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【Bar風花】第二章 風花町のハムとソーセージ~職人の誇りと、カウンターの魔法〜

【Bar風花】第二章 風花町のハムとソーセージ~職人の誇りと、カウンターの魔法〜


※本編とは独立した、ほっこり美食回です。

※戦いも恋愛もありません。ただ、地元の若手職人が生み出したハムとソーセージを、美和さんがカウンターの魔法で最高に輝かせるだけ。

※食いしん坊と地産地消が好きな方に、じっくり味わっていただけたら嬉しいです。

 風花町の春は、山から吹き下ろす風がまだ微かに冬の余韻を残しながらも、土の匂いには確かな生命の胎動が混ざる季節だ。


 ある穏やかな昼下がり。櫻庭家の平屋の縁側で、(あまね)がルポの推敲を止めて目を上げたのは、門扉が開く音を聞いたからだった。


「ごめんください。……櫻庭さん、いらっしゃいますか?」


 現れたのは、町外れで代々養豚場を営む小山さんの息子、健一だった。

 彼はまだ二十代半ばの若々しい風貌に、少しだけ緊張と、それを上回る誇らしさを滲ませた表情で、断熱材に包まれた小さな包みを抱えていた。


「やあ、健一くん。どうしたんだい、そんなに大事そうに」


「あ、天さん。……実は、親父とずっと準備してきたプライベートブランドの、最初の試作品が上がったんです。ハモンセラーノみたいな長期熟成じゃない、うちの豚の『肉の甘み』を一番活かした生ハムと、自家製ソーセージです。……一番に、櫻庭さん夫婦に食べてほしくて」


 奥から現れた美和が、その言葉に目を細めた。

 彼女の異色瞳が、包みの中に込められた若者の情熱を優しく見透かすように輝く。


「まあ、嬉しい。健一くん、あなたのところの豚さんは、いつもあんなに大切に育てられているもの。きっと、素晴らしい味に違いないわ」


 美和は包みを受け取ると、その場で微かに鼻を寄せた。


「……ええ。まだ熟成の『陰』に隠れていない、お日様の匂いがするわね。……健一くん、今夜、お店へいらっしゃい。お礼に、この子たちを一番輝かせる『魔法』をかけてあげるわ」



 

第一章:透明な伴走者ジントニック


 夜の帳が下り、風花町の路地の奥に『Bar風花-kazahana-』の真鍮のプレートが鈍く光り始める。


 重厚なオーク材の扉を開け、恐る恐る足を踏み入れた健一は、思わず息を呑んだ。


 そこには、昼間の「優しい櫻庭さんの奥さん」はいなかった。


 白いジャケットを隙なく着こなし、鉄刀木の一枚板カウンターの奥に立つ、一人の峻烈なバーテンダー・櫻庭美和。


「いらっしゃいませ。……今夜は、あなたの『産土(うぶすな)』の味を、存分に味わっていただきますね」


 美和の声は、夜の湖面のように静かに響く。


 健一がカウンターの黒革の椅子に座ると、天が隣で「まあ、リラックスして」と微笑んだ。


 まず供されたのは、小山家の生ハムだった。


 美和はそれを極薄にスライスするのではなく、あえて少しだけ厚みを持たせて切り出していた。

 その横には、庭で採れたばかりの完熟前の苺と、ほんの一垂らしの良質なオリーブオイル。


「一杯目は、この子の瑞々しさを決して邪魔せず、かつ脂の甘みを立体的に膨らませる、特別なジントニックを」


 美和がバックバーから選んだのは、『Gin Mareジン・マーレ


「スペイン産のこのジンは、ボタニカルにオリーブ、タイム、ローズマリー、バジルを使用しています。まさに「飲む地中海料理」とも言える香りの構成で、ハーブを効かせたソーセージとの相性はこれ以上ありません。ソーセージの塩味を、ジンの持つミネラル感が美しく引き立てます」


 彼女はBIRDY.のバースプーンを手に取ると、氷を隙間なく詰めたグラスの中で、ジンを静かにステアした。

 次に、『フィーバーツリー』のトニックウォーターを、氷を避けるようにして優しく注ぎ込む。

 最後に、庭のタイムの枝を一閃し、香りの飛沫をグラスの縁に纏わせた。


「お待たせいたしました。『ジン・トニック』です」


 健一は、まず生ハムを一口運んだ。


 熟成で凝縮された塩気ではなく、噛むほどに溢れ出す「肉そのものの果汁」のような甘み。

 そこに、ジントニックを追いかける。


「……っ、……すごい。……生ハムの脂が、このジンの香りと混ざって、口の中で新しい花が咲いたみたいです」


「長期熟成のハムが『時間の芸術』なら、あなたのハムは『鮮度の贅沢』よ」


 美和はカウンターを拭きながら、穏やかに語りかけた。


「ジン・マーレの複雑なハーブ感が、あなたの豚さんが食べてきた大地の匂いと共鳴しているの。……お父様の仕事、ちゃんと伝わっているわ」



 

第二章:銀色の覚醒ギブソン


 健一の緊張が解け、笑顔が溢れ始めた頃。


 美和は音もなく、カウンターに置かれたグリルパンへと手を伸ばした。


 そこには、健一が持参した自家製ソーセージが、皮が弾けんばかりに熱を通され、香ばしいスパイスの香りを漂わせている。


「次は、この力強い肉汁を正面から受け止める、最も硬派で、最も潔い一杯を」


 美和が用意したのは、カクテルの王様・マティーニのバリエーションでありながら、より峻烈なキレを持つ『ギブソン』だった。

 美和さんはバックバーと冷蔵庫から2本のボトルを取り出した。

 

 「まずは『Sipsmith V.J.O.P. (シップスミス V.J.O.P.)』「Very Juniper Over Proof」の名の通り、通常の2倍以上のジュニパーを使用し、57.7%という高い度数でボトリングされています。この圧倒的なドライさと力強さが、ソーセージの脂分を瞬時に洗い流し、口内を清冽な状態へと戻してくれます。」


「次に『Noilly Prat Dry (ノイリー・プラット ドライ)』

フレンチ・ベルモットの代名詞であり、樫樽で熟成されたその味わいには、微かな潮風のニュアンスと複雑な薬草の香りが宿っています。これが、ソーセージに含まれるセージやタイムといったハーブの香りと見事に共鳴します。」


 彼女はきっちりと氷を詰めたミキシンググラスに『Sipsmith V.J.O.P. (シップスミス V.J.O.P.)』と『Noilly Prat Dry (ノイリー・プラット ドライ)』を注ぎステアを始める。


 ステアの音は、先ほどよりも鋭く、冷徹だ。

 クリスタルの壁面に触れる氷の音が、夜の静寂を小気味よく切り裂いていく。


 極限まで冷やされたカクテルグラスに、透明な液体が注がれる。


 そして、その中央に落とされたのは、美和が自家製で漬け込んだ、真珠のように輝くパールオニオンだった。

 

「二杯目、『ギブソン』です」


 美和は、熱々のソーセージの断面から溢れる肉汁を指し示した。


「このギブソンの冷たさとドライな刺激で、ソーセージの濃厚なスパイスと脂を、一気に『洗浄』してみてください。そして、最後にそのオニオンを噛みしめるの」


 健一は、ソーセージを頬張った。


 複雑なハーブと、野生味溢れる豚の旨味。そこに、ギブソンの氷のような酒精が流れ込む。


 強烈なコントラスト。


 だが、その後にやってくるパールオニオンの甘酸っぱさが、すべてを完璧な調和へと導いていく。


「……気持ちいい。……こんなに強いお酒なのに、ソーセージを食べた後の口の中が、まるで高原の朝みたいに爽やかになります」


 天は、その様子をルポライターらしい感嘆の目で見つめていた。


「健一くん。……これだよ。この町の水と、君たちが育てた命が、美和さんの技を通して一つの完成された物語になったんだ。これが『地産地消』という言葉の、本当の意味なんだね」



 

終章:風花の誇り


 夜が更け、健一は自信に満ちた足取りで店を後にした。


「美和さん、天さん。僕、確信しました。このブランド、自信を持って世に出します!」


 その背中を見送り、扉が閉まると、『Bar 風花』には再び、心地よい二人の時間が戻ってくる。


 天は、自分のために残されたソーセージの最後の一切れを口に運び、美和を見た。


 美和は白いジャケットを脱ぐと、一人の愛する妻としての、柔らかな表情に戻っていた。


「……今夜も、最高のご褒美だったね、美和さん。健一くん、あんなに目が輝いていた」


「ふふ、そうね。でも、あの子たちの生命力を信じて、一番良い状態で連れてきてくれたのは、天ちゃんのアドバイスがあったからでしょう?」


 美和は、鉄刀木のカウンターを慈しむように撫でた。


「良い素材は、人を臆病にさせる。でも、それ以上に、人を強くさせてくれる。……私たちも、あの豚さんたちに負けないように、この町でしっかりと根を張って生きていきましょうね」


「そうだね。……明日の朝は、今日より少しだけ、この町の空気が美味しく感じられそうだ」


 カウンターの上、空になったギブソンのグラス。


 溶け残ったわずかな雫が、ランプの光を反射して、新しい旅立ちを祝福するように美しく瞬いていた。


 風花町の夜は、また一つ、誇り高き物語をその土壌に深く刻み込み、静かに明けていく。



 

 翌日


 風花町の朝は、昨日よりも一層、透き通った光に満ちていた。


 櫻庭家の平屋を囲む木々が風に揺れ、庭のハーブたちが夜露を弾いて瑞々しく輝いている。


 天がルポの構想を練りながらリビングへ向かうと、キッチンからは食欲をそそる、脂の焼ける芳醇な香りが漂ってきた。

 昨夜、Barの静寂の中で鋭く研ぎ澄まされたあの香りが、今は家庭の温かな温度を纏って空気を満たしている。


「おはよう、天ちゃん。……ちょうど今、焼き上がったところよ」


 キッチンに立つ美和は、昨夜の白いジャケットではなく、柔らかなリネンのエプロンを身に着けていた。

 凛としたバーテンダーの気迫は影を潜め、そこには愛する夫を慈しむ、一人の穏やかな女性としての笑顔がある。


 食卓に並べられたのは、昨夜の余韻を贅沢に仕立て直した一皿だった。


 小山家のソーセージと目玉焼き。

 じっくりと弱火で、皮が弾けぬよう丁寧にグリルされたソーセージ。

 その隣には、庭で採れたばかりの平飼い卵の目玉焼き。


 生ハムとクレソンのサラダ。

 熟成しすぎない生ハムの淡いピンク色が、瑞々しい緑の上で花のように踊っている。

 ドレッシングはシンプルに、庭の柑橘を絞ったもの。


 地元のベーカリーのパン。

 軽くトーストされ、小麦の香ばしさが立ち昇っている。


「……最高の目覚めだね、美和さん。昨夜のギブソンのキレも凄かったけれど、この香りはまた格別だ」


 天が席につくと、美和は自分の分を運び、隣に腰を下ろした。


「ええ。健一くんのソーセージ、今朝は少しだけ蒸し焼きにして、中のスープを閉じ込めてみたの。……さあ、冷めないうちに」


 天がフォークを入れ、ソーセージを一口運ぶ。


 パリッ、という快い音と共に、口の中に豚肉のピュアな甘みと、隠し味のハーブの香りが一気に溢れ出した。

 昨夜、酒精と共に味わった「強烈なコントラスト」とは違い、今朝はパンの甘みや卵のまろやかさと溶け合い、五臓六腑に優しく染み渡っていく。


「……うん、やっぱり凄いよ。この脂の軽さは、健一くんたちが毎日注いできた愛情そのものだね」


「そうね。生ハムも、こうしてフルーツや野菜と一緒に食べると、また新しい表情を見せてくれる。……熟成を待たないからこそ持てる、この『若々しい命の力』に、私たちも元気をもらえそう」


 美和は生ハムを一枚、幸せそうに頬張った。


 朝日を浴びて輝く彼女の異色瞳は、もはや神秘的な「神の依代」としての鋭さではなく、ただ目の前の朝食を楽しみ、夫との時間を慈しむ、至福の光を湛えている。


「健一くんにも、この朝の顔を見せてあげたかったな」


「ふふ、きっと今頃、お父様と二人で、これからのブランドについて熱く語り合っているはずよ。……ねえ、天ちゃん。この町の水と土が、こんなに美味しい物語を紡いでくれるなんて、本当に私たちは幸せ者ね」


 美和が差し出した温かいコーヒーから、柔らかな湯気が立ち昇る。


 天はそのカップを受け取り、窓の外に広がる風花町の景色を見つめた。


 夜のBarで見せる、プロフェッショナルとしての峻烈な美しさ。


 そして朝の食卓で見せる、この上なく愛らしい優しさ。


 そのどちらもが、美和という一人の女性であり、この町を守る大切な光なのだと、天は改めて心に刻んだ。


「……ごちそうさまでした。さあ、今日はこの『産土の物語』を、最高のルポに仕上げるよ」


「ええ。楽しみにしているわ、天ちゃん」


 最後の一切れのソーセージを分け合い、二人は微笑み合う。


 食卓に残ったのは、空になった皿と、新緑の風のような清々しい幸福感。


 風花町の朝は、昨日よりも少しだけ力強い歩みで、新しい一日を始めていた。


 そこには、守るべき土地の誇りと、共に歩む二人の変わらぬ愛が、朝露のように光り輝いていた。

あとがき


『風花町のハムとソーセージ』をお読みいただきありがとうございます。


若手職人の誇りと、カウンターで繰り広げられる静かな魔法。

そして翌朝の食卓で感じる、素朴で温かい幸せ。

Bar風花らしい「何気ない日常の美味しさ」を、短く書かせていただきました。


良い素材と良い人が出会うと、こんなに心が満たされるんだな……というのを、少しでも感じていただけたら幸いです。


またいつか、別のグラスと一皿で。


天照(Bar風花)

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