第八話「黒騎士」
――パキッ。
小枝を踏んだ音が、森の静寂を引き裂いた。
その瞬間、黒い鎧がこちらに顔を向ける。
顔は見えない。
それでも、確実に視線が刺さる。
永和の足が、根のように地面に縫い付けられた。
怖い。
逃げなきゃ――でも、動けない。
鎧の人物がゆっくりと、永和のほうへ近づいてきた。
その動きは、異様なほど無音だった。
「……あれぇ?」
甲冑の隙間から漏れたのは、意外なほど軽い、甘ったるい声。
「耳無しエルフちゃんじゃないみたいですねぇ……?」
(え……)
想像を裏切る可愛らしい声色に、永和の混乱は一瞬だけ増した。
その口調は明らかに戯けていて、まるでふざけているようですらある。
だが――その剣から漂う殺気は、本物だった。
「だっ、誰だお前……!」
「私ぃ? 私ですかぁ? 私の名前が知りたいんですかぁ……?」
ねっとりと、舌を巻くような喋り方。
「え、まぁ、名前というか……何者というか……」
「黒騎士、三番隊騎士団長」
突如として、声が切り替わった。
それまでの甘ったるい声音が嘘のように、凛と澄んだ、研ぎ澄まされた音になる。
「“ラーヴァ=ミストリア”。命令により、対象――【耳無しのエルフ】を抹殺するため、潜伏・観察を行っていましたが……どうやらあなた、関係者のようですね」
そう言うと、彼女――黒騎士ラーヴァは、腰に吊った剣をゆっくりと抜いた。
剣は厚く、長く、大きかった。
常人なら両手でやっと扱えるような巨剣だ。
だが、ラーヴァは片手で軽々と持ち上げる。
「では、ついでに処分します……ですぅ〜☆」
また、甘ったるい声に戻った。
――踏み込み。
土が弾け、風がうねる。
永和の前に、ラーヴァが突如現れた。
「うわっ――!」
反射的に身をひねる。
直後、耳元を大剣がかすめていく。風圧で髪が逆立った。
(早い!!)
剣の重さに見合わぬ速度。
踏み込みの距離。
まるで瞬間移動のように、目の前に現れた。
身体が、動かない。
息が、苦しい。
それでも、また振り下ろされる剣をどうにか避ける。
縦、横、斜め。ラーヴァの攻撃は重く、鋭く、しかし明確な「間」があった。
(この剣、連続では振れない……!)
一撃の間隔が長い。それだけが、唯一の救いだった。
永和は、間を見て距離を取る。
そして、息を整えるように手をかざした。
(……撃つしかない)
簡易魔術。放出系の純粋な爆破。
だが――
(これ、人に……撃ったことない……)
身体が震える。
汗が、手のひらににじむ。
「なぁにしてるんですぅ〜?」
ラーヴァが挑発するように言う。
「撃たないと死んじゃいますよぉ〜〜〜??」
「わ……分かってるよ!」
怒鳴るように言い返す。
ラーヴァが、また一歩踏み出した。
巨剣を構え、距離を詰めてくる。
間に合わない!
「うっ……あああああっ!! 簡易魔術!!」
手のひらから、閃光と爆音が迸る。
爆破魔術が、一直線にラーヴァへ放たれる。
直撃する――と思った、その瞬間。
「まぁ、意味ないんですけど」
軽く、ラーヴァが手を前に出した。
魔術が、彼女の手の前で弾かれる。
まるで見えない壁に当たったかのように、爆風が逆流した。
「んなっ!?」
永和がとっさに腕で顔を庇う。
爆風が自分に跳ね返ってきたのだ。
木々が揺れ、葉が舞い、砂埃が巻き上がる。
ラーヴァは、そこに平然と立っていた。
「わたしのスキル――《反射》はぁ、すべての魔術をそのまま、送り返しちゃうのですぅ〜〜〜」
淡々と――楽しげに。
彼女は再び、剣を持ち上げた。
「今度こそ、殺しますねぇ……?」
その瞬間。
振り下ろされる巨剣。
目を見開く。
避けきれない。
遅い。
あ、死ぬ――
そう思った刹那。
金属が激しくぶつかり合う音が響いた。
「永和っ!!」
耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。
視界の隅。
ユーニスが――剣を水平に構え、ラーヴァの剣を受け止めていた。
「ユーニス……っ!!」
「無事だったのね。遅れてごめんなさい!」
ラーヴァの剣が、ユーニスの細身の剣に押し返される。
体勢を崩したラーヴァが、軽く距離を取った。
その口元から、小さく笑みが漏れる。
「あらぁ〜……耳無しエルフちゃん、ほんとに来ちゃいましたねぇ……♪」
ユーニスは、目を細める。
その視線は、鋭く。
「やっぱりあなただったのね、ラーヴァ=ミストリア」
「ほぇ? 私の名前、覚えてくれてたんですねぇ〜〜〜!」
「……永和、ここからは本気で行くわよ。この女は強いわよ」
ユーニスが剣を構える。
永和の手は、まだ震えていた。
だけど――心の中で、何かが変わろうとしていた。
初めての、“人との戦い”。
自分は、ただの高校生だった。
でも今は――冒険者だ。
この世界で、生きている。
「……わかった」
永和は小さく、でもはっきりと頷いた。
黒い鎧の女――ラーヴァは、嬉しそうに頬に手を当てた。
「ふふっ……じゃあ、今度は二人まとめて、遊んであげますねぇ……♪」




