリュシオン』
光属性のヒロイン。いくつもの攻略対象。そして、彼女の前に立ちはだかる悪役令嬢。
前世の私は、画面の中のリゼリアを嫌な女だと思っていた。
また出てきた。邪魔をするな。
そう思ったことだってある。
当たり前だ。ゲームでは、リゼリアが何を考えているかなんてほとんど描かれなかったのだから。
でも、今はそのリゼリアとして生きている。
家族がいて、友人がいて、将来への不安があって。嬉しいことも怖いことも全部ある。
だったらエリシアだって同じだ。ヒロインだから、攻略対象と恋をするために存在しているわけではない。
「リゼリア様?」
「……ねえ、エリシア様」
「はい」
「あなたは」
言いかけて一度迷った。
「この学園に来て、何をしたい?」
エリシアがきょとんとした。
「何をしたい、ですか?」
「ええ。光属性だから王都へ呼ばれて、学園へ編入したのでしょう?でも、それとは別にあなた自身は何がしたいのかと思っただけです」
「……」
今度は、エリシアが考え込んだ。……やがて。
「普通に過ごしたいです」
予想していなかった答えだった。
「普通に?」
「はい。勉強して、友達を作って、時々遊んで、美味しいものを食べて」
「ずいぶん平凡ですわね」
「駄目ですか?」
「いいえ」
むしろ、少しだけ嬉しかった。
ゲームのヒロインではなく、目の前の一人の少女らしい願いだったから。
「それから」
エリシアが続ける。
「できれば、大切な人たちがみんな幸せならいいなって思います」
「……みんな?」
「はい」
「欲張りですわね」
「そうかもしれません」
エリシアは笑った。
けれど、その笑顔にはほんの少しだけ寂しそうなものが混じっていた。
「誰か一人が幸せになるために、別の誰かが不幸になるのは嫌なんです」
その言葉に胸がざわついた。
「……」
どうして、そんな言い方をするの?
ゲームではルートを選ぶ。一人を選ぶ。選ばれなかった人間には、別の未来がある。
そして、多くのルートで悪役令嬢であるリゼリアは幸せにはなれない。
「エリシア様」
「はい?」
「今の言葉は、どういう意味?」
「あ……」
また、エリシアの顔にあの表情が浮かんだ。
言い過ぎた。
そんな顔。
「そのままの意味です」
「本当に?」
「はい」
「あなたは時々、まるでーー」
この世界の結末を知っているみたい。
そう言いかけて止めた。
さすがに、そこまで考えるのはおかしい。……未来を知っている人間なんて、私以外にいるはずがーー。
「……」
その瞬間、ほんの一瞬だけ妙な考えが頭をよぎった。
でもすぐに打ち消す。
偶然だ。エリシアは優しい。だから、誰かを犠牲にするような未来が嫌だと言っただけ。
それ以上ではない。
「リゼリア様?」
「何でもありません」
「また、考え事ですか?」
「ええ」
「私のこと?」
「……どうでしょうね」
少しだけ意地悪に返すと、エリシアは困ったように笑った。
◇
その日の午後。
予定されていた魔法実技は、エリシアが言っていた通り二人一組で行われた。
「今日の課題は魔力同調だ」
フェルナン先生が、実技場に集まった生徒たちを見渡す。
「二人の魔力を一つの術式へ流し込み、均等な状態を一定時間維持してもらう。魔力量だけで押し切ろうとすると術式が壊れるから気をつけろ」
魔力同調。
相手の魔力の流れを感じ取り、自分の魔力を合わせていく練習。
簡単そうに聞こえるけれど、実際には相性も大きく影響する。
「では、始めろ」
各組が一斉に準備を始める。
私とエリシアを向かい合った。
「よろしくお願いします」
「ええ」
「失敗したらごめんなさい」
「始める前から誤らないでください」
「だって、リゼリア様の足を引っ張ったら」
「その時はやり直せばいいでしょう?」
「……はい」
床に描かれた小さな術式。その左右へ立ち、同時に魔力を流し込む。
私の属性は闇で、エリシアは光。本来なら正反対で、同調しにくい組み合わせ。
「ゆっくり流してください」
「はい」
私は自分の魔力を少しずつ術式へ送る。
黒紫色の光が紋様を走る。その反対側からは、柔らかな金色の光。
二つの魔力が中央で触れた。
「……」
反発する。
そう思って身構える。けれど。
「え……?」
エリシアの声。
金色と黒紫色。本来なら相反するはずの二つの光が、衝突せず絡み合うように術式の中を流れていく。
「……綺麗」
エリシアが小さく呟いた。
私も言葉を失っていた。
魔力が驚くほど流しやすい。相手に合わせようとしなくても、自然と互いの隙間へ入り込んでいくような……。
「アーデンベルク、ベルナール」
フェルナン先生が近づいてきた。
「先生」
「……面白いな」
「何がですか?」
「闇と光は、普通ならもっと強く反発する。それなのに、お前たちの魔力は妙に安定している」
先生は術式を覗き込む。
「魔力量の釣り合いも悪くない。初めて組んだとは思えないな」
エリシアが嬉しそうに私を見る。
「相性がいいんですね」
「魔法の話でしょう」
「でも、相性がいいってことですよね?
「……まあ」
否定する理由もなく。
「そうみたいですわね」
そう答えると、エリシアは妙に嬉しそうに笑った。
魔力同調は結局、私たちが最も長く術式を維持した。
◇
「今日は楽しかったです」
放課後、廊下を歩きながらエリシアが言った。
「魔法実技が?」
「それもですけど、全部」
「ずいぶん大雑把ですね」
「お昼も楽しかったですし」
「そう」
「リゼリア様」
「何?」
エリシアが立ち止まった。
私も歩みを止める。
「私、ずっと」
彼女が何かを言おうとする。
けれどまた、唇が止まった。
「……エリシア様?」
「やっぱり」
ぎゅっと、鞄の持ち手を握る。
「明日」
「明日?」
「明日の放課後、少しだけ時間をいただけませんか?」
いつもの、一緒に勉強しようとか、お昼を食べようとか、そんな誘い方とは違った。
「構いませんけれど」
「二人だけで、お話したいことがあります」
心臓が少しだけ強く鳴った。
「……分かりました」
「ありがとうございます」
エリシアはほっとしたように笑った。
初めて会った日と同じような顔だった。
私を見て驚いて、そして安心したように笑った。あの時からずっと聞きたかった。
どうしてあなたは、そんな顔で私を見るの?
「では、明日」
「ええ」
エリシアと別れて一人になった廊下で、私は小さく息を吐いた。
原作では私たちは敵だった。
悪役令嬢とヒロイン。
片方が、もう片方の幸せを邪魔する関係。
でも、今の私たちは一緒に昼食を食べて、同じ課題を解いて、同じ事件を調べて、魔法まで不思議なくらい嚙み合った。
だからもう、一つだけは言ってもいい気がした。
私たちはたぶん、敵じゃない。
少なくとも私はエリシアの敵になりたいとはもう思っていなかった。
お読みいただきありがとうございます。
原作では敵になるはずだったリゼリアとエリシアですが、少しずつお互いを「ヒロイン」と「悪役令嬢」ではない一人の相手として見るようになってきました。
そしてエリシアから告げられた、「明日の放課後、二人だけで話したい」という言葉。
次話は第一章最終話です。
けれど、その”明日”を迎える前に、リゼリアが歩いてきた時間をもう少し振り返っていきます。




