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【Bar風花】第二章 天ちゃんと美和さんの1日〜昼〜

【Bar風花】第二章 天ちゃんと美和さんの1日 昼


※本編とは完全に独立した、甘くてゆるい日常回です。

※戦闘もドラマもありません。ただ、神様夫婦の「普通の昼下がり」と、ちょっとだけ愛情たっぷりの時間だけ。


 風花町の正午。

 今日はどちらが料理を作るか、阿吽の呼吸で決まるランチ。

 縁側でのいちゃいちゃな午後。

 美和の真紅のアバルトを駆ってのドライブ、そしてスーパーでの買い物。

 ラムレーズンとチョコミントのアイスを選び、夜のBarへと向かう――。

 神様でありながら、ただの夫婦として過ごす、穏やかで愛おしい一日をお届けします。


 風花町の太陽が真上に昇り、庭の桜の葉が床に濃い影を落とす頃。

 櫻庭家には「昼食はどちらが作る」という明確なルールが存在しない。

 それは怠慢からではなく、お互いのその日の「呼吸」を完璧に読み取っているからこその、極めて高度な阿吽あうんの呼吸だった。


 パターンA:天がフライパンを振るう日

 リビングに響いていた、MacBook Proの「かな入力」の高速な打鍵音がふっと止む。

 櫻庭(あまね)はスペースブラックの画面をパタンと閉じ、軽く伸びをした。

 「……よし、キリがいいな。美和さん、今日のお昼は僕が作るよ。夜の仕込みで疲れさせたくないからね」

 天がエプロンを身につけ、キッチンに立つ。

 ルポライターとして全国を飛び回る彼は、実は現地の食材を活かした「男の料理」も得意だった。

 風花町の道の駅で買ってきた新鮮な春キャベツと、地元のブランド豚を使ったペペロンチーノ。

 ニンニクの香ばしい匂いが弾け、オリーブオイルがパチパチと軽快な音を立てる。

 ソファで猫のように丸まっていた美和は、雑誌から顔を上げ、キッチンに立つ夫の広い背中を愛おしそうに見つめた。

 「ふふ、ありがとう天ちゃん。……あなたの作るパスタ、乳化が完璧で本当に美味しいのよね」

 「Bar風花の完璧なオーナーにそう言ってもらえると、ルポの原稿が通った時より嬉しいよ」

 天が手際よく盛り付けたパスタをテーブルに運ぶ。

 神の現身うつしみである彼女に、包丁を握らせず、ただ「一人の女性」としてくつろがせる。それは天にとって、至上の喜びでもあった。


 パターンB:美和が魔法をかける日

 逆に、天が原稿の波に乗ってしまい、モニターから目を離せない日もある。

 そんな時、美和は音もなく立ち上がり、夫の集中を途切れさせないよう、静かにキッチンへと向かう。

 「トントントントン……」

 包丁がまな板を叩く音は、夜のBarで氷をステアする時のように、寸分の狂いもない美しいリズムを刻んでいる。

 彼女が作るのは、庭で採れたばかりのハーブと、風花町の新鮮な野菜をふんだんに使った鮮やかなオープンサンドや、出汁の効いた優しいにゅうめん。

 「……天ちゃん、区切りのいいところで休んで。お昼よ」

 「っ……ごめん美和さん、つい没頭してて。……うわぁ、すごくいい匂い。そして、盛り付けが相変わらず芸術的だ」

 美しい異色瞳ヘテロクロミアを細め、美和は天の前にプレートを置く。

 「当たり前じゃない。誰に出すと思っているの。……さあ、冷めないうちに食べて。頭を使ったら、ちゃんと栄養を補給しないと」

 荒ぶるルポライターの魂を、彼女の料理が優しく、確実に「日常」へと引き戻していく。



 

 どちらが作っても、食卓には必ず穏やかな笑顔と、他愛のない会話が溢れる。

 「このキャベツ、甘くて美味しいね」

 「今夜のお客様は、フルーツのカクテルが出そうだから、仕込みを少し変えようかしら」

 神々としての途方もない宿命を背負いながらも、いや、背負っているからこそ。

 彼らは「今日のお昼ご飯、どっちが作る?」という、この上なく平穏で、人間らしいやり取りを何よりも愛していた。

 食後のコーヒーは、必ず料理を作らなかった方が淹れる。

 それが、言葉にしなくても成立している、櫻庭夫婦のたった一つの「甘いルール」だった。



 


 食後のコーヒーの余韻が漂う縁側。

 櫻庭(あまね)は、磨き上げられた檜の柱に背を預け、庭の桜を眺めていた。その膝の間には、当然のように美和が収まっている。

 「……天ちゃん、あと少しだけ。……このまま、あなたの体温を吸い取らせて」

 美和は、天の胸に背中を預け、彼の大きな手に自分の手を重ねた。

 庭から吹き抜ける風が、彼女の黒髪をふわりとなで、微かな柑橘の香りを運んでくる。

 天は、彼女の華奢な肩を抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。

 「いくらでもどうぞ。……僕のエネルギーは、全部美和さんのものだからね」

 「……ふふ、調子いいんだから。……でも、こうしていると、夜のBarでの『戦い』が嘘みたいに思えるわね」

 美和が異色瞳ヘテロクロミアを細め、空を見上げる。天はその指先に優しくキスを落とした。

 言葉は要らなかった。ただ、重なる体温と、遠くで聞こえる鳥の囀り。

 この「いちゃいちゃ」という名の贅沢な儀式こそが、夜、峻烈なバーテンダーとして立つ美和の、そして彼女を守る天の、何よりの活力ガソリンだった。



 

 時計の針が、出発の時間を告げる。

 二人は名残惜しそうに離れると、それぞれの「相棒」が待つガレージへと向かった。

 「今日は、私のABARTHで行きましょうか。少し、あのイタリアン・マシンの小気味よい排気音を聞きたい気分なの」

 美和が選ぶのは、コンパクトながら獰猛なサソリのエンブレムを冠した、真っ赤な『アバルト 695 トリブート・フェラーリ』。

 風花町の細い路地を縫うように走るそのキビキビとした動きは、彼女のバーテンダーとしての正確な所作を彷彿とさせた。

 「いいね。美和さんのアバルトの助手席は、僕の指定席だから」

 だが、稀に天が「今日は僕に運転させて」と、自身の愛車であるGRヤリスのキーを持ち出すこともある。

 ルポライターとして悪路も厭わず疾走する彼が選んだ、ラリーの血を引く純白の塊。

 「かな入力」を叩く時のように、正確で力強いシフトチェンジ。

 その助手席で、美和は「天ちゃんの運転は、少し過保護すぎるけれど……嫌いじゃないわ」と微笑むのだ。

 あるいは、風が特に心地よい日。

 二人はそれぞれの大型バイクへと跨る。

 天のGPZ900Rが光を弾き、その隣で美和の駆るNinjaH2カーボンがエンジンを震わせる。

 二台の排気音が共鳴し、風花町へと続く道を駆け抜けていく様は、現代に降り立った二柱の神による「神幸祭しんこうさい」のようでもあった。



 


 縁側での甘く気怠い時間を終え、櫻庭夫婦は家の敷地の一角にある駐車場へと足を踏み入れた。

 暖かな午後の日差しの振り注ぐ空間の中で、一際鮮烈なオーラを放っている小さな塊。

 美和の愛車、アバルト 695 トリブート・フェラーリ。

 世界限定生産の希少車。

 すめらぎグループの財力をもってすればフェラーリのフラッグシップモデルなど容易く買えるはずだが、彼女があえてこの「小さなサソリ」を選んだところに、美和の洗練された我儘さと美学が詰まっていた。

 鮮やかな真紅ロッソ・コルサのボディには、フェラーリを象徴するスクーデリア・ストライプが走り、足元には強力なブレンボ製キャリパーが鈍く光っている。

 「……いつ見ても、美和さんにそっくりな車だよね。小さくて可愛らしいのに、中身は誰も敵わないほど獰猛どうもうで、気高い」

 助手席のドアを開けながら櫻庭(あまね)が微笑むと、運転席に滑り込んだ美和は、異色瞳を細めて小さく笑った。

「褒め言葉として受け取っておくわ。……さあ、目を覚ましてもらうわよ」


 美和がキーを捻った瞬間。

 キュキュッ、という短いセルの後、ガレージの空気を震わせるような甲高い爆音が弾けた。

 名機「レコードモンツァ」エキゾーストシステムが奏でる、アイドリングの時点からすでに好戦的なフェラーリ・サウンド。

 それは、つい先ほどまで縁側で夫の胸に顔を埋め、「体温を吸い取らせて」と甘えていた女の車が発する音ではなかった。

 天は、カーボンファイバー製のバケットシートに身体を沈め、その硬派な乗り心地を背中で受け止める。

 隣を見ると、カーボン仕上げのステアリングを握る美和の横顔は、すでに「妻」から「プロフェッショナル」へと鮮やかに切り替わっていた。

 「行くわよ、天ちゃん」

 アバルトターボ特有の、シートに叩きつけられるような鋭い加速。

 美和のハイヒールを履いた足首がしなやかに動き、ステアリング奥のパドルシフトが「カチ、カチッ」と弾かれるたび、シングルクラッチのダイレクトな変速ショックが車体を揺らす。

 「ヴォォォン、パパァァン!」

 シフトダウンの際、マフラーから放たれる官能的なブリッピング音(空ぶかし音)。

 風花町ののどかな風景の中を、真紅のサソリがフェラーリの産声を上げながら風のように駆け抜けていく。

 助手席の天は、WOTANCRAFTのカメラバッグを膝に抱えながら、その硬いサスペンションの跳ねさえも愛おしく感じていた。

 ハンドルを握り、的確にレコードラインをトレースしていく妻の横顔。

 右目のワインレッドの瞳が、午後の光を反射して宝石のように輝いている。

 (……ああ。僕の女神は、今日も最高に綺麗で、最高に格好いい)

 車という密室。

 獰猛なエンジン音に包まれながら、天は誰にも見えないところでそっと、パドルシフトを操る美和の左手に自分の手を重ねた。

 美和は前を見たまま、その手を振り払うことなく、ほんの少しだけ口角を上げた。

 「……天ちゃん。運転の邪魔よ」

 「ごめん。あまりにも完璧な横顔だったから、つい……」



 

 「パタン」と、カーボンとレザーで仕立てられた重いドアが閉まる。

 駐車場に降り立った美和と櫻庭(あまね)は、つい先ほどまでフェラーリの血統を響かせていたとは思えないほど、穏やかな足取りでスーパーの自動ドアをくぐった。

 店内には、夕飯の買い物客たちの活気と、聞き慣れたBGMが流れている。

 天は当然のように買い物かごを二つ乗せたカートを押し、美和の半歩後ろをピタリとついて歩く。

 ルポライターとしての鋭い眼差しは完全に鳴りを潜め、今はただ「美しい妻の荷物持ち」であることを心から誇りに思っている、平和な大型犬のような顔つきだ。

 「天ちゃん、まずは消耗品からね。……Barで使うおしぼり用の無香料洗剤と、グラス用のリネンクロス。それから……」

 「了解。重いものは下に入れるから、どんどん言って」

 美和の目は、すでに『Bar風花』のオーナーとしての鋭さを微かに帯びている。

 スーパーの陳列棚の中からでも、彼女は一切の妥協なく「風花の空気を邪魔しない、完全に無香料で高品質なもの」だけを的確に見抜き、天の持つかごへと入れていく。


 鮮魚コーナーを抜け、地元風花町の野菜や果物が並ぶ産直コーナーへ差し掛かった時だった。

「おお、櫻庭の旦那に、美和さんじゃないね! 今からお店(Bar)の出勤かい?」

 声をかけてきたのは、カゴいっぱいに買い物をした初老の男性。

 以前、Bar風花で『ラスティ・ネイル』を振る舞われた工務店の城島さんだ。

「あ、城島さん。こんにちは。ええ、夜の営業の前に少しだけ買い出しを」

 天が人懐っこい笑顔で応じる。

 美和も、スッと背筋を伸ばし、完璧な笑みを浮かべて会釈した。

 「いつもお世話になっております。先日はありがとうございました。……今夜も、お待ちしておりますね」

 「いやぁ、美和さんの顔を見たら、またあの旨い酒が飲みとうなったバイ。……それにしても」

 城島さんが、天の押すカートと、美和の肩へと寄り添う二人の距離感を見て、ニヤリと笑った。

 「お店じゃあ凛としとるのに、こうして二人で買い物しとる姿は、ほんとに新婚さんみたいに初々しかねぇ。天さん、こげな美人の奥さんば連れて歩けて、鼻高々やろう?」

 「ええ、もう。毎日が自慢の連続ですよ」

 天が一切の照れもなく、即答で言い切る。

 「ちょっと、天ちゃん……っ。城島さん、からかわないでくださいよ」

 美和は、完璧なオーナーの仮面を一瞬だけ崩し、ほんのりと頬を朱に染めて天の背中に半分隠れるように身を寄せた。

 その異色瞳ヘテロクロミアが「後でお仕置きよ」と訴えているが、天は嬉しそうにかごを持ち直すだけだった。



 


 飲料コーナーを抜け、二人はスーパーの片隅にあるアイスクリームの冷凍ケースの前で足を止めた。

 「……ねえ、天ちゃん。今日はあなたが荷物持ちを頑張ってくれたから、少しだけご褒美を買ってあげましょうか」

 美和の言葉に、櫻庭(あまね)のルポライターとしての鋭い瞳が、子供のように輝く。

 二人が見つめる先は、定番のバニラやストロベリーが並ぶエリアではない。少し端の方にひっそりと置かれた、大人向けのフレーバーが並ぶ一角だ。

 「ありがとう、美和さん。……じゃあ、今日はラムレーズンかな。それともチョコミント?」

 「奇遇ね。私も今、全く同じ二つで迷っていたところよ」

 美和が、形の良い唇をほころばせて微笑む。


 すめらぎの令嬢として育った美和も、全国を渡り歩く天も、なぜか昔からこの二つの味が大好きだった。

 芳醇なラム酒の香りが鼻腔を抜けるラムレーズン。

 そして、清涼なミントの中にチョコレートの甘苦さが弾けるチョコミント。

 奇しくも、それは夜の『Bar風花』で美和が扱う「洋酒」と「ハーブ」の組み合わせそのものだ。

 「……決められないな。ラムレーズンの濃厚な甘さも捨てがたいし、チョコミントの爽やかな後味も欲しい」

 天が真剣な顔で腕を組むと、美和は呆れたように小さく息を吐き、美しい指先で二つのカップを同時に取り出した。

 「もう。そんなに迷うなら、両方買えばいいじゃない。……どうせ、二階の部屋で半分ずつ『シェア』するんだから」

 「……っ! さすが美和さん、世界一のオーナーは決断が早い」

 「ふふ、調子のいいこと。……でも、夜の営業が終わった後のラムレーズンは、格別だからね」

 天は嬉しそうに二つのカップを買い物かごの特等席に収めた。

 芳醇な大人の甘さと、すっきりとした清涼感。

 それはまさに、情熱的で甘い夫婦の時間と、凛としたプロフェッショナルな時間の「両方」を持つ、彼ら自身の関係性を象徴するような二つのフレーバーだった。


 レジを済ませ、両手に大きな袋を提げる天と、その横を軽やかに歩く美和。

 「ただのバカップル」としての甘い買い物の時間は終わりを告げ、二人は再びアバルトへと乗り込む。

 袋の中の「深夜のアイスクリーム」という甘い約束を乗せて、真紅のサソリは、夜のとばりが下り始めた『Bar風花』へと向かって走り出した。



 

 ABARTHのエンジンが、店の裏手で静かに止まる。

 車を降り、重厚なオーク材の扉の前に立った瞬間、二人の空気は一変した。

 「さあ、天ちゃん。……ここからは、櫻庭家の妻ではなく、『Bar風花』のオーナーに戻るわよ」

 美和が、キリリとした表情で天ちゃんに声をかける。

 その瞳には、すでに夜の静謐な魔力が宿っていた。

 「わかっているよ、オーナー。……僕は僕の場所で、君が作る最高の一杯を見守ることにするよ」

 天が愛用のWOTANCRAFTのバッグを肩にかけ、彼女のために扉を開ける。

 風花町の夕暮れが迫る中、朝の「バカップル」は、再び「最高級のプロフェッショナル」へと、その色を鮮やかに変えていく。

 一日の後半戦、風に舞う花びらのような、美しくも峻烈な時間が、今始まろうとしていた。

あとがき


 『天ちゃんと美和さんの1日 昼』をお読みいただきありがとうございます。


 朝から夜のBar開店まで、ただの「夫婦の日常」を書いてみました。

 誰が料理を作るか、縁側でくっついて甘える時間、アバルトの爆音、スーパーでからかわれる瞬間……

そんな何気ない瞬間が、実は彼らにとって一番大切な時間なんだと思います。

 少しでもほっこりしていただけたら嬉しいです。またいつか、別の時間でお会いしましょう。


天照(Bar風花)


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