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【Bar風花】第二章 琥珀の泡と夜風のビアガーデン 〜プロのバーテンダーとメイドは祭りの夜も隙を見せない〜

【前書き】


※本作は『Bar風花-kazahana-』の特別編(短編エピソード)となります。

※本編をお読みでない方でも、単体のお話としてそのままお楽しみいただけます。

※夏のお祭りの気配と、きんきんに冷えた極上の生ビールをご用意してお待ちしております。


夏の風花町。賑やかなお祭りの灯りから少し離れた角に、今夜限りの小さな明かりが灯ります。

ステンレスと重厚な木目が織りなす特別なカウンターで注がれるのは、滑らかな絹の泡を戴いた黄金色のビールと、季節を慈しむ温かな一皿。

どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。

第1章:熱を帯びた風と琥珀色の灯り

 

 風花町の夏は、陽が落ちてもなお、どこか熱を孕んだ風が吹き抜ける。

 多目的広場に並ぶ屋台の灯りが、遠くの暗がりを琥珀色に染めていた。その賑やかさから少し離れた広場の角に、豊田モータースの手によって極薄のステンレスと重厚な木目調に組み上げられたキッチンカー『Bar 風花 Mobile』が、静かに明かりを灯している。

 ガソリンの匂いと焼き鳥の煙が混ざり合う祭りの喧騒にあって、ここだけは不思議と清廉な空気が漂っていた。

「天ちゃん、ドラフトのガス圧、これでちょうどいいかしら」

 車内の小さなカウンター越しに、櫻庭美和が声をかけてくる。黒のバーテンダーベストに身を包んだ彼女の右目はワインレッド、左目はアンバー。そのヘテロクロミアの瞳が、ランタンの灯りを受けて静かに艶めいていた。

「うん、バッチリだよ美和さん。温度も完璧だ」

 櫻庭天――天ちゃんは、手慣れた動作で氷の詰まったクーラーボックスを調整しながら微笑んだ。

 祭りの屋台で出す酒といえば、手軽な缶チューハイや冷えた紙コップのビールが定番だ。だが、美和の前に置かれたビールサーバーのタップは、研ぎ澄まされた刃物のように輝いている。

 美和はプラカップを手に取ると、傾けた角度一つ変えずにサーバーのレバーを手前に引いた。日田の豊かな水で仕込まれた『サッポロ黒ラベル』の黄金色の液体が、カップの内壁を滑らかに伝い落ちていく。

「泡はね、ただの飾りではないのよ。液体が空気に触れて酸化するのを防ぎ、炭酸の角を丸く包み込むための『蓋』。プラカップであっても、その理は変わりません」

 タップを戻し、今度はレバーを奥に押し込む。絹のようにきめ細やかな白い泡が、黄金色の液体のうえにふわりと乗った。

 液体と泡の比率は、まさに七対三。表面の泡は粗い気泡が一つもなく、微細な泡の粒子が押し合いながら、まるで生き物のようにゆっくりと盛り上がっている。



 

第2章:レーシングゲージと千草の逸品

 

「うわぁぁぁッ!! これこれ、これよーっ!」

 一番乗りでやってきたのは、近所の『山﨑豆腐店』の看板娘であり、風花市役所の地域振興課に勤める山﨑響子だった。

 今日は愛車の「ひまわり号」を自宅に置き、公私ともにイベントを盛り上げるべく歩いてやってきたらしい。その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

「響子ちゃん、いらっしゃい。今日は歩きなのね? 偉いわ」

「当たり前だよ美和さん! 『Bar 風花』のビールが飲めるのに、車で来るなんて拷問でしょ! 千草さんの唐揚げもポテトもあるんでしょ? 両方頂戴っ!」

 響子は受け取ったプラカップを口元へ運び、勢いよく喉を鳴らした。

 ゴクッ、ゴクッ、と喉が鳴るたび、きめ細やかな泡がカップの内側に白いリング――『レーシングゲージ』を描いて残っていく。

「ふはぁぁぁっ……! なにこれ、美味すぎる! 雑味が全然なくて、麦の甘みがパッと広がったあとに、ホップの苦味がスッと引いていくの! 祭りの屋台のビールと全然違う!」

「ふふ、喉が渇いていたのね。美味しく飲んでいただけて何よりです」

 美和が凛とした、けれどどこか温かい微笑みを浮かべる。

「あらあら、響子様。お待たせいたしましたわ♪」

 キッチンカーの奥、小型オーブンとフライヤーが設置されたスペースから、おっとりとした声が響いた。

 英国式のクラシックメイド服の袖を優雅に捲り上げているのは、櫻庭家の専属メイド・千草だ。豊田のオヤジが「油跳ねと排気」を徹底計算して組み上げた極薄ステンレスの調理スペースで、千草は優雅にトングを握っている。

「まずは『風花町ハーブ香る・極厚手割りフライドポテト』でございます」

 竹かご風の紙容器に盛られたポテトは、地元の農家が大切に育てた『インカのめざめ』だ。千草の手によってゴロッと大きめに手割りされ、一度低温で蒸してから、二度揚げされている。仕上げに櫻庭家の庭で摘んだフレッシュなローズマリーとタイム、粗挽きの岩塩が振りかけられていた。

 響子が熱々のポテトを一つ、口に放り込む。

 サクッ。

 心地よい音が響いた。薄い衣の香ばしい歯ごたえのあと、中からホクホクとした芋の甘みが溢れ出す。栗のように濃厚な芋の風味と、鼻に抜ける爽やかなハーブの香り。そこへ岩塩の強い塩気が加わり、思わず喉がビールを欲してしまう。

「おいひぃぃ……! 外カリカリなのに、中が甘くてフワフワ……!」

「お次は『地鶏と和柑橘のサクサク大吟醸唐揚げ』ですわ♪」

 揚げ鍋から上がったばかりの唐揚げは、きつね色の衣が微かに「カラカラ……」と余熱で音を立てている。朝引きの地鶏を風花町の地酒の大吟醸と出汁醤油、そして櫻庭家の庭で今朝摘まれたばかりの完熟和柑橘の果汁でじっくりと漬け込んだ代物だ。

 一咬みすると、カリッとした衣の奥から、閉じ込められていた肉汁がじゅわっと溢れ出した。鶏肉の濃い旨味と大吟醸の芳醇な風味が広がるが、後味に爽やかな和柑橘の酸味が駆け抜けるため、脂っぽさが一切残らない。

「ただ揚げるだけでは、油が肉の旨味を閉じ込めてしまいますの。お酒と和柑橘の酸で肉質を柔らかくし、油の温度を一定に保つ……。素材の声を聴けば、料理は応えてくれますわ」

 千草はおっとりと微笑むが、その揚げ鍋の温度を見極める眼光と手際は、まさに熟練の職人そのものだった。



 

第3章:夜風の巡回と小さな助手

 

「……ハァ。ちょっと、私にもそのビールと唐揚げ、一口頂戴……と言いたいところだけど、水にしておくわ」

 溜め息交じりに姿を現したのは、風花署の刑事・武居紗耶だった。

 私服のレザージャケットの上から風花署の防犯腕章を巻き、ショートボブの髪を風になびかせている。

「紗耶さん、お疲れ様。非番じゃなかったの?」

t天が苦笑しながら、冷えた柑橘入りのトニックウォーターを差し出す。

「非番だったわよ。なのに署長が『人出が多すぎて町内会だけじゃ手に負えない、お前なら私服で溶け込める』とか言って駆り出されたの。……まったく、今夜は此処で生ビールを楽しもうと思っていたのに、人使いが荒いわよ……」

 紗耶は文句を言いながら、差し出されたトニックウォーターをゴクゴクと飲み干した。

 その仕草の途中、ショートボブの隙間から左耳が覗く。

 耳たぶの付け根には深い紺色の『ロイヤルブルーサファイア』、そのすぐ隣にはベルベットのように柔らかい輝きを放つ『コーンフラワーブルーサファイア』。二つの青い宝石が、祭りの提灯の光を受けて繊細なグラデーションを描いていた。

「……ふぅ、生き返ったわ。天ちゃん、サンキュー」

「紗耶さん、お疲れ様です。警備のお仕事が一段落したら、今夜は店で『マルティネス』をお作りしますね。最高の一杯をご用意しておきます」

 美和の言葉に、紗耶はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「言ったわね、美和さん。……よし、あと二時間で祭りのスリも酔っ払いの喧嘩も全部片付けてくるわ。……天ちゃん、一番いい席を開けておきなさいよ!」

 紗耶は腰の後ろに忍ばせた漆黒のバトン――ASPタロンの存在を感じさせない軽やかな足取りで、再び人ごみの中へと消えていった。

「……てんちゃん。……みゆき、おてつだいする」

 ふいに、天の裾がキュッと引っ張られた。

 見下ろすと、そこには丈の短い小さなエプロンをきゅっと結んだ深雪が立っていた。

 色素の薄い純白のボブヘアに、黄金色の眠たげな瞳。普段は極度の低血圧で天にコアラのように張り付いている深雪が、今日は両手で小さなトレイを大事そうに抱えている。

「深雪ちゃん、お手伝いしてくれるの? ありがとう」

「……ん。……きょうこおねえちゃん、これ……ぽてと……」

「ぎゃあああッ!? かわいすぎるーーーッ!」

 深雪がちょこちょことおぼつかない足取りで運んできたポテトを受け取り、響子が悶絶した。

「天使! 天使が運んできてくれたポテト! 美味しさ三百万倍なんですけど!?」

「……ちぐさおねえちゃんが揚げたやつ。……こぼさないように、ゆっくり運んだ……」

「あらあら、深雪ちゃん♪ 本当にお利口さんですわね。はい、ご褒美に『あーん』してあげますわね」

 千草が猫舌の深雪のために少し冷ましておいたポテトを差し出す。

 深雪は「フーフー」と念入りに三回息を吹きかけてから、パクリと口に含んだ。

「……ん……おいしい。……ちぐさおねえちゃん、しんくろ率100ぱーせんと……(ふにゃふにゃ)」

 ほっこりとした空気がキッチンカーの周りに広がる。



 

第4章:きらめく琥珀と温かな共鳴

 

 そのとき、人ごみの奥からすっと人が破れるようにして、二つの影が歩み寄ってきた。

「こんばんは、皆さん。賑わっていますね」

 声をかけたのは、高瀬美由紀だった。

 普段の洗練された洋装ではなく、今日は紺地に白百合が静かに描かれた高級絞りの浴衣を纏っている。髪を小さくアップにまとめ、白く整ったうなじが夕涼みの風に晒されていた。

 その隣には、金魚柄の可愛らしい浴衣を着た娘の真理亜が、嬉しそうに裾を揺らしている。

「美由紀さん! 真理亜ちゃん! わぁ、浴衣すごく素敵!」

 響子が声を上げると、美由紀は静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。

「ありがとう、響子ちゃん。……響子ちゃん、今日は歩きで来ているのね? ……ふふ、感心ね」

「は、はいっ! 酒気帯び運転は絶対NGですから! 完璧な徒歩ですっ!」

 響子が直立不動になるのを見て、天と美和は思わず顔を見合わせて微笑んだ。風花町の誰もが一目置く「聖母」の威厳は、浴衣姿であっても健在だ。

 美由紀がふと耳元に手をやると、白百合の浴衣の袖から伸びるしなやかな指先の横で、小さな宝石が琥珀色の光を弾いた。

 熟成されたシェリー酒のような、深く温かいゴールド。――『インペリアル・トパーズ』だ。

 そして同じ輝きが、深雪の耳元にも、そして真理亜の胸元で揺れる小さなペンダントにもあった。

「お母さん、深雪お姉ちゃん! 見て見て、お揃いの石、キラキラしてる!」

 真理亜が胸元のペンダントをキュッと握りしめて笑う。

「……ん。……まりあちゃん、ゆかた……すごく、きれい」

 深雪がちょこちょこと歩み寄り、真理亜の手をそっと握った。

 二人の小さな少女が並び、その間でお揃いのシェリー・ゴールドがランタンの光を浴びて温かく共鳴している。

「美由紀さん、真理亜ちゃん、いらっしゃいませ」

 美和が二人の前に、用意していたグラスを並べた。

 真理亜の前には、櫻庭家の庭で今朝摘んだ和柑橘の果汁と自家製シロップをブレンドした、シュワシュワと小さな泡が踊るノンアルコール・ソーダ。

 そして美由紀の前には、薄肉のプラカップに注ぎ分けられた、黄金色に輝く生ビール。

「美和さん、ありがとう。……外の風を感じながらいただくお酒というのも、悪くありませんわね」

 美由紀は細い指先でカップを持ち、そっと唇を湿らせた。

「素晴らしいわ……。柑橘のような華やかな香りと、コクのある苦味。そして何より、この泡の滑らかさ。お店でいただくカクテルと同じ……いえ、この祭りの空気まで計算し尽くされた一杯ね」

「お酒は、置かれた場所と時間、そして飲む方の心持ちによって姿を変えます。ここで出すビールは、風花町の風と、皆さんの笑顔という最高の『調味料』が加わっていますから」

 美和の言葉に、美由紀は眼鏡の奥の瞳を和らげ、深く頷いた。

「真理亜、ポテトと唐揚げもいただきましょうね。千草さん、二人分お願いできるかしら?」

「はいはい、美由紀様。真理亜様と深雪ちゃん用に、猫舌でも安心な特別プレートをお持ちしますわね♪」

 揚げたての唐揚げとポテトが運ばれ、真理亜と深雪が並んで「フーフー」と息を吹きかけながら、美味しそうに口へ運ぶ。その横で、美由紀が静かにビールを味わい、天と美和が穏やかに言葉を交わす。

 屋台の喧噪から少しだけ離れたこの小さなキッチンカーの周りには、まるで時間がゆっくりと流れているかのような、満ち足りた静寂と温もりが満ちていた。



 

第5章:巡る夜と深まる絆

 

 やがて、祭りの太鼓の音が遠ざかり、夜風が少しだけ冷たさを帯び始めていく。

「……てんちゃん。……バッテリー、きれた」

 満足そうに唐揚げを食べ終えた深雪が、ふらふらと天の足元に寄ってきた。

 天がひょいと優しく抱き上げると、深雪は小さなエプロンをつけたまま、天の背中にコアラのようにしがみついた。

「……だっこ。……あったかい( ・∀・ )」

「はいはい、お疲れ様、深雪ちゃん。よく頑張ったね」

 天が背中を優しくあやし、よしよしと撫でてやると、深雪は「……んふー」と小さな息を漏らし、そのまま規則正しい寝息を立て始めた。完全なスリープモードだ。

「あらあら、深雪ちゃん、ぐっすりですわね♪」

 千草が嬉しそうに目を細め、片付けの終わったフライヤーの蓋を静かに閉めた。

 そこへ、路地の奥からカツカツと足音を響かせて紗耶が戻ってきた。

 レザージャケットの胸元を少し緩め、腕章を外しながら、満足げな笑みを浮かべている。

「ふぅ……! スリが一匹と、泥酔して暴れかけた男が一人。どっちもASPタロンを見せる前に大人しくなったわ。……これで今夜の風花町は完全平和よ」

「お疲れ様でした、紗耶さん」

 美和が微笑み、サーバーのタップに手をかける。

「約束通り、お店に戻ったら最高の『マルティネス』をお作りしますね。ジンとスイートベルモットが織りなす、深い琥珀色の深淵……今の紗耶さんにぴったりの一杯です」

「楽しみにしてるわ、美和さん。……天ちゃん、深雪ちゃんを落とさないように気をつけなさいよ? さあ、お店へ帰りましょうか」

「ええ、帰りましょう」

 天は背中の深雪をしっかりと抱え直し、美和の隣に立った。

 豊田モータース特製のキッチンカーの灯りが落とされ、風花町の夜に静かな静寂が満ちていく。

 だが、彼らの胸のなかには、あの極上のビールの泡のようにきめ細やかで、千草の唐揚げのように温かく、そしてインペリアル・トパーズのように固く結ばれた絆が、確かに灯り続けていた。

 神々の愛と、人の営みが交錯する街。

『Bar 風花』の本当の夜は、これから静かに始まろうとしていた。

【あとがき】


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

今回はいつもの静寂な『Bar 風花』の店内を飛び出し、夏祭りの喧噪の傍らで開く「出張ビアガーデン」のお話をお届けいたしました。

極上のビールの泡、揚げたてのフライドポテトと大吟醸唐揚げ、そして大切な人たちの笑顔。

いつものカウンターとは少し違う外の風を感じながら、それぞれの夏の一瞬を楽しんでいただけていれば幸いです。


もしこのお話で少しでも心が温まったり、冷えたビールが飲みたくなっていただけましたら、下部よりブックマーク登録や評価の星(★★★★★)、感想などをいただけますと大変励みになります。


皆様の温かな応援が、風花町に咲く桜の輪をさらに広げていきます。

それでは、また次の夜にお会いしましょう。

天照(Bar風花)

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