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【Bar風花】第二章 天ちゃんの浮気疑惑~白い顔と、銀の指先~

【Bar風花】第二章 天ちゃんの浮気疑惑~白い顔と、銀の指先~


※本編とは完全に独立した、完全なる日常コメディ回です。

※浮気も修羅場もありません。ただの勘違いと、愛情たっぷりのお灸だけ。

※笑って、ほっこりして、甘いカクテル気分でどうぞ。


商店街の噂が火をつけた「天ちゃん浮気疑惑」。

完全個室エステに通う夫の怪しい行動に、里美が爆走し、美和が静かにほくそ笑む――。

白いパック顔と銀の指先が巻き起こす、風花町の春の騒動をお届けします。

 風花町の午後、春の陽光は穏やかで、石畳を優しく温めていた。

 でも、商店街の一角にある和菓子処『ふじや』の奥座敷だけは、まるで沸騰した茶釜のように熱を帯びていた。


 「ねえ、聞いた? 櫻庭さんの旦那様……」


 「あら、あのルポライターの? 最近、高瀬さんのサロンに足繁く通ってるって……」


 おばあちゃんたちの囁きは、和三盆の粉よりも細かく、確実に風に乗って広がっていく。

 美和は、そんな渦の真ん中で、いつものように凛とした姿勢を崩さず湯呑みを口に運んだ。


 彼女の異色瞳——右のワインレッドと左のアンバー——が、茶柱の立った水面を静かに見つめる。


 「あら、天ちゃんが? 素敵ね。自分を磨くのは良いことですわ」


 美和の微笑みは完璧だった。

 けれど、指先が湯呑みの縁をなぞる速度が、ほんの少しだけ速いことに、その場にいた誰も気づかなかった。



 

 場所を変えて、喫茶『琥珀亭』。


 使い込まれたサイフォンがコトコトと音を立て、深い焙煎の香りが店内に満ちる中、美和は向かいに座る天野里美に視線を向けた。


 「里美さん。天ちゃん、最近お肌の調子がとても良いのよ」


 ポツリと落とされたその一言に、里美のカップが微かに震えた。


 「……天様が、でございますか? 確かに、近頃は取材明けとは思えぬほど……お肌が艶々されているような気はいたしますが」


 「商店街のお姉様方が仰っていたわ。エステサロン・タカセに通い詰めているって。あそこの高瀬美由紀さん、指先の魔術師と呼ばれるほどのマッサージのプロで、しかも凄い美人でしょう?」


 美和は冷めかけたコーヒーを一口啜り、窓の外を遠く見つめた。


 その刹那、里美の背後に「天鈿女命」の激情が一気に燃え上がった。


 「タカセ……! あの完全個室の密室サロン……! 美和様、これは一大事ですわ! 海里様への教育的悪影響、そして何より、本流である櫻庭家の尊厳を汚す不徳……!」


 ガタッ、と椅子が鳴り、里美は立ち上がった。

 瞳には秘書官としての冷静さは微塵もなく、愛という名の暴走機関車が火蓋を切った。


 「美和様、ご安心を! この天野里美、たとえ地の果てまでも追い詰め、その迷妄を断ち切ってご覧に入れますわ! 待っていなさい、腹黒カラス……いえ、天様!!」


 「里美さん? 待って、私はそこまで——」


 美和の制止は、店の外で咆哮を上げたBMW K1600GTLのエンジン音にかき消された。

 リキッド・シルバーの巨体が、路地に銀色の残光を残して消えていく。


 美和は一人残された席で、悪戯っぽく、けれどどこか愛おしそうに口角を上げた。


 「……ふふ。天ちゃん。私へのサプライズのつもりなのでしょうけれど……少し、お灸を据えるのも悪くありませんわね」


 


 その頃、街外れの静かな住宅街に佇む『サロン・タカセ』。


 看板のない重厚なドアの奥で、天は極上の悦楽と、切実な「あがき」の中にいた。


 「……櫻庭さん、肩の力が入りすぎていますよ。もっとリラックスして」


 高瀬の、銀のようにしなやかな指先が天の頬を滑る。


 「……すみません。でも、急がないと。美和さんとお祖母様とお姉様……あの三人の横に並ぶと、僕だけが時間が止まっていないみたいで、怖くなるんです。少しでも、追いつきたくて」


 天の顔には、最高級のクレイパックが白々と塗りたくられていた。


 彼はルポライターとして過酷な現場を歩き、泥にまみれる自分を愛していた。

 だが、それ以上に、「本物」の美しさを湛える妻の隣に、ただの「老けゆく人間」として立つことが耐えられなかった。


 彼にとって、エステに通うことは、美和への誠実さを貫くための「戦い」だった。


 「天様、確保ぉぉぉ!!」


 轟音と共に、サロンの静寂が引き裂かれた。


 蹴破られるように開いたドアの先に立っていたのは、ライダースーツに身を包み、怒髪天を突く勢いの里美だった。


 「その銀の指先に惑わされてはいけません! 海里様のため、そして美和様の涙のため、覚悟なさい!」


 「わあああ! 里美さん!? なんでここに!?」


 パック姿のまま飛び起きた天の姿は、さながら異界の住人のようだった。


 そこへ、一歩遅れてマットブラックのAMG E63Sが音もなく滑り込み、中から烏丸が降り立つ。

 彼は燕尾服の袖を整え、スマホを構えながら「フフフ……」と、深淵のような笑みを漏らした。


 「これはこれは……。お祖母様への良い土産話になりますな。天様、その真っ白なお顔、なかなかに『映え』ますよ……」



 

 夜。風花町の隅で、ひっそりと灯る真鍮のランタン。


 『Bar 風花』の重厚なオーク材の扉を開けると、そこには鉄刀木の一枚板が放つ深い艶と、微かな桜の香りが満ちていた。


 天は、カウンターの隅で、絞りかすのような姿で丸まっていた。


 美和は、何も言わずにミキシンググラスを手に取った。

 氷がクリスタルと触れ合う「チリン」という硬質な音だけが、店内の静寂を美しく縁取る。


 彼女が差し出したのは、完璧にシェイクされた『ホワイト・レディ』。


 白濁したその液体は、天の昼間のパックを皮肉るようでもあり、同時にすべてを浄化する清廉さを湛えていた。


 「……天ちゃん。お肌、とてもしっとりしましたね」


 美和の声は、責めるような響きを一切持たず、ただ蜂蜜のように甘く天の耳を打った。


 「……ごめんなさい。浮気なんて、1ミリも考えてなかったんだ。ただ、美和さんに『最近、格好良くなったね』って言ってもらいたくて……」


 天は、差し出されたグラスを一口啜った。

 ジンの鋭い切れ味と、ライムの鮮烈な酸味。

 それがオレンジリキュールの甘みと重なり、彼の臆病な心を温める。


 「……バカな人。ね、分かっていますか? 私が欲しいのは、ピカピカの肌ではなくて、私を想って泥だらけになってあがく、あなたのその不器用な心だけなのですよ」


 美和はカウンター越しに身を乗り出し、天の頬をそっと撫でた。


 高瀬の「銀の指先」よりもずっと温かく、柔らかな感触。


 店内の隅では、里美がハンカチを噛み締めながら咽び泣き、烏丸は影の中で「……お熱いことですな。フフフ……」と、毒のない皮肉を呟いた。


 「……ねえ、天ちゃん。次は、私と一緒に高瀬さんのところへ行きましょう? 私の知らない『男前な天ちゃん』を、独り占めするのは禁止ですから」


 美和の悪戯っぽい囁きに、天は顔を赤くし、残りのカクテルを一気に飲み干した。


 風花町の夜は、こうしてまた一つ、可笑しくも愛おしい「神話の余白」を刻んでいく。


 カウンターの上の桜の花びらが、二人の吐息に揺れ、静かに、けれど確かに春を告げていた。

あとがき


『天ちゃんの浮気疑惑』をお読みいただきありがとうございます。


実はただの美容エステだったのに、大騒ぎになる天ちゃんの不器用さと、美和さんの余裕たっぷりな愛情。

Bar風花らしい、笑えてちょっと甘い勘違いコメディを書かせていただきました。


「綺麗になりたい」って頑張る姿も、全部彼女への愛情なんだよ――というのが伝われば嬉しいです。


また次も、カウンターの向こうでゆるくお待ちしています。


天照(Bar風花)

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