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9/19

第9話 第二王子イリアス

 第二王子との対面は、二日後の午後に決まった。


 場所は、王妃の小広間。

 出席者は、王妃、アレクシス、セレネ、イリアス。それから最低限の女官と書記のみ。

 私的な挨拶としては少し形式ばっているが、公式の会見というほど大げさでもない。


 ちょうどよい形だった。

 王太子妃の私室でも、第二王子の私室でも、大広間でもない。

 母である王妃の前で、王太子夫妻が第二王子を迎える。

 家族の挨拶であり、宮廷への牽制でもある。


 セレネは鏡の前に立ちながら、その意味をもう一度確認した。

 今日の装いは、和合祭ほど華やかではない。

 白を基調に、淡い金の縁取り。月国の青銀の刺繍は袖口と裾にだけ入っている。

 王太子妃として失礼にならず、姫としても薄くならない装い。


「王太子妃殿下、こちらでよろしいでしょうか」

「ええ。ありがとう」

 侍女は少しだけ安堵したように微笑んだ。

 婚礼の日のような距離は、もうない。

「第二王子殿下は、お優しい方だと伺っております」

 侍女の一人が、控えめに言った。

「そうなのですね」

「はい。侍女や下働きにも、よくお声をかけてくださいます。テオドロス殿下がお身体を悪くなさっていた頃も、よくお見舞いに通っていらしたと」

 セレネは鏡越しに侍女を見る。

「アレクシス殿下とも、仲はよろしいのですか」

 侍女は一瞬、言葉を探した。

「……以前は、とても」


 以前は。

 その一言だけで、十分だった。

 不仲になったというより、同じ距離ではいられなくなったのだろう。

 兄の死。

 王太子位。

 金眼。

 周囲の声。

 それらが兄弟の間に置かれた。


「教えてくれてありがとう」

「出過ぎたことを申しました」

「いいえ。助かりました」

 支度が終わる頃、扉の外から近習の声がした。

「王太子殿下がお迎えにいらっしゃいました」

「お通ししてください」

 扉が開き、アレクシスが入ってきた。


 今日の彼は、正式な王太子礼装ではない。

 だが、濃紺の上着には金糸が入り、胸元には王太子の印がある。控えめで、それでいて立場を明確に示す装いだった。

「お待たせしました。装いは、それで?」

「祖国の色が強すぎますか?」

「いいえ」

 アレクシスは少しだけ言葉を選んだ。

「王妃陛下の小広間には、よく合うと思います」

 褒め言葉なのか、実務的な確認なのか。

 おそらく両方だろう。

「ありがとうございます」

 セレネは小さく礼を取った。

 アレクシスは手を差し出した。

 セレネはその手を取る。


 廊下へ出ると、二人はしばらく無言で歩いた。

 周囲には侍女や近習がいる。私的なことを話す場ではない。

 角を曲がり、人の気配が少し遠くなったところで、アレクシスが口を開いた。

「兄上は、貴女に失礼なことは言いません」

「はい」

「ですが、周囲はこの対面を必ず利用します」

「承知しております」

「兄上本人と、兄上を担ぎたい者たちは別です」

「それも、承知しております」

 アレクシスは足を止めなかった。

 だが、手の力がほんのわずかに変わる。


「私は、兄上を疑いたくない」

「はい」

「しかし、王太子としては、兄上の周囲を見なければならない」

「はい」

「そのことを、貴女に見せることになる」

 横顔は冷静だった。

 けれど、声には隠しきれない苦さがあった。

「殿下」

「何ですか」

「私は今日、第二王子派ではなく、まずイリアス殿下ご本人を見ます」

 アレクシスの視線が、わずかに動く。

「そして、殿下のことも見ます。王太子としてだけではなく、弟君としても」

「……見られるのは、あまり得意ではありません」

「存じております」

 アレクシスはほんの少しだけ眉を動かした。

「貴女は時々、遠慮がありません」

「遠慮しているうちに、見誤る方が怖いので」

「本当に、困る人だ」

「最近よく言われます」

 その返答に、アレクシスの口元がわずかに動いた。

 けれどすぐに表情を戻す。


「小広間に着きます」

 その一言で、二人は再び王太子夫妻の顔になった。


 ※


 王妃の小広間には、すでに王妃がいた。

 淡い金の衣に、白い花の飾り。

 穏やかに見えるが、その目は室内の空気を細やかに測っている。

 今日この場で何が起きても、すぐに収められるように。

「よく来ました、二人とも」

「お招きいただき、ありがとうございます」

 セレネは礼を取った。

 アレクシスもまた、母に向かって頭を下げる。

 王妃は息子を見て、ほんの少しだけ表情を和らげた。

「イリアスはまもなく来ます」

「はい」

 アレクシスの返答は短い。


 席は四つ。

 王妃が上座、向かいに王太子夫妻、斜め向かいに第二王子。

 真正面から対峙する形ではなく、少し角度をつけている。

 茶会に近い配置でありながら、誰が誰の隣に立つかは明確だった。

 セレネの席は、アレクシスの隣。

 それだけで十分だった。

 やがて、扉が叩かれる。

「イリアス殿下がお見えです」

「通しなさい」

 扉が開いた。


 入ってきた第二王子イリアスを見て、セレネはまず、その柔らかな印象に驚いた。

 アレクシスと似ていないわけではない。

 だが、受ける印象はまるで違った。

 アレクシスが光を閉じ込めた金属なら、イリアスはよく磨かれた木のようだった。

 淡い栗色の髪に、琥珀に近い茶の瞳。

 金眼ではない。

 けれど、その視線は温かく、人を緊張させない穏やかさがあった。


「母上。アレクシス。王太子妃殿下」

 イリアスは順に礼を取った。

「お時間をいただき、ありがとうございます」

 その声もまた、柔らかい。

 セレネは立ち上がり、礼を返した。

「お目にかかれて光栄です、イリアス殿下」

「こちらこそ。ようこそ太陽国へ、王太子妃殿下。正式なご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」

「和合祭まで慌ただしくしておりましたので、どうぞお気になさらず」

「先日の和合祭、本当に見事でした」

 イリアスは心からそう言っているように見えた。


「月神ティアの古式が大聖堂で読まれた時、月国の使節の方々が安堵なさったのがわかりました。あれは、妃殿下のご提案だったとか」

「はい。ただ、形にしてくださったのは神官の方々とアレクシス殿下です」

 アレクシスの功績を隠さない。

 かといって、自分の提案も消さない。

 イリアスはアレクシスへ視線を向ける。

「そうか。お前が通したのだな」

「必要だと判断しました」

 アレクシスの返答は硬かった。

 だが、イリアスはその硬さに慣れているのか、穏やかに頷く。

「よい判断だったと思う。テオドロス兄上も、きっと喜ばれただろう」

 その名が出た瞬間、室内の空気がほんの少し張った。

 悪意はないのだろう。

 けれど、悪意がない言葉ほど深く刺さることがある。

 アレクシスは、表情を変えなかった。

「そうだとよいのですが」

 短い返答だった。


 王妃が、穏やかに話を引き取る。

「まずは座りましょう。立ったままでは、せっかくのお茶が冷めてしまいます」

 その一言で、場は少し和らいだ。


 四人は席についた。

 女官が茶を注ぎ、太陽国の焼き菓子と、月国から贈られた果実の砂糖漬けを並べる。

 これも王妃の配慮だろう。

「王太子妃殿下は、食事には慣れましたか」

 イリアスが尋ねる。

「少しずつ。月国より香りも味も力強く感じます」

「それは、遠回しに重いとおっしゃっていますか」

 問い方が柔らかかったので、セレネも少しだけ微笑む。

「昼にはよいのですが、夜にいただくと少し驚きます」

「正直な感想で安心しました。我が国の料理は、たしかに夜にも太陽のようですから」

 王妃が小さく笑った。

 アレクシスは黙っているが、表情は先ほどより少しだけ緩んでいる。


 イリアスは、人を和ませるのが上手い。

 この人が王太子であれば、周囲は安心したのだろう。

 穏やかで、善良で、人の心を和らげる。

 担ぎたい者が出るのはわかる。

 だが、彼には金眼がない。

 この国では、それが大きい。

「王太子妃殿下」

 イリアスが静かに言った。

「先日の侯爵の発言についても、聞いています」

 セレネは杯を置いた。

「そうですか」

「お詫び申し上げます。同じ王家の者として、月国と妃殿下に失礼があったことを恥ずかしく思います」

 イリアスは深く頭を下げた。

 王妃が少し目を伏せる。

 アレクシスは動かない。

 セレネは、すぐには答えなかった。

 軽く受け流せば、老侯爵の発言を小さく扱うことになる。

 かといって、イリアスに謝罪させすぎれば、王太子であるアレクシスの立場を曖昧にする。

「イリアス殿下のお心遣い、感謝いたします」

 セレネは静かに答えた。

「ですが、アレクシス殿下が明確にお言葉をくださいました。私はそれで十分に、王太子妃としての名誉を守っていただいたと思っております」

 イリアスの視線が、アレクシスへ向く。

「そうか」

 その声には、かすかな安堵があった。

 同時に、少しの寂しさもあるように聞こえた。


「アレクシスは、昔からそういうところがある」

「兄上」

 アレクシスが低く制した。

 イリアスは苦笑する。

「すまない。余計なことだった」

 そのやり取りは、兄弟らしかった。

 ほんの少しだけ、昔の距離が見えた気がした。

 だが、イリアスは再びセレネへ向き直る。

「妃殿下は、アレクシスのことをどうご覧になっていますか」

 室内が静かになる。

 王妃がイリアスを見た。

 アレクシスも、今度ははっきりと兄を見る。

「兄上」

「責めているのではない。聞きたいだけだ」

 イリアスは穏やかに言った。

 だが、問いは穏やかではなかった。

 王太子妃が、王太子をどう見るか。

 それを第二王子が聞く。

 どれほど私的な問いに見えても、政治的な意味を帯びる。

 セレネは、ゆっくりと息を吸った。

「難しい問いですね」

「すみません」

「いいえ。ですが、私はまだ殿下を深く知っているとは申せません。婚礼から日も浅く、私たちは互いに、まだ王太子と王太子妃としての顔を多く見ています」

 アレクシスは黙っている。

「ただ、アレクシス殿下は誠実な方だと思います」

 イリアスが少しだけ目を細める。

「誠実」

「はい。時に言葉は硬く、距離の取り方も正確すぎるほどですが、曖昧な優しさで相手を誤魔化す方ではありません」

 王妃が、わずかに表情を和らげた。

「和合祭でも、殿下は私に月国の礼を捨てろとはおっしゃいませんでした。月国の礼を失った私では、この婚姻の意味がないと」

 イリアスが、静かにアレクシスを見る。

「お前が、そう言ったのか」

「事実です」

「そうか」

 イリアスは少しだけ笑った。

 その笑みに、兄としての嬉しさが見えた気がした。

「なら、安心しました」

「安心?」

「お前が王太子妃殿下を、ただの神話婚の相手として扱っているのならどうしようかと思っていた」

「兄上」

「怒るな。私は、お前を責めたいわけではない」

 イリアスは穏やかに言う。

 だが、その穏やかさの中に、珍しくはっきりとした芯があった。

「アレクシス。お前は昔から、自分が傷つけるくらいなら先に距離を置く。だが、距離を置かれる側も傷つくのだと、少しは知った方がいい」

 アレクシスの表情が固まる。


 セレネは、思わず息を止めた。

 それは、自分が言えなかった言葉だった。

 兄であるイリアスの口から出ると、重さが違う。

 王妃は何も言わない。

 止めないということは、必要な言葉だと判断しているのだろう。

 アレクシスは、低く言った。

「この場で話すことではありません」

「そうだな」

 イリアスは頷いた。

「だが、この場でしか言えないことでもある。私は、王太子妃殿下に失礼を承知で言っている」

 そして、イリアスはセレネへ向き直った。

「妃殿下。弟は、不器用です」

「存じております」

 セレネが思わずそう答えると、王妃が小さく咳き込んだ。

 イリアスは一瞬驚いた後、柔らかく笑った。

 アレクシスは、わずかに眉を寄せた。

「……そうですか。すでにご存じでしたか」

「はい」

「では、余計な心配だったかもしれません」

「いいえ。イリアス殿下のお言葉は、よく覚えておきます」

 アレクシスの視線がこちらへ向く。

 セレネはそれを受け止めた。


 距離を置かれる側も傷つく。

 それを、アレクシスに知ってほしいと思っていた。

 だが同時に、イリアスがそれを言えることに、彼ら兄弟の過去が見えた。

 仲が悪いわけではない。

 むしろ、互いを大切に思っている。

 だからこそ、今の立場が苦しい。

「イリアス殿下」

 セレネは、静かに口を開いた。

「私からも、一つ申し上げてよろしいでしょうか」

「もちろんです」

「私は、イリアス殿下とアレクシス殿下の間にあるものを、すぐに理解できるとは思っておりません」

 イリアスは真剣な顔で聞いている。

「ですが、少なくとも今日お会いして、イリアス殿下がアレクシス殿下を大切に思っておられることはわかりました」

 アレクシスが、わずかに目を伏せる。

「その上で申し上げます。殿下を担ごうとする方々は、そのお気持ちを利用するかもしれません」

 イリアスの表情が、少しだけ沈んだ。

「わかっています」

「ならば、どうかお気をつけください。イリアス殿下が望まれなくとも、殿下の名が使われれば、アレクシス殿下は王太子として警戒せざるを得ません」

「……ええ」

「それは、お二人の間に余計な傷を作ります」

 セレネは、そこで一度言葉を切った。


「私は、この国に来たばかりです。出過ぎたことを申していると承知しています。ですが、嫁いで以来、私はその傷がどれほど深いかを少しだけ見ました」

 誰も口を挟まなかった。

「どうか、イリアス殿下ご自身のお言葉で、周囲に境界を示してください。アレクシス殿下を王太子として支えるのだと。そうでなければ、優しさが別の方々の旗にされます」

 イリアスは、じっとセレネを見ていた。

 穏やかな瞳の奥に、重い理解が沈んでいく。

「妃殿下は、はっきりおっしゃる方ですね」

「月国の第二王女としては、まだ控えめな方です」

 王妃が、今度こそ小さく笑った。

「それは、月国が少し怖くなりますね」

「月国は夜の国ですので、暗がりで言葉を曖昧にすると、迷います」

 イリアスは、しばらくしてから深く頭を下げた。

「ご忠告、感謝します。王太子妃殿下」

 そして、アレクシスへ向き直る。


「アレクシス」

「はい」

「私は、王太子位を望んでいない。これまでも、これからも」

 アレクシスの手が、膝の上でわずかに動いた。

「兄上」

「だが、私の周囲が何を望んでいるか、私が甘く見ていたことも事実だ。すまない」

「兄上が謝ることではありません」

「いいや。私の名を使わせているのなら、私にも責任がある」

 イリアスの声は穏やかだった。

 だが、逃げない声だった。

「近いうちに、私の周囲の者たちへ明確に伝える。私は王太子アレクシスを支える、と」

 アレクシスは、すぐには答えられなかった。

 目を伏せ、何かを堪えるように黙っている。

 これは、彼が望んでいた言葉かもしれない。

 だが、望んでいたからこそ、受け取るのが苦しいのだろう。

 兄に支えられることもまた、彼の負い目を刺激する。

「……ありがとうございます」

 やがて、アレクシスはそう言った。

 それは王太子としての礼だった。

 そして、弟としての礼でもあった。

 イリアスは静かに微笑んだ。

「私は、お前の兄だからな」

 その一言に、アレクシスは顔を上げなかった。

 だが、彼の指先から少しだけ力が抜けたのを、セレネは見た。


 ※


 対面は、表向きには穏やかに終わった。

 茶は冷めず、声が荒らげられることもなく、書記が書き留めるべき不穏な言葉もなかった。

 第二王子は王太子夫妻へ祝意を述べ、王太子妃は礼を返し、王妃はそれを見届けた。

 そう記録されるだろう。


 だが、その内側では、多くのことが動いていた。

 イリアスは、自分の名が担がれていることを認めた。

 アレクシスを支えると言った。

 セレネは、その言葉を引き出した。

 アレクシスは、それを受け取った。


 小広間を出た後、セレネとアレクシスは並んで廊下を歩いた。

 近習たちは少し後ろに控えている。

 人目はある。

 だから二人の会話は、自然と低くなる。

「貴女は」

 アレクシスが言った。

「本当に、容赦がありませんね」

「イリアス殿下に対してですか」

「私に対してもです」

「怒っていますか」

「いいえ」

 アレクシスは、すぐに否定した。

「むしろ、助かりました」

 その言葉は小さかった。

 だが、はっきり聞こえた。


「殿下が私にそう言ってくださるのは、珍しいですね」

「そうでしょうか」

「はい」

「では、言い直しましょうか」

「いいえ。今のまま受け取ります」

 アレクシスは、少しだけ困った顔をした。

 それから、低く言う。

「兄上のことを、悪く見なかったのですね」

「悪く見る理由がありませんでした」

「担がれる立場です」

「担がれることと、担がれたいことは違います」

「それを、貴女はすぐに分ける」

「分けなければ、誰を見るべきかわからなくなります」

 アレクシスは黙った。

 廊下の窓から、午後の光が差し込んでいる。

 その光の中を歩きながら、彼は静かに言った。

「私は時々、分けられなくなります」

 セレネは答えなかった。

 続きを待つ。

「兄上を慕う気持ちと、王太子として警戒する必要。兄上に支えられたい気持ちと、支えられることへの負い目。兄上が悪くないと知っていることと、兄上の周囲を疑わなければならないこと」

 その声は、とても静かだった。

「分けられないまま、全部を遠ざけようとする。兄上も、第二王子派も、貴女も」

 セレネは胸の奥が痛んだ。

「私も、ですか」

「貴女は、遠ざけようとすると近づいてくる」

「失礼なことをしているでしょうか」

「いいえ」

 アレクシスは、ほんの少しだけ首を横に振った。

「必要なことをしているのだと思います」

 それは、不器用な受け入れの言葉だった。

 セレネは、左手首の銀十字に触れた。

 冷たい感触が、少しだけ心を落ち着ける。


「殿下」

「何ですか」

「私も、まだ分けられないことがあります」

 アレクシスが彼女を見る。

「契約として隣に立つことと、私自身の意思で隣に立ちたいと思うことです」

 言った瞬間、心臓が強く鳴った。

 踏み込みすぎた。

 そう思ったが、もう遅い。

 アレクシスの足が、ほんの少し遅くなる。

 だが、止まらなかった。

 人目があるからだろう。

 彼は前を向いたまま、低く答えた。

「……その二つは、今すぐ分けなくてもよいのではありませんか」

 セレネは息を止めた。

 逃げられると思っていた。

 王太子としての話へ戻されると思っていた。

 だが、彼は完全には逃げなかった。

「そうでしょうか」

「少なくとも、私は」

 そこで彼は言葉を切った。

 また、飲み込むのだろうか。

 そう思った。

 けれど、今度は少し違った。


「私は、その二つを分けるのが、怖い」

 セレネは、彼の横顔を見た。

 その彼が、怖いと言った。

「……私もです」

 セレネは小さく答えた。

 アレクシスは、こちらを見なかった。

 だが、手を差し出した。


 廊下を曲がる前、人目のある場所。

 王太子が王太子妃を導くための手。

 公の所作。

 セレネは、その手を取った。


 契約の内側にある手。

 けれど、その内側だけでは説明しきれない手。

 二人は並んで歩き出す。

 太陽の光が廊下に長く落ち、その足元に二つの影が重なった。


 完全には交わらない。

 けれど、離れてもいない。

 今はまだ、それでよかった。

▼おまけ

三兄弟は元々仲は良かったのです。

長兄のテオドロスがやや病弱でしたが、綺麗な金眼を持っていたので、王太子に定められました。

金髪か金眼なら王位に近づきますが、この世界では髪は染められても、瞳は変えられないので、

金髪の王子と金眼の王子なら、金眼が優先されます。

そのため、金眼のアレクシスが王太子になりました。


もっというと、髪色・瞳の色は遺伝しません。

黒髪黒目の夫婦から金髪碧眼が生まれるのはよくあることです。

人の色は灰色で、神々が祝福として色を与えているため、こうなりました。

なお死んだ者は徐々に色が抜け、髪と瞳は灰色となります。



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