【Bar風花】特別編 黒頭の天然松茸と至高の牡丹鍋 〜神様が導く秋の恵みと、縁側で囲む満月の宴〜
【前書き】
※本作は『Bar風花-kazahana-』の秋の特別編(一条山での収穫とお月見)となります。
※日常の甘さと、秋の豊かな情景をゆったりとお楽しみいただければ幸いです。
澄み渡る秋空の下、朱と黄金に染まる一条山。
二台の軽トラがエンジン音を響かせ、赤松とクヌギの深い森へと走り出します。
大猪を追う者、松茸と栗を探す者、そして静かに寄り添う小さな神様。
山の恵みと命の熱気は、やがて夜の縁側で、温かな牡丹鍋の湯気へと変わっていきます。
どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。
第一章:秋晴れの一条山と、二つの作戦
風花町を包む空気はいつの間にかすっかり澄み渡っていた。
標高を少し上げた『一条山』の山肌は朱と黄金が斑らに交じり合い、どこを切り取っても絵の具を落としたような秋の色に染まっている。
山裾に佇む『一条山重機ステーション』のプレハブ前。
木の香りがまだ新しいウッドデッキには秋の日差しを浴びて整然と並ぶ道具類があった。
壁際で鈍いマキタブルーの光沢を放つツールラック。
その横では陸上自衛隊純正の半つや消しオリーブドラブに塗り上げられたサンバートラックが静かに発進の時を待っている。
「あらあら〜、天さま! 本日は文字通り、雲ひとつない山歩き日和どすえ〜♪」
ツナギの袖を軽やかに捲り上げた一条結が手際よくベレッタA400のボルトを引き薬室を点検する。
チャキッと乾いた金属音が秋空に響いた。
スパコンと称される彼女の頭脳はすでに今日の風向きや気温、視界の透過率まで完璧に弾き出している。
その隣でサンバーの荷台に立てかけられたジュラルミンケースを開いていたのは櫻庭天だ。
サコ85ヴァーミントのボルトを軽く引き、スコープのレンズに付着した微細なホコリを専用のクロスで丁寧に拭う。
「風向きは北西から東へ。これなら尾根伝いに風下を取れそうですね、結さん」
「ふふっ、さすが天さま。頼もしいかぎりどすえ」
サンバーの助手席からは白い尾をふさふさと揺らした天狐の狐白が「フチチ……♪」と鼻を鳴らした。
ドアの開いたステップには甲斐犬のカイが引き締まった黒虎毛の身体を優しく預けている。
「よし、僕たち猪狩りチームはカイと狐白の案内で東の尾根から大猪を追おう。あ……そうそう、千草さんとの約束は絶対だからね。鹿さんを見かけても指一本触れずに通り過ぎるよ」
「もちろんどすえ。千草様を悲しませたら罰が当たりますわ。脂の乗った立派な大猪さえ一頭授かれれば、今夜は平屋の縁側で最高の牡丹鍋が作れますもの♪」
その向こうで鮮やかなピンク色のモモタロウサンバーの荷台に竹籠や高枝切りバサミを積み込んでいたのはレディース『紅蓮華』の白石まひろと黒木葵だった。
「まひろ先輩! こっちの松茸&栗拾いチームも手袋から竹籠まで準備万端っすよ!」
「おう! 荷台の特製クッションには今日のスペシャルゲスト『かみちゃん』の特等席もセット完了だ!」
ふたりが威勢よく声を張り上げるとどこからともなくトコトコと小さな足音が近づいてくる。
おかっぱ頭に濃紺の着物を纏った小さな山神様——神ちゃんだ。
彼女は着物の裾を両手で少し持ち上げるとサンバーの助手席へ「よっこいしょ」と可愛らしく乗り込んだ。
葵が用意したふかふかの座布団の上に正座し、小さな手でダッシュボードをトントンと叩いてドヤ顔を作ってみせる。
「あはは! かみちゃん、やる気満々ッスね! それじゃあ出発するぞ!」
二台の軽トラが澄み切った秋の空気を揺らし力強いエンジン音を響かせた。
軽快な排気音の余韻を残しながら赤松とクヌギの群生する山奥へと二つのチームはそれぞれ車体を滑らせていった。
第二章:神ちゃんが導く赤松林と、一撃の肉
モモタロウサンバーが乾いた土煙を薄く上げながらクヌギの落ち葉で覆われた古い林道を進んでいく。
運転席の葵が速度を緩め隣の神ちゃんへ視線を送った。
「かみちゃん、この先の分岐はどっちッスかね?」
助手席に正座していた神ちゃんがそっと身を乗り出す。
小さな指先が竹林の深みへ続く細い獣道を「あっち」と指し示した。
「了解ッス!」
ハンドルを切り笹を掻き分けながら進んだ先。
ぱっと視界が開けた場所には樹齢を重ねた見事な赤松の古木たちが陽光を遮るように枝を広げていた。
「うわぁ……! まひろ先輩、見てくださいッス、この足元……!」
車を停め降り立った葵が声を漏らす。
湿り気を含んだ腐葉土のあちこちから笠がぐっと締まった見事な「黒頭の天然松茸」が顔を出していた。
さらにその奥の落ち葉の影にはツヤツヤと黄金色に光る大粒の丹波栗が弾けたイガから覗いている。
「すっげえ……! こんな群生地、生まれて初めて見たぞ! 葵、片っ端から採りまくろうぜ!」
まひろが大興奮で竹籠を抱え勢いよく手を伸ばそうとした——その時だった。
「……トントン」
小さな、けれどはっきりとした足音が背後で響く。
振り返ると大きな赤松の幹の陰から神ちゃんがひょっこりと顔を出した。
真面目な顔でまひろと葵をじっと見つめるとふっくらとした小さな両腕を胸の前で交差し、綺麗な「×」の形を作ってみせたのだった。
「あ……! す、すみません神様ッ! ついつい目が眩んで欲が出ちゃいましたッス!」
「ごごごめんなさい! 乱獲はダメなんだよな! 今日の宴の分と、みんなの分だけで十分だぞ!」
ふたりがあわてて手を引っ込め深々と頭を下げる。
すると神ちゃんはどこか誇らしげに「コクリ!」と大きく頷き「×」をそっと解いた。
そのままトコトコと歩み寄るとふたりの竹籠の中に山で見つけた一番形の整った小さな松かさを「ポトン」と一つずつ手渡してくれたのだった。
同じ頃、一条山の東側に広がる深いクヌギ林の中では静寂が支配していた。
「……クゥン」
地面に鼻を近づけていたカイが低く喉を鳴らす。
同時に天の肩のあたりで息を潜めていた狐白がピクッと耳を立て風の匂いを捉えた。
「天さま、あちらどすえ……。立派な大猪の気配がいたしますわ」
結が静かに指を指す。
同時に彼女はベレッタA400の機関部へ手際よくスラッグ弾を滑り込ませ静音でボルトを閉めた。
万一の際のバックアップ体制も万全だ。
スパコン脳が弾き出した風向きと距離、着弾点の補正データが天の脳裏へ共有される。
数十メートル先の笹藪の切れ目。
秋のどんぐりを丸々と食べ込み背中に分厚い脂を蓄えた大猪が夢中で地面を掘り返していた。
天は無言でSAKO85を構える。
スコープの十字線が猪の首根っこ——肉を一切傷めず苦しみも与えないバイタルパートへ完璧に重なった。
元自衛隊の特級射撃手としての呼吸が整う。
引き金にかけられた指先がごく自然に圧力を増していった。
『タァン……!!』
一発の静かな銃声が山肌を渡っていく。
倒れた猪は暴れることすらなくその場にすっと静まり返った。
見事な一発即死。
「お見事どすえ、天さま。お肉にまったく血が回っておりませんわ」
「よし、カイ、狐白、ありがとう。サンバーを近くまで寄せるよ」
天は慎重にサンバーを操縦し木々の隙間をぬって倒獲ポイントのすぐ近くまで車体を寄せる。
バンパーに設置されたウインチからスチールワイヤーを引き出し大猪の足に手際よくセットした。
電動ウインチのスイッチを入れると低く力強いモーター音が響き巨体がサンバーの近くまで滑らかに引き寄せられていく。
続いて荷台のミニクレーンのアームを伸ばしフックをしっかりと引っ掛けた。
クレーンが持ち上げた大猪はそのまま荷台のステンレス防水パンへと静かに収まった。
流れるようなプロの作業によって至高のジビエ肉が見事に確保された。
山を下りる途中、木々の隙間から美しいニホンジカの親子が姿を見せた。
助手席の結と運転席の天は顔を見合わせて優しく微笑むと驚かせないようそっとスピードを緩めた。
「ふふっ、千草さんの大事なお友達だからね。元気でね」
カイも狐白も「クゥン」と鼻を鳴らしその佇まいを温かく見送っていた。
第三章:櫻庭家・平屋の縁側とお月見の準備
山あいに陽が落ちると風花町の夜空にはまるで磨き上げられた鏡のような満月がぽっかりと浮かび上がった。
冷えてきた秋の夜空に月の光が澄んだ青白い影を落としている。
櫻庭家の平屋。
庭に面した広い木造の縁側には青々としたススキと黄色い女郎花が生けられた花瓶が飾られ、七輪からは備長炭の赤々と熾った熱気がゆらゆらと立ち上っていた。
割烹着姿の美和が手際よく縁側に大きな長テーブルと座布団を並べ割烹着の裾を揺らしながら満面の笑みでみんなを出迎える。
「おかえりなさい、天ちゃん。結さん、みんなもお疲れ様でした」
テーブルの中央に鎮座するのは美和が丁寧に引いた特製出汁がフツフツと煮立つ大土鍋。
薄切りの大猪肉がまるで咲き誇る大輪の牡丹のように美しく敷き詰められた特製牡丹鍋だ。
その横には極上の昆布と鰹節、そして手摘みの松茸の芳醇なアロマが閉じ込められた土瓶が並ぶ『松茸の土瓶蒸し』。
さらに七輪の上では手で裂かれた天然松茸がジワジワと表面に汗をかきたまらない香ばしさをあたり一面に漂わせていた。
「あらあら……♪ お猪さんも松茸も、とっても美味しそうですわ〜」
畳の上で身を乗り出しているのは千草お姉ちゃんだった。
鹿が一頭も傷つけられなかった報告を天から受け、すでに目尻を下げて嬉しそうな笑顔になっている。
「天さん、お約束を守ってくださってありがとうございます♪ ほら、今日はお姉ちゃんが特上の冷酒をたくさん注いで差し上げますわね〜♪」
「あ、あはは、千草さんありがとう。でも僕、まずはみんなに料理を取り分けないと……」
「いいのですよ〜、天さんは座って甘えていればよろしいのですから♪」
千草お姉ちゃんはそう言うと天の手からお酌の徳利をぬくもりごと奪い取った。
豊かな胸元に天の頭を優しく抱き寄せデロデロに甘やかすような笑みを浮かべながらお猪口へなみなみとお酒を注ぎ始める。
第四章:宴の熱気と、フーフーの温もり
「うわぁぁぁ……! 栗ご飯、炊けましたッス!!」
黒木葵が大きな土鍋の蓋をパカッと開けると真っ白な湯気とともにほくほくの黄色い丹波栗がごろごろと入った『栗ご飯』の甘く香ばしい香りが縁側全体へ広がった。
「美味しそう……! 葵ちゃん、まひろちゃん、盛り付けを手伝うわね」
美和が手際よくお茶碗に栗ご飯をよそい土瓶蒸しの注ぎ口からお猪口へ澄んだ出汁を注いでいく。
「……はふッ……あつッ……!」
縁側の端の特等席で土瓶蒸しの出汁を一口飲もうとした深雪ちゃんが予想以上の熱気に目をうるうるさせて固まっていた。
「深雪、焦っちゃダメだよ。ほら、貸してごらん」
天が千草の腕からすっと脱出し深雪の横に腰掛ける。
土瓶蒸しのお猪口を手に取り息をフーー…フーー…と丁寧に吹きかけてすっかり適温まで冷ましてから深雪の手に握らせてあげた。
「ほら、もう熱くないよ。飲んでごらん」
「……ん、てんにぃ……ふーふー、ありがと……。……んっ、出汁……すごく美味しい……っ」
冷ましてもらった出汁を嬉しそうに飲み七輪で焼き上がった松茸をすだちと塩でパクリと頬張る深雪。
黄金色の瞳をきらめかせ幸せそうに頬をゆるませる。
その隣ではふかふかの座布団の上にちょこんと正座した山神様が美和によそってもらった小ぶりの栗ご飯お茶碗を両手で大事そうに持ち、小さな口で「もぐ、もぐ」と実に美味しそうに栗を味わっていた。
「ふふっ、かみちゃん、栗ご飯美味しいか?」
白石まひろが優しく尋ねると神ちゃんは嬉しそうに「コクリ!」と大きく頷いた。
着物の袖から小さな木の実を取り出してまひろのお皿の上にポトンとお返しを載せてみせる。
「あらあら〜! 本当に温かくて、美味しいお月見ですわ〜♪ 天さま、美和様、うちは今、世界で一番幸せどすえ〜」
一条結が七輪で香ばしく炙られた大猪の牡丹肉をポン酢で口に運びうっとりと目を細める。
どんぐりを食べて育った猪の脂はまったくしつこくなく口の中で甘く溶けていくのだった。
第五章:満月と、巡る愛の還流
庭の木々が夜風にサワサワと揺れ足元ではカイと狐白、そしてカモくんが天からもらった味付け前の柔らかい茹で肉を「ハグハグ」と嬉しそうに分け合っている。
空を見上げれば黄色く大きな満月が縁側で笑い合うみんなの姿を静かに照らしていた。
「……天ちゃん」
宴が少し落ち着きみんなが満足そうにお茶や酒を傾ける中、割烹着を脱いだ美和が天の隣へと静かに歩み寄ってきた。
天は微笑みながら美和の胸元に隠されていたプラチナチェーンからあのピジョンブラッド・ルビーとType IIaダイヤモンドが輝く結婚指輪をゆっくりと外す。
そして愛おしそうに美和の左手薬指へと静かに滑らせて戻した。
「今日も……素敵な秋をありがとう、天ちゃん」
「ううん。一条山のおかげでこんなに美味しいご飯をみんなで食べられたんだから。美和さんが喜んでくれて、本当に良かった」
二人が見つめ合い優しく微笑み合う。
「あらあら〜♪ 天さんと美和様ったら、お月様の下でご馳走様ですわねぇ〜♪」
「てんにぃ……みわねぇ……ラブラブ……」
千草お姉ちゃんと深雪ちゃんに冷やかされ美和がぽっと頬を染めて天の肩に小さく頭を預けた。
七輪の備長炭がパチッと小さな音を立て松茸と牡丹鍋の香ばしい匂いが秋の夜空へと昇っていく。
風花町の美しい月夜の下、櫻庭家の縁側にはいつまでも温かな笑い声と満ち足りた幸せの時間だけが静かに流れ続けていた。
【あとがき】
朝夕の風にすっかり秋の冷たさが混じるようになり、風花町の夜空にも見事な満月がぽっかりと浮かぶ季節となりました。
今回は一条山での収穫風景と、櫻庭家の縁側で囲む賑やかなお月見のひとときをお届けいたしました。
山の作法を守りながら手に入れた至高のジビエと松茸、そして大切な人たちと囲むお鍋の湯気。
そんな温かな時間を、読者の皆様にも一緒に味わっていただけたなら何よりです。
天ちゃんと美和さんの、月明かりの下での甘やかな時間も少しだけ添えて。
もしこのお話が心に留まりましたら、ブックマークや評価、感想などを残していただけますと、次の物語を紡ぐ大きな励みになります。
またいつでも、温かな一杯と物語を用意してお待ちしております。
天照(Bar風花)




