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モンスターズインクを見終わって、俺たちは一斉に寝転がる。
「うち漫画読むわー」
朔がそういうと同時に部屋を出る。
「朔元気だね、わたしはそろそろ寝そー」
そう言って翠は欠伸をする。俺は何も言わずにエンドロールが流れるテレビの方を向いたままだった。
「巡くん、今何してんのかな」
数日前から、翠の口癖はずっとそれだ。
「whoo見る?」
「うん」
デスクに置いてあるスマホを取りに俺が立ち上がるのと同時に、翠も起き上がる。
「……変わってないね」
スマホを開いてwhooを見ても、巡の位置情報は今日の昼見た時と変わらなかった。
俺たちは今、巡を待ち伏せするために、巡の動向を追わず先に横浜へ着くことを目指している。もっとも、これは巡が横浜に戻ってくることを前提とした動きなわけだが、今のところ問題はなさそうだ。そんなわけで今夜は出費を抑えるためにインターネットコミックカフェに寝泊まりすることにした。
「……わたし、だめなんだ」
翠が再び寝転がって唐突に言う。
「友だちには空気読めないって言われたり男の子に媚びてるって言われたりして、避けられたりハブられたりしちゃうんだよね」
俺は無言で聞いた。
「それで前の付き合ってた人に最低なことされて落ち込んでたんだけど、そんなだから誰も話を聞いてくれなかったの」
俺は何も聞けなかった。
「でもね、その時に見ず知らずの他人だった巡くんが、巡くんだけが話聞いて相談乗ってくれてね、すっごい嬉しかったんだあ」
どうしてだか、この先を聞きたくないと思ってしまう。
「……巡くん、会いたいなあ」
「っそれさ」
考えるより先に、言葉が口をついて出た。自分でも、何を言おうとしてるのかわからないまま、俺は口走ってしまう。
「それ、俺じゃだめ?」
翠がこちらを見る。目が合っても、彼女は何も言わなかった。その反応で、俺は自分が言ってはいけないことを言ってしまったのだと理解する。
この刹那の静寂が、全身を突き刺すようにただただ痛かった。
「……影が?」
「あいやっ、なんていうか」
上手く言葉が出てこず、沈黙が続く。舌足らずな自分に嫌気がさした。
「あの、だってさ、巡、翠にひどいことしたじゃん」
「……あー」
「そこまでして、あいつがいいの?」
「うん、なんかね」
翠が上体を起こす。不思議と、翠の表情は晴れ晴れとしていた。
「たしかに巡くんにはひどいことされたし、ちょっと傷ついたりもしたよ。けどね、巡くんだって別に、きっとそういうことしたかったわけじゃないと思うんだよ」
「……」
「巡くんにもいろいろ事情があって、あんな風になっちゃったんだと思う」
「でも」
「前に巡くんはわたしを助けてくれた。今度は、わたしが巡くんを助けたい」
「……それはさっ」
もう目の前で翠が傷ついていくのが嫌だった。耐えられなかった。
巡が完全悪なわけではないことはわかっている。それでも、何の関わりもない翠が、ただただ無自覚に傷つけられていく様が見ていられなかった。理不尽な不条理を、無条件で許容してしまうほど優しい彼女が報われないことをわかっていたから。
「それは、俺が可哀想じゃないから?」
「え」
翠の瞳が驚きに満ちる。俺は言葉を続けずにはいられなかった。
「俺が、巡みたいに可哀想な過去とかもってないから、もし俺が可哀想だったら、翠は俺のことも見てくれたのかなって」
普段なら一度に話さない量の言葉を発する。感情も相まって、呼吸が苦しい。誰も悪くないのに誰かを責めているような気持ちになって居た堪れなかった。自分が嫌だった。彼女の優しさに甘えるなんて、そんな手段しか取れない薄情な自分が嫌になる。
「それって、え?」
翠が言う。翠は若干顔を赤らめて俺の方を見ていた。
「あっ」
突如として、翠の頭の中で何が起きたのかを察する。
「待って、うそ、ごめん」
翠は顔を隠すように手を顔の前にもってきて言う。その瞳が少し潤んでいるのが見えた。
ほんと翠は泣きっぽいなあ、なんて場違いな感情を抱きつつ、俺は翠に近づく。
「俺ならさ、絶対泣かせないから」
隣に座る。身長はあまり高い方ではない自分でも、翠と並ぶとやっぱり彼女の方が低くて、そんな彼女を隣で守るのは自分でありたいと、つくづく思う。
「巡じゃなくて、俺にしなよ。俺が幸せにするからさ」
翠の顔なんて見えなくて、俯いたまま俺は言う。
静寂がこの部屋を支配する。互いの息遣いまで聞こえてきそうな静けさだった。
その静けさが、突然俺を我に返す。
翠の表情を見た。なんと言えばいいのかわからなくて今にも泣き出してしまいそう、というような顔だった。
心臓がドクンと鳴る。俺が泣かせてどうするというのか。
ごめん――、その言葉が翠の口から漏れる前に、俺は言った。
「ごめん、ごめんな」
絞り出したような拙い声。今までの人生でこれほど感情を揺さぶられた日はあっただろうか。
翠の瞳から涙がこぼれ落ちる寸前だった。
「今の、忘れて。全部、気の迷いだから」
目頭が熱くなり、本当の意味で俯くことしかできなくなる。
「ごめんな、翠」
翠が好きなのは巡で、俺がそれに敵うわけがないなんて、わかりきっていたことだろう。どうしてやっぱり自分が選ばれたいなんて、叶うはずのない欲が出てしまったのか。
俺は立ち上がり、部屋の扉へ向かう。勢いよく扉を開ける。と、眼前には漫画を大量に抱えた朔が立っていた。朔は俺を見て瞬時に目を丸くした。
俺は反射的に長い前髪を抑える。
「か――」
朔が俺の名前を呼ぼうとしたのが聞こえた。けれど、俺はそれを聞き切る前に朔を通り抜けてしまった。
この前不良たちに全身を蹴られた時ですら平気だったのに。涙を流したのは、何年ぶりだろうか。




