第十八話「絶望の双刃」
ドン、と空気が震えた。
床が鳴ったのではない。空気が、だ。
ラーヴァ=ミストリアが、構えを取っただけで、まるで空間そのものが押し潰されたような重圧が襲いかかる。
「……来るぞ」
ユーニスの声には、戦場の緊張があった。
あの森で一度戦ったとはいえ、油断などできる相手ではない。
むしろ、だからこそわかる。
この女は――“怪物”だ。
次の瞬間。
ラーヴァが、一歩を踏み出した。
その瞬間、空間が弾け飛んだ。
「うっ――!」
巨体とは思えないスピード。
巨獣が突進してくるような重量と、獣をも上回る加速力。
そのまま壁を割る勢いで、肩を怒らせながらこちらに向かって突っ込んでくる。
「速っ――!」
俺がそう叫んだ時には、既にユーニスが前へ出ていた。
「っらあぁぁああっ!!」
放たれる一閃。
高速で踏み込んでの蹴撃、そして腕ごと裂くような刃の一撃。
だが――
「《反射》」
ラーヴァの肩が震えた瞬間、ユーニスの蹴りが倍の速度と衝撃で返ってきた。
「がっ――!」
空中に吹き飛ばされるユーニス。
彼女の華奢な身体が床を転がり、壁に叩きつけられた。
しかし、ユーニスはすぐに立ち上がると、再びラーヴァの方へと走り出す。
ラーヴァも先ほどと同じく大剣をこちらに向けた。
このままではまた弾かれてしまう。
「ふんっ」
ユーニスはラーヴァの目の前で体勢を低くし、そのまま股下をくぐり抜ける。
彼女は考えなしに走っていたわけではない。
「これでどうだっ!!」
背後に回ってからの、二度目の攻撃。
ユーニスの剣がラーヴァの神像を捉えた。
「ええいっ!!!」
ラーヴァは咄嗟の判断で剣を両手で握り直すと、そのまま一回転。
「ぐっ…」
ユーニスはそれをギリギリで躱すが、攻撃は不発に終わった。
一つのミスが死に直結してしまうような、ハイレベルな戦いだ。
そんな中、占い師ムトゥは戦場の只中にもかかわらず、まるで興味なさそうに佇んでいた。
ただ、冷たく、つまらなそうに、俺たちの戦いを眺めている。
「くっ……!」
俺は判断する。
あのラーヴァの戦いに俺が割って入ったところで、おそらく意味がない。
むしろ、ユーニスの動きを邪魔するだけだ。
だから――俺はムトゥに照準を向ける。
「……吹き飛べっ!!」
手のひらが発光し、魔力が込められていく。
あとは射出するのみだ。
だが、その瞬間――
ムトゥの右目だけがギョロリと動いた。
深緑の瞳孔が、異様なまでの光を放ち、俺の動きを捉える。
「《占い(フォーチュン)》」
そう、ただ一言、詠唱のように呟いた。
次の瞬間――
ムトゥは空き缶を蹴った。
「は?」
ムトゥの足が、無造作に空き瓶を蹴る。
瓶は壁に当たり、転がっていくと、倒れかけていた棚にぶつかる。
棚が倒れ、布に引っかかり――そのまま、テーブルクロスを引き剥がした。
その上にあったナイフ数本が、宙に舞う。
「うわっ!?」
一本が俺の頬を掠め、残りは床に突き刺さる。
……いや、俺の足に当たってたら、ただでは済まなかった。
こんなの、偶然じゃない。
「な、なんなんだよ、今の……」
あの瓶の位置、棚の傾き、クロスの向き、ナイフの角度……
すべてが計算され尽くされていた。
まるで精密に作られたドミノ倒し――ピタゴラ○イッチのような連鎖反応。
それを、彼女は――見ただけで理解し、実行した。
「私のスキル《占い(フォーチュン)》は、万物の未来を予知する」
ムトゥは、感情なく告げた。
「あなたの行動。 あなたの視線。 息遣い。 地形、空気の流れ……」
ギョロリ、と再び右目が動く。
「あなたは、私に指一本触れることはできない」
そして、その目は――もう、俺を見ていない。
俺は相手じゃないってことか…?
「っ……!」
「なんだ、そりゃ……」
吐き出すように呟いた。
ラーヴァ=ミストリア。
その怪力と《反射》によって、ユーニスを圧倒。
ムトゥ。
その《占い(フォーチュン)》という、未来予知にも等しいスキルで、俺のすべての行動を先読みして回避し、反撃する。
正面から殴っても、返される。
奇襲を仕掛けても、予知される。
……攻守完璧ってわけかよ。
ユーニスがまた壁に叩きつけられた。
「ぐっ……」
それでも立ち上がろうとする。
だが、立ち上がっても、状況は変わらない。
あの《反射》は、単純な力技ではない。
物理、魔法、すべての“敵意”を倍化して返す。
……このままじゃ。
「くそ……」
ムトゥはこちらを見てもいない。
ラーヴァは、獲物を仕留めるように、ゆっくりと足を踏み出す。
そして、俺の胸にただひとつの思いが去来する。
「……これ、ほんとにまずいな」




