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【Bar風花】第二章 女神の来訪 ― 霧々と天山の泡 ―

まえがき


※完全なる雰囲気重視の静かな来訪回です

※戦闘も恋愛も事件も一切ありません。ただお酒と優しい会話と狐白です

※Bar風花のゆるく神々しい空気が好きな方向け


ある夜、Bar風花に二人の女神が静かに現れた。


大宮売大神(里美さんの本体)と祐徳院様。

美和さんが振る舞ったのは、佐賀・光武酒造のクラフトジン『霧々』を使った静夜のジントニックと、天山酒造の本格スパークリング日本酒。


杉の香りと細やかな泡が混ざり合う、穏やかな夜のひととき。


神様たちと、ただ静かに酒を味わうだけの、特別な閑話です。

どうぞ、ゆったりとお付き合いください。

第一章:霧々の静夜

 

 細い路地の奥、古風な真鍮製のランタンが本物の蝋燭のように揺らめく『Bar 風花』の扉が、静かに開いた。

 カラン、と控えめな音が店内に響く。

 程良く空調の効いたひんやりとした空気の中に、外の夜気とともに、微かな「杉の木立」の匂いと、どこかお線香を思わせる厳かな香りが滑り込んできた。

 入ってきたのは、二人の女性だった。

 一人は、仕立ての良い豪奢な着物を誇り高く着こなし、息を呑むほど華やかで凛としたオーラを放つ美女。皇グループの秘書官である天野里美に瓜二つの容姿をしていながら、その佇まいは現世の誰よりも遥かに気高く、神々しい。

 もう一人は、深い藤色の古い小袖をたおやかに纏った、大輪の冬ボタンを思わせる慈悲深い女性。その身のこなしには、京都の公家が持つ極上の品格と、長年ひとつの地を守り続けてきた者だけが持つ、深く静かな包容力が満ちていた。

 カウンターの足元で丸くなっていた真っ白な子狐——狐白が、弾かれたように耳を立てた。金色の瞳を大きく見開き、次の瞬間には、普段のいたずらっぽさを完全に忘れた様子で、藤色の小袖の女性の足元へトコトコと駆け寄っていく。

「きゅん……っ」

 切ないほど愛らしい鳴き声を漏らし、朱色の飾り紐の鈴をチリンと鳴らしながら、女性の足首に何度も何度も額を擦りつけた。

「まあ……相変わらず、やんちゃで可愛い毛並みですねえ。風花町の心地よい風に吹かれて、少しふっくらいたしましたか?」

 女性——祐徳院様(萬子媛)は、そっとしゃがみ込み、愛おしそうに狐白の頭を撫でた。その指先は驚くほど優しく、狐白は嬉しそうに目を細めている。

 鉄刀木の一枚板のカウンターの向こうで、オーナーバーテンダーの櫻庭美和は、ワインレッドとアンバーの異色瞳を優しく和ませ、完璧な一礼で二人を迎えた。

「ようこそ、おいでくださいました。……今夜は随分と、遠方からのお客様ですね」

「ええ。此度はこちらの美しいお庵と、木花咲耶姫様の凛としたお姿を拝見したく、祐徳院様をお誘いして立ち寄らせていただきましたの」

 里美の神気そのものである大宮売大神が、艶やかに微笑みながら、本皮張りの黒いローチェアーに滑らかに腰を下ろす。祐徳院様も狐白をそっと抱き上げるようにして、その隣に腰掛けた。

 カウンターの端でルポの資料を整理していた天は、静かにペンを置き、深い敬意を込めて二人に黙礼する。二人の女神も、天に向けてそっと慈愛に満ちた笑みを返した。

「お召し物、お召し替えになられますか? それとも、そのままお飲み物を?」

 美和さんが、プロのバーテンダーとしての凛とした声で尋ねる。

「このままで結構ですわ。美和様……いえ、バーテンダー、美和さん。今夜は、私たちの故郷の気配を宿した、特別な一杯をいただけますかしら」

 大宮売大神の言葉に、美和さんは「かしこまりました」と静かに微笑んだ。



 

第二章:天山の泡と風花の実り

 

 美和さんは、カウンターのほぼ同じ高さに設けられた戸棚から、磨き上げられたクリスタルガラス製のタンブラーを取り出した。照明を受けて虹色の輝きを放つグラスに、純度の高い角氷を滑り込ませる。

 バックバーから美和さんが静かに取り出したのは、佐賀の光武酒造場が手がけるクラフトジン『JAPANESE GIN 霧々』だった。佐賀産の和ハーブや柑橘の香りが凝縮された透明な液体が、ボトルから直接氷の上へと滑らかに注がれる。

 バースプーンを氷の隙間に滑り込ませ、鉄刀木の上で静かにステアした後、トニックウォーターとソーダを優しく注ぎ入れて軽やかに仕上げる。カラン、カランと、ピアノの残響のようなBGMに混ざって、氷がクリスタルと触れ合う贅沢な音が店内に響く。仕上げに、櫻庭家の庭で採れた新鮮なライムの皮をピールし、香りをふわりと纏わせた。

「お待たせいたしました。『霧々』をベースにした、静夜のジントニック・ソニックスタイルでございます」

 差し出されたグラスを手に取り、大宮売大神が美しく喉を潤す。

「ふふ……美味しい。現世の私(里美)が、この町で美和さんの淹れるお酒に救われている理由が、本当によく分かりますわ」

 大宮売大神はそう言って悪戯っぽく微笑むと、隣の祐徳院様へと視線を向けた。

「そういえば、祐徳院様。昨日あの子が持ってきた白桃の和菓子、本当に見事な美味しさでございましたね」

 その言葉に、美和さんの手のバースプーンが一瞬だけピタリと止まる。奥で聞いていた天も、思わず苦笑いを浮かべた。

「ええ、本当に」

 祐徳院様は、膝の上でバツが悪そうに丸くなっている狐白の背中を優しく撫でながら、くすくすと笑った。

「現世の里美様が、一ヶ月も前から楽しみにされていたお菓子だとは露知らず、美味しくいただいてしまいました。……でも、あの子が私の神殿の裏で、小さくなって『ごめんね』と呟いていたのを見たときは、愛おしくて堪りませんでしたわ」

「本当に、知恵の回るお狐様ですこと」

 大宮売大神は、現世の自分が「私の桃の和菓子がー!」とお屋敷で地団駄を踏んでいる姿を思い浮かべるように、楽しげにグラスを傾ける。

「現世の私はまだ怒り心頭でございますけれど、本体の私がこうして免じて差し上げましたもの。美和さん、今夜あの子が来たら、どうか大好物の和菓子でもお皿に盛って、労ってあげてくださいな」

 美和さんは、ワインレッドとアンバーの瞳をこの上なく愛おしそうに細め、狐白を見つめた。

「ええ、もちろんそのつもりです。……少しお転婆が過ぎる身内でいつもあの方へ迷惑をかけていますから」



 

第三章:女神の贈り物

 

 美和さんは、ほどなくして今度はすらりとした美しいクリスタル製のシャンパングラスを二脚、そっと取り出した。磨き上げられたガラスの表面が、薄暗い店内の照明を浴びて繊細な虹色の輝きを放つ。

 トクトクトク、と心地よい微音とともに注がれた透明な液体の中で、真珠のような細かな気泡が、美しい一筋の線を描いて立ち上っていく。

 美和さんはグラスを差し出しながら、静かに説明した。

 「小城市の天山酒造が、酒造好適米と天山の清らかな湧き水で丁寧に醸した本格派のスパークリングです。瓶内二次発酵ならではの、きめ細やかでシルキーな泡立ちが特徴でございます」

 同時に、鉄刀木の一枚板の上に、風花町の豊かな自然が育んだ瑞々しいフルーツの盛り合わせを静かに差し出した。美しくカッティングされた柑橘の鮮やかな色が、深い赤褐色の木肌に映えて、まるで一枚の絵画のようだ。

 「お二人のために、当店からのおもてなしでございます。どうぞ、風花の夜をお楽しみください」

 大宮売大神は、立ち上る清涼な泡と柑橘の香りに目を細め、グラスを傾けた。

 「ふふ……口の中で優しくはじける泡が、お米の優しい甘みを引き連れて、喉を清らかに潤していきますわ。確かに、きめ細やかでシルキーですこと。現世の私がこの町を愛してやまない理由が、また一つ深く刻まれました」

 「本当に……清々しく、それでいて五臓六腑に染み渡るような、誠実で美しいお味ですねえ」

 祐徳院様も藤色の小袖の袖口を軽く押さえながら、気品に満ちた仕草でグラスを口元へ運ぶ。そのお顔には、まるで石壁の庵に温かな春の陽だまりが落ちたかのような、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。

 二人は時折視線を交わし、穏やかな笑みを浮かべながら、細やかな泡の感触と果実の瑞々しい甘みをゆっくりと味わった。口に含んだ瞬間、きめ細かな泡が優しく弾け、酒造好適米の穏やかな甘みが広がる。祐徳院様は小さく目を細め、大宮売大神は満足げにグラスを傾け直した。膝の上で丸くなっていた狐白は、フルーツの甘い香りに誘われて「きゅん?」と鼻をひくつかせたが、美和さんから「あなたには後で、美味しい油揚げと白桃がありますからね」と優しく目配せされ、満足そうに再び目を細めて祐徳院様の衣に顔を埋めた。

 カウンターの端で見守っていた天も、グラスの中で美しく踊る泡を見つめながら、穏やかに微笑んでいる。

 鉄刀木のカウンターの上、シュワシュワと微かに囁く天山の泡の音と、風花町の特産フルーツが放つ儚くも芳醇な香りが、神代の絆をさらに深く、優しく包み込んでいく。



 

第四章:女神の贈り物

 

 シュワシュワと心地よい音を立てていた天山の泡が、グラスの底で名残惜しそうに消えていく。楽しい時間は瞬く間に過ぎ、夜更けの静寂が再び『Bar 風花』を優しく包み込もうとしていた。

 大宮売大神と祐徳院様は、手元に残った特産フルーツの余韻を惜しむように楽しむと、同時に本皮張りの黒いローチェアーから、滑らかに腰を上げた。

 「素晴らしいおもてなしをありがとう、美和さん、天さん。現世の私がいつもお世話になっているお礼にと立ち寄りましたが、私たちのほうがすっかり癒やされてしまいましたわ」

 大宮売大神が艶やかに微笑む。その傍らで、祐徳院様は膝から降ろされた狐白の名残惜しそうな金色の瞳を優しく見つめ返し、小袖の袂にそっと手を差し入れた。

 「至福のひとときでございました。これはほんの気持ちですが……私たちが、この麗しいお庵の皆様へと用意してきたお土産です。どうぞお受け取りくださいな」

 そう言って、カウンターの磨き上げられた鉄刀木の一枚板の上に、二つの包みが静かに置かれた。

 一つは、大宮売大神から美和さんと天へ。

 上質な和紙で丁寧に包まれ、水引の代わりに「朱色と金色の飾り紐」が美しく結ばれた小さな桐箱だった。

 「美和さん、これは京都の公家から伝わる、古い意匠の『金銀のかんざし』の対ですわ。あなたたち夫婦が、これからも現世の荒波に惑わされることなく、お互いをただ一人の男と女として、静かに慈しみ合っていけるように……。二人の髪に、そっと寄り添わせてちょうだい」

 美和さんは一瞬、驚きにワインレッドとアンバーの瞳を大きく見開いたが、すぐに胸に熱いものが込み上げたように、深く、愛おしそうに頭を下げた。

 「……勿体なきお言葉、そして美しいお品をありがとうございます。大切に、生涯の宝物にいたします」

 天もまた、一線を引いた敬意を保ちながらも、その温和な目元を心からの感謝で潤ませて黙礼した。

 そしてもう一つ。祐徳院様から置かれたのは、竹皮で素朴に包まれた、手のひらサイズの小さな包みだった。

 包みが置かれた瞬間、それまで神妙に座していた狐白の鼻が「きゅんっ!」と激しくピクついた。

 「ふふ、狐白。これはあなたへ。祐徳の山の奥、私の庵の裏手で採れた、今年一番の『神聖な白大豆』で作った、特製の厚揚げですよ。現世の里美様のお菓子を奪うほどのお転婆さんですが、あの優しい『ごめんね』の響きが、あまりに愛おしくてね。美和さんに美味しく炙ってもらいなさい」

 「きゅ、きゅ〜〜〜ん!」

 狐白は嬉しさのあまり、朱色の飾り紐の鈴をチリンチリンと激しく鳴らしながら、祐徳院様の足元を八の字にぐるぐると回って喜びを爆発させた。

 「まあ、大宮売様の前でそんなに はしゃいで……。本当に、現金な子ね」

 美和さんは可笑しそうに口元を隠し、くすくすと鈴を転がすように笑った。



 

第五章:夜の余韻

 

 「それでは、私たちはそろそろ鹿島の山へ戻ります。美和さん、現世の不器用な私(里美)を、これからもどうぞよろしくお頼み申しますね」

 「ええ。里美さんは大切な身内です。いつでもここで、美味しいお酒を用意して待っておりますわ」

 二人の女神が優雅に一礼し、重厚なオーク材の扉へと向かう。

 扉が開くと、夜の風がふわりと店内に舞い込み、彼女たちの残していった杉の木立の清々しい香りと、仄かなお線香の薫香が、風花町の桜の甘い香りと一瞬だけ美しく混ざり合った。

 カラン、と静かに扉が閉まる。

 誰もいないはずの店内には、今しがたまでそこにあった温もりと、天山の泡の消えゆく残響、そして鉄刀木の上に残された二つのお土産だけが、まるで美しい夢の跡のように、静かに息づいていた。

 「……天ちゃん。今夜は、本当に贅沢な夜ね」

 美和さんが、天ちゃんの肩にそっと身を寄せながら呟く。

 「ああ。狐白のおかげで、僕たちまで素晴らしいご縁をいただいたね。さあ、狐白、早くその特製の厚揚げを、美和さんに炙ってもらうといい」

 天ちゃんに言われ、狐白は神聖な厚揚げの包みを大切そうにくわえると、嬉しそうに尻尾を振りながら、カウンターの奥へとトコトコと歩いていくのだった。


あとがき


女神様がBar風花にいらっしゃる話、久しぶりに書きました。


『霧々』のステアする音と、天山のきめ細かな泡を想像しながら書いていたら、なんだか自分まで落ち着いてきました。

狐白が祐徳院様に甘える姿も可愛くて、つい長めに書いてしまいました。


短い話ですが、風花のカウンターが少しでも「神様もほっとできる場所」らしく感じていただけたら嬉しいです。


また、こんな静かな夜のお話が書けたらと思います。


天照(Bar風花)

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