幼馴染から伸ばされた手
研究棟の外にでると、空模様は怪しくなっていた。一雨来るかも、と思うと同時に、天秋の頭の中では西洋風人面魚と和風人面魚が川の流れに乗り飛び跳ねるように泳いできて、片言で「ワタシ、オトコよ!」「押忍」と叫んで行った。
濃い数時間の補講を受けた結果、途中で出てきた補助資料の挿絵が頭の中に居座っている。かなり印象が強かったらしい。
「…私、スーパーでししゃも見たら吹き出す自信が出てきちゃったんだけど、どうしたらいいかなぁ…」
「っぐ…やめろ、咲紀、腹筋が…痛い…」
「しかもね。あの絵、陽大のノートに落書きでかいてあるの見たことあるんだよね。だから完全版知ってるんだけど、隣でおじさんがしゃがんでジャバジャバ網を振り回してて、そこで獲れた柳葉魚ってことらしいよ。拡大したってわかる様な感じにしてたの」
「おじさっ…ふ、く…」
「でも、主題のアイヌ文化の話の方は何にもメモしてなかった」
咲紀がかつて見ただろうノートを思い出しながら、ふぅとため息をついた。隣で肩を震わせて息も絶え絶えになっている天秋を見て、咲紀の視線は僅かな間揺れた。声の調子を変えないまま、だが確かめるように言葉を紡ぐ。
「なんかコツ、あるのかな? 天秋は陽大から何か聞いたことある?」
「聞いたことないな。今度、確認してみるよ」
「うん、お願い。……天秋、回収した私物、どうするの? 陽大のところに送るの?」
「捨てろって言ってたけど、多分貴重な資料だと思う、アレ。でも、居場所言わないし、どうするかな」
「そっか。居場所は教えてくれないけど、話したりはしてるんだね。……天秋だけに、連絡があるんだね。帆菜実にも、私にも、他の知り合いにも、連絡ないんだけどな」
ゴロゴロという小さな音が、雨雲というカーテンで咲紀の表情を隠そうとしている。
遠雷を聞きながら、咲紀の言葉に天秋は自分の失言に気付いた。
自分にだけ連絡があったのではないか、という可能性は考えてはいた。
陽大が姿を消した後、定期的に彼の話題を出すのはほとんど天秋からで、陽大の直近の行動だとわかるような話は誰からも聞いたことがなかった。
天秋も姿を消した後の陽大との話題は「最近聞いた都市伝説」ばかりで、彼の近況といえるような情報を聞けたのは朝の通話が初めてと言っていい。つまり、陽大の近況を強く聞き出そうとしないだろう者とだけ連絡をとっていた、ということだ。
陽大の様子を咲紀に伝えず隠すことを選ぶなら、私物の回収についても知られないようにしないといけなかったのだ。
「理由があって話してくれなかったんだと思ってる。……でも、話せることだけでいいから話して欲しいの。陽大どころか天秋にも及ばないくらい怪談とか民俗学のこととか、知らないけど、天秋の手伝いはできるように頑張るから」
「咲紀…」
「1人で悩まないで。私にも一緒に考えさせて」
天秋に向かって指し出された手を、彼は少し躊躇いながら取る。ポツリポツリと落ちてきた水滴は、天秋の迷いを彼女の手に滲ませていくようだった。




