第三十二話「裏切り者」
バサァ――
その音と共に、魔王ナリ=アーツが纏っていたローブが床に落ちた。
全身を包むのは、群青色の禍々しい鎧。
夜の空の底に魔力を凝縮したようなその色彩は、ただの金属ではない。
見る者の心をえぐり、魔力の奔流でその精神を染め上げる、異質の“魔”の装具だった。
「……来るぞ、ニイコタ」
俺はごくりと唾を飲み込みながら言う。
ただでさえ体が重い。あの鎧の放つ圧だけで、心が押し潰されそうになる。
「えぇ……」
ニイコタはそう言うと双剣をしっかりと構える。
そんな中、永和はニイコタに短く謝る。
「ニイコタ、本当にごめん。 まさか、魔王と戦う羽目になるなんて……」
ニイコタは緑の髪を揺らしながら俯く。
やはり、怒っているのだろうか。
彼女は、ゆっくりと顔をあげる。
「はい、言いたいことは山ほどあります。 でも、それは後です。 今はこの状況をどうにかしないと…!」
「……ああ!」
こんな状況でも息が合うのは、二人の相性がいいからだろうか。
きっと、あの頃の俺じゃ、ここまで信頼できる仲間なんてできなかった。
けれど今は――違う。
「さあ、来い――!」
俺がそう叫ぼうとした、その時だった。
ナリ=アーツが、右手を静かに掲げた。
「!」
俺とニイコタが身構える。魔法か? スキルか? それとも何か別の攻撃か――。
だが、その手は掲げられたまま、微動だにしない。
指一本動かさず、ただ思案するように、魔王は首を傾げた。
「ふむ。 そういえば、思い出した。 先ほど殺そうとしたら、“我の配下になりたい”と申し出てきた冒険者がひとり、おったのう」
全身に、嫌な汗が浮かんだ。
まさか、そんなはずはない。
だが、最悪の予感は、あっけなく現実に変わる。
「出てこい。 シュン=ズースキルトよ」
「はっ!!!!!」
どこか間の抜けたくらいに、元気な返事。
それと同時に、玉座の脇から一人の青年が姿を現す。
見間違いようもなかった。
「……お前……シュン……!?」
そこにいたのは、間違いなくさっきギルドで俺たちに話しかけてきたあの男――
白い肌、細身の体に、分け目6:4のヘアスタイル。どこか軽薄で胡散臭い青年。
だが今の彼は、あの時とは明らかに“違っていた”。
彼の身体には、ナリ=アーツと同じ群青の鎧がまとわりついていた。
そして腰には、禍々しい紫色のオーラを放つ剣。
目つきも変わっていた。……完全に“配下の目”をしていた。
「お、お前……何してんだよ」
震える声で問いかけると、シュンは鼻で笑いながら答えた。
「黙れよ侵入者。 殺すぞ」
「……ッ!」
心の底から、怒りが湧いてくる。
こいつ……あの時、俺たちが心配したのに、あっさり裏切って……!
「お前、魔王にビビって、部下になったのかよ!」
「ふざけんなカス。 俺はビビって部下になったんじゃない。 この最強魔王ナリ=アーツ様に同じ戦士として惚れ、忠誠を誓いたいと、心からそう思ったから部下になったんだ。 適当なこと抜かしてんしゃねーよ雑魚」
「てっ…てっめぇ……!」
凄まじい”配下力”。
そこにプライドなんて言葉は無い。
俺は思わず拳を握りしめた。心臓が焼けるような怒りに突き動かされる。本気でうざい。まじで。
その時、ナリ=アーツが玉座に座ったまま、シュンに告げた。
「貴様に命ずる。 この愚かなる侵入者二名――我の前から、排除せよ」
「かしこまりましたァアア!!!」
シュンは群青の剣を抜き放つ。
刀身がギィィ、と空気を裂き、床に影を落とす。
「ニイコタ、準備は……」
「できてますよ!!」
彼女も双剣を逆手に構え、俺の隣に立つ。
「行きますよ、永和さん。 二人なら、負けません!」
「ああ! やってやろうぜ、裏切り者!」
こうして、二人の相手は魔王ではなく、裏切り者となった。




