第九話「一撃」
ラーヴァの大剣を受け止めながら、ユーニスは鋭く言った。
「――“黒騎士”のラーヴァ=ミストリアか」
「へぇ〜、よ〜く知ってらっしゃいますねぇ〜?」
甘ったるい声に、剣圧が乗っている。油断すれば吹き飛ばされそうな重量が、ユーニスの細身の剣に押し付けられていた。
永和は少し後ろに下がりつつ、剣戟の様子を見守る。
彼女の剣筋は、速く、美しく――だが、ラーヴァの力強さはまるで重機のように重く、荒々しかった。
「“黒騎士”って……何者なんだ……?」
永和が問うと、ユーニスは短く息を吐きながら答える。
「黒騎士はね、謎の宗教団体。何を目的にしてるのか、どこの国に属してるのか、誰も知らないわ。けど――」
「けど?」
「時々、こうして突然現れて、目的を達成すると……どこかへ消えるのよ。煙のように」
言いながら、ユーニスはラーヴァの横薙ぎを剣先でそらした。
「一番隊から六番隊までの騎士団で構成されていて、それぞれが強力なスキルを保有している。だから……」
「国も脅威として見てるのね」
「そういうこと」
「まぁ〜……酷いこと言いますねぇ。私たち、ちゃんとした信仰のもとで活動してるのに〜?」
ラーヴァが気持ち悪いくらいに笑った。
その声は楽しげで、だが中身には毒がある。
だが、笑っていながらも剣筋は鋭い。真正面からの斬りつけ、跳ね上げ、突き……そのどれもが、ユーニスの俊敏な足運びで紙一重の回避となる。
戦いは熾烈だった。
永和は、ただ見ていることしかできなかった。
隙を見つければ、簡易魔術で援護しようと考える。だが――
(……巻き込む)
そう。ユーニスのすぐそばで斬り結ぶラーヴァに対して爆破を放てば、きっと彼女も吹き飛ばしてしまう。
そして、もう一つ。
(反射が……怖い)
さっき、一度跳ね返された。
ラーヴァのスキル――《反射》。
全ての魔術を打ち返すという、圧倒的なスキル。
弾き返されれば、それは自分自身を傷つける。
何もできない。
歯がゆい。
「永和!」
ユーニスの声が、叫びとなって飛んだ。
「次だッ!!」
次?
言葉の意味が分からなかった。
だが――
ユーニスの構えが、これまでとは違って見えた。
腰を落とし、足を踏ん張り、目を見開き、剣を持つ手をわずかに後ろに引く。
(深い……構え)
永和は、それを直感した。
次の一撃は、彼女の“本気”だ。
ラーヴァも、構える。
剣を前に突き出し、どこか重心を後ろに引くような形。
(……あれは)
永和は悟った。
【反射】の構えだ。
このスキルは万能ではない。
“受ける準備”が必要。
剣を構え、魔術を受け止めるように意識しなければ、発動しない。
そして、あの大剣は――重い。
(今だ!!)
ユーニスの剣が、一直線にラーヴァを襲う。
【反射】
ラーヴァの剣が、受け止め、弾く。
金属がぶつかる音。
反射が発動――その瞬間。
「簡易魔法!!」
永和は叫び、ラーヴァに向けて全力で魔力を放出した。
ユーニスの一撃を“弾いた”直後、彼女の剣はまだ攻撃側に向いたまま。
カウンターが“終わった直後”――その一瞬の隙を突いたのだ。
爆破がラーヴァを包む。
轟音と衝撃が森を揺らした。
大地がえぐれ、木々の葉が舞う。
黒い甲冑の塊が、宙を舞った。
――命中した。
ラーヴァの体が地面を滑り、木の根にぶつかって止まる。
「やった……!」
永和の手が、まだ震えている。
でも、確かに届いた。
あの強敵に。
「……ふふふっ」
砂煙が舞う中、笑い声が聞こえた。
永和が目を凝らすと、そこに――長い髪が風に揺れていた。
「あらあらあら〜、甲冑が……」
兜が真っ二つに割れていた。
素顔は見えないが、その下の髪だけは美しく、光を帯びて揺れていた。
「仕方ありませんねぇ。一度、引かせてもらいましょうかぁ?」
その声と共に――
ラーヴァの姿が、かき消えた。
足音も、気配も、風すらもない。
「……逃げられたみたいね」
「は……はい」
永和の膝がわずかに震える。
恐怖と、緊張と、安堵がいっぺんに押し寄せた。
「でも、よくやったわね」
ユーニスが、振り返って微笑んだ。
「すごく、タイミング良かった。あれがなければ、私も危なかった」
「い、いや……でも……俺が、こんな依頼、受けたいなんて言っちゃったせいで……」
永和はうつむいた。
自分が押し切って受けた依頼。
ユーニスを危険に巻き込んでしまった。
「気にしないで。私も同意したことよ。それに……あの人たちのことを知れたのは、大きいわ」
彼女は軽く笑い、森の奥を一瞥した。
「……多分、ここに薬草はないわね。帰りましょうか」
「はい……」
◇
ギルドに戻ると、受付嬢が驚いた顔で立ち上がった。
「お、おかえりなさい……っ! あの、無事で……よかった……!」
「まあ、無事ではあるけどね。あの薬草、見当たらなかったわ」
ユーニスが淡々と報告する。
永和は、ラーヴァという存在のこと、黒騎士という組織のことを簡単に説明した。
受付嬢の顔が曇った。
「……やっぱり、そうでしたか。あの依頼……少し不自然だとは思ったのですが……すみません」
彼女は深く、頭を下げた。
「こちらも仕事とはいえ、こんな依頼を……本当に、申し訳ありませんでした」
「……気にしないで。無事だったから」
ユーニスはそう言って、受付をあとにした。
「もう宿に戻るわ。流石に、今日は疲れた」
◇
宿の一室。
永和は水場で服を脱ぎ、木桶の冷水に手を浸す。
ぴしゃり、と水音が響いた。
服に染みた汗を洗い流しながら、今日の戦いを思い返す。
(……初めての、対人戦闘)
怖かった。
足がすくんだ。
魔術を撃つ手が、震えた。
でも、撃てた。
ちゃんと、届いた。
少しだけ……嬉しかった。
ユーニスが褒めてくれたことも。
肩にかけた鉄のプレートが、少しだけ重く感じた。
でも、それが嬉しかった。
「……ふぅ」
永和は頭から水をかぶり、冷たい水を浴びながら、ゆっくりと目を閉じた。
心のどこかに、少しだけ火が灯ったような、そんな夜だった。