What is music to you(3)
「あそこまで邪険な態度を取らなくてもいいよねえ」
放課後の教室で石川は不平を呟く。
「昼休みの最後のやつのことか?」と、一つの机を挟んで座る僕は尋ねた。
「そうそう。べつにこっちが何か悪いことを言ったわけでもないのにさ」
「まあな。あれだ、よっぽど虫の居所が悪かったんじゃないか」
僕は適当な答えを口にする。
まあ、石川の勧誘はやや急というか、説明不足というか、勢い任せが過ぎる節はある。人によってはまともに相手にされなくてもしょうがないとも思う。
だがたしかに、それを踏まえてもあの男子生徒の応対はずいぶんと険悪なものだった。何か気に障る点があったのだろうか。
「それで、御堂くんは部活なんだっけ?」
石川が軽く伸びをしながら聞いてきた。
「ああ。他の部員の記事が間に合いそうにないから手伝いを頼まれたとか言ってたよ」
「それは大変だ」
今日も三人で帰る予定の僕たちは圭一の部活が終わるのを待っていた。先に帰っておいていいと言われたが、聞くと二十分もあれば頼まれた仕事は済むらしく、たいした待ち時間でもないので教室で暇を潰している。
遠くから聞こえてくる様々な部活動の音を耳にしながら、僕は何気なく窓外に視線をずらす。ガラス越しに映る空には今日も冴え冴えとした水色が広がっている。この二週間はずっとこんな空模様だ。テレビで天気予報を見ても、映像担当の職務怠慢を疑うほどに晴れのマークが並んでいる。おかげで室内は柔らかな心地良さに包まれていた。思わず大きな欠伸がこぼれる。
「眠そうだね」
眼と口が反して開閉する僕の顔を見た石川が小さく笑う。
「ああ。ここ最近、ギターの練習をしてたら熱中しちゃってな」と、僕は答える。
「毎日気が付いたら夜遅くなっててずっと寝不足気味なんだよ」
「ほほう、それは殊勝ですな」
彼女は満足げにニヤリと笑った。
「眠たいなら御堂くんが来るまで寝ててもいいよ」
「いや、たぶんもうすぐしたら来るだろうから起きてるよ」
放課のチャイムが鳴ってから十分ほど進んだ時計を見て言う。
「そっか。あ、じゃあ」と、石川は自身の鞄の中を探り始めた。何を出すつもりだろうか、と僕は目をやる。
そうして彼女がファスナーの隙間から取り出したのは見覚えのある瑠璃色の円盤だった。屋上で石川と初めて言葉を交わした時に見た、あのCDプレーヤーだ。
「音楽でも聴きながら待ってようよ」
そう言って、彼女はプレーヤーに繋がれたイヤホンの片側を差し出してきた。
「ほらほら」と、半ば押し付けられるように僕はそれを受け取り、右耳にイヤーピースを差した。
「ちなみに中のCDは何?」
「それはもちろん『ordinary end』だよ」
予想通りの返答だった。
「さ、どの曲がいい?」と、石川はイヤーピースを左耳に差しながら聞いてくる。
「じゃあ『朝、目が覚めて』で」
「本当に好きだねえ」
僕の答えに愉快そうに頬を緩めて、彼女は再生ボタンを押した。
四回のオープンハイハット。Aコードで始まる軽やかなリフ。いつも通りのイントロが鼓膜を揺らす。
『朝、目が覚めて思い出す 昨日のこと 夢のこと 君のこと 顔を洗う頃には 忘れてしまうけど』
ソニアの曲の中でも取り分けシンプルな歌詞であり、若さゆえの瑞々しさを色濃く感じさせられる。そして良い意味で、猛然とした曲調に調和している。これぐらい疾走感のある曲には、これぐらい陳腐な言葉の方が合うのかもしれない。
「そういえば」
ふと石川が口を開いた。その声で、曲に注がれていた意識が彼女に向けられる。
「今さらだけど、篠宮くんはソニアの中でどの曲が一番好きなの?」
「え? あー、そうだなあ、どれも甲乙つけ難いけど……」
その問いはなかなか答えに迷ってしまう。ソニアは曲数こそ少ないものの、全ての曲が名曲と言えるほどのクオリティを誇っている。ファンゆえの贔屓目かもしれないが、ともかく優劣をつけるのは非常に難しい。
しかし、どれか一つと言うのであれば――
「一番っていうなら、『朝、目が覚めて』かな」
「あ、やっぱり」と、石川は微笑む。
「やっぱりってなんだよ」
「いや、なんとなくだけどそんな気がしてたんだよね。こう、雰囲気的に?」
甚だしく曖昧な憶測だ。
「まあ正直、歌詞とかメロディでいったら、他の曲の方が良いかなって思ったりもするけど、この曲はなんていうか、思い入れが強いんだよ」
「思い入れ?」
「ああ、たいした話じゃないけど」と、前置きをして続ける。
「ソニアの中で初めて聴いた曲だったんだよ。前にも言ったかもしれないけど、その時の衝撃が凄くて妙に頭に残ってるんだ」
話しながら、その時の情景がまざまざと脳裏に浮かび上がる。右耳から流れてくる音に、頭の奥底にある記憶の断片を掬い上げられるようだった。
「初めて聴いたのは父さんの部屋にあったコンポでだったんだけど。小学生の時に俺の家で友達とかくれんぼしてた時の話で、地の利を生かして俺は父さんの部屋に隠れたんだよ」
「ほうほう」
「その時に壁際にコンポが置いてあるのを見つけて、コンポなんて初めて見たから興奮して思わず電源入れてさ。そしたら勝手に再生が始まったんだ。それで最初に流れたのが『朝、目が覚めて』だった。スピーカーの前に釘付けになって聴き入っちゃって。そのせいで隠れるのを忘れて、あっという間に鬼に見つかったな」
「あはは、それはちょっと間抜けな話だね」
「今思い出したら、自分でもそう思う」
言いながら彼女と軽く笑い合う。しかし、そうなってしまうだけの魅力をこの曲は持っているのだ。
「石川はどれなんだ? 一番好きな曲」
僕が問うと彼女は「あー」と声を漏らし、そのまま即答した。
「私は『スターチス』かな」
それは、アルバムの最終トラックに収録されている一曲だった。
「へえ、そうきたか。俺も好きだよ。いや、まあ結局ソニアの曲は全部好きなんだけど。石川も何か思い入れでもあるのか?」
「純粋にメロディも歌詞も好きなんだけど、私も篠宮くんと一緒かな」
「一緒?」
「うん、初めて聴いた曲だったの」
「ああ、なるほどな」
初めてということは、この前語っていた日の出来事だろう。母親が聴いていたのがちょうどその曲だったということか。
彼女は自分の言葉に促されるようにCDプレーヤー側面のスキップボタンを押した。ちょうどラストサビを迎える辺りで耳を満たしていた音がフッと消える。どうせなら最後まで聴きたかったのに、と僕は心の中で落ち込む。
カチカチとボタンの音が数回響いた後で、右耳に新たなメロディが鳴り始めた。
ソニアらしく底抜けに麗らかな旋律。その上では誰か一人の人間に強い思いを宛てるような、繊細でまっすぐな言葉が紡がれている。
この曲で何よりも印象的なのはボーカルだ。他のどの曲よりも、どこか、感情を剥き出して歌っているように感じる。とはいっても大声で叫ぶようなものというわけではない。大切な何かを優しく両手で包むような、夜空に輝く星に手を合わせるような。そんな、強かに祈りを捧げるような歌い方だ。
「なんでこの曲だけ歌い方が少し変わってるんだろうな」
僕はそれを疑問として何気なくこぼした。べつに石川に答えを求めているわけではない。彼女の父親の話であるとはいえ、父親との過去を考えれば彼女が知る由も無い話だ。
しかし、石川は何も考える素振りを見せずに口を開く。
「それはたぶんね」と、ほんの少しだけ両目を薄くした。
「この曲が、お母さんのために書かれたものだからだよ」
「えっ」
想定外の台詞に僕は思わず目を丸くする。しかし同時に理解した。この曲の歌詞の意味を。先逝く者から残される者への、虚飾の無いメッセージだということを。
「昔ね、お母さんがそう教えてくれたんだ」と、石川は苦笑気味に呟いた。
「今となってはお母さんと音楽の話なんてまったくしなくなったけど、昔はそういう話もよくしてくれてたの」
静かに語るその表情から伝わってくる。その過去が大切なものであったことや、それが無くなったという今の寂しさが。
「お母さんも、この曲が大好きだって言ってた。まあ自分のために書いてくれた歌だし当然かもしれないけど。この曲があったから、お父さんが亡くなって辛かった時も乗り越えられたって」
彼女は首をゆっくり回して窓外へと視線を向ける。そして遠景を眺めるように目を細めたまま続けた。
「私もそういう、誰かにとって支えになるような、生きていく指針になるような曲を作りたいな。それで、私もお母さんに送りたい。また音楽を好きになってもらえるように……音楽に関わる人間は絶対に不幸になんてならないって証明できるように」
最後の一言は独り言とも取れるほど小さな声で、その意味も上手く捉えることができなかった。
だがその言葉からは、初めて話した屋上で、バンドを組もうと頼んできた時と同じ情感が感じられた。今への固執を見せたあの瞬間と同じ、強い意志のようなものが。それが、石川がアルバムを作ろうとした本当の理由なのだろうか。
しかし今の話を聞いていると、いよいよもってなぜ彼女の母親が音楽を拒んでいるのかが分からない。夫が残した大好きな曲があったからこそ、と語るほどの人間がどうして音楽という存在から遠ざかったのか。はたして、どんな出来事があったというのだろうか――




