第11話 存在しない犯人?
食い違う目撃証言を手がかりに、今度は事件現場だった教室を調べることにしたリゼリアとエリシア。
けれど調べれば調べるほど、「誰かが犯人である」という当たり前の前提さえ怪しくなっていきます。
翌日の放課後、私とエリシアは再び彼女の教室を訪れていた。
昨日までなら授業が終われば生徒たちの話し声で賑わっている時間だけれど、今日は事前に担当教師から許可をもらい、調査が終わるまでの少しの間だけ教室を空けてもらっている。
もちろん、私たち二人だけではない。
「それで、何を調べたいんだ?」
教壇の近くに立つフェルナン先生が、少し面倒そうに腕を組みながら訪ねた。
私が昨日の聞き取り結果を報告したところ、幻影魔法や変身系統の魔法が使われた可能性を確認するなら、魔法実技を担当している自分が立ち会った方が早いと言ってくれたのだ。
「昨日、私の姿をした別人が教室へ入った可能性についてお話ししましたでしょう?」
「ああ。だが、完全に人間一人を再現する幻影となると相当な腕が必要だぞ」
「ですから、その痕跡が残っていないか確認したいのです」
「分かった。ただし、あまり期待はするな。魔法は種類によって痕跡の残り方が違うし、術者が優秀なら消すこともできる」
「それでも構いません」
私が答える横で、エリシアも真剣な顔で頷いた。
「お願いします、先生」
「ベルナールまでそんな顔をするな。まるで俺が断わったら世界が終わるみたいじゃないか」
「そんな顔してました?」
「していた」
「すみません……」
エリシアが少し肩を落としたので、私は小さく息を吐いた。
「先生、始めていただけますか?」
「ああ」
フェルナン先生は教室の中央まで歩いて行くと、掌を上へ向けた。
淡い光が指先から浮かび上がり、細い糸のように空中へ広がっていく。
魔力探知。
この場所で最近使われた魔法の残滓を調べるための術式で、私たちも基礎だけなら授業で習っている。
ただし、教室全体を正確に調べるとなると教師ほどの技量が必要になる。
「……ふむ」
光の糸が床や机の間をゆっくり這っていくのを、私とエリシアは黙って見守った。
「何かありますか?」
「待て。昨日の授業で使った魔法の痕跡がかなり残っている。まずそれを除外しないと分からん」
「はい」
しばらくして、先生は一度手を下ろした。
「少なくとも、俺が確認できる範囲では、人一人を偽装するような大規模な幻影魔法の痕跡はない」
「……ない?」
「ああ」
「でも、あの日ここでリゼリア様を見た方が何人もいるんですよ?」
エリシアが尋ねると、先生は難しい顔をした。
「証言が事実ならな。ただ、幻影魔法だったという考えは少し弱くなった」
「痕跡を消した可能性は?」
私が尋ねる。
「もちろんある。だが、そこまで考えるなら相当な使い手だ。姿をほぼ完全に再現し、人の目を欺き、そのうえ痕跡まで綺麗に消していることになる」
「この学園で、それができそうな方は?」
「教師を含めれば何人かいるだろうが、生徒となればかなり限られる」
「名前を挙げていただくことはできますか?」
「できなくはないが、まだ証拠もない段階で疑うのはよくない。ましてや君は公爵令嬢だ。君が名前を口にしただけで、その生徒が犯人扱いされる可能性もある」
「……そうですね」
先生の言う通りだった。
自分が疑われたからこそ分かる。
根拠のない疑いを、別の誰かに向けるべきではない。
「では、魔法については一度保留にします」
「それがいいだろう」
私は頷いてからエリシアの席に向かった。
事件が起きた時と同じ机。
教科書そのものはすでに学園側が保管しているけれど、机や周囲には得に変わったところはない。
「エリシア様」
「はい」
「事件の日、教科書はどこに置いていたの?」
「机の中です。午後の授業で使った後、そのまま入れて……放課後に別の先生へ質問に行きました」
「鞄には入れなかった?」
「はい。戻ってからもう一度使うつもりだったので」
「なるほど」
つまり、教科書がここにあることを知っている必要すらなかった。
机を調べれば、誰でも見つけられる。
「あなたが教室を離れることを知っていた人は?」
「うーん……」
エリシアは少し考える。
「特に誰かに言ったわけではありません。授業が終わったあと先生に質問したくなって、そのまま追いかけただけなので」
「では、計画的にあなたがいない時間を狙ったとも限らないのね」
「そうですね」
「それでも、あなたが教室から出た直後に誰かが入ったのなら……」
私はそこまで言って、昨日の証言を思い出した。
一人目の令嬢は、私が廊下から教室へ入るところ見たと言っていた。
二人目は、教室の外から私がエリシアの席の前にいるところを見た。
三人目は、私が教科書らしき本を持っているところを目撃している。
証言をそのままつなげれば、犯人はエリシアがいなくなった隙に教室へ入り、机から教科書を取り出したことになる。
ただし、それが私でないことだけは間違いない。
「リゼリア様」
「何?」
「昨日お話していた、最初に教科書を見つけた人のことなんですけど」
「ええ」
「少し聞いてみました」
「いつの間に?」
「今朝です」
私は思わず彼女を見る。
「一人で勝手に行動しないようにと言ったでしょう?」
「聞いただけです!本当に聞いただけで、問い詰めたりしていません」
「……それで?」
「怒らないんですか?」
「内容次第ですわ」
「では先に話します」
少しだけずるい。
そう思ったけれど、今は話の方が気になった。
「私が教室へ戻った時、机の周りに何人かいたでしょう?」
「ええ」
「その中の方に、誰が最初に見つけたのか聞いたんです。そうしたら、『自分が来た時にはもう別の人が見ていた』って」
「別の人?」
「はい。それで、その人にも聞いてみたら、その方も『自分が来た時にはすでに教科書が破られているって誰かが騒いでいた』って」
私は眉を寄せた。
「では、その“誰か”にも?」
「聞きました」
「……行動が早いですわね」
「気になってしまって」
「それで?」
「その人も、自分が最初ではないって」
教室が静かになった。
フェルナン先生まで、こちらを見ている。
「ちょっと待って」
私はエリシアの話を整理する。
「あなたが戻ってきた時に机の周りにいた方々は、全員が、自分より先に誰かが教科書を発見していたと言ったの?」
「全員ではありません。今朝話せたのは4人だけです。でも、その4人は皆そう言っていました」
「誰が最初に声を上げたのか、覚えている人は?」
「それも聞いたんですけど……」
エリシアが困ったような顔をした。
「はっきり覚えている人がいませんでした」
「……誰も?」
「はい。『誰かが言ったから見に行った』とか、『人が集まっていたから気づいた』とか、そんな感じで」
「そんなことあります?」
思わず先生の方を見る。
「人間の記憶なんて案外そんなものだ」
先生にはそう答えたものの、その表情は納得しているようには見えなかった。
「ただし、全員がそうだとなると少し妙ではあるな」
「そうですよね」
エリシアが頷く。
私も同じだった。
教科書が破られていた。なら、それを最初に見つけた人物が必ずいる。
当たり前の話だ。
何もないところから突然、全員が同時に事件を知ったわけではないのだから。
誰かが見つけた。
誰かが驚いた。
誰かが声を上げた。
それを聞いて人が集まった。
普通なら、そういう順番になる。
ーーなのに。
「……最初がない」
思わず口から零れた。
「え?」
エリシアがこちらを見る。
「いえ。おかしいと思っただけです」
原因があるなら、始まりがあるはずなのに。
どこから辿っても、その始まりへ到達できない。
「申すコス聞いてみる必要がありますね」
「では、今日のうちにーー」
「今日は駄目です」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてあります」
「……明日にします」
「先生にも許可をいただいてからにしてください」
「はい」
しぶしぶ頷くエリシアに、私は小さくため息をついた。
それからもう一度、彼女の机を見る。
普通の机だ。
魔法の痕跡もない。
誰かが無理やり鍵を開けたわけでもない。
そもそも鍵など付いていない。
教科書を破ろうと思えば、誰にでもできる。
だからこそ、犯人一人を見つければ終わる話だと思っていた。
「先生」
「何だ?」
「もし仮に、何らかの魔法で人の記憶を操作するとしたら可能ですか?」
フェルナン先生が、一瞬だけ表情を変えた。
「なぜそう思う?」
「目撃された私の服装や時間、本の色まで食い違っています。それなのに『私を見た』という部分だけは、皆さん確信しているからです」
口にしながら、自分でも嫌な仮説だと思った。
誰かが複数人の記憶へ、私を見たという情報だけを植え付けた。
そんなことが本当にできるのなら、幻影魔法よりずっと厄介だ。
「精神干渉系の魔法は存在する」
先生は慎重に答えた。
「ただし、簡単なものではないし、この国では使用が厳しく制限されている。人の記憶を一から作り上げるとなれば、なおさらだ」
「不可能ではない?」
「不可能とは言わない。だが、何人もの人間に同じ記憶を自然な形で植え付け、その後も本人たちに違和感を持たせないとなれば……俺でも簡単にはできない」
「先生でも?」
「ああ」
では、誰が何のために?私へ罪を着せるためだけにそこまでの魔法を使う?
考えれば考えるほど、話が大きくなっていく。
「やっぱり、誰かがリゼリア様を陥れようとしているんでしょうか」
エリシアが小さな声で言った。
「それが一番分かりやすい説明ではあるわ」
「でも、そんなすごい魔法まで使って?」
「……そこなのよね」
私は机に軽く指先を置いた。
公爵令嬢である私を失脚させたい人間が、絶対にいないとは言えない。
父には政敵もいるし、現状私自身は王太子の婚約者だ。
立場だけを考えれば、狙われる理由はいくらでも作れる。
ただ、やり方が妙だった。
本気で私を陥れたいなら、もっと重大な事件を起こせばいい。
わざわざ教科書を破り、それを私の嫌がらせに見せかける。
まるで、わざわざ原作と同じ出来事を選んだように。
「……」
そこまで考えたところで、私は思考を止めた。
偶然。
ーーそう。まだ、偶然で説明できる。
教科書を破る程度の嫌がらせなど、この世界にしか存在しない発想ではない。
原作を知っているのは私だけ。
だから、何でも原作と結びつけて考えてしまっているのかもしれない。
「リゼリア様?」
「何でもありません」
「でも、今ーー」
「まだ情報が足りないというだけです」
自分自身に言い聞かせるように答えた。
結論を急いではいけない。
証言、魔法、事件の発見者。
一つずつ調べればいい。
「今日はここまでにしましょう」
「もうですか?」
「これ以上調べても、今は新しい情報がありません。先生のお時間までいただいていますし」
「私は構わないがな」
「ありがとうございます。でも、続きは明日にします」
私がそう言うと、エリシアも渋々ながら頷いた。
「分かりました」
私たちは教室を出る準備を始めた。
鞄を持ち、先生に礼をしてから廊下へ出る。
夕暮れの校舎は静かだった。
少し前まで大勢の生徒がいたとは思えないほど、人の気配が少ない。
「リゼリア様」
隣を歩くエリシアが、不意に私を呼んだ。
「何?」
「怖くないですか?」
予想してなかった質問に、私は彼女を見る。
「何が?」
「今回のことです。自分は何もしていないのに、何人もの人が自分を見たと言っていて、調べても犯人が分からなくて」
「……」
「私だったら、怖いです」
私は少しだけ考えてから、前へ視線を戻した。
「怖くないと言えば、嘘になりますわ」
どうしてこんなことが起きたのか分からない。
誰かが私を狙っているのかもしれない。
それだけでも十分怖い。
ーーけれど。
「だからこそ、調べるしかありません」
「リゼリア様らしいですね」
「どういう意味?」
「怖いから逃げるんじゃなくて、怖いから正体を知ろうとするところです」
「褒めているの?」
「もちろんです」
エリシアは笑った。
私は何となく返事に困ってしまい、少しだけ歩調を速める。
「あ、待ってください」
「遅いですわよ」
「リゼリア様が急に速くなったんです!」
後ろから追いかけてくる足音を聞きながら、私はほんの少しだけ口元を緩めた。
怖い。
確かに。
でも、今は一人ではない。
そのことだけは不思議と心強かった。
ただ、この時の私はまだ知らなかった。
犯人が見つからないのではなく、そもそも私たちが探しているような意味での“犯人”など、最初から存在していなかったことを。
もちろん、その答えに辿り着くのは、まだずっと先の話だった。
お読みいただきありがとうございます。
魔法の痕跡を見つからず、目撃者たちの記憶には不自然な共通点があり、さらに「教科書を最初に発見した人物」まで分からないまま。
リゼリアたちの犯人捜しは、少しずつ普通に事件では説明できない方向へ進み始めます。
次話では事件から少し離れ、学園での日常を挟みながら、リゼリアとエリシアの距離にも少し変化が出てきます。




