23
突然、部屋のドアが開く音がした。誰かが入ってくる。薄く瞼を開けると、玄関の方からやってきたのは幸薄い表情をした影だった。
「バイト終わり?何しに来たん」
「まず起きろよ。なんだよその体勢は」
俺は言われるまま、上体を起こす。立ってはいないが、立ち眩みがすごい。熊のぬいぐるみは膝の上に抱えたままだった。
「で何しに来たんだよ」
俺は机上の缶の蓋を開ける。視界が眩んで中身が何かはわからないが、喉が乾いていた。
「昨日翠来たんだろ」
「お、なんで知ってんの」
「翠に何て言った?」
「ん?何が?」
「とぼけるなよ。昨日翠に聞かれたことだよ、それに何て答えたんだ」
影が切羽詰まった様子で聞いてくるが、まったく心当たりがない。強いていえば、昨日の翠のテンションが少し低かったくらいで。
「待ってがちでわからん何のこと?」
「だから昨日、翠に霞さんのこと聞かれただろ!?」
「は?」
呆気にとられる。翠には俺は1度も霞の話をしていない。
翠が霞のことを知っているはずがないのだ。もしも知っているのだとすれば、それは、――
「ま、さか、聞かれてない?なにも?」
俺の沈黙が長かったのか、影は予想を外したような呆然とした顔で言った。
なんとなく察した。一気に気分が悪くなる。
「あーはいはい、そゆことね、お前言っちゃったのね、翠に」
影は無言で、否定も肯定もしない。ただ気まずそうな表情をしていた。
「なーにやってんだよもう、言う必要なかったろ別に。……用済んだんだからとっとと帰ってくんね、そろそろ霞が来る時間なんだよ」
「……何言ってんの。お前、ずっとこのままでい続けるつもりか?」
俺は缶を飲んで、影の質問を無視する。やっと、缶の中身が生ぬるいファンタグレープであることがわかった。
「もう霞さんは死んでんだぞ?いい加減げんじ――」
「黙れよ影!」
俺は缶を机に叩きつけて言った。
「言うなよそういうこと、あーあーああああ」
耳鳴りを必死に押さえつけるように、俺は頭を抱える。
「ご、ごめん、たしかに巡の気持ちもわかるけど、でもさ、そろそろ」
「わかってるよわかってる!でもどうしたらいいかわかんねえんだよ」
影の正論に、つくづく嫌気がさす。俺だって事実を知らないわけじゃない。でも今でも夜になれば霞に会えるのだ、それじゃだめなのか?そんなの幻だって、認めなきゃいけないのか?
「ずっとあの時の後悔が頭ん中残ってて、もし俺があん時霞が困ってることに気づけてたらって!ずっとそればっか考えて頭から離れねんだよ!俺に無条件で優しくして頼ってくれたのは霞だけなんだ」
「いや、違う」
「違くねえよ!お前もどうせ、俺が昔助けてやったからだろ!?だから俺のことをほっとけねえだけなんだよな!?」
影はなにも言わなかった。
「んなの真に受けてんじゃねえよ、お前はお前の人生生きろよ、偽善で優しくしただけの俺に構ってんじゃねえよ!」
吐き捨てるように一気に言って、俺は呼吸を乱す。頭がずきずきと痛んで机の上に手を走らせるが、目当ての薬は見つからなかった。
「早く出てってくんね、霞が来る」
俺は目線を抱えた熊のぬいぐるみに戻す。影の後ずさる音が聞こえた。
「……お前、おかしいよ。霞さんが来るって、なんなんだよ」
耳鳴りがうるさい。影の言っていることが理解できずに頭の中をすり抜ける。
「最近、霞来てくんないんだ。ここ3日くらい、今までにこんなことなかった」
「……翠はずっとお前のことが好きなんだ。いい加減、ケリをつけろよ」
数秒置いて、影は返す。俺は俯いたまま。
「明日にでも、病院行くぞ」
「早く出てけよ!」
俺は影を一蹴する。影は今度こそ何も言わず、部屋を出ていった。
「はあ……っ、はあ、あああっ!!」
苦しくて苦しくて耐えられない。影にこんな酷いことを言いたいわけでは決してなかった。のに、上手く言葉にできない。自分の感情が、自分でもわからない。無力さに打ちひしがれるしかなかったのだ。




