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誰も花を散らさない世界へ~悪役令嬢の私を世界が殺そうとするので、ヒロインと存在しないエンディングを目指します~  作者: 日ノ澤しの
第一章 悪役令嬢は、何もしていない

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第15話 明日、話したいことがある


「明日の放課後、二人だけでお話したいことがあります」


エリシアから告げられたその言葉を胸に、リゼリアは一人、これまでのことを振り返ります。




 エリシアと別れてから屋敷へ戻るまで、私は何度も彼女の言葉を思い返していた。


『明日の放課後、少しだけお時間をいただけませんか?』


『二人だけで、お話したいことがあります』


 ただ話があるというだけなら、これほど気になることではなかったと思う。


 けれど、エリシアには最初から不可解なところが多すぎた。


 初めて教室で私を見た瞬間、驚いたあとにほっとしたような顔をしたこと。


『お元気そうで、よかったです』


 初対面の相手にそんな言葉を口にしたこと。


 教科書が破られた事件では、複数の目撃者が私を見たと証言している状況で、それでも迷うことなく私ではないと言い切った。



 そして、この先にも何か起こることを知っているかのように、「次に何か起きたとしても」と口にした。


 問い詰めれば、何かを隠していることそのものは否定しない。ーーただ、まだ話せないと言う。


「……明日、か」


 馬車の窓へ視線を向けながら小さく呟いた。


 夕方の王都は、昼間とは少し違う顔をしている。


 通りを歩く人々。


 店じまいを始める商人。


 家路を急ぐ学生。


 私が前世でゲームを遊んでいた頃には存在すら知らなかった人たちが、今日も当たり前のようにそれぞれの生活を送っている。


 8歳の頃。


 この世界が『花冠のエリュシオン』と同じだと気づいたばかりの私は、もっと単純に考えていた。


 ゲームの未来を知っているのだから、それを避ければいい。


 ヒロインを虐めない。


 攻略対象には必要以上に近づかない。


 原作のイベントをできる限り避ける。


 それさえ守れば、自分は破滅しない。


 ただそれだけだった。


 実際、八年間は何事もなく過ごせた。少なくとも私はそう思っていた。


 誰かを陥れることもなく、嫌がらせをすることもなく、与えられた勉強をして、公爵令嬢として必要なことを身につけ、アルベルト殿下の婚約者として求められる役割も果たしてきた。


 だから、エリシアが現れても大丈夫だと思っていた。


 原作のリゼリアと違う私なら、同じ未来にはならないのだと。


 けれど、私は何もしていないのに、教科書は破られた。


 それだけではない。


 その場にいなかったはずの私を見た人まで現れ、細かく調べれば証言は成立しないのに、「リゼリア・アーデンベルクを見た」という部分だけ残った。


 犯人は見つからない。


 最初に教科書を発見した人物さえ分からない。


 魔法の痕跡もない。


 学園の教師たちが調べても、何が起きたのか説明できない。


 もし今回の出来事がただの偶然ならそれでいい。


 誰かが私を陥れようとした事件なら、その犯人を見つければいい。


 けれど、もし違ったらーー。


「……」


 そこから先を考えるのが嫌で、私は目を閉じた。


 考えすぎ。


 何度もそう言い聞かせてきた。


 原作と同じ嫌がらせが起きたからといって。それだけで何か大きな意味があるとは限らない。


 そもそも前世のゲームについて、私は全てを知っているわけではない。


 攻略していないルートもあったし、細かな設定まで読み込んでいたわけでもない。


 この世界が本当にゲームそのものなのか、それとも偶然よく似た世界なのかさえ、証明する方法はない。


 唯一確かなのは、私はここで生きている。そして、エリシアもアルベルトもレオニスも、ここにいる全員が画面の中にいた頃とは違って、生きている人間だということだった。


     ◇


「おかえりなさいませ、お嬢様」


「ただいま」


 屋敷へ帰り、自室へ向かう途中で使用人たちと短く言葉を交わす。


 部屋へ入ると、侍女が鞄を受け取ってくれた。


「本日は少しお疲れですか?」


「そう見える?」


「ほんの少しだけ」


「……考え事をしていただけよ」


「そうでしたか」


 それ以上踏み込まず、侍女は制服の上着を受け取ると、夕食までにはまだ時間があることを教えてくれた。


 一人になった私は机の前へ座る。


 そして、少し迷ってから鍵の付いた引き出しを開けた。中には、一冊の古いノート。


 8歳の頃、前世の記憶を取り戻したあと、覚えている限りの『花冠のエリュシオン』について書き残したもの。


 私はそれを取り出し、久しぶりに最初のページからめくった。


『アルベルト・アルヴェリア』


 原作のパッケージデザインにも大きく描かれているメイン攻略対象。王国の王太子。リゼリア・アーデンベルクの婚約者。


『レオニス・クロイツ』


 攻略対象。リゼリアとは幼少から関わりがある。


『カイル・グランツ』


 攻略対象。騎士団長の息子。


『ノア・フィルディス』


 魔塔に属する魔法使い。攻略対象。詳しいルートはあまり覚えていない。


『セドリック・ルーヴェル』


 神殿関係者。エリシアと同じ光属性。攻略対象。


 さらにページをめくると、途中から文字が小さくなったり書き直した形跡があったりする。


 今よりもずっと子供の頃の自分が必死に思い出しながら書いたのだろう。


「……懐かしい」


 思わずそんな言葉が出た。この頃の私は、名前の横に『攻略対象』と書けばその人を理解できたつもりになっていた。


 アルベルトは攻略対象。レオニスも攻略対象。エリシアはヒロイン。そして私は悪役令嬢。


 それぞれに与えられた役割があって、その役割から外れれば未来を変えられる。


 そんなふうに考えていた。


 でも。


「……全然、違うじゃない」


 今のアルベルトを、ただの攻略対象とは思えない。


 彼は甘いお菓子が好きで、朝が少し苦手で、何でも一人で抱え込もうとして、王太子としては正しいことを言うくせに、時々どうしようもなく不器用になる。


 レオニスもそう。


 ゲームでは冷静で無愛想な攻略対象だった。


 でも、私が知っている彼にはもっとずっと昔の顔がある。まだ互いを家名で呼んでいなかった頃は、『リゼ』と呼ばれていた。私も『レオ』、とそう呼んでいた。


 なんでもないことで喧嘩をして、その日のうちに仲直りして、大人たちに内緒で庭の奥まで行って叱られたこともある。


 私が、将来のことを嫌がって弱音を吐いた時にも黙って隣にいてくれた。


「……」


 ノートの上で指が止まった。


 どうして私はそんな大切な思い出まで忘れたようにしていたのだろう。


 ……答えは分かっている。怖かったから、攻略対象だから、原作に関わる人だから。


 近づけば何かが起こるかもしれない。だから、自分から距離を取った。


 レオニスだけではない。王家の人たちからも昔より少しずつ、私は距離を置くようになった。


 破滅したくない。その一心で。


「……私、ずいぶん勝手ね」


 攻略対象に近づかなければ破滅しない。


 そう考えた私は、彼らがどう感じるのかなんてほとんど考えていなかった。


 8歳の自分を責めたいわけではない。あの時の私は、突然自分がいずれ酷い結末を迎えると知って、怖くて、どうすれば生き残れるのか、それだけを必死に考えていた。


 でも、今なら分かる。


 私が未来を変えようとすることは、私一人だけの未来を変えるという意味ではない。私が誰かを避ければその人との関係も変わる。


 私が原作とは違うことをすればきっと、その先にいる人たちの未来も少しずつ変わっていく。


「エリシアも……」


 原作のエリシアなら、私と敵になるはずだった。でも今は、一緒に昼食を食べて、勉強を教えて、事件を調べて、魔法実技でも同じ組になった。


 そして、明日何かを話してくれる。


 私はノートを閉じた。


 彼女が何を隠しているのか、まだ分からない。でも、以前ほど怖くはなかった。初めて会った頃なら、明日の約束が怖くて仕方なかっただろう。


 原作ヒロインが悪役令嬢の私へ二人だけで話したいことがある。


 それだけで何か破滅に繋がるイベントなのではないかと警戒したはずだ。でも今は少し違う。


 知りたい、エリシアが何を考えているのか。どうして私を信じるのか。どうして、最初に会った時からあんな顔で私を見ていたのか。


 それを彼女自身の口から聞きたいと思っている。


     ◇


 その日の夜、ベッドへ入ったもののなかなか眠れなかった。


 明日のことを考えているのか、教科書事件のことを考えているのか。それとも、昔のことを考えているのか。自分でもよく分からない。


 暗い天井を見つめながら、私はぼんやりと昔の記憶を辿った。


 今まで、前世の記憶を思い出した8歳の春を私にとっての始まりだと思っていた。でも、当然だけれどリゼリア・アーデンベルクとしての私は、8歳の日に突然生まれたわけではない。それより前にも、私はここで生きていた。


 家族と過ごして、王宮へ行って、レオニスと遊んで、アルベルトに出会うよりも前からたくさんの人とたくさんの時間を過ごしていた。


 前世の記憶を取り戻してから、私はどこか『ゲーム本編が始まる前の出来事』として見ていたのかもしれない。


 でも、本当は違う。あの日々だって私の人生だった。そして、今の私を作っているものでもある。


「……レオ」


 小さく、昔の呼び方を口にしてみた。今、本人を前にしてそんなふうに呼べる気はしない。


 きっと驚くだろう、あるいは怒るかもしれない。ある日突然、何の理由も言わずに距離を取ったのは私なのだから。


 どうしてそうなったのか。どうして、私は彼らから離れようとしたのか。そしてそれよりも前、私は彼らとどんなふうに過ごしていたのか。不思議なくらい、次々と昔の記憶が蘇ってくる。


 前世の記憶を取り戻すよりもっと前、まだ自分が『悪役令嬢』だなんて夢にも思っていなかった頃、私はただのアーデンベルク家の末娘だった。


 兄たちに可愛がられて、時には叱られて、幼なじみと笑って、王宮で過ごす人たちのこともゲームの登場人物ではなく、ただ大切な人だと思っていた。


 もし明日、エリシアの話を聞けば何かが変わるのなら、その前に私は一度思い出しておきたい。


 悪役令嬢になる未来を知るより前、まだ何も知らなかった頃のことを。


 そして、私が未来を恐れるようになったあと何を選び、何を遠ざけてきたのかを。


 明日の放課後、エリシアが何を話すのかはまだ分からない。だからその答えはもう少しだけ先の話。


 その前に少しだけ、時間を遡ろう。


 私がまだ攻略対象という言葉さえ知らず、レオニスを「レオ」と呼び、王宮へ行くことを楽しみにして兄たちの背中を追いかけていた。


 ーー悪役令嬢になる前の私の話を。





第一章までお読みいただきありがとうございました。


エリシアから告げられた、「明日の放課後、二人だけで話したい」という約束。


その答えへ進む前に、次章からは少し時間を遡り、リゼリアがまだ自分を”悪役令嬢”だと知らなかった頃、家族や幼なじみ、王家の人々と過ごしていた幼少期を描いていきます。


現在のリゼリアは、どうして今の彼女になったのか。


第二章もお楽しみいただけましたら嬉しいです。



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