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【Bar風花】特別編 ふたつの炎とひとつの木目 〜そして今夜、絆という名のカクテルを〜

【前書き】


※本エピソードは櫻庭天の誕生日(8月10日)を描いた特別編となります。

※実在する名酒・高級パイプ・喫煙具の写実的な描写を含みます。

※静かな大人の純愛と、家族の温かな絆をお楽しみいただければ幸いです。


夏の風が揺らす風鈴の音と、静かな居間に集う家族の温もり。

そして夜の静寂が満ちるカウンターで注がれる、絆という名の琥珀色のカクテル。

ひとつの原木から生まれたふたつの木目と、真鍮の小さな炎が手繰りよせるのは、言葉を超えた愛の物語。

どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。

 細い路地の奥、街灯の橙色の光がわずかに届くだけの場所に、ぽつんと暖かな明かりが灯っている。重厚なオーク材の扉の脇、古風な真鍮製ランタンが柔らかな揺らぎを投げかけていた。

『Bar 風花 -kazahana-』

 開店前の店内は、まるで時間が止まったかのように澄みきっている。程良く空調の効いた空気はひんやりと静かで、遠くから古いレコードの針が落ちる微かなノイズと、ピアノの最後の音が消えていくような余韻が薄く溶けていた。

 立派な鉄刀木の一枚板カウンターの上には、余計なものは一切置かれていない。バーマットの上に一本のバースプーンが入った水の張った大きなブランデーグラスがぽつんとあり、その脇に柑橘系のフルーツが美しく盛られた籠が一つあるだけだ。

 だが、この静謐な空間に夜の灯がともる少し前、神社の裏手に建つ櫻庭邸では、どこか賑やかで温かな祝いの時間が流れていた。



 

第一章:千草の針、深雪の真鍮

 

 風花町の爽やかな夏風が、平屋の縁側から吹き抜け、風鈴をチリンと静かに揺らしていた。

 8月10日の昼下がり。陽光が柔らかく差し込むリビングのローテーブルを囲み、賑やかな誕生日の宴が始まろうとしている。

「あらあら♪ 天さん、お誕生日おめでとうございます。さあ、どうぞこちらをお受け取りになってくださいな♪」

 おっとりとした京風の柔らかな響きとともに、木目の美しいリビングテーブルの上にドカンと置かれたのは、武骨なまでに重厚なブラックのケース。英国仕込みのクラシックなロング丈メイド服に身を包んだ千草お姉ちゃんが、Kカップの豊かな胸元に手を添え、翠の瞳を細めて「さあ、どうぞお開けになってみてくださいな♪」と微笑んでいる。

 主役である櫻庭天は、苦笑いを浮かべながらリボンを解いた。

 箱の中から姿を現したのは、ズシリとした質感を持つ『セイコー プロスペックス』のダイバーズウォッチだ。漆黒の文字盤に、極太のアロー針と夜光塗料が施されたインデックスが際立つ。どんな荒波や過酷な環境でも視認性を損なわない、男の道具としての質実剛健さが凝縮されていた。

「千草さん、これ……プロスペックスじゃないですか。こんなにいいものを……」

「あらあら♪ 全国の現場を泥臭く駆け巡る天さんですもの。おしとやかなドレスウォッチも素敵ですけれど、どんな嵐や雨の中でも正確に時を刻んでくれる強靭な相棒が、あなたの腕には一番お似合いだと思いましたのよ」

 千草は「天さん、男なら小憎らしいほど正確でタフな時を刻まなくっちゃ、粋じゃありませんでしょう?♪」とおっとり微笑んだ。

 天ちゃんはさっそくベルトを調整し、左手首にはめた。金属のずっしりとした適度な重みと、肌に馴染むシリコンストラップの触感が心地よい。

「すごく見やすくて、頼もしいです。取材の現場にも、運転の時にも、ずっと連れて行きます」

 天ちゃんが嬉しそうに手首を傾けていると、その隣から、小さな影がペタペタと歩み寄ってきた。

 深雪だ。両手で大事そうに、小さな角形の箱を抱えている。

「……ん。てんにぃ」

「あ、深雪ちゃん」

「……ん。わたしから( ・ิω・ิ)✨」

 照れくさそうに差し出された箱を開けると、そこには重厚な黄金色の輝きを放つ『ZIPPO アーマーライター』が収まっていた。通常のZIPPOの約1.5倍のケース厚を持つアーマーモデル。表面はあえて彫刻を施さず、滑らかなポリッシュブラス仕上げだ。

「てんにぃ。……取材の旅に、ずっと連れて歩いてもらえたらと思って」

 天ちゃんは息を呑み、真鍮のボディをそっと手に取った。重い。指の腹に吸い付くような独特の温かみがある。キャップを開けると、カチリと重厚で澄み切った硬質な金属音が居間に響いた。

「アーマータイプのポリッシュブラス……。使い込むほどに表面の真鍮が酸化して、僕の手の形に合わせて渋い飴色に育っていくんだよね」

「……ん。てんにぃの手の傷や、旅の時間をそのまま吸い込んで、世界でひとつだけのライターになる( ・ิω・ิ)✨」

 深雪ちゃんが胸を張ってドヤ顔を浮かべると、天ちゃんは胸がいっぱいになったように、深雪ちゃんの頭を優しく撫でた。

「ありがとう、深雪ちゃん。手の中に驚くほどしっくりくる。これからの取材の旅、絶対にポケットに入れて歩くよ」



 

第二章:対になる木目

 

 陽が傾き、夕刻の柔らかな琥珀色の光が『Bar風花』の小窓から差し込む頃。

 開店準備を整えた静かな店内で、妻でありオーナーバーテンダーの櫻庭美和が、カウンター越しに黒いベルベット地の細長いケースを静かに置いた。

「天ちゃん……お誕生日おめでとう」

「美和さん……」

 天ちゃんは静かに息を整え、ケースのフタを持ち上げた。

 そこに収まっていたのは、息をのむほど美しい一振りのパイプだった。

 日本が誇るパイプ作りの最高峰『柘製作所』が、極上の原木と出会った時のみ手掛けるハンドメイドの最高峰ライン——『イケバナ』。

 朝顔のように上部に向かって優美に開くダブリン型のボウルには、底部から湧き上がるように伸びる繊細な「フレイムグレイン」が隙間なく刻まれている。そしてシャンク部分に継がれているのは、歪みのない見事な節を持つ最高の根竹ねたけ。和の静謐さと洋のクラフトマンシップが融合した東洋的な気品と、天然素材が織りなす力強い造形美がそこにあった。

「うわあ……っ! これ、イケバナのダブリン……! このフレイムグレインと最高の根竹、吸い込まれそうなほど美しい……」

 パイプ愛好家である天ちゃんの手が、微かに震える。指の腹でボウルの曲線をなぞると、磨き上げられたブライヤーのしっとりとした質感と、根竹の節が持つ独特の温もりが心地よく手に馴染んだ。

 美和さんは愛おしそうに天ちゃんの表情を見つめると、悪戯っぽく微笑み、その隣にもうひとつ小ぶりのケースを並べた。

 フタを開けると、そこに入っていたのは流麗で細身のラインを持つ『イケバナ ベルジックスムース』だった。ブライヤーの密度と滑らかな磨き上げが深みのある琥珀色の光沢を放ち、繊細な木目が綺麗に流れている。

「美和さん、これは……?」

「これね、柘製作所の職人さんに無理をお願いして削り出してもらった、特別注文カスタムメイドなの。……天ちゃんの『ダブリン』と、私用の『ベルジックスムース』。このふたつのパイプ、実は全く同じひとつのブライヤー原木から生まれたのよ」

 天ちゃんは息を呑み、思わず目を丸くした。

 ひとつの原木ブロックから、これほど密で美しい木目を生かしつつ、ダブリンとベルジックスムースという異なる最高峰の造形を切り出すなど、奇跡的な原木の質と職人の神業のような技術が揃わなければ不可能だ。世界に一対だけの双子パイプだった。

「形は違っても、同じひとつの木から生まれた夫婦めおとのようなパイプ。天ちゃんのダブリンは根竹を添えて力強く、私のは滑らかなベルジックスムースでしなやかに……」

 プロとしての凛とした佇まいの奥から、夫とお揃いのものを持てたことを無邪気に喜ぶ、かわいらしい妻の顔が覗いていた。

「天ちゃんが『風花』の営業が終わった後や、自宅の縁側で煙草をくゆらせている時間……私もお隣で同じ木目のパイプを吸いたくて。……ダメかしら?」

「ダメなわけないよ……ッ! 美和さん、ありがとう! すごく嬉しい……!」

 天ちゃんはパイプをそっとケースに戻すと、美和の両手をきつく握りしめた。



 

第三章:絆を象徴する一杯『アフィニティ』

 

 やがて夜が訪れ、常客たちが去り、『Bar風花』の看板の灯りが落とされた深夜。

 静まり返った店内に、美和が特別なボトルとグラスを静かに並べ始めた。

 それは今夜、愛する夫のためだけに捧げられる、究極の「誕生日の一杯」のための儀式だった。

 戸棚から取り出されたのは、1940〜50年代に流通していた『ザ・マッカラン』のオールドヴィンテージ。現代のシェリー樽熟成とは一線を画す、ピートのほのかな残響と幾重にも重なった密度の高い濃厚な果実香を放つボトルだ。

 そこに合わせるスイート・ベルモットは、1786年創業の最古レシピを今に伝える『カルパノ アンティカ・フォーミュラ』。バニラやハーブの芳醇な甘みが詰まった逸品。

 ドライ・ベルモットには、南仏の太陽の下でハーブとともに長期間熟成された『ノイリー・プラット』。

 そして仕上げに、ドイツの最高峰ビターズ『ザ・ビター・トゥルース』のアロマティック・ビターズ。

 グラスは、1920年代に作られたオールド・バカラ。極限まで薄く吹かれたクリスタルのクーペグラスだ。

「美和さん、そのカクテルは……」

「……『アフィニティ』よ」

 美和は静かにミキシンググラスへ材料を注いでいく。

 ウイスキー(1):スイート・ベルモット(1):ドライ・ベルモット(1)。

 完璧な等量。

 カクテルにおいて、等量レシピはごまかしが効かない。ベースのウイスキーの主張が強すぎればバランスが崩れ、ベルモットが主張しすぎれば野暮ったくなる。

 だが、美和の手に握られたバースプーンは、氷の角を一切削らない滑らかな描円を描く。

 チリ……チリ……

 静寂の中に、氷とグラスが擦れ合う微かな音が繊細に響く。

 無駄な加水を行わず、冷気だけを液体に与え、幾年月を重ねたそれぞれのスピリッツの分子同士を優しく同化させていく職人技。

 やがてミキシンググラスの中の液体は、濁りひとつなく澄み渡り、幾重もの光を透かす深い琥珀色の輝きへとひとつに溶け合っていった。

 あらかじめ氷で冷やし抜かれた極薄のバカラグラスへと、美和はその奇跡の液体を静かに注ぎ込んでいく。仕上げに新鮮なベルガモットの皮を静かに絞ると、極小のオイルミストが照明の光を一瞬だけ弾き、熟成された琥珀色の液体の上に鮮烈な香りのベールを纏わせた。

「召し上がれ、天ちゃん」

 天ちゃんは両手で繊細なグラスのステムを静かに包み込むと、ゆっくりと口元へ運んだ。

 ファーストインプレッションは、ベルガモットの鮮烈で爽やかな香り。続いてアタックとして口中に広がるのは、古酒マッカランの重厚で複雑なウイスキーのコク。それがスイート・ベルモットの甘みとドライ・ベルモットのキレのあるハーブ感によって見事に調和し、角がすべて削ぎ落とされた円熟のまろやかさとなって喉を通っていく。

 飲み干したあとも、胸の奥から温かなシェリーの余韻とハーブの香りがフワリと鼻腔へ抜けていく。

「……すごい。うまいなんて言葉じゃ足りない。全部の材料が喧嘩せず、お互いを高め合って……ひとつの新しい命になっているみたいだ」

 美和は愛おしそうに天ちゃんを見つめ、静かに語りかけた。

「『アフィニティ』という言葉にはね……『親近感』や『密接な関係』、そして『理屈を超えた運命的な強い引き合い』という意味があるの」

 美和の指先が、カウンターの上で天ちゃんの手にそっと触れる。

「ウイスキーは、天ちゃんの力強さとブレない芯。スイート・ベルモットは包み込む甘み。ドライ・ベルモットは凛とした気品。どれかひとつが主張しすぎてもダメ。対等で、お互いを尊重し合っているからこそ成立する味わい……。肩書や皇グループという背景も離れて、ただ『櫻庭天』と『櫻庭美和』として愛し合う……私たちの絆そのもののカクテルよ」

 天ちゃんは目頭を熱くさせ、静かに頷いた。

「美和さん……。最高のカクテルをありがとう。美和さんの想いも、この『アフィニティ』も……しっかりと胸に刻んだよ」



 

第四章:立ち上るふたつの煙

 

 営業が終わり、看板の灯りを落としたあとの静かな店内。美和は片付けを終えると、軽く息を吐いて髪をかき上げ、カウンターを回り込んで天ちゃんの隣の席へと腰掛けた。

 左手首の『セイコー プロスペックス』が、静かに午後11時30分を指している。

 天ちゃんは美和から贈られた『イケバナ ダブリン』に、お気に入りのパイプ煙草『G.L. Pease Quiet Night』の葉を丁寧にほぐしながら詰めた。

 ポケットから深雪にもらった『ZIPPO アーマー』を取り出す。

 カチリッ

 重厚で澄み切った金属音が響き、フリントホイールを擦ると、真鍮のボディから小さな黄色い炎が立ち上がった。

 横を向けても炎が消えず、パイプのボウルへ直接吸い込めるよう、インサイドユニットは事前にパイプ専用の側穴付きインサートへとカスタムしてある。深雪が贈ってくれた重厚な真鍮のケースと、パイプを愛する天ちゃんのこだわりがひとつになった仕掛けだ。

 横に向けたZIPPOの炎をボウルの真上にかざし、ゆっくりと息を吸い込む。炎がボウルの中へ吸い寄せられて煙草葉に火が行き渡ると、上質なラタキア葉特有の芳醇で深い燻香と、オリエンタル葉特有の異国情緒あふれるスパイス香、そして熟成されたバージニア葉のほのかな甘みが一気に広がっていった。

 美和もまた、お揃いの原木から生まれた『イケバナ ベルジックスムース』に『クワイエットナイト』を詰め、優しく火を注ぐ。

 ふたつのボウルから、パチパチと小さな炭化の音が聞こえ、やがて濃厚な紫煙が静かに立ち上った。

「ふぅ……」

 天ちゃんが吐き出した煙と、美和が吐き出した煙が、柔らかなアンバー色の照明の中で静かに交じり合い、ひとつの揺らめく帯となって天井へ上っていく。

 千草の質実剛健なダイバーズウォッチが刻む正確な時。

 深雪の真鍮ライターが放つ手作りの温もり。

 同じ原木から削り出されたペアのパイプ、至高のカクテル『アフィニティ』、そして『クワイエットナイト』が醸し出す穏やかな燻香。

「天ちゃん……( ´∀` ) お誕生日、本当におめでとう」

「ありがとう、美和さん。……ずっと、僕の隣にいてね」

 二人は静かに肩を寄せ合い、立ち上るふたつの煙を見つめていた。

 風花町の静かな夜は、琥珀色のカクテルと温かな紫煙の余韻に包まれながら、どこまでも甘く平穏に更けていくのだった。

【あとがき】


いつも『Bar風花』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。

今回は天ちゃんの誕生日を舞台に、千草、深雪、そして美和からのそれぞれの「想いのかたち」を描かせていただきました。

等量カクテル『アフィニティ』が示す対等で確固たる結びつき、そしてひとつの原木から削り出されたペアのパイプから立ち上る紫煙が、皆様の心にも甘く穏やかな余韻を残せたなら幸いです。


作品を「面白い」「続きが気になる」と感じていただけましたら、ぜひページ下の【ブックマーク登録】や【評価(★★★★★)】、温かな感想をいただけますと執筆の大きな糧となります。


また静かな夜のカウンターでお会いできることを楽しみにしております。

天照(Bar風花)

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