前を行く背中の不在
窓ガラスを洗うように流れ落ちる雨は、まだ止む気配がない。
ハンバーガーとドリンクとポテトをそれぞれ2つずつトレイに乗せて、イートインスペースにいるはずの咲紀の姿を天秋は探した。
雨の勢いが強まり、雨宿りも兼ねて近くのファーストフード店にやってきた2人は、注文と席取りとにわかれた。
幼い頃からの分担に従い、天秋が注文したものを受け取り、咲紀が確保した席を探すと、窓際の2人席に彼女の姿を見つけ、そちらへと足を向けた。
ふと、彼女の対面には見覚えのない男が座っていた。
咲紀が温度のない声で「お断りします」と繰り返すのも構わず、馴れ馴れしく話しかけている。男の視線は、彼女の顔から太ももまでを舐めるように移動して行き、彼女の胸元に磁力で引き寄せられたかのように止まる。
初対面の年下の女の子に向ける無遠慮な品定めの意図を隠さない男への僅かな不気味さは、下品な下心を見せつけたことへの怒りに飲み込まれる。
高温の料理を飲み込んだ後のように胃の奥が熱く重くなる感覚を抑え込みながら、普段より半音下げて声をだす。ーー記憶の中の兄貴分の姿をなぞるように。
「待たせてゴメン、ちょっと混んでた。席ないみたいだし、持って帰ろう」
「待つくらい、平気。重いのに、ありがとう」
「このくらいどうってことない」
男の存在を無視して咲紀に声をかけ、手を引いて席を離れる。
男連れかと舌打ちを打つのが聞こえたが、諦めたと確信が持てる程度に移動すると、天秋にだけ聞こえるように咲紀が呟く。
「今の、本家よりカッコよかったよ」
「…本家なんて、知らない」
「本家はさっきのにプラスで、録音してるんだよ」
「陽大がそこまで用意周到なことするわけないだろ、せいぜい殴るか担いで逃げる準備くらい」
「やっぱり本家知ってるじゃない。嘘は良くないぞー」
「うぐ…」
「助けてくれて、ありがとう」
感謝の言葉に、ちくりと胸が痛んだ。
咲紀の容姿に惹かれて、有象無象の男が寄って来ることは昔から度々あったが、頻度はうなぎ登りだ。高校を卒業するまでは咲紀が自力で、陽大がいる時は間に入って解決していた。そのことを天秋は彼に尊敬の念を抱くとともに、嫉妬していることに自己嫌悪していた。
ずっと好きな女性に助けの手を伸ばす勇気を出せずにいたのは自分なのに、咲紀に感謝と好意を向けられていることを妬んで、更に動けなくなっていた。
前を歩く姿がなくなって初めて動けたことに罪悪感がある。
「でも危ないと思ったら、逃げてね。万が一の時は私がやっつけるから」
不届者の山を背景に、帯が黒い道着姿で天秋を横抱きにしている笑顔の咲紀の姿が浮かぶ。
脳内の画像を追い払いながら店の扉を開いて咲紀を先に通す。
「これが、どこにでも行けるドアだったら良いのにね」
「残念だが作ってくれそうな知り合いがいない」
「私にもいな……あれ?」
「………やったな、咲紀。多分濡れずに帰れるぞ」
滝のような雨の代わりに、遠い天井から弱い光が降り注いでいる。周囲にはコンクリートではなく、本がぎっちりと並ぶ本棚の壁が等間隔に並んでいる。
2人は、閉架記録庫の中に立っていた。
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