第8話 太陽の影
翌朝、王宮の空気は変わっていた。
見た目には、何も変わっていない。
王宮は相変わらず明るく、白い石壁は朝日を受けて眩しく輝いている。廊下を行き交う侍女や文官たちも、昨日と同じように礼を取り、同じように仕事をしていた。
けれど、セレネへ向けられる視線は、昨日までと同じではなかった。
和合祭を成功させた王太子妃。
古式の一節を戻し、月国の使節を安堵させた妃。
老侯爵の侮辱に対し、王太子自らが庇った妃。
人々はその事実を知っている。
知っているから、態度を変える。
「王太子妃殿下、本日は一段とお健やかにお見えでございます」
「昨日の和合祭、まことにお見事でございました」
「使節団も、たいそうお喜びでいらしたとか」
掛けられる言葉は、昨日より丁寧だった。
侍女たちの礼も少し深い。
神官たちは、セレネが通ると一歩脇へ退き、目礼を送る。
それは敬意だった。
少なくとも、表面上は。
セレネは微笑み、一つずつ応じた。
「ありがとうございます。和合祭が滞りなく終わりましたのは、皆様のお支えあってのことです」
そう答えながら、心の中では慎重に距離を測る。
急に近づいてくる者や丁寧になる者には、理由がある。
昨日まで値踏みしていた者が、今日から敬意を持つことはある。だが、その敬意は、しばしば次の値踏みの始まりでもある。
王太子に庇われた妃。
そう見られることは、セレネの立場を強める。
同時に、危うくもする。
アレクシスの妃として守られる存在。
それは、この宮廷では強い。
けれど、自分で立つ力を疑われれば、意味がない。
昨日、アレクシスは言った。
自分が動けば、セレネは庇われた妃として見られる。それは彼女の力を損なう可能性がある、と。
その通りだった。
セレネは、彼に庇われたことを恥とは思わない。
だが、庇われなければ立てないと思われるのは困る。
その違いを、これから示さなければならない。
※
朝の礼拝を終えた後、セレネは王妃に呼ばれた。
王妃の私室は、王宮の中央より少し奥まった場所にある。
セレネにとって、この王宮の中では、珍しく息のしやすい部屋だった。
「よく眠れましたか」
王妃は、まずそう尋ねた。
セレネは一瞬だけ迷い、正直に答える。
「深くはありませんが、少しは」
「アレクシスと似た答え方をしますね」
王妃が小さく笑う。
セレネは返答に困った。
「殿下も、そうお答えに?」
「ええ。あの子は昔から、眠ったかと聞くと、必要な分は、と答える子でした」
その言い方に、愛情と、同じくらいの心配が混じっていた。
王妃はセレネに椅子を勧め、自らも向かいに座った。
「昨日の和合祭、見事でした。あなたが古式の一節を戻すよう提案したと聞いています」
「はい。ただ、実際に動いてくださったのは神官の方々とアレクシス殿下です」
「それでも、最初に気づいたのはあなたでしょう」
王妃は静かに言った。
「月国の使節団から、正式な謝意が届いています。太陽国側にも、悪くは受け止められていません。少なくとも表向きは」
表向きは。
王妃がそう付け加えた意味を、セレネは理解した。
「反発があるのですね」
「あります」
王妃は隠さなかった。
「月国への配慮を、和合祭の本義にかなうものと受け止める者もいれば、月国の姫に太陽国の祭儀を動かされたと受け止める者もいます」
「老侯爵家でしょうか」
「その周辺が中心です」
やはり、と思った。
昨日、祝宴でセレネと月国を侮辱した老侯爵。
アレクシスに叱責されたことで、彼自身はしばらく表立っては動きにくいだろう。
だが、親族や縁者、同じ派閥の貴族たちは、別の形で試してくる。
「それから」
王妃は少しだけ声を低くした。
「第二王子イリアスを推す者たちも、昨日の出来事を見ています」
第二王子イリアス。
アレクシスの兄。
先の王太子テオドロスが亡くなった後、本来なら王太子となるべきだった人。
セレネは静かに聞いた。
「イリアス殿下ご本人も、そうお考えなのでしょうか」
「いいえ」
王妃はすぐに首を横に振った。
「あの子は、自ら王太子位を望んだことはありません。少なくとも、私の知る限りでは」
「では、周囲が」
「ええ。本人が望むかどうかと、周囲が推すかどうかは別です」
それは、どの国の宮廷でも同じだった。
本人が野心を持たなくても、その血筋や立場が、周囲にとって都合がよければ旗にされる。
そして一度旗にされれば、本人の意思とは無関係に争いが生まれる。
「イリアス殿下は、どのような方ですか」
セレネは尋ねた。
王妃は少し考えた。
「優しい子です。穏やかで、人に譲ることを苦にしない。だからこそ、周囲には……都合が良いのでしょう」
「ご本人が優しいと、担ぐ者たちは自分の野心を正義に見せやすい」
思わずそう言うと、王妃の目が少しだけ細められた。
「あなたは本当に、よく見ますね」
「月国でも、そういうことはありました」
王位を継ぐ姉。
外へ嫁ぐ自分。
王位に近い者、遠い者。
神の面影が強い者、弱い者。
月国にも、象徴色と継承をめぐる言葉はあった。
王妃は、しばらくセレネを見つめた後、机の上から一通の封書を取った。
「今朝、あなた宛てに届いています」
「私に?」
「イリアスからです」
セレネは、差し出された封書を受け取った。
封蝋には第二王子の花押が押されている。
王家の一員であることを示す、簡略化された円環。
宛名は丁寧な筆致で書かれていた。
王太子妃殿下へ。
「開けてもよろしいですか」
「もちろん」
セレネは封を切った。
内容は短かった。
昨日の和合祭への祝意。
月神の古式を戻したことへの敬意。
そして、近いうちに王太子妃へ正式に挨拶したいという申し出。
文面に不自然なところはない。
むしろ、丁重で控えめだった。
「ご本人の筆ですか」
「ええ。あの子らしい」
「穏やかな文ですね」
王妃は頷いた。
だが、その表情は軽くない。
「受けるべきでしょうか」
「断れば、イリアスを避けたと言われます。受ければ、第二王子派があなたに近づいたと言われるでしょう」
「どちらにしても言われるのですね」
「宮廷とはそういう場所です」
セレネは手紙をもう一度見た。
イリアス本人に悪意はないのかもしれない。
だが、この招きは、本人だけのものではない。
周囲は必ず見る。
王太子妃が第二王子とどう言葉を交わすか。
アレクシスがそれをどう受け止めるか。
そこに距離が生まれるかどうか。
昨日の和合祭で、アレクシスはセレネを公然と庇った。
それによって、二人の結びつきは強く見えた。
ならば、それを揺らそうとする者が出るのは当然だ。
「王妃陛下」
「何でしょう」
「私は、イリアス殿下にお会いすべきだと思います」
王妃は驚かなかった。
ただ、静かに理由を待っている。
「避ければ、恐れているように見えます。必要以上に親しくすれば、利用されます。ですが、王太子妃として礼を尽くし、距離を明確にしてお会いするなら、むしろ曖昧さを減らせます」
「同席者は?」
「アレクシス殿下がよろしければ、殿下に」
王妃は、そこで少しだけ微笑んだ。
「第二王子との対面に、王太子を同席させるのですね」
「私はアレクシス殿下の妃です。イリアス殿下を避けるつもりがないことと、王太子殿下の隣に立つ立場であることを、同時に示せます」
「それをアレクシスが受けられれば、ですが」
セレネは手紙を見つめる。
アレクシスは、イリアスに負い目を持っている。
彼は第三王子だった。
イリアスが王太子になるべきだった。
けれど金眼を持っていた自分が選ばれた。
その兄と、セレネが対面する。
テオドロスの影だけでなく、生きている兄の存在が、二人の間に置かれる。
アレクシスは、どう受け止めるだろう。
「殿下が受けられないなら、私が一人で会うことは避けます」
「なぜ」
「私一人でお会いするならば、宮廷に要らぬ憶測を招きますから」
王妃は、ゆっくりと息を吐いた。
その顔に、ほんの少しだけ安堵が浮かんだように見えた。
「ありがとう、セレネ」
「礼を言われることではありません」
「いいえ。母として、礼を言わせてください」
王妃ではなく、二人の王子の母としての言葉だった。
セレネは深く頭を下げた。
「私は、アレクシス殿下の妃ですから」
言ってから、胸の奥が少しだけ痛んだ。
契約。
この関係は、それでしかない。
なのに、なぜ痛むのだろう。
※
王妃の私室を出た後、セレネはアレクシスの執務室へ向かった。
第二王子からの手紙を、後回しにするのはよくない。
侍女を通じて面会を求めると、すぐに許可が下りた。
アレクシスの執務室は、王宮の東翼にあった。
大きな窓から光が入り、机の上には整然と書類が積まれている。壁には地図と、王家の系図が掛けられていた。
セレネは、その系図に一瞬だけ目を向ける。
先の王太子テオドロス。
第二王子イリアス。
そして、その下から王太子の位置へ引き上げられたアレクシス。
線と文字で記されれば、継承はとても簡単に見える。
だが、その線の上にいる人間の心までは、系図に書かれない。
「王太子妃」
机の向こうから、アレクシスが立ち上がる。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「急ぎの用件ですか」
「はい」
セレネは封書を差し出した。
「イリアス殿下から、私宛てに届きました」
アレクシスの表情が、ほとんど変わらないまま硬くなった。
彼は封書を受け取らず、まずセレネを見る。
「内容は」
「和合祭への祝意と、正式に挨拶したいとのお申し出です」
アレクシスは、ようやく封書を受け取った。
中の手紙に目を通す。
その間、部屋は静かだった。
セレネは、彼の横顔を見ないようにした。
けれど、視界の端でわかる。
彼の指先が、手紙の端をわずかに強く押さえている。
「イリアス兄上らしい文です」
アレクシスは静かに言った。
「お優しい方だと、王妃陛下から伺いました」
「ええ」
短い肯定。
そこに、敬意と痛みが一緒にある。
「殿下」
「何ですか」
「私は、お会いした方がよいと思っています」
アレクシスの視線が上がる。
「そうですか」
「ただし、殿下が同席してくださるなら、です」
彼は少しだけ目を細めた。
「私が? なぜですか」
「私は殿下の妃です。イリアス殿下を避けるのは礼を欠きます。ですが、私一人でお会いすれば、余計な憶測を呼びます」
「憶測」
「第二王子派が私へ接触した。イリアス殿下へ好意的である。王太子殿下はそれを許した。あるいは、止められなかった。そういう話はいくらでも作れます」
アレクシスは黙る。
「ですから、殿下とご一緒にお会いしたいのです」
「私と兄上が並ぶ場に、貴女が立つことになります」
「はい」
「貴女は」
アレクシスはそこで言葉を切った。
何を言おうとしたのか、セレネにはわかった気がした。
貴女は、もともとテオドロス兄上の妃になるはずだった。
その貴女が、またイリアス兄上と並ぶ私を見ることになる。
多分、そう言いたかったのかもしれない。
「殿下」
セレネは静かに言った。
「私は、王太子妃です」
「わかっています」
「いいえ。今は、もう一度申し上げます」
アレクシスの金の瞳が、彼女を見る。
「私は、太陽国の王太子妃です。イリアス殿下の客ではありません。第二王子派の駒でもありません。月国が送り込んだ、不確かな姫でもありません」
セレネは、一語ずつ置くように言った。
「そして、テオドロス殿下の影でもありません」
アレクシスの表情が、わずかに揺れる。
「私は、アレクシス殿下の隣に立つために、この国へ嫁ぎました」
「それは、契約として」
「はい。契約として」
セレネは認めた。
胸が痛んだが、目を逸らさなかった。
「契約として始まったことです。ですが、契約だからこそ、私は殿下の隣を勝手に離れません」
沈黙が落ちた。
アレクシスは、手紙を机の上に置いた。
その動作は丁寧だったが、指先にはまだ力が入っている。
「貴女は、どうしてそこまで、私に義理立てをするのですか」
セレネは少し驚いた。
「義理立てではありません」
「では何です」
「私の立場の確認です」
そう答えてから、セレネは少しだけ考えた。
「それから、私自身の意地です」
「意地」
セレネは小さく微笑んだ。
「私は、和平の供物ではないと、殿下が昨日おっしゃいました。ならば、その言葉にふさわしく立ちたいのです」
アレクシスは、息を止めたように黙った。
「あの言葉を、私だけに背負わせないでください」
言ってから、セレネは自分でも少し強い言い方をしたと思った。
だが、もう止まらなかった。
「殿下が私を供物ではないと言ってくださった。ならば、私は自分がそうではないことを示します。殿下の後ろに隠れるのではなく、殿下を置いて一人で進むのでもなく、隣に立って」
アレクシスは視線を伏せた。
その表情は、また何かを飲み込んでいるようだった。
「……貴女は、本当に困る」
「私は、殿下を困らせていますか」
「困らせています」
即答だった。
セレネは少しだけ目を瞬かせる。
アレクシスは、低く続けた。
「貴女は正しく、強く、公正だ。私が距離を置こうとしても、その距離の意味を見ようとする。私が王太子として言葉を選んでも、その中にあるものを見つけようとする」
「見つけてはいけませんか」
「見つけられると、逃げ場がなくなる」
その言葉は、昨日の夜よりも率直だった。
セレネは、静かに彼を見る。
「逃げたいのですか」
「逃げたいと思うことはあります」
「私から?」
「貴女からではありません」
アレクシスは、少しだけ苦しげに言った。
「貴女を見る自分からです」
セレネは言葉を失った。
それは、告白ではない。
少なくとも、甘い言葉ではない。
むしろ、彼にとっては苦しみの表明だった。
けれど、契約の内側にだけ置ける言葉でもなかった。
アレクシスは、すぐに顔を上げる。
まるで自分の言葉を取り戻すように、声を整えた。
「イリアス兄上との対面には、私も同席します」
セレネもまた、王太子妃の顔を取り戻した。
「ありがとうございます」
「場所は、王妃陛下の小広間がよいでしょう。王妃陛下にも同席を願います」
「それなら、より安全ですね」
「兄上にも、その方が余計な負担をかけずに済む」
兄上。
その呼び方は自然だった。
そこに敵意はない。
むしろ敬意がある。
だからこそ、アレクシスの苦しさは深いのだろう。
「殿下は、イリアス殿下をお慕いなのですね」
セレネが言うと、アレクシスは少し驚いたように彼女を見た。
「そう見えますか」
「はい」
セレネは頷いた。
「だから、お辛いのだと思いました」
アレクシスは、すぐには答えなかった。
窓の外の光が、彼の横顔に落ちている。
その金の瞳は、太陽神の面影と呼ばれるにはあまりにも人間らしく揺れていた。
「イリアス兄上は、私に優しかった」
ようやく彼は言った。
「王太子位を奪われたと思っていない。そう言ってくださった」
「はい」
「ですが、兄上がそう言ってくださるほど、周囲の言葉が重くなる」
セレネは黙って聞いた。
「兄上は望んでいない。けれど、周囲は兄上を担ぐ。私は兄上を疑いたくない。だが、王太子として警戒しなければならない」
それは、ひどく苦しい立場だった。
兄を慕う弟。
王太子位を継いだ者。
政治的には兄を警戒しなければならない者。
どれもアレクシスだ。
「その場に、貴女を立たせることになる」
アレクシスの声が低くなる。
「また、私の事情に巻き込む」
「すでに巻き込まれています」
セレネは静かに答えた。
「婚礼の日から」
アレクシスが、少しだけ目を伏せた。
「責めているのではありません。王族の婚姻とはそういうものです」
「貴女はまた、そうやって」
「正しく言いますか」
「ええ」
「では、少し正しくないことを言います」
セレネは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「私は、少し怒っています」
アレクシスが顔を上げる。
「怒っている?」
「はい。殿下が、ご自分の事情に私を巻き込むことを気にされるのはわかります。ですが、私は何も知らずに守られるだけの飾りではありません」
セレネは、まっすぐに言った。
「巻き込まれているのなら、状況を知る権利があります。そして隣に立つと決めた以上、私にも考える権利があります」
アレクシスは、しばらく彼女を見ていた。
やがて、ごくわずかに息を吐く。
「……わかりました」
「本当に?」
「本当に」
「では、今後は必要なことを隠さないでください」
「できる限りは」
「殿下」
「……隠さないよう努めます」
その譲歩に、セレネは頷いた。
「十分です。今は」
「貴女は時々、神官より厳しい」
「月国の王女教育の賜物です」
アレクシスの口元が、わずかに動いた。
今度は、笑ったとわかった。
ほんの一瞬だったが。
セレネは、その一瞬を見なかったふりをした。
見たと示せば、彼はまた逃げる気がした。
※
第二王子イリアスへの返書は、その場で文案を整えた。
王太子妃として祝意への礼を述べる。
対面の申し出を受ける。
日程は王妃陛下の小広間にて、王太子アレクシス同席のもとで調整する。
文章は丁寧に、しかし曖昧な親しさは避ける。
イリアスを敬いながら、セレネの立場はあくまで王太子妃であると明確にする。
セレネが下書きを作り、アレクシスが確認した。
「これで問題ありません」
「月国式の言い回しが混じっていませんか」
「少し」
「直します」
「いいえ。この程度なら、むしろ貴女らしい」
思いがけない言葉だった。
セレネは筆を持つ手を止める。
「私らしい、ですか」
アレクシスは、自分が何を言ったかに気づいたように、わずかに視線を逸らした。
「月国の王女としての文面だという意味です」
「そうですか」
「ええ」
「では、そういうことにしておきます」
セレネがそう言うと、アレクシスは少し困ったような顔をした。
その表情を見て、セレネは胸の奥が軽くなるのを感じた。
まだ遠い。
まだ彼は逃げる。
けれど、昨日より少しだけ、こちらを向いている。
返書を書き終えると、アレクシスが封をした。
王太子妃の印ではなく、王太子夫妻の共同の印を使う。
それは、この対面がセレネ一人の判断ではなく、王太子夫妻としての判断であることを示すためだった。
「これで、少しは牽制になるでしょう」
アレクシスが言う。
「第二王子派に?」
「ええ。侯爵家にも」
セレネは封書を見つめた。
和合祭は終わった。
だが、それによって宮廷の目はむしろ鋭くなった。
太陽国と月国。
王太子と第二王子。
先の王太子テオドロスの影。
侯爵家の反発。
それらすべてが、少しずつ動き始めている。
けれど、今朝と違い、セレネは一人でそれを見ているわけではなかった。
「殿下」
「何ですか」
「隠さないよう努める、というお言葉、忘れないでくださいね」
アレクシスは、少しだけ眉を上げた。
「貴女は、忘れさせてくれなさそうです」
セレネは微笑んだ。
「忘れさせません」
アレクシスはしばらく彼女を見ていた。
その金の瞳は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「……本当に、困る人だ」
低く呟かれた言葉は、嫌悪ではなかった。
それを聞いて、セレネは何も言わずに目を伏せた。
言葉にすれば、また逃げられる。
だから今は、聞こえなかったことにしておく。
窓の外では、太陽が高く昇っていた。
その光は相変わらず眩しい。
けれど、昨日までのように、ただ息苦しいだけではなかった。
次に向き合うのは、アレクシスの兄。
第二王子イリアス。
彼を担ごうとする者たちの影。
そして、アレクシス自身が抱える、もう一つの太陽の影だった。
▼おまけ
前回、アレクシスの花押(紋章)の話をしましたが、
花押は王族それぞれに用意されています。
セレネも婚姻時に、王太子妃としての花押と印章指輪を与えられています。
花押は、名前と当人の象徴になる花などをモチーフにしたものですね。
セレネでしたら、この世界で「S」に相当する文字と白百合の組み合わせです。
アレクシスは「A」に相当する文字に向日葵です。
もしお気に召されましたら、
ブックマークや★評価、誤字脱字報告頂けると大変励みになります!
ここまで読んでくださったあなたに、心より御礼申し上げます。




