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4杯目 スパークリング・ブルー・マティーニ

『Bar風花-kazahana-』

4杯目 スパークリング・ブルー・マティーニ


※独立した短編です

※静かなバー・美しいカクテル・大人の会話が好きな方向け


まだ開店間もない小さなバー。

初めてのお客様を迎えた夜、【CLOSED】の札をかけた貸切のカウンターで、バーテンダー・美和さんは青い一杯を静かに作り上げる。


最初は半信半疑で入った彼も、一杯ごとに心が解け、最後に素直に頭を下げる。


深い天色のスパークリング・ブルー・マティーニ。

泡が消えるまで、二人だけの時間が流れます。


Bar風花へ、ようこそ。

今夜は貸切です。


R8.2.3 スパークリングブルーマティーニの作る過程を大幅に加筆修正

第1章:謝罪と透視

「……櫻庭さんにお詫びしたいと思います」

 カウンターの向こうで、ロブマイヤーのグラスに注がれた黄金色のミモザを美味しそうに傾けていた彼女に、彼は居住まいを正して切り出した。

「え? 急にどうなさったんですか?」

 美和はグラスをそっとコースターに戻し、少し戸惑ったように小首を傾げる。

「実は……街をぶらついていて偶然こちらのお店を見つけたとき、正直なところ馬鹿にしていました。どうせまともなカクテルなんて出せないだろう、若い女性バーテンダーじゃろくにできないに違いない、と」

 彼は視線を鉄刀木の天板に落とし、重い言葉を紡ぐ。

「だから最初の注文も、半ば試すような、意地悪なオーダーをしてしまったんです。あのときは、本当に失礼しました」

「でも、いただいた一杯一杯が……どれも想像以上でした。材料の質の高さだけじゃない。確かな経験と技術、それに何より、お酒とこの空間への深い愛情がちゃんと溶け込んだ、素晴らしいカクテルばかりで」

「私にとって理想に近いBarとバーテンダーさんに、あんな不遜な態度を取ってしまって。本当に申し訳ありませんでした」

 深く頭を下げた彼に、美和は一瞬だけ目を丸くしたあと、ふわりと春風のような柔らかい笑みを浮かべた。

「そんなこと、ありませんよ……」

 彼女は静かに、でも凛とした声で答える。

「貴方がこの重い扉を開けて入ってこられた瞬間から、なんとなく分かっていました。あ、この方は本当にお酒が好きで、Barという空間を心から大切にされている方なんだろうなって」

 美和は鉄刀木のカウンターに白魚のような手を軽く添え、穏やかな声で続けた。

「貴方は最初からきちんとマナーを守ってくださっていましたし、サービスする側から見ても、不愉快なことなんて一つもありませんでした。むしろ……とても心地よい、素敵なお客様です」

「ですから、このお話はこれでおしまいです!」

 彼女はパッと明るい声を上げると、

「これからも、どうぞよろしくお願いしますね」

 そう言って、今度は彼女のほうが深々と頭を下げた。

「……それに私、人の心がちょっとだけ分かるんですよ」

 最後に小さく呟かれたその言葉は、グラスの中で氷がカランと鳴る澄んだ音にかき消され、彼の耳には届かなかった。




第2章:初めての客

「よしっ! 今日は完全貸し切りです!」

 美和は突然立ち上がり、楽しそうにパンッと手を叩いた。

「クローズの札を出してきちゃいますね。どうせ昨日も一昨日も、お客さんなんて一人も来ませんでしたし!」

 ……え?

 いや、ちょっと待ってくれ。

 さらっと、今日いちばん重い爆弾発言を聞いた気がするのだが。

「だから、正真正銘、貴方がこのBarの初めてのお客様なんですよ」

 にこにこと無邪気な笑顔でそう告げると、彼女は純白のバーコートの裾を揺らし、軽やかなステップでカウンターを抜け、入口の重厚なオーク扉へと向かった。

 カチャリ、と真鍮のプレートが裏返る音が、静かな店内に小さく響く。

 そしてまた、いそいそと定位置に戻ってきた美和は、

「さてさて、これで誰にも邪魔されませんね」

 と、まるで秘密の企みを共有する共犯者のように、悪戯っぽく右目でウィンクをした。




第3章:天色の設計図

「さて、次はさっきのスパークリングワインを使った、シェークで仕上げるカクテルをお出ししますね」

 美和は柔らかく微笑むと、バックバーからバカラの大ぶりなマティーニグラスを手に取った。

 カウンターの上に静かに並べられたのは、『マーティン・ミラーズ』のジン、『オリジナル・ピーチツリー』、そして『ボルス・ブルー』の三本。

 彼女はそれぞれのボトルを我が子のように軽く撫でながら、静かに説明を始めた。

「まずジンはマーティン・ミラーズです。アイスランドの極めて純度が高く柔らかい湧き水を使っていて、レモンとライムのキュンとするような柑橘感が特徴なんです。ハーブの主張も控えめでとても上品だから、ピーチの甘さを邪魔せずに、そっと寄り添ってくれるんですよ」

 次にピーチツリーのボトルを手に取り、桃色のラベルを指先でなぞる。

「ピーチツリーは、世界で一番愛されているピーチリキュールかもしれません。熟した白桃をそのまま噛んだようなジューシーさと、自然な甘さが魅力です。人工的な香りじゃなくて、本当に果実らしい芳醇な香りがするんです。これをたっぷり入れることで、カクテル全体が優しく、華やかに開きます」

 そして彼女の視線は、傍らのワインクーラーへと移った。

 そこには、先ほど抜栓したばかりの『クレマン・ド・ブルゴーニュ』が、氷水の中で静かに冷やされている。

「そして仕上げに使うのが、このクレマン・ド・ブルゴーニュ。シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で作られているのに、ブルゴーニュらしいキリッとしたミネラル感とシャープな酸が特徴なんです。泡も細かくてしなやか。桃の甘さをすっきりと引き締めて、青い色をより透明感のあるものにしてくれる……本当に、このカクテルにぴったりなんですよ」




第4章:氷の音色と秘密

 語り終えると同時に、彼女の顔から柔らかい微笑みが消え、職人の顔に切り替わった。

 メジャーカップは使わない。彼女は指先の感覚と液体の落ちる軌道だけを頼りに、材料を次々とシェーカーに注ぎ入れていく。

 マーティン・ミラーズを30ml、ピーチツリーを30ml、そしてボルス・ブルーをほんの小さじ1。

 バースプーンを滑り込ませて軽くステアし、香りをなじませる。ほんの少しだけ小さなテイスティンググラスに移して味を確認し、小さく満足げに頷いた。

 シェーカーに氷をたっぷりと詰め、ストレーナーとトップを被せる。

 ふぅ、と小さく息を吐いて構えた。

 次の瞬間、彼女の白い手が滑らかに、そして力強く宙を舞い始めた。

 キンキンキンッ!

 硬質な氷がステンレスに打ち付けられる甲高い音が、静謐な店内に心地よいリズムとなって響き渡る。

 マーティン・ミラーズの清冽な柑橘と、ピーチツリーの甘美な桃が、極限の冷たさの中で激しくぶつかり合い、ゆっくりと溶け合って鮮やかなマリンブルーへと変わっていく。

 (……こんな圧倒的な技術や知識を、彼女は一体どこで身につけたんだろうか)

 彼が煙草の煙をくゆらせながらそんな考えに耽っていると、ふと視線を上げた彼女とばっちり目が合った。

 美和は、シェーカーを振るリズムを崩さないまま、いたずらっぽく片目をつぶって見せた。

 ――それは、秘密ですよ。

 そんな無言の声が聞こえてきそうな、たまらなくチャーミングな仕草だった。




第5章:真夏の海を閉じ込めて

 シェークを終えると、彼女はストレーナーを通して、透明感のあるマリンブルーの液体をグラスへ静かに注ぎ入れた。

 深い青がグラスの中で揺れ、まるで陽光が差し込む澄んだ海の底を覗き込んでいるかのようだ。

 次に、美和は小さな小皿にボルス・ブルーを数滴だけ垂らし、グラスの縁を軽く湿らせるためにレモンの切り口をそっと滑らせた。グラスのリムをゆっくりと青いリキュールに浸し、余分な滴を軽く払うと、今度は粗塩の敷かれた小皿に同じように縁を軽く押し当てる。

 薄い青い帯の上に、白い塩の結晶が繊細に付着していく。まるで白い砂浜に波が寄せては返すような、美しい『ソルト・ウェーブ』が完成した。

 そしてワインクーラーからクレマン・ド・ブルゴーニュを引き抜き、水滴を拭い去ってから、グラスの上に掲げる。

 ゆっくりと、グラスの中央に向けて垂直に注ぎ入れる。

 細やかな泡が静かに立ち上がり、海の底のような青い色に淡い光の筋を走らせる。グラス全体がきらきらと輝き始めた。

 完成したのは、鮮やかな天色の『スパークリング・ブルー・マティーニ』。

 大ぶりのバカラグラスに深いマリンブルーが揺れ、カクテルピンに刺された緑色のマラスキーノチェリーが、海底の宝石のように静かに沈んでいる。縁に施された青いソルト・ウェーブがアンバー色の照明を反射し、真夏の澄み切った空をそのまま閉じ込めたような、圧倒的な美しさを放っていた。

 美和はコースターの上にそっとグラスを置き、どこまでも柔らかい声で言った。

「お待たせいたしました。『スパークリング・ブルー・マティーニ』でございます。……どうぞ、ゆっくり味わってくださいね」

 彼はグラスの脚を手に取り、塩のついていない部分からそっと口をつけた。

 クレマンの弾ける炭酸とともに、少し甘く、しかししっかりとしたジンの骨格を持つアルコールが喉を滑り落ちる。

「……美味しい」

 理屈よりも先に、感嘆の吐息が漏れた。

 二口、三口と、まるでかけがえのない宝物を味わうようにグラスを傾ける彼を。

 カウンターの向こうで純白のバーコートを着た美和は、静かに、そして心底嬉しそうに見つめていた。

あとがき


4杯目「スパークリング・ブルー・マティーニ」、読んでくれてありがとう。


初めてのバー、初めてのお客様。

最初は少し上からだった彼が、一杯ごとに変わっていく姿と、美和さんの優しい受け止め方が好きでした。


青くて綺麗で、少し強いこの一杯が、二人の間に流れた「ありがとう」の色に見えたんです。


またふらっと寄ってくれたら嬉しいです。


それでは、今夜も良い夜を。


天照(Bar風花)

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