【Bar風花】第二章 猿田彦と倉稲魂大神の来訪 ― 導きと実りの夜 ―
まえがき
※完全なる雰囲気重視の神様来訪回です
※戦闘も恋愛も事件も一切ありません。ただ豪快で温かい神様たちとお酒と狐白です
※Bar風花のゆるく神々しい空気が好きな方向け
ある夜、Bar風花に二柱の偉大な神様がふらりと現れた。
天孫降臨の道を導いた猿田彦大神と、稲荷総本宮の主・倉稲魂大神。
美和さんが振る舞くのは、竹の園純米生原酒、ラガヴーリン16年、そして朝倉の長期熟成麦焼酎と風花の山のジビエ・燻製。
神代の導きと実りの香りが静かに満ちる、特別な夜の話です。
どうぞ、ゆったりとお付き合いください。
風花町の夜がさらに深まった、ある日のこと。
開店直後の『Bar 風花』は、まるで時間が止まったかのように澄みきった静寂に包まれていた。
鉄刀木の一枚板のカウンター。その足元で、先日もらった「神聖な白大豆の厚揚げ」をすっかりお腹に収めてご満悦の狐白が、のんびりと毛繕いをしている。
そのとき、重厚なオーク材の扉が、地響きのような、けれど不思議と耳に心地よい重低音を伴って静かに開いた。
カラン、と真鍮の鈴が鳴る。
店内に滑り込んできたのは、圧倒されるような生命力と、どこか懐かしい「黄金色の稲穂」の匂い、そして旅路の土埃を思わせる力強い大地の気配だった。
「おや、今夜は随分と……足取りの力強いお客様だね」
カウンターの端でルポの原稿を整理していた天ちゃんが顔を上げると同時に、狐白の全身の毛がピンと逆立った。金色の瞳を大きく見開き、慌ててカウンターの陰に身を隠そうとする。
入ってきたのは、二人の男性だった。
先頭を歩くのは、堂々たる体躯に、どこか異国風の豪快な意匠の衣を纏った男。その瞳は爛々と輝き、まるで進むべき道をすべて見通しているかのような、絶対的な安心感を放っている。彼こそが、天孫降臨の旅路を導いた国津神のリーダー、猿田彦大神。
そしてその斜め後ろ、悪戯っぽく口元を歪めながら、ひらりと身軽な足取りで続くのは、仕立ての良い現代的なトレンチコートを羽織った、どこか少年のような危うさと圧倒的な色気を同居させた男。歩くたびに、実り豊かな秋の黄金色の光が、彼の輪郭にチラチラと明滅する。彼こそが、稲荷総本宮の主、倉稲魂大神その人であった。
「……まぁ」
鉄刀木の向こう側で、櫻庭美和はワインレッドとアンバーの異色瞳を丸くした。しかし、すぐに凛としたプロのバーテンダーの顔に戻り、深く、非の打ち所のない一礼で二人を迎えた。
「ようこそおいでくださいました。……まさか、これほどの大層な導き手と、衣食住の主が揃って私どもの庵へお越しくださるとは」
「堅苦しい挨拶は抜きにしようや、木花咲耶姫。いや、今は美和さんだったな。何、少しばかり『道』がこの風花の町へ繋がっていたものでね。頼もしい案内人を連れて、ふらりと寄らせてもらったのさ」
倉稲魂大神が、まるで古い友人の家を訪ねたかのように気安く笑いながら、本皮張りの黒いローチェアーに腰を下ろした。
その隣に、猿田彦が「失礼する」と、岩が落ち着くような重厚さで腰掛けた。彼はカウンターの端の天へ、静かに視線を送る。
「天様。……かつてお導きしたその御足が、今はこの美しい町にしっかりと根を下ろされているようで、何よりに存じます」
「猿田彦殿。僕たちの始まりの道を拓いてくれた貴方に、こうして僕たちの『今』を見届けてもらえること、これ以上の喜びはありません」
天は、一線を引いた敬意を保ちながらも、心からの感謝を込めて深く頭を下げた。
「さて、バーテンダー」
倉稲魂大神が、いたずらっぽくカウンターの陰を指差す。
「そこに隠れている我が眷属は、主への挨拶も忘れて何を怯えているのかな? ……里美の本殿で『ごめんね』なんて神妙に手を合わせていた健気さは、一体どこへ行ったんだい?」
「きゅ、う……」
すべてお見通しだった総本尊の言葉に、狐白は完全に降伏した様子で、耳をぺたんと寝かせてトコトコと這い出てきた。倉稲魂大神の足元で、完全に「借りてきた猫」状態で行儀良く丸くなる。
美和さんはくすくすと鈴を転がすように笑いながら、戸棚から磨き上げられたクリスタル製のグラスを取り出した。
「倉稲魂大神様、そして猿田彦様。お二人には、この風花の夜にふさわしい、特別な地酒と『導き』の一杯をご用意いたしますわ」
導きと実りの一杯
美和さんがバックバーから取り出したのは、日本酒。
倉稲魂大神の前には、佐賀県鹿島市・矢野酒造の『竹の園 おおきに 純米生原酒』。人への感謝を伝える名を持つその酒を、透明なグラスに注ぐ。
そして猿田彦の前には、彼が切り拓く荒々しくも美しい道を表現するように、スコッチウイスキーの最高峰、『ラガヴーリン 16年』を大きめの丸氷とともにロックグラスへ注ぎ入れた。
「どうぞ。お二人の歩んできた道と、これからの実りに」
倉稲魂大神が『竹の園』を口に含む。お米の濃厚な旨味と優しい甘みが広がると同時に、彼はふぅ、と満足げな息を吐き出した。
「……美味いね。現世の人間たちが、これほどの情熱を注いで米を醸している。それを見守り、こうして美和の手から受け取るお酒は、格別だ。萬子媛や大宮売が、ここで女子会を開いて自慢したくなる気持ちもよく分かる」
「力強く、それでいて一本の芯が通った素晴らしい香りだ」
猿田彦もまた、ラガヴーリンの濃厚なピート香とピュアなスモーキーさを楽しみながら、深く頷いた。
「この風花町へ続く道は、いつも清らかで温かい。天様と美和さん、あなた方二人が、この場所を『誰かの還る場所』として丁寧に守り続けているからでしょう」
天は穏やかに微笑み、美和さんと視線を交わした。
神代の激しい炎を潜り抜け、長い時間の果てに辿り着いた『Bar 風花』。そこには、衣食住を支える神の祝福と、未来を照らす導きの神の太鼓判が、静かに、けれど確かに刻まれていた。
「倉稲魂大神様、猿田彦様。……またいつでも、この扉を開けてくださいね。私たちはいつでも、ここに居りますから」
美和さんのワインレッドとアンバーの瞳が、柔らかいアンバー色の照明の中で、どこまでも温かく揺れていた。
大自然の賛歌
「次は遠い鹿島の地から当店を訪ねて頂いたお二人にサービスです。」
美和さんはそう言うと、まずバックバーの奥から重厚な琥珀色のボトルを恭しく取り出した。福岡県朝倉市の老舗、篠崎が手がける麦焼酎の最高峰『朝倉』。厳選された大麦を原料に、オーク樽でじっくりと長期熟成させたその液体は、まるで上質なウイスキーのような深いゴールドに輝いている。
戸棚から取り出されたバカラのクリスタルグラスに、磨き上げられた大きな丸氷がカランと滑り込み、そこへ『朝倉』が静かに注がれる。樽由来のバニラのような甘い香りと、濃厚でいてどこか洗練された大麦の香ばしさが、薄暗いカウンターの上にふわりと広がった。
同時に、鉄刀木の一枚板の上に、美しく盛り付けられた一皿が差し出される。風花町の深い山々が育んだ野生のジビエ(鹿肉のロースト)と、清らかな渓流で育ったヤマメの燻製だ。桜のチップで丁寧に燻された芳醇な煙の香りが、店内の空気を一瞬で贅沢なものに変えていく。
「どうぞ。朝倉の豊かな大地の恵みと、風花の山河がもたらした実りでございます」
倉稲魂大神は、差し出された『朝倉』のグラスを揺らし、琥珀色の波を見つめながら贅沢に一口含んだ。
「……ほう。これは驚いたね。大麦が樽の香りを纏い、まるで極上の絹のように喉を滑り落ちていく。そしてこのヤマメの燻製……川の清らかさと、桜の煙の力強さが絶妙に凝縮されているじゃないか」
倉稲魂大神はトレンチコートの襟を少し緩め、実に美味そうに目を細める。
「自然の命を余すことなく、こうして最高の形でいただく。これぞまさに、私が人々に伝えてきた『衣食住の極み』だよ」
「実に、生命の力強さを感じる一皿だ」
猿田彦もまた、ジビエの肉を噛み締め、その野生の旨味を『朝倉』の濃厚なコクで追いかけるようにグラスを傾けた。
「朝倉の地は、かつて多くの人々が行き交い、歴史を紡いできた要所。その土地の湧き水と大麦が、これほど深く力強い名酒に化けるとは……。道を往く者たちの渇きを癒やす、最高の『導きの一杯』と言えるな」
カウンターの陰で神妙に丸くなっていた狐白は、ジビエと魚のあまりに良い香りに我慢できなくなったのか、「きゅ、きゅん……」と情けない声を漏らしながら、倉稲魂大神の足元からひょっこり顔を出して鼻をひくつかせている。
美和さんはそれを見逃さず、くすくすと鈴を転がすように笑った。
「狐白、あなたには後で、ちゃんと一口分けてあげますからね。今は偉い神様たちのお時間を邪魔してはダメよ」
カウンターの端でそれを見守る天ちゃんも、グラスの中でゆっくりと溶けていく丸氷を見つめながら、心の底から嬉しそうな微笑みを浮かべている。
「風花町の豊かな自然と、福岡・朝倉の誇る歴史の結晶。それがお二人の前でこうして調和している姿は……まるで、この地そのものがお二人を歓迎し、感謝を捧げているかのようです」
鉄刀木のカウンターの上、オーク樽の甘い香りを放つ『朝倉』と、野性味溢れる燻製の芳醇な香りが混ざり合い、神代の絆をどこまでも深く、温かく結びつけていく。
神々が残したお土産
ジビエの野性味溢れる旨味と、オーク樽で磨かれた『朝倉』の芳醇な琥珀色の余韻。大自然の賛歌のような贅沢なマリアージュは、二人の大いなる神の心を完全に満たしたようだった。
グラスの氷が静かに融け、カラン、と鉄刀木の上に澄んだ音を響かせた頃、倉稲魂大神と猿田彦は、満足げに席を立った。
「いやあ、素晴らしい夜だった。美和さんに天様、風花の地がこれほどまでに温かく、豊かな実りに満ちていること、この目で確かめられて嬉しかったよ」
倉稲魂大神がトレンチコートのポケットに手を入れながら、悪戯っぽく笑う。その隣で、猿田彦が「我らの旅路をこれほど手厚くもてなしてくれたこと、感謝する。これは道すがら、我らが用意してきたものだ」と、重厚な手でカウンターの上に二つの包みを静かに置いた。
一つは、猿田彦から美和さんと天へ。
それは、古くから道を拓く象徴とされてきた、磨き上げられた『本榊の銘木で造られた、一対の美しいコースター』だった。
「天様、美和さん。これは、いかなる邪気も通さぬ清浄な木から切り出したもの。この庵の扉をくぐる迷える旅人たちが、皆一様に正しい平穏へと導かれ、あなた方の守るこの聖域が、永久に健やかであるように。この鉄刀木のカウンターに、そっと敷いてくだされば幸いだ」
美和さんはワインレッドとアンバーの瞳を深く震わせ、その美しい木肌にそっと触れた。
「……素晴らしいお守りをありがとうございます。このカウンターで、大切に旅人たちのグラスを支えさせていただきますわ」
天もまた、かつて自分の天孫降臨を先導してくれた恩人の深い配慮に、胸を熱くしながら深く頭を下げた。
そしてもう一つ。倉稲魂大神が「おい、狐白。お前にはこれだ」と、ポンと置いたのは、竹皮で包まれた、ずっしりと重みのある包みだった。
その瞬間、美和さんからジビエの端肉を少しだけもらって大人しくしていた狐白の耳が、今日一番の勢いでピンと立った。
「我が可愛い眷属よ。これは稲荷総本宮の神田で、今年一番に収穫された『幻の初穂から醸した、神聖な甘酒の素』だ。砂糖など一切使わぬ、お米本来の極上の甘みを持たせてある。美和さんに上手に薄めてもらい、風花の桜の蜜をひと滴垂らして飲んでごらん。里美の和菓子を奪わずとも、腰を抜かすほど美味いぞ」
「きゅ、きゅ、きゅ〜〜〜ん!」
狐白は金色の瞳をキラキラと輝かせ、嬉しさのあまり朱色の飾り紐の鈴をチリンチリンと激しく鳴らしながら、倉稲魂大神の足元に何度も頭を擦りつけ、喜びの舞を踊り始めた。
「ふふ、現金な子。倉稲魂大神様の前で、まぁだそんなに はしゃいで……。後でちゃんと、特製の甘酒を作ってあげますからね」
美和さんは可笑しそうに口元を隠し、くすくすと楽しそうに笑った。
「それではな、天様、美和さん。また、道が繋がったときに」
「ああ。現世の里美や海里のことも、退屈せぬよう見守らせてもらうよ」
二人の神が豪快に、そして軽やかに笑いながら扉へと向かう。
重厚なオーク材の扉が開くと、夜の風がふわりと吹き込み、黄金色の稲穂の瑞々しい香りと、大地の力強い気配が、Bar風花に満ちる桜の香りと美しく溶け合った。
カラン、と静かに扉が閉まる。
誰もいない開店直後の静寂に戻った店内には、天山のスパークリングが消えた夜とはまた違う、どこか五穀豊穣の温かさと、未来を照らす確かな光の余韻が、贅沢な残り香となっていつまでも漂っていた。
## 夜の余韻
「……天ちゃん。私たち、本当にたくさんの神様たちに見守られているのね」
美和さんが、本榊のコースターを愛おしそうに撫でながら呟く。
「ああ。僕たちがこの場所で、一人の男と女として、そしてバーテンダーとルポライターとして誠実に生きていることを、皆さん喜んでくださっているんだね。さあ、狐白、その神聖な甘酒を美和さんに仕込んでもらおうか」
天ちゃんに声をかけられ、狐白は幻の初穂の包みを宝物のように大切にくわえると、満足げに尻尾を大きく振りながら、カウンターの奥へとトコトコと運んでいくのだった。
あとがき
猿田彦様と倉稲魂大神様の豪快かつ温かい来訪回を書きました。
お米の神様と道の神様が揃うという贅沢な組み合わせに、ついお酒とおつまみも豪華になってしまいました。狐白が完全にビビりながらも喜ぶ姿も可愛くて、書いていてとても楽しかったです。
静かで神々しいBar風花の夜を感じていただけたら嬉しいです。
また、こんな特別な来訪話が書けたらと思います。
天照(Bar風花)




