20XX年 9月2日 重要参考人の取り調べを継続
あまり眠れたような気がしない。それでも、警察官に起こされたのなら、眠った事にはなるはずだ。
女子高生はそう思った。思い込むことにした。
その警察官が腕を掴んで、取調室に連れていかれる。もう、暴れても叫んでも何も変わらないことは学習した。
話を聞いてくれるのは、この人たちじゃない。取調官だ。
そういう人なら、きっと私の事を分かってくれるに違いない。
女子高生は、そう信じることにした。
取調室の、固いパイプ椅子に座らされる。
別の若い職員が、浅い皿を持ってきて、目の前に置いた。
なに?
若い職員は、その皿の上に適当な手つきでシリアルを振りかけていった。
「な、なんですか?」
「朝食だ」
ぶっきらぼうにその若い職員が言うと、面倒くさそうに、上から牛乳を掛け始めた。
これを食べろと、いう事らしい。
「あの、手錠を外して下さい、これじゃ食べられません」
「だめだ。自傷や脱走の恐れがあるうちは、手錠は外せない決まりになっている」
「そ、そんな」
若い職員は、彼女を連れてきた警察官を見ながら「彼にも通常の任務がある。我々も反抗的な傾向が強いお前のような奴に、無駄な時間を取られるつもりは無いんだ」と言い放った。
「これを、このシリアルを、後ろ手に手錠を掛けられたままで食べろというんですか?」
若い職員は、軽蔑的なまなざしを向けながら、深く頷く。
「さすがに恥ずかしいだろうから、我々は席を外してやる。時間になったら、食べる食べないに関わりなく、それは引き下げる」
困惑する彼女を置いて、本当に警察官と職員は、部屋を出て行ってしまった。
背後でカギが掛かる音がする。
女子高生は少しの間、ためらっていたが。
食べて、少しでも力を付けなければ、と思い直した。
それに彼女の若い肉体が、ひもじいのだと、食事を求めて叫んでいる。
意を決して、彼女はシリアルの山に口を付けた。
お腹が空いているからなのか、とても美味しい。
ただ、山の上の部分は、食べやすくはあるのだが、牛乳があまり掛かっていないので、パサパサして喉が渇いてくる。
彼女はもっと、顔を覆いかぶせるようにして、牛乳ごと、ふやけたシリアルを飲み込むように口に入れた。
上手く食べられなくて、牛乳をこぼしてしまう。
口から垂れていく雫が、気持ち悪い。
まるで犬か猫にでもなった気分だ。
それでも、食べなければ、力を付けなければという使命感のようなものに駆られて、彼女は必死でシリアルを飲み込んでいった。
いつの間にか皿が空になり、わずかに残った牛乳も、甘くて美味しいので、全て舐めとってしまった。
ふと我に返り、恥ずかしい食べ方をしたことに赤面したが、誰も見ていないのだから大丈夫、と思い直すことにした。
~ ・ ~
取調室にやって来た刑事は、温厚で品のいいおじさん風だった。
この人なら、私の話をきちんと聞いてくれるかもしれない。
女子高生は、少しだけ気持ちが明るくなった。
「あー、まずは君の名前、住所、生年月日から、話してくれるかね」
ゆっくり、聞き取りやすい口調で、刑事が話し始める。
名前。住所。生年月日。それが今の私と、どういう関係があるの?
「そんな事どうでもいいですから、私をここから出して下さい。私は何も知らないんです」
刑事は、少し女子高生の顔を見つめて、いったん落ち着こうとでもいう風に、ため息を吐いた。
「お嬢さん、これは君を自由にするために、必要な質問なんだ。さあ、君の名前、住所、生年月日を、言ってごらんなさい」
そんな事は、どうでもいい事。
早く私を自由にして。
「この手錠を外して下さい。そうしてくれたら、話します」
刑事は、また、ため息を吐いた。
「規則だからね。おいそれとは、外せないんだよ」
「そんなの、私には関係ありません」
また、ため息。もう、うんざり。
「イライラするのはよく分かるんだがね。そういう態度だと、質問にきちんと答えられないという事になるね」
質問って、だからそれは何の意味があるの?
そんな事はどうでもいいから、早く私を開放してよ。
「私の、名前……」
あれ、なんでだろう。思い、出せない。
生年月日って、何だっけ?
住所? どこだっけ?
あれ、私、なんで思い出せないんだろう?
何か、大切なものを、置き忘れている気がする。
なんだろう。なんだっけ……?
「いや、君のブレザー服から、生徒手帳とスマホは押収してあるんでね。その辺は、すでに分かっているんだよ」
え?
生徒手帳と、スマホを、押収?
な、なにを勝手に、そんな事を!
「返して下さい! それは私のものです! 返して下さい!」
私は思わず立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。
すぐに後ろの刑事が、私の肩を抑えて、力づくで座らせようとする。
「やだ! 放して! 放してよ!」
私は身をよじって逃れようとしたけど、刑事の力が強い。
「私は何も知らない、何もやってない……返してよ、私の生徒手帳も、スマホも、返して、返してよ……」
後はもう、言葉にならなかった。
言葉にする気持ちに、ならなかった。なれそうも、無かった。
~ ・ ~
取り調べは、休憩を挟んで何度か行った。
だが、彼女は自分の名前も、生年月日も、住所も、何も話そうとしなかった。
自分が何をしたのかは、話せなくてもいい。我々もそこまで彼女を疑っているわけでは無い。
20XX年 8月25日 午後6時00分。彼女は、自分の2つ下の妹と、クラスメートの友人二人と、自宅にいたことは分かっている。
通信業者に提出させたGPSの情報は、関係者全てが彼女の自宅にいたことを示している。
周辺の、任意で提供させた監視カメラやドライブレコーダーも、彼女たちの姿を捉えている。
彼女たちの位置情報は、そこで途絶えている。
彼女たちの存在も、それ以降、確認できないでいた。
彼女の両親は二人とも、帰りは午後8時。夫婦で待ち合わせて、一緒に帰宅している。裏付けも取られている。
部屋が明るいのに、物音がしない事に不審に思ったと証言している。
いや、カギは掛かったままだったそうだ。よく覚えていると言う。
彼女たちはカードゲームに興じている最中に、突然いなくなったようだ。
お茶やお菓子も、荒らされてはいない。そのままの状態だったらしい。
ちなみに、食べ物や飲み物に、睡眠薬や鎮静剤の類は、全く検出されなかった。
そもそも、強盗や空き巣の起きるような街並みではない。
よほど周到に計画したとしても、人攫いなどとは、考えられない。
ただし、彼女たちが自分の意思で、そう演出したのだとすれば、話は全く違って来る。
警察は、その辺りも調査したが、手掛かりを得ることは出来なかった。
いずれにしても、今の所の手掛かりは、この重要参考人の女の子だけだ。
出来る限り、情報を引き出さなければならない。
あまりにも不可思議で、あまりにも危険な事件。
全ての先入観を一旦捨てて、事実のみから考察するのが、自分の務めである。
ベテランの温厚そうな刑事は、そう自分に言い聞かせた。
~ ・ ~
女子高生は、身体検査のために下着姿にさせられた。
本来は昨日も、留置所に入れる際には同様の事を行う必要があったようだが、彼女の心情に配慮して、手錠だけ掛けておいたらしい。
逆に言えば、すぐ済むはずの取り調べが、あまりに反抗的な態度なので、時間が掛かってしまったのだとも言える。
今朝、シリアルの朝食を出してきた若い職員が腹を立てていたのも、その辺りが原因なのかもしれない。
彼女も、なんとなくだがそれを分かってきたようで、女性職員が身体を触ってくる感触にも、我慢して従っていた。
身体検査が終わった後、女性職員は、彼女に、下着姿のままで手錠を掛けた。
「え? 服は……」
「あなたが反抗的な態度を取っていると報告を受けています。これは、取り調べに必要な措置です」
女性職員に冷たくそう言われて、女子高生は泣き出したい気持ちをぐっと堪えた。
いつもの制服を着ていれば、大きな声で言い返せたのかもしれない。
でも、こんな恥ずかしい格好では、そんな気になれなかった。
「せ、せめて、蝶ネクタイだけでも、付けさせてください」
「だから、規則ですから、自傷行為に使われそうなものは身に付けられない……」
そう言いながら、女性職員は彼女の赤い蝶ネクタイを確認する。
長い紐状のものではない。カラーを首に回してフックで取り付けるだけの、簡易な造りになっている。
あまり、精神的な負担を掛け過ぎるのも、良くないかもしれない。
「特例ですよ」
「あ、ありがとうございます!」
女子高生は、少しだけ、人間のままでいられる気がしていた。
女性職員が、パンとスープといった、簡素な食事を運んでくる。
女子高生の若い身体が、急にそれを求め始めた。
胃が、腸が、キュルルとなる音を聞いて、恥ずかしくなる。
「ありがとうございます。あの、手錠を……」
「さっきも言った通り、決まりだから外してはあげられないの。食べさせてあげるから、そこに座って」
冷静な顔をしているが、少しだけ温かみのある声。
キャミソール姿の女子高生は、少し裾を気にしながら、簡易ベットに腰かけた。
彼女の膝にトレイを置いて、女性職員が屈みこむ。
スプーンでスープを掬い、彼女の口元に運んでいく。
彼女は、まるで幼児が親に食べさせて貰ってるようだと思い、少し恥ずかしく感じたが、自分で直接、口を付けて食べるよりはまだマシだと思い直す事にした。
美味しい。
スープが、身体に染み渡っていくのを感じる。
彼女が女性職員の顔を見ると。
職員は、パンをちぎってスープに浸してから、そのまま女子高生の口元に運んだ。
口に入れたパンは、柔らかくて食べやすく、しかも温かいものだった。
とても美味しい。
彼女はすぐに飲み込んで、女性職員の顔を再び見つめる。
素直に従う事。反抗しない事。そうすれば、優しく扱って貰える。
彼女は、粗末な食事と引き換えに、反抗心を手放すよう、促されている。
同じ女性職員が、今度は清拭のためのタライとタオルを持ってきた。
身体を触られる抵抗感が少しあったが、先ほど食事を食べさせてくれた人なので、安心感もある。
邪魔になるのであろう、帽子を取り、代わりにベストを着てきたのは、少し寒さを感じるからなのだろうか。
私は、こんな下着姿のままなのに。
女子高生は、少し悲しくなった。
でも、脚を、手を、丁寧に拭かれていくうちに、そんな事はどうでもいいと思えるようになってきた。
女性職員は、作業を終えると、女子高生の顔を、少し悲しそうに見つめて、そのまま去っていった。
カギが掛かる、金属音。
もしかして、今なら逃げ出せたのかも?
女子高生はふと思ったが、後ろ手に手錠を掛けられており、しかもこんなキャミソール姿では、どうにもならないだろうと思い直した。
~ ・ ~
彼女は、後ろ手に手錠を掛けられたまま、横向きになって眠っている。
かなり不自由そうではあるが、これはやむを得ない処置である。
その様子は全て、隠された監視カメラで録画されている。
そして今もその様子を、署長、ベテラン刑事、若い刑事の3人が見守っていた。
普通なら、絶対にありえない処置である。
未成年の若い女性に、弁護士も付けずに、後ろ手に束縛したまま拘禁している。
絶対にありえない処置である。もしも世間に発覚すれば、署長の首どころでは済まない事態になるだろう。
しかし刑事たちは、この処置がもっとも適切であるというその点で、意見が一致していた。
「しかし、いつまでもこの状態という訳にはいかんだろう」
それでも、署長は懸念を口にする。まるで、そう言えば責任を取らなくても済むかのように。
「ええ。この状態が弁護士や人権団体に見つかると、ただでは済まないでしょうね」
若い刑事が、署長の顔色を窺うように、頷いた。
「いえ、凶悪犯罪の重要参考人に対して、当然の処置だと思います。市民の生命と安全を守るためには、致し方ないと思われます」
彼女を取り調べたベテラン刑事は、あの温厚な態度を崩さないまま、署長に向かって深く頷いた。
刑事たちは、彼女が関わっていると思われる事件の内容について、深く知っている。むろん、重要参考人である彼女に、その事は全く告げていない。
彼女の口から事件について、少しでも手掛かりが欲しい。警察で把握している事と、彼女が口にしたことを照らし合わせて、少しでも事件解明に向かって進んでいきたい。
結局のところ、冷房の効いた涼しい部屋でいくら人権をいくら叫ばれた所で、現場で汗を掻くのは、我々なのだから。
「彼女の両親には、どう対応しているんだ?」
署長が、確認のために若い刑事に尋ねた。
「捜査上、必要な処置をすべて認めるという証書を取っています」
その返答に、署長は深く頷いた。
「その辺が、我々の防波堤だな」
もし発覚したとしても、保護者の許可を取っているというのは、やはり大きい。体面だけでも法治国家の権力の行使者としての立場を取れる。それが危ういものであったとしても、拠り所にはなる。
「で、これからどうします?」
ベテランの年配の温厚そうな刑事が、眠っている彼女を見つめながら、署長に尋ねる。
「あの態度では、どうにもならんな。制服を着ているので、強気に出ているのではないかとは思うがな。今どきの女子高生とは、そういうもんだろう?」
「いえ、まさか下着で取り調べ、という訳には行かないですよね?」
怪訝そうな表情をした若い刑事の視線に、苦笑いする温厚そうな刑事。
「まあ、飴と鞭というわけではないんだが、今日、彼女を担当した女性職員にある程度、任せてはいる。彼女は元少年課だからね。それであの子も少しは態度を軟化させてくれると思うんだけどな」
「だと良いですけど」
ベテラン刑事が、今日の彼女の態度にすっかり手を焼いて、明日の取り調べを若い刑事に任せたいと思っているのは、分かっている。そろそろ定年が見えてきたというのに、いまさら面倒な事は引き受けたくないのだろう。
にしても、泥を被るのはこっちの方だ。皮肉の一つ位は言わせて欲しいものだ。
「なぁに、留置所で一晩過ごせば、よほどじゃない限り、借りてきた猫みたいに大人しくなるものさ」
ベテラン刑事は、乾いた笑い声をあげた。
「いずれにしても、ある程度は話して貰わないと、ご両親の元には帰せないというのは、分かってくれていると思うんだがな」
そんな楽観的な事を言いだしているのは、もう確実に明日の取り調べは若い刑事に任せるつもりなのだろう。
と、監視カメラに動きがあった。
刑事たちが注目する中、見られていると知らない彼女は、苦しそうに寝返りを打った。
(つづく)




