【Bar風花 閑話:水島渚】 霜降る銅マグと熱き鉄筒〜白衣の戦士は生姜の爆風に抱かれて〜
【前書き】
※ 本作は『Bar風花 -kazahana-』の日常を綴るスピンオフ短編です。
※ 平内科医院の賑やかな昼下がりと、夜のバーカウンターに流れる穏やかな時間を描いています。
※ 作中に登場するカクテルや酒類、車両、銃器等の描写は、すべて実在の機構・銘柄に基づいています。
晩秋の気配が深まり、冷たい風が風花山の山裾を撫でていく頃。
風花町の平穏を守る平内科医院のスタッフルームには、誰にも言えない重い熱病を患った看護師の、切ない溜息が落ちていました。
胸に抱きしめるのは、決して届かない鋼鉄の夢。
やがて日暮れを迎え、真鍮のランタンに導かれて開いたオークの扉の向こうで、彼女の前に冷えた銅のマグカップが静かに滑り出します。
どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてみてください。
第一章:スタッフルームの熱病と鋼鉄の夢
午後の休診時間、西日が黄色く傾きはじめた平内科医院のスタッフルームだった。
使い古されたパイプ椅子に腰を下ろした水島渚は、両膝でがっちりと挟み込んだ往診用の小型高圧酸素ボンベの冷たい曲面に、うっとりと頬をすり寄せていた。
携行用オリーブドラブの防護ネットから覗く、艶やかな黒色塗装の継ぎ目なし鋼管。
その冷徹な鉄肌へ、重度の恋煩いのような深いため息をこぼす。
「はあ……憧れの八四ミリ無反動砲……カール・グスタフ……。一生に一度でいいから、実弾をドカンとぶっ放したいであります……」
潤んだアーモンドアイが焦がれるように見つめているのは、窓の向こう、晩秋の風花山に連なる稜線だった。
その直後、給湯室からアイスコーヒーのグラスを手に出てきた副院長・平茉莉の手が、空中でピシリと止まった。
チタンフレームの眼鏡の奥で、西日を跳ね返した双眸が怒気とともに鋭く光る。
「白衣を着た現役の正看護師が、休憩室で漏らすため息の内容じゃないわよォォッ!!」
バシィッ!と、居合四段のブレない重心線から繰り出されたカルテの束が、渚のつむじへ正確無比な角度で振り下ろされた。
「痛っ!? ま、茉莉副院長殿! なぜ突如として我が頭頂部へ精密爆撃を……!」
「突如じゃないわよ! 何が『憧れのカール・グスタフ』よ! よりによって携行対戦車兵器に熱烈な片思いしてるナースがどこの世界にいるの! 普通は『憧れのハワイ旅行』とか『憧れのタワマン暮らし』とかでしょ!」
「甘い! 甘いであります副院長先生! ハワイの常夏ビーチが、あの八四ミリ成形炸薬弾を装填し、砲尾の閉鎖器を回してロックした瞬間の『ガコン、カチリ……』という鋼鉄のラッチ音に勝てるとでもお思いですか!? 後方待機しているアンビ(野外救急車)の窓ガラスまでビリビリ震わせるあの後方爆風! 日出生台演習場の雑木林を一瞬でへし折る猛烈な衝撃波と熱波! あれを一度でも肌で感じたら、もう人生のブースト計は一生レッドゾーン振り切りっぱなしなのであります!」
「だからって医療用酸素ボンベを抱きしめてウットリするんじゃないわよ! 表から見たら完全にヤバいカルトの儀式に見えるでしょ!」
「なんじゃなんじゃ、騒々しいぞ」
引き戸をガラリと開け、ハセガワのスケールモデルのカタログを小脇に抱えた平研造院長が、白髪を揺らしながらのんきに顔を出した。
緊迫したスタッフルームの空気など意にも介さず、老眼鏡を鼻の頭までずり落として目を細める。
「むっ、水島君、スウェーデンの名門FFV社が生み落とした傑作無反動砲、カール・グスタフの話か。うむ、現行のM3やM4なら炭素繊維とチタンで軽量化されておるが、自衛隊が長年『ハチヨン』と呼んで使い倒してきた鉄パイプ剥き出しの無骨なM2――あの十四キロ超の鉄塊感こそが、機能美の極地だな」
「そうであります院長先生! さすが大先生、分かっておられる! 右肩の鎖骨にズシリと食い込む鋼鉄の質量と、光学照準器に浮かぶ無骨なミル目盛り! 装填手の『後方よし!』の合図とともに引き金を絞るのが、自分の生涯の夢なのであります!」
「お父さんまで燃料投下して前線に参加するんじゃないわよォォッ!!」
スタッフルームの気圧が限界まで高まり、まさに臨界点に達した瞬間だった。
第二章:絶対零度の足音とランエボの影
――カツ、カツ、カツ。
廊下の奥から響いてきたのは、大気を一瞬でマイナス四十度まで叩き落とす、寸分の狂いもないヒールの足音だった。
気配を完全に殺してスーッと引き戸が開き、黒のタイトスーツに身を包んだ平志乃事務長が、書類バインダーを抱えて氷の彫刻のように佇んでいた。
胸元に光るシルバーの『RALLIART』ピンバッジが、鈍い殺気を帯びて妖しく煌めいている。
「「「ひっ……!」」」
研造と茉莉、そして渚の三人が、背骨をきしませて同時に直立不動になった。
志乃の涼やかで冷徹な切れ長の瞳が、渚の腕の中にあるオリーブドラブのネットに包まれた黒いボンベへ、すっと向けられる。
「……水島さん」
「ハ、ハッ! 志乃事務長閣下! 午後外来に向け、高圧酸素供給ラインの気密確認を実施中であります!」
「カール・グスタフをぶっ放す前に、午後のインフルエンザワクチンのシリンジを五十本、コンマ一ミリの目盛りも狂わせず充填してちょうだい。……もし薬液の計量を一滴でも狂わせたら」
志乃は薄く、この世のものとは思えないほど美しく微笑んだ。
「貴女が自分のミニカダンガンの助手席に大事そうに座らせている、あの巨大なSDアッガイのぬいぐるみの代わりに、貴女自身を私のランエボの助手席へサベルトの四点式で固定して、風花峠の下りをフルブーストで攻め立てて、生身で『横G無反動砲』を体験させてあげますからね」
「ゲロォォォッ!? 直ちに充填作業へ全速前進でありますッ!!」
脱兎の勢いで処置室へ飛び出していった渚の背中を見送りながら、茉莉は深く頭を抱えてため息をついた。
「……はあ。うちの医院、いつから対戦車戦闘の最前線基地になったのかしら……」
第三章:夜の止まり木と無反動の処方箋
夜の帳が降り、用水路のせせらぎが冷涼な水音を響かせる頃だった。
路地裏にぽつんと灯る真鍮のランタンをくぐり、水島渚は『Bar風花』の重厚なオーク材の扉を押し開けた。
澄みきった店内には、磨き上げられた鉄刀木のカウンターが静かに艶めいていた。
「……というわけでね、天二曹殿、美和様……」
すでに琥珀色の液体を飲み干され、小さくなった丸氷だけが残るアイラモルト『アードベッグ十年』のロックグラスを両手で抱え込み、渚はカウンターの鉄刀木に額を擦りつけて泥のように沈没していた。
日中の激闘と重火器への果たせぬ恋慕に打ちひしがれ、白衣の凛々しさなど微塵も残っていない。
「ジュネーヴ第一条約の分厚い壁に阻まれ……衛生科所属だった自分は、一生カール君の引き金を絞ることができない運命なのであります……ううっ……」
戦地における傷病者の保護を定めたジュネーヴ第一条約の規定により、自衛隊の衛生要員は国際人道法上の保護資格を得る代償として、攻撃用重火器の運用が厳しく制限される。
自衛用の小銃や拳銃の携行は認められていても、無反動砲のような対戦車火器や陣地攻撃用の重火器を扱うことは許されない。
部隊の規律を骨の髄まで叩き込まれた元自衛官だからこそ、その条約の理屈が痛いほど理解でき、それゆえに悔しくてたまらないのだ。
厨房から運んできた淹れたての深煎り珈琲を渚の脇へそっと置きながら、天が苦笑いして眼鏡の奥の目を細めた。
「あはは……水島さん、気持ちは分からなくもないけどね。でも、あれは撃たないに越したことはないよ。現役の頃、普通科の連中が実射演習のあと、耳鳴りが三日止まらなくて耳鼻科に駆け込んでいたし、肩の皮下出血が凄いことになるからね」
「天先輩……! その肩の皮下出血こそが、鉄の筒と心を通わせた戦士のキスマークなのであります……!」
「変な例え方をするんじゃないの」
天が吹き出しそうになりながら、呆れたように肩を揺らした。
カウンターの中で静かに純氷を丸く削り出していた美和が、美しい異色瞳――右のワインレッドと左のアンバーを優しく和ませ、ふわりと微笑んだ。
「ふふ。水島さん、そんなに熱い鉄の筒がお好きなら……今夜は、この町を守る優しい看護師さんのために、特別なお薬をお出ししましょうね」
美和はメジャーカップを一切手に取らない。
滑らかな手首のスナップだけで、あらかじめクラッシュアイスを満たした重厚な銅製マグカップへ、冷凍庫で極限まで冷やしたシベリア産ウォッカ『ベルーガ』と、搾りたてのフレッシュライム果汁、そして生姜の辛みを限界まで利かせた自家製ジンジャービアを満たしていった。
バースプーンを滑り込ませて氷を静かに一度持ち上げると、シャラリと涼やかな音とともに、氷点下の冷気を吸い上げた銅マグの表面へ瞬く間に白い霜がびっしりと浮き上がる。
「はい、『モスコ・ミュール』――ラバの蹴りのように強烈な一杯です。喉を通る時は無反動ですが、あとから身体の芯まで温まりますわよ」
「美和様ぁぁ……! いただきますであります……! ……グビリ……ッ!? ――カハッ! し、生姜のバックブラストが喉から鼻腔へ突き抜ける……! 効くぅぅぅ……ッ!」
カッと目を見開き、喉を押さえながら幸せそうに身悶える渚の姿があった。
その無垢な暴走を前に、天と美和は顔を見合わせ、静謐なバーの空気を揺らさないよう、どこまでも温かく声を忍ばせて笑い合うのだった。
【あとがき】
お読みいただき、本当にありがとうございました。
今回は、平内科医院の切り込み隊長にして愛すべき熱血ナース、水島渚の「決して報われない、けれど一途すぎる重火器への恋心」をお届けしました。
自衛隊衛生科というジュネーヴ条約の厚い壁に阻まれ、医療用酸素ボンベに頬を寄せてハチヨン(84mm無反動砲)に焦がれる渚。
それを居合仕込みの正確さで叩き落とす茉莉先生、のんきに参戦して油を注ぐ研造院長、そして絶対零度の笑顔で峠の横Gを宣告する志乃事務長……。
平医院の面々のコントのようなやり取りは、書いていてこちらの体温まで上がってくるような楽しさがあります。
そんな彼女たちの昼間の熱気を、静謐な夜の帳の中でそっと受け止め、優しく解きほぐしてくれる美和さんの『モスコ・ミュール』。
冷凍庫で極限まで冷やしたベルーガと、自家製ジンジャービアの辛み、そして銅マグの表面にびっしりと浮き上がった白い霜。
喉を通り過ぎたあとに遅れてやってくる生姜の温もりが、画面の向こうの皆様の冷えた夜も少しだけ温めてくれたなら幸いです。
もし少しでもクスリと笑っていただけたり、風花町の夜の空気を心地よく感じていただけましたら、画面下のブックマーク登録や「★★★★★」評価、そして率直なご感想をいただけますと、今後の執筆の大きな力になります。
天照(Bar風花)




