【Bar風花】第二章 クローゼットの赤とクランベリーの雫 〜突っぱりたちは私服という武装で扉を押す〜
【前書き】
※本エピソードは戦闘なしの平和な日常回(少しだけ賑やかなBarの夜)です。
※元総長・彩子さんの影に怯えつつ、背伸びをする少女たちの私服姿をお楽しみください。
※未華子の本格的な弟子入り宣言と、美和特製モクテル(ノンアルコール)の描写が含まれます。
特攻服をクローゼットの奥へ押し込み、彼女たちが纏ったのは「一番綺麗な私服」という名の武装。
圧倒的な本物の格と静謐が満ちる『Bar風花』の扉を開けるのは、突っぱりたちの小さな勇気でした。
カランと鳴る鈴の音と、甘く清涼なクランベリーの香り。
どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてみてください。
第一章:掟とクローゼットの死闘
レディース『紅蓮華』には、明文化されていないものの、破れば確実に命に関わる「鉄の掟」がいくつか存在する。
その筆頭がこれだ。
『――Bar風花には、絶対に特攻服で出入りしてはならない。ダメ、絶対』
もしも、あの美しい鉄刀木の一枚板カウンターや、歴史あるクリスタルグラスが整然と並ぶ静謐な空間に、ワインレッドの特攻服でゾロゾロと乗り込んだりすればどうなるか。
元総長であり、現在はヘアサロン『Apparel』のトップスタイリストとして君臨する葛木彩子にバレた瞬間、首根っこを掴まれて店裏に連行され、一時間は正座でしばき上げられる――。
地獄の説教コースを想像しただけで、現役メンバーたちの背筋には冷たいものが走るのだった。
「だからって、この服で本当に合ってるのかな……」
細い路地の奥、『Bar風花』へと続く街灯の橙色の光の下で、特攻隊長の胡桃は自身の服装を見下ろして小さく溜息を漏らした。
アパレルで美容師見習いをしているプライドをかけ、背伸びをした大人っぽい綺麗めのブラウスとロングスカートを選んだものの、彩子姐さんの「あんたその合わせ方何よ」という幻聴が聞こえて落ち着かない。
「胡桃ちゃん、まだマシだよ……。ウチなんて、バイク(RZ350)に乗るために上だけライダースジャケット羽織ってきたから、なんか全体的にチグハグで死にそう……」
走りの特攻、未華子が、普段のメイド喫茶のフリル付きミニ丈制服からは想像もつかないような、普通の女の子らしいワンピース姿で身を縮めている。
しかし、その上にゴツい革ジャンを着ているため、怪しげな和洋折衷のようなシルエットになっていた。
「二人とも、往生際が悪いぞ。ウチを見習え」
現紅蓮華喧嘩最強の佳苗は、武井沙耶の琉球空手道場で鍛え上げた体躯を、カチッとした一番上等な白いシャツとスラックスに包んでいた。
しかし、その拳は昇段審査のときよりも固く握りしめられており、完全に緊張で血の気が引いている。
「佳苗だって顔が怖いよ……。それよりさ、ウチの彼氏が交機(交通機動隊)のデートのときに『それ最高に可愛い』って言ってくれたワンピなんだけど……ちょっと気合い入れる方向違ったかな?」
籏機の由美が、お気に入りのフェミニンなドット柄のワンピースの裾をいじりながら不安げに呟く。
「由美、お前は交機の彼氏に捕まらないための迷彩服だと思えばいいんだよ。それより沙織、旗持ちの相方としてシャキッとしな」
同じく籏機の沙織が、メンバーの中で最も無難なネイビーのアンサンブルを正しながら、全員を促した。
彼女たちは、オーク材の重厚な扉の前に整列した。
前夜のバーベキューで、櫻庭家そのものが持つ「本物の格」と、ガレージに眠るモンスターマシンたちに完全に度肝を抜かれた少女たち。
今夜は、自分たちが持っている「一番マトモで綺麗な私服」という武装を纏っている。
しかし、扉の中央に埋め込まれた真鍮のプレート『Bar 風花 -kazahana-』と、繊細な雪の結晶の模様を見つめるうちに、現役レディースとしてのプライドが微かに鎌首をもたげた。
「……ねえ。ウチらの背中の『神火降臨』の文字さ」
胡桃が、ショート丈のジャケットの裾をぐっと引っ張りながら、真剣な目で仲間たちを振り返る。
「特攻服は着てねえけど、ウチらの魂はあのワインレッドの背中にあるじゃん? ウチらの『神火降臨』は……このお店の圧倒的な格に、負けてねえよね?」
その言葉に、未華子も、佳苗も、沙織も由美も、静かに居住まいを正した。
「当たり前だろ。ウチらは紅蓮華だ」
佳苗が低く応じ、意を決して重厚なオーク材の扉を押し開けた。
第二章:アンバーとワインレッドの洗礼
カラン、と静かな鈴の音が店内に響く。
開店直後の店内は、まるで時間が止まったかのように澄みきっていた。
程よく空調の効いたひんやりとした空気の中に、古いレコードの針が落ちる微かなノイズと、ピアノの残響のような静かな音楽が薄く溶けている。
右手には、立派な鉄刀木の一枚板カウンターが、深い赤褐色の木肌を照明に濡らして静かに艶めいていた。
「あら。いらっしゃい、みんな」
カウンターの奥から顔を上げたのは、オーナーバーテンダーの櫻庭美和だった。
白衣のバーテンダーコートの襟元を正し、右目がワインレッド、左目がアンバーの異色瞳を優しく細めて、少女たちを迎え入れる。
「みんな、とても可愛いお洋服ね。こちらへどうぞ」
その凛とした、しかしすべてを包み込むような声音に触れた瞬間、少女たちの「神火降臨の突っ張り」は一瞬で霧散し、全員の肩の力がフッと抜けた。
「お、お邪魔します……!」
胡桃を先頭に、黒い本皮張りのローチェアーへと、吸い込まれるように7脚の間隔の広い席へ並んで腰を下ろす。
座った瞬間、長年の使用で柔らかくなった革がほのかに体温を吸い取るような温かさで身体を包み込み、あまりの座り心地の良さに未華子が「ふえぇ……」と小さく声を漏らした。
「いらっしゃい、紅蓮華の皆さん。昨日は片付けまで手伝ってくれてありがとう」
カウンターの端の席で、原稿用のノートを開いていた天ちゃん――櫻庭天が、穏やかな笑顔で彼女たちに手を振った。
「天さん! こんばんは!」
少女たちの顔がパッと華やぐ。
その時、奥のバックキッチンへと繋がる扉が静かに開いた。
「皆様、ようこそおいでくださいましたわ」
現れたのは、櫻庭家の専属メイドである千草だった。
店内の薄暗さの中で、床に届きそうなほど長い黒のクラシックなメイドドレスと、一切の汚れもシワもない真っ白なエプロン、そして完璧な形のキャップが仄かに浮かび上がる。
耳元では、大粒のエメラルド『ムゾー・グリーン』が、透明な光を反射して気高く瞬いていた。
その姿を見た瞬間、走りの特攻・未華子の目が、前夜のガレージでドゥカティを見た時以上に激しく見開かれた。
未華子が普段バイトしているメイド喫茶の衣装は、フリルが盛られたミニ丈の、いわゆる「メイド風コスプレ」だ。
しかし、目の前に立つ千草から放たれるオーラは次元が違った。
一切の無駄がない完璧な立ち姿、指先の角度、そして歴史ある洋館から抜け出してきたかのような本物の気品。
(ガチだ……。ウチがやってたのはただの遊びだったんだ……。ここに、本物の、ガチのメイド長がいる……!)
未華子は胸の鼓動が速くなるのを感じ、ゴツいライダースジャケットの胸元をぎゅっと握りしめた。
第三章:ガラスの結界と、弟子入り志願
「今夜はみんな車やバイクでしょう? 特別なノンアルコールのカクテルを用意するわね」
美和が流れるような所作で、重厚なタンブラーグラスとペストル(すりこぎ棒)を引き寄せた。
カウンターとほぼ同じ高さに設けられた戸棚から取り出されたのは、バカラやリーデルといった、美しく透明な光を放つクリスタル製のグラスたちだ。
グラスの底で摘みたてのフレッシュミントとライムがそっとペストルで押し潰され、清涼な香りが静謐な店内にふわりと広がる。そこへ自家製のクランベリーシロップを注ぎ入れ、クラッシュアイスを満たした美和がバースプーンを静かに躍らせる。氷とグラスがキン、と繊細な音を立てるたび、少女たちはその圧倒的なプロの技法に魅了され、うっとりと目を輝かせた。
「どうぞ。自家製のクランベリーシロップと、ライム、そしてミントをあしらった、ノンアルコールの『風花特製・ルージュ・モヒート』よ」
差し出された透明なグラスの中で、深い赤色の液体がクラッシュアイスと混ざり合い、美しいグラデーションを描いている。
「いただきます……!」
胡桃がストローから液体を吸い込むと、クランベリーの華やかな酸味と、ライムの鮮烈なキレが口いっぱいに広がった。
「おいしい……! 昨日の屋台のも凄いですけど、お店で飲むと、なんか味がもっと深くて……身体が綺麗になるみたいです」
「ふふ、商店街の喧騒の中で飲む味と、この静寂の中で向き合う味は、同じレシピでも表情を変えるのよ」
美和が優しく微笑む。
その時、未華子が意を決したようにローチェアーから立ち上がり、カウンター越しに千草の正面へと歩み出た。
緊張のあまりワンピースの裾を握りしめ、しかしその目は、RZ350で直線をぶっちぎる時のような真剣そのものの輝きを宿している。
「――千草お姉さま! ウチを、ウチを弟子にしてください!」
静まり返った店内に、未華子の真っ直ぐな声が響き渡った。
一瞬の沈黙の後、カウンターの端でノートを開いていた天ちゃんが、「えっ……!」と思わずペンを止めて声を上げた。
美和はワインレッドとアンバーの瞳をパチくりとさせ、それからクスリと悪戯っぽく和ませた。
「あらあら、未華子ちゃん。弟子入り、ですの?」
千草はおっとりと首を傾げ、エメラルドの耳飾りを揺らした。
「はい! ウチ、普段はメイド喫茶でバイトしてるんですけど、昨日お姉さまの所作を見て、自分が恥ずかしくなりました! ウチ、本物の給仕と、淑女の作法を学びたいんです! 本物のメイドになりたいんです!」
未華子の必死の訴えに、千草は困ったように頬に手を当てたが、その丁寧なベースの中にある「プロのハウスキーパー」としてのスイッチが、微かにオンになるのが分かった。
「嬉しいお言葉ですわね。ですが未華子ちゃん、わたくしの指導は、少しばかり厳しいかもしれませんわよ? 狂いのないお辞儀の角度、お部屋の隅の埃一つ許さない精神……それでも、ついてこられますかしら?」
「はい! ウチ、紅蓮華の走りの特攻です! 根性だけは誰にも負けません!」
未華子が力強く宣言すると、千草は嬉しそうに微笑んだ。
「よろしいわ。ですが、学業や暴走族の……いえ、日常のお務めもおありでしょう。まずは週末限定、『Bar風花』のお手伝いという形でお教えすることにいたしましょうね」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「へえ、未華子ちゃんが千草の弟子にね……。これは面白いルポが書けそうだ」
天ちゃんが楽しそうにノートに何かを書き留めている。
「千草の指導は本当に厳しいけれど、身につけば一生の財産になるわ。頑張ってね、未華子ちゃん」
美和が即興で、未華子のために新しくレモンピールをあしらった清涼なソーダを差し出した。
「ウチらの特攻がガチメイドの弟子かよ……マジかよ」
佳苗と胡桃が顔を見合わせ、呆れつつも、どこか誇らしげに笑うのだった。
第四章:それぞれの夜と、風花署の影
「それにしてもさー、聞いてくださいよ美和さん!」
二杯目のカクテルが入る頃には、籏機の由美が完全にリラックスして、カウンターに身を乗り出していた。
「うちの交機の彼氏がさー、最近また取り締まりが厳しくなったとか言って、デートの約束もドタキャンするんですよ?『由美、頼むから大人しくしていてくれ』とか言って、マジでうるさくって!」
「あら、それは由美ちゃんの身を案じての言葉じゃないかしら? 素敵なお付き合いだと思うわよ」
美和が優しく微笑みながら、由美のグラスへ溶けにくい透明なキューブアイスをそっと足し、バースプーンで静かにステアして冷やし直す。
「美和さんにそう言われると、なんか許せちゃう気がするから不思議ですよねー」
由美がへへっ、と照れくさそうにグラスを揺らす。
「由美、お前身内に天敵がいるんだから、本当に走るときは気をつけなよ。ウチらが巻き添え喰らうのは勘弁だからね」
沙織がアンサンブルの袖を整えながら釘を刺すと、「分かってるってばー!」と由美が口を尖らせた。
そんな少女たちの賑やかなやり取りを、鉄刀木の一枚板カウンターは静かに受け止めていた。
普段の『Bar風花』の静謐とは少し違うけれど、この場所だからこそ、少女たちはレディースの看板も、日頃の突っぱりも全て下ろして、「ただの女の子」として笑い合うことができる。
夜が更けるにつれ、店内の空気はより一層まろやかに溶けていく。
特攻服をクローゼットに眠らせ、一番綺麗な私服でやってきた少女たち。
彼女たちの背負う『神火降臨』の魂は、この店の圧倒的な格に負けるどころか、その温かい重力圏に優しく抱かれ、より一層美しく磨かれているようだった。
「みんな、またいつでも羽を休めに来てちょうだいね」
美和のワインレッドとアンバーの瞳が、少女たちの未来を祝福するように、薄暗い店内の中で静かに、そして気高く瞬いていた。
【あとがき】
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
今回は、レディース『紅蓮華』の現役メンバーたちが、少し緊張しながらも『Bar風花』のカウンターに集うエピソードをお届けいたしました。
普段は特攻服に身を包み、気張って生きている少女たちが、美和さんの作る一杯や千草の圧倒的な気品に触れ、ただの等身大の女の子に戻っていく――そんなまろやかな夜の空気感を感じていただけたなら幸いです。
(未華子の『ガチメイド修行』も、週末限定でいよいよ始まります……!)
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また次の夜、カウンターでお会いできるのを楽しみにしております。
天照(Bar風花)




