第12話 敵になるはずだった私たち
不可解な教科書事件の調査はいったん小休止。
今回は少しだけ、リゼリアとエリシアの「何でもない学園生活」のお話になります。
教科書事件から数日が経ったものの、結局これといった進展はなかった。
学園側も目撃証言と魔法や使用履歴について改めて確認してくれているけれど、私が事件の時間に第二実技室にいたという事実が確認できた以外は、どれだけ調べても決定的な手掛かりが見つからないらしい。
教科書を最初に発見した人物も、未だに分かっていない。
エリシアが話を聞いた生徒たちだけではなく、その後教師が正式に確認しても、誰もが「自分が見た時にはすでに誰かが騒いでいた」と答えたという。
誰かが最初に見つけなければ、人が集まるはずはない。
それなのに、その最初の一人だけがどうしても見つからない。
目撃者たちの証言も相変わらずで、時間や服装について尋ねると自信をなくすのに、私を見たという部分だけは誰も訂正しなかった。
考えれば考えるほど気味が悪いけれど、分からないことを延々と考え続けても答えが出るわけではない。
だから私は、教師たちの調査結果を待つ間、いったん普段の生活へ戻ることにした。
ーーのだけれど。
「リゼリア様、助けてください」
「嫌です」
「まだ何も言ってません」
「その顔で分かりますわ」
昼休みの教室で、私の机へ両手をついたエリシアは、まるでこの世の終わりを迎えたような顔をしていた。
「お願いです、一問だけでいいので」
「昨日も同じことを言いましたよね?」
「昨日は一問だけでした」
「最終的に五問やりましたわ」
「……結果的には」
「それを五問と言うのです」
私が呆れて言うと、エリシアは眉尻を下げながら手にしていた課題用紙を差し出した。
「だって、分からないんです」
「授業をきちんと聞いていれば分かります」
「聞いてました」
「本当に?」
「……途中までは」
「途中からは?」
「先生の話が難しくなってきて、気が付いたら窓の外の鳥を見ていました」
「そのことを授業を聞いていなかったと言うのよ」
思わずため息をつくと、近くにいた令嬢たちがくすくす笑った。
最近では、この光景もすっかり珍しくなくなっている。
「本当に仲がよろしいですのね」
一人が楽しそうにそう言ったので、私は反射的に顔を上げた。
「仲が良い?」
「ええ。最近はいつもご一緒ではありませんか」
「それは……」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
昼食もかなりの確率で一緒に食べているし、授業の合間にもエリシアは私のところへ来る。放課後に図書室で勉強することもあるし、教科書事件が起きてからは、一緒に調査までしていた。
少なくとも学園の生徒たちから見れば、私たちは十分親しいように見えるのだろう。
「はい、仲良しです」
私が考えている間に、エリシアが勝手に答えた。
「ちょっと、エリシア様」
「違うんですか?」
あまりにも真っ直ぐ聞かれて、言葉に詰まる。
「違うとは言っていませんけれど」
「では仲良しですね」
「……そういうことにしておきますわ」
「やった」
「何がそんなに嬉しいのですか」
エリシアは答えず、満足そうに笑った。
その表情を見ていると、なぜかこちらまで少しだけ気が抜ける。
この少女が原作では私の敵になる予定だったなんて、今では時々信じられなくなる。
「それで、この問題なんですけど」
「まだ諦めていなかったの?」
「仲良しなら教えてください」
「今の話を利用しないでください」
結局、私は課題用紙を受け取った。
「どこが分からないの?」
「ここです」
エリシアが指差したのは、複数の属性を同時に扱った場合の魔力干渉について求める問題だった。
「ここは咲妃に二つの属性それぞれの魔力値を出してから、干渉係数を当てはめます。いきなり合計してはいけません」
「どうしてですか?」
「属性によって魔力の性質が異なるからです。同じ量でも火属性と水属性ではーー」
説明しながら、私はふとおかしな気分になった。
前世でこのゲームをしていた頃、こんな未来を想像したことがあっただろうか。
悪役令嬢であるリゼリアが原作ヒロインの隣に座り、魔法理論の課題を教えている。
しかもヒロインの方は、こちらの説明を一生懸命ノートへ書き写している。
ゲーム画面の中にこんな場面が出てきたら、きっと前世の私は何かの隠しイベントだと思っただろう。
「リゼリア様?」
「……何?」
「手が止まっています」
「ああ、ごめんなさい」
「また考え事ですか?」
「少しだけ」
「最近多いですね」
「誰のせいだと思っているのかしら」
「私ですか?」
「半分くらいは」
「半分も?」
驚くところはそこなのだろうか。
「残り半分は?」
「秘密です」
「気になります」
「課題が終わったら考えてもいいですわ」
「絶対終わらせます」
急にやる気を出したエリシアに、私は思わず笑ってしまった。
すると彼女が少し驚いたようにこちらを見る。
「何です?」
「いえ」
「何かしら」
「リゼリア様、最近よく笑うなと思って」
思いがけない言葉だった。
「私は以前から笑っていますけれど」
「そうじゃなくて」
エリシアは少し考えるように首を傾げた。
「最初に会った時は、こういう感じじゃなかったというか……いつも綺麗に笑っていたんですけど、なんだか作っているみたいで」
「……」
「今は、普通に笑ってくれることが増えました」
胸の奥を不意に触られたような気がした。
私は公爵令嬢で。
王太子の婚約者で。
将来王太子妃になる可能性のある人間として、幼い頃から笑い方一つまで教えられてきた。
誰に対しても失礼にならないように。
感情を表へ出しすぎないように。
そのうえ私は、自分がいずれ悪役令嬢になる未来まで知っている。
余計な敵を作らないためにも、常に正しく振る舞わなくてはいけないと思っていた。
「余計なところをよく見ていますわね」
「お嫌でした?」
「いいえ」
私は視線を課題へ戻した。
「ただ、少し驚いただけです」
「よかった」
エリシアもまた、ノートに視線を戻す。
それから少しの間、私たちは黙って問題を解いた。
窓の外から風が入り、カーテンがわずかに揺れる。
教室の向こうでは別の生徒たちが笑っていて、廊下からは誰かが走って教師に注意される声が聞こえた。
どこにでもある、何でもない学園の昼休み。
事件が起きたことさえ一瞬だけ、忘れてしまいそうだった。
「リゼリア様」
「今度は何?」
「できました」
差し出されたノートを確認する。
「……合っていますわ」
「本当ですか?」
「ええ」
「やった!」
勢いよく声を上げたエリシアへ、周囲から視線が集まる。
彼女は慌てて口を押さえた。
「またやってしまいました……」
「図書室ではないので、少しくらいなら構いませんけれど」
「でも、リゼリア様に怒られるかと思いました」
「私は教師ではありません」
「先生より怖い時があります」
「もう教えませんわよ」
「嘘です、リゼリア様が一番優しいです」
「調子のいいことを」
苦笑しながら課題を返そうとした時、紙の端が風に煽られて床へ落ちた。
「あっ」
二人同時に手を伸ばす。指先がほんの少し触れた。
「……すみません」
「こちらこそ」
エリシアが紙を拾い上げる。
ただそれだけのことだった。
なのに、なぜか彼女はしばらく自分の手を見ていた。
「エリシア様?」
「……あ、何でもありません」
「本当に?」
「はい」
笑っている。
けれど、まただ。
時々、この子はこういう顔をする。
私を見ながら、別の何かを思い出しているような。
今ここにいる私だけではない、何かを見ているような。
「あなたは本当に隠し事が苦手ね」
「え」
「顔に出ていますわ」
「そんなにですか?」
「かなり」
エリシアは頬を押さえた。
「気をつけます」
「そこは隠す努力をするのではなく、話す努力をしてほしいのですけれど」
「……」
「ほら、また黙る」
「すみません」
「謝らなくてもいいです」
私はそこで追及をやめた。
エリシアが何かを隠しているのはもう分かっている。
けれど、それが私を傷つけるためのものではないことも少しずつ分かってきた。
なら、無理やり聞き出す必要はないのかもしれない。
いつか、彼女自身が話してくれるときまで待ってもいい。
そんなふうに思った時。
「アーデンベルク嬢」
教室の入り口から声をかけられた。
顔を上げると、担任教師が一枚の紙を手に立っている。
「先生?」
「先日の件について、少し話がある。放課後、時間をもらえるか?」
それまで穏やかだった空気が少しだけ変わった。
「……分かりました」
「ベルナール嬢にも関係する話だ。二人とも来てくれ」
「私もですか?」
「ああ」
先生はそれだけ伝えると、次の教室へ向かっていった。
私とエリシアは顔を見合わせる。
「何か分かったんでしょうか」
「かもしれません」
止まっていた調査が動いた?
胸の奥に緊張が戻ってくる。
「放課後、一緒に行きましょうね」
「もちろんです」
そう答えたエリシアを見ながら、私は先ほどまで考えていたことを思い返した。
原作では、私たちは敵だった。
エリシアが光なら、リゼリアはそれを邪魔する影。
最後には一人の男性をめぐって対立し、片方が幸せになるためにもう片方が物語から追い出される。
それが『花冠のエリュシオン』だった。
でも今の私たちは、昼休みにいっしょに課題を解いて、くだらないことで笑って、同じ事件について調べて、これからも一緒に先生の話を聞きに行こうとしている。
だったら、少なくとも今だけはヒロインと悪役令嬢ではなく、ただのーー。
「リゼリア様?」
「何?」
「また笑ってます」
「……そう?」
エリシアも笑う。
私は今度は否定しなかった。
この関係を友人と呼んでもいいのかもしれない。そんなことをほんの少しだけ思った。
原作では決して友人にならなかった二人が、原作には存在しなかった関係を少しずつ作り始めている。
そのことがこの先何を変えていくのか、この時の私にはまだ分からなかった。
ただ、決められていた通りに敵になるよりは、きっとずっといい。
そう思った。
お読みいただきありがとうございます。
原作では敵になるはずだったリゼリアとエリシアですが、少しずつ「ヒロインと悪役令嬢」ではない関係になってきました。
次話では、学園側から二人へ教科書事件について新たな報告が入り、止まっていた調査が動き始めます。




