表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/100

【Bar風花】第二章 天ちゃんと美和さんの1日〜朝〜

【Bar風花】第二章 天ちゃんと美和さんの1日 朝


※本編とは完全に独立した、ほんのり甘い日常回です。

※戦闘も恋愛の進展もありません。ただ、夫婦の穏やかな朝だけ。


 神社の裏手にある平屋で始まる、櫻庭天と美和の春の朝。

 ふかふかの布団、キッチンの生活音、庭のハーブ摘み――

 夜のBar風花では見せない、二人の「ただの人間夫婦」な時間をお届けします。

 風花町の澄んだ朝の空気が、神社の裏手にある平屋を優しく包み込んでいる。

 寝室に差し込む柔らかな春の陽光が、最近新調されたばかりの、ふかふかのダブルサイズの布団を白く照らしていた。

 かつては「お互いの睡眠を邪魔しないように」と別々に敷かれていた布団は、いつの間にか一つに繋がり、今では当然のように二人を包む大きなまゆとなっている。


 先に目を覚ましたのは、美和だった。

 彼女は、自分の腰にしっかりと回された櫻庭(あまね)の腕の重みを心地よく感じながら、そっと身をよじる。

 寝乱れた黒髪の間から覗くワインレッドとアンバーの瞳が、無防備な寝顔を晒す愛しい夫を捉え、柔らかく細められた。

 (……本当に、子供みたいな顔をして寝るんだから)

 櫻庭美和(みわ)は、天の額にかかった前髪を指先でそっと払い、その無精髭の生えかけた頬に、そして最後に唇に、小鳥が啄むような優しいキスを落とした。

 「……ん。……おはよう、美和さん」

 「おはよう、天ちゃん。……朝よ。いつまで私の温もりを独り占めしているつもり?」

 微睡みの中で自分を抱き寄せようとする夫の腕を、美和はクスリと笑ってすり抜ける。

 一日の中で最も無防備で、最も甘い、櫻庭家の朝の幕開けだ。




 十五分後。

 リビングのソファには、すっかり「ルポライターの顔」の欠片を取り戻した天が座っていた。

 彼の手には、艶消しの黒いiPad Pro。Nano-textureガラスの画面を滑る指先は、世界中のニュースや、風花町周辺の細かな出来事を的確に拾い上げている。

 だが、彼の耳の半分は、キッチンから聞こえてくる「心地よい生活音」に向けられていた。

 卵を割る音、ベーコンがフライパンで跳ねる微かな破裂音、そして、深煎りのコーヒーがドリップされる芳醇な香り。

 美和が刻むリズミカルな包丁の音は、夜のBarで見せる氷を削る冷徹な音とは違う、温かな愛情に満ちた音霊おとだまだ。

 「天ちゃん、ご飯よ。今日のニュースは何か面白いことあった?」

 「いや、世界は今日も相変わらずだよ。……でも、僕の世界は、君が淹れてくれたコーヒーの香りで最高に平和だけどね」

 「もう、朝から調子のいいこと言って」


 二人はリビングのテーブルに向かい合った。

 トーストの焼ける香ばしい匂いと、彩り豊かなサラダ。

 絶対的な財力を持つすめらぎグループの令嬢でありながら、美和が作る朝食は驚くほど地に足が着いていて、家庭的だ。

 天は、美和が焼いた目玉焼きを器用にパンに乗せながら、彼女の顔を愛おしそうに眺める。

 「……美味しい。やっぱり、一日の始まりは美和さんのご飯じゃないとね」

 「ふふ、お粗末様。……ほら、口の端にパン屑がついてるわよ、ルポライター先生」

 美和が身を乗り出し、天の口元を指先で優しく拭う。

 神々としての途方もない寿命から見れば、ほんの一瞬にも満たない朝のひととき。

 しかし二人にとって、この「ただの人間夫婦」としてテーブルを囲み、些細なことで笑い合う時間こそが、何にも代えがたい永遠の価値を持っていた。


 朝食を終え、二人は連れ立って庭へと出た。

 そこは、四季を問わず桜が咲き誇り、色鮮やかな柑橘類がたわわに実る、この平屋だけが持つ不思議な空間。

 「天ちゃん、あそこの少し高いところにあるオレンジ、採ってくれる? 今夜の『サイドカー』のガーニッシュ(飾り)に使いたいから」

 「了解。……ミントの葉は、このあたりの柔らかいところを摘んでおけばいいかな?」

 「ええ。モヒートの香りが引き立つように、優しく摘んでね」

 天は使い慣れた剪定鋏を手に、枝を整えながら果実を収穫していく。

 重い籠を持つのは、当然のように彼の役目だ。

 美和は朝の光を浴びながら、夜のBar風花で客に出すカクテルのインスピレーションを膨らませ、丁寧にハーブを選別している。

 「……ねえ、天ちゃん」

 「ん?」

 「こうして二人で庭の手入れをしていると、なんだかずっと昔から……それこそ、神話の時代からこうしていたような気がしてくるわね」

 朝露に濡れたミントの葉を手のひらに乗せ、美和が穏やかに微笑む。

 天は収穫したばかりのオレンジを籠に置き、彼女の隣に並んで立った。

 「僕たちは、神話の時代には上手く結ばれなかったからね。……だから、今こうして、美和さんと一緒に布団から起きて、ご飯を食べて、庭の手入れをする。この『当たり前の日常』が、僕にとっては奇跡なんだよ」

 春の風が桜の花びらを舞い上げ、二人の間を通り抜けていく。

 夜の『Bar 風花』という洗練された大人の舞台は、この朝の、のんびりとした、けれど確かな愛情に満ちた庭仕事から始まっているのだ。

あとがき


 『天ちゃんと美和さんの1日 朝』をお読みいただきありがとうございます。


 夜は洗練されたバーテンダー、朝は普通の奥さん。

 そんな美和と、甘えん坊な夫・天の、ほんわかした日常を短く書きました。


 Bar風花のカウンターの裏側にある、こんな朝が実は一番好きです。


 またいつか、別の時間でお会いしましょう。


天照(Bar風花)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ