第13話 そこにいたはずの私
教科書事件について、学園側から新たな報告を受けることになったリゼリアとエリシア。
けれど、明らかになったのは犯人の正体ではなく、新たな事実でした。
放課後、私とエリシアが指定された部屋を訪れると、そこには担任教師のほかにフェルナン先生も待っていた。
机の上には何枚もの紙が並べられていて、その中には先日私たちが聞いた目撃証言を書き留めたものらしき書類も混じっている。
「失礼いたします」
「来たか。二人とも座ってくれ」
「はい」
教師に促され、私とエリシアは並んで腰を下ろした。
普段なら、こうして教師二人を前にして呼び出されることなどほとんどないし、何より話題があの事件だと分かっているせいで、自然と背筋に力が入る。
隣を見ると、エリシアも同じらしく、膝の上に置いた手を少しだけ握っていた。
「先日の件について、いくつか確認が取れた」
担任教師がそう切り出し、一枚目のこちらへ向ける。
「まず、アーデンベルク嬢が事件の時間帯に第二実技室にいたことについては、改めて確認が取れている。フェルナン先生だけでなく、途中で実技室へ来た別の教師も君を見ていた」
「別の先生も?」
「ああ。ほんの短い時間だったようだが、君が室内の椅子に座って本を読んでいたことを覚えていた」
私は思わずフェルナン先生を見る。
「そういうことだ。少なくとも、君が途中でこっそり実技室を抜け出して教室へ向かったという可能性はない」
「……ありがとうございます」
もともと自分がそこにいたことは分かっていたけれど、第三者の証言が増えたことに少しだけ安堵する。
これなら少なくとも、私自身が教科書を破ったのではないということは、ほぼ疑いようがない。
けれど、先生たちの表情は晴れていなかった。
「問題はその先だ」
担任教師が二枚目の紙を手に取る。
「君たちから報告を受けたあと、目撃証言についてこちらでも改めて確認した。まず、アーデンベルク嬢が教室へ入るところを見たという生徒が、廊下を清掃していた者を見たと話していたな」
「はい」
「その清掃時刻が分かった。あの日だけではなく、学園ではほぼ同じ時間に行われているため、記録も残っていた」
嫌な予感がして、私は黙ったまま続きを待った。
「その生徒が話していた場所の清掃が行われたのは、事件が発覚した時刻より、およそ四十分前だ」
「四十分……?」
エリシアが驚いた声を上げる。
「でも、その時間って……」
「まだ授業中ですわ」
私が答えると、先生は頷いた。
「ああ。アーデンベルク嬢だけではない。目撃したと話している本人も、その時間には授業を受けていた筈だ」
「では、その方が見たという清掃は……」
「前日、あるいは別の日の記憶と混同している可能性はある。ただし本人は、事件当日のことだと思っている」
私は机の上の紙を見る。
時間を間違えただけ。それならまだあり得る。
人の記憶は正確な記録ではないし、似たような毎日を過ごしていれば、前日の出来事と当日の出来事が混ざることもあるだろう。
けれど、それだけなら。
「二人目の証言は?」
私が尋ねると、教師は次の紙へ視線を移した。
「放課後の鐘が鳴った直後、アーデンベルク嬢がベルナール嬢の席の前に立っていたという証言だな。こちらも確認したが、その時間には少なくとも二人は別々の教室で授業を受けていた」
「エリシア様も?」
「はい」
エリシア自身が戸惑ったように頷く。
「私、その時はまだ授業中でした。ですから……もしリゼリア様が私の席のところにいたとしても、そもそも私が教室を離れていない時間です」
「つまり、教科書もまだ破られていない」
「そうなりますわね」
私は静かに答えたものの、胸の奥では得体の知れないものが膨らみ始めていた。
一人目だけなら、勘違い。二人目までなら、偶然。
では、三人目は?
「教科書を持っていたと証言した方については?」
私が聞くと、今度はフェルナン先生が答えた。
「そちらも少々妙なことになった」」
「妙?」
「あの生徒は、アーデンベルク嬢が持っていた本の表紙を青色だったと話したそうだな」
「はい。ただ、破られた私の教科書の表紙は赤色です」
エリシアが答える。
「だから本人にも、もう一度確認した。すると、やはり青かったと思うと答えた」
「では、別の本を見ていた可能性が?」
「俺たちもそう考えた。そこで昨日その生徒が借りていた本や、授業で使っていた教材まで確認したが、青い表紙の本は一冊だけだった」
「……」
「その本を最後に使ったのは、事件が起きる少し前の授業だ。本人も机の上に置いていたことを覚えていた」
私は少しずつ意味を理解する。
「つまり、その方が見た青い本は……」
「自分自身が持っていた本の記憶と混ざっている可能性がある」
部屋の中が静かになった。
目撃した場所。目撃した時間。見たはずの物。
どれも、別の記憶から説明できるかもしれない。
ーーなのに。
「では」
私はゆっくりと言葉を選んだ。
「皆さんは、本当は私を見ていなかったということですか?」
「それが分からない」
担任教師の答えは、想像していたものとは違った。
「もう一度、かなり慎重に尋ねた。事件の日の出来事と別の日の記憶が混ざっていないか、アーデンベルク嬢だったと本当に言い切れるのか、こちらから誘導しないように質問したが……三人とも答えは同じだった」
「……私だった、と?」
「ああ」
一人目も、二人目も、三人目も。
細部については間違っている。時間も成立しない。
それなのに、私を見たという一点だけは変わらない。
「その方たちは、嘘をついているのでしょうか」
エリシアが慎重に尋ねた。
「今のところ、その可能性を示すものは見つかっていない。それぞれ別々に話を聞いたし、三人の間に親しい交流や、事前に口裏を合わせた形跡もない」
「では、誰かから頼まれたという可能性は?」
「それも調べているが、少なくとも現時点では出てきていない」
教師がそこで一度言葉を切った。
「むしろ、こちらが細かく尋ねれば尋ねるほど、本人たちお混乱していた」
「混乱?」
「ああ。『確かにアーデンベルク嬢をみたはずなのに、言われてみれば時間がおかしい』と、一番困惑しているのは本人たちだ」
その言葉を聞いて、私は直接証言を聞いた時の彼女たちの顔を思い出した。
確かに、悪意は感じなかった。
問い詰めれば、自信のないことは自信がないと答えていた。……それでも。
『リゼリア様を見た』
そこだけは、まるで揺るがない前提のように、誰もが口にした。
「先生」
「何だ?」
「以前お聞きした精神干渉系の魔法については、何か分かりましたか?」
私が尋ねると、フェルナン先生は腕を組み直した。
「教室だけでなく、目撃した生徒たちについても本人と保護者の許可を得て簡単な魔力検査を行ったが、外部から精神干渉を受けた痕跡は見つからなかった」
「では、魔法ではない?」
「少なくとも、俺たちが通常知っている精神干渉魔法を受けた形跡はない」
“通常知っている”、その言い方が妙に引っかかった。
「通常ではない魔法があるのですか?」
「未知の術式が存在しないと言い切ることはできない、という意味だ。だが、それを考え始めれば何でもありになってしまう」
「……そうですね」
私は頷いた。
未知の魔法、誰かの陰謀、記憶操作、変装、幻影。いくらでも仮説は作れる。
けれど、どれにも証拠がない」
「それから、もう一つ」
担任教師が最後の書類へ手を伸ばした。
「教科書を最初に発見した生徒についても確認した」
私は思わず背筋を伸ばす。
どうしても見つからなかった、事件の始まり。
「分かったのですか?」
エリシアが尋ねた。
「いや」
教師は首を横に振った。
「分からなかった」
「……」
「事件が発覚した直後に教室にいた生徒だけでなく、その前後に近くを通った者にも話を聞いた。だが誰に尋ねても、誰かがすでに教科書のことで騒いでいたから気づいた、と答えた」
「では、本当に誰も……」
「最初に見つけた人物として名乗り出る者はいなかった」
おかしい。
やっぱり、どう考えてもおかしい。
教科書が勝手に敗れたのでなければ、破った人間がいる。
そのあと誰かが最初にそれを見つけて、騒ぎになったはずだ。
原因があり、結果があり、その間には必ず何かがある。
それなのに、調べれば調べるほど途中が抜け落ちていく。
「まるで……」
思わず声が漏れた。
「リゼリア様?」
エリシアがこちらを見る。
「いえ」
続きを飲み込む。
まるで、結果だけが先に置かれたみたい。
教科書が破られた。私が目撃された。私が疑われた。
それだけが最初から決まっていて、そこへ至るまでの過程だけがあとから無理やり作られたような。
「……」
そこまで考えた瞬間、背中を冷たいものが走った。
違う、考え過ぎだ。
私は原作を知っているから。
今回の事件が原作と同じだったから。
そのせいで、何もかもを特別なものとして考えすぎているだけ。
教科書が破られた事件など、現実にだって起こり得る。
誰かが私を陥れようとした可能性だってまだ消えていない。
「アーデンベルク嬢?」
教師に呼ばれ、私は顔を上げた。
「申し訳ありません。少し考えておりました」
「無理もない。君自身にとっては気持ちのいい話ではないだろう」
「いえ」
私は小さく首を振った。
「むしろ、きちんと調べてくださってありがとうございます」
「学園側としても、このままにできない。君に疑いを残したままにするわけにもいかないし、ベルナール嬢の持ち物が壊された原因も明らかにしなければならない。ただ……」
「ただ?」
「現段階では、これ以上調べるための材料がほとんどない」
……分かっていた。
証言は崩れている。魔法の痕跡もない。犯人もいない。最初の発見者すら分からない。
「今後も何か分かれば知らせるが、君たちもこの件だけに囚われすぎないように。何か不審なことがあれば、かならず教師へ報告すること」
「承知いたしました」
「はい」
私とエリシアは揃って答えた。
◇
部屋を出たあと、私たちはしばらく何も話さずに廊下を歩いていた。
窓の外では夕日が校舎を橙色に染めていて、少し離れた中庭から、クラブ活動をしている生徒たちの声が聞こえてくる。
いつもと変わらない学園。
それなのに、今は、その何でもない景色まで少し違って見えた。
「リゼリア様」
「何?」
「大丈夫ですか?」
「どうして?」
「先生のお話を聞いている途中、少し顔色が悪かったので」
「……よく見ていますわね」
「最近、リゼリア様の顔を見ることが多いので」
それはどういう意味なのかと問い返しかけたけれど、今はそんな気分でもなく、私は小さく息を吐いた。
「少し、怖くなっただけです」
前なら、きっとこんなことは言わなかった。
公爵令嬢として、王太子の婚約者として、誰かの前で簡単に弱音を吐いてはいけないと思っていたから。
でも、なぜかエリシアには今の言葉が自然に出た。
「先生方が何も見つけられなかったことが?」
「それもあります。でも、一番怖いのは……私には何も分からないことです」
誰かが私を嫌っているのならまだ分かる。
政治的な理由があるなら調べられるし、嫉妬ならそれも理由になる。
相手がいるのなら対策だってできる。
「今回は誰を警戒すればいいのかすら分かりません。私を見た方たちは嘘をついているようには見えないし、魔法の痕跡もない。犯人も、最初に発見した方も見つからない。それなのに、事件だけは確かに起きている」
そして、原作ではこの先にも嫌がらせイベントがある。私はそれを知っている。
教科書だけではない。ドレス、魔法実技、階段。
細かいところまで全て覚えているわけではないけれど、リゼリアがエリシアへ嫌がらせを重ねていくことだけは間違いない。
もし、今回と同じことがまた起きたら……。
「……リゼリア様」
気づけば、エリシアが足を止めていた。
私も立ち止まる。
「何?」
「一人でどうにかしようとしていませんか?」
ぎくりとした。
「そんなことは」
「してます」
「まだ何も言ってないでしょう」
「顔で分かります」
「……以前、私があなたに言ったことをそのまま返しています?」
「少しだけ」
エリシアが困ったように笑う。
それから、いつもの明るい表情ではなく真剣な顔で私を見た。
「私もいます」
「……」
「教科書を壊されたのは私ですし、リゼリア様が疑われたことも私には関係があります。だから、次に何か起きたとしても、一人で何とかしようとしないでください」
「次に、なんて」
言いかけて止まる。
どうして、エリシアは次があるかもしれないと思っている?
「エリシア様」
「はい」
「どうして今、”次に何か起きたとしても”と言ったの?」
彼女の表情がほんの一瞬だけ固まった。
「それは……」
「今回だけの偶然かもしれないでしょう?」
「……そうですね」
「なのにあなたは、まるでまた何か起こるかもしれないと考えているように聴こえました」
「それは、今回の事件が変だったから……」
「本当にそれだけ?」
答えがない。
また、この反応。
最初に出会った時から、何度もエリシアは何かを言いかけて飲み込んでいる。
『お元気そうで、よかったです』
『リゼリア様が、私の知っているーー』
そして今、まだ起きていないはずの「次」を、当然のように口にした。
「あなた」
私はゆっくり彼女へ向き直った。
「やっぱり、何か知っていますね?」
エリシアは答えなかった。否定もしなかった。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「まだ」
エリシアはぎゅっと手を握る。
「まだ、話すのが怖いんです」
「怖い?」
「話してしまったら、いろいろなものが変わってしまいそうで」
意味は分からない。でも、その表情だけは嘘ではないと思った。
「ただ」
エリシアが顔を上げる。
「一つだけ信じてください」
「またそれ?」
「今回は、もう一つです」
ほんの少しだけ彼女が笑った。
「私は、リゼリア様の敵にはなりません」
心臓が一度だけ大きく鳴った。
敵。
その言葉に、私だけが知っているはずの意味を勝手に感じ取ってしまったから。
原作では、私たちは敵になる。でも、エリシアが今言ったのはきっとそんな意味ではない。
「……そんなことを言われたら、余計に気になりますわ」
「ですよね」
「分かっているなら、話してください」
「もう少しだけ待ってもらえませんか?」
「どれくらい?」
「……少し」
「一番信用できない答えですわね」
「すみません」
困ったように笑うエリシアを見て、私はため息をついた。けれど、それ以上問い詰めることはしなかった。
「分かりました」
「え?」
「待ちます」
「……いいんですか?」
「その代わり」
私は彼女を見た。
「約束してください」
「何をですか?」
「あなたが知っていることが、私やあなたに危険が及ぶことに関係しているのなら、その時は必ず話すこと。……一人で抱え込まないこと」
エリシアの目が少し見開かれる。
「それ、さっき私がリゼリア様に言ったことと同じでは?」
「そうかもしれませんわね」
「じゃあ、リゼリア様も?」
「もちろん」
少し迷って私は続けた。
「今回のことは、二人で調べましょう」
言ってから、自分でも少し驚いた。
8歳の頃、私は破滅しないためにエリシアへ近づかないと決めた。
ヒロインを虐めない、攻略対象へ近づかない、原作イベントを避ける。
それが私の決めた三箇条だった。
なのに今、私は原作ヒロインと一緒に原作の事件を調べようとしている。
「はい」
エリシアが笑った。
「二人で」
その笑顔を見て私は思う。
何もかも原作とは違う。それなら、少しずつでもこの先だって違うものにできるのかもしれない。
私はまだ破滅する未来を変えたいだけだった。自分が生き残れれば、原作のリゼリアのようにならなければそれで十分だと思っていた。
けれど、隣で立つ少女を見ながらほんの少しだけ別のことを考えた。
もし未来を変えられるのなら、自分だけではなくこの子も笑っていられる未来の方がいい。
そんなことを思ったのはたぶん、この日が初めてだった。
お読みいただきありがとうございます。
学園側の調査でも事件の原因や犯人は分からないまま。
一方、リゼリアはエリシアが「まだ起きていない何か」知っているのではないか、といよいよ強く疑い始めました。
次話では、いったん事件調査から少し離れながら、二人が「協力する相手」からもう一歩近い関係になっていく時間を描いていきます。




