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にじり寄る不穏

 爆発したかのような笑い声が、スピーカーから物理的に十数cmも耳を離していても、鼓膜を突き抜けて物理的な衝撃を伴って響く。


 謎の本棚空間ーーおそらく、あれは都市伝説「閉架記録庫」だったーーから自室に送り返された翌朝。

 研究の題材にしているとしても、都市伝説に邂逅するとは考えたこともなかった天秋(たかあき)は、真偽不明な情報とフラッシュバックした光景、そして自身の記憶と周囲との認識の差の発覚、とトラブルが立て続けに起きたことから眠るに眠れず、ようやく明け方になってから、眠気に身を委ねようとしていた。

 だというのに、空気も読まずに朝を告げるニワトリのように、けたたましく着信音が鳴り響き、根負けして表示を見れば陽大(あきひろ)からで慌てて通話状態にした。

 誰かに、否、親友に自分の体験した不可解な現象について話して、現実味のある解答を導き出したかった。

 1年半も姿を見ていない友人は、確かにいるのだと、確信したかった。

 スピーカー越しに、呑気に挨拶をしてくる友の声に安堵しながら、閉架記録庫に遭遇したことを話した。

 最初は驚き天秋の心配しつつも、噂との相違がないかなどを細かく聞き出していた陽大だったが、司書である尊大な赤上着の男の下りになった途端、爆笑しはじめ、今に至るというわけだ。

 もう、かれこれ5分ほど笑い続けており、流石に心配よりも五月蝿いという感情が勝り始めている。


「そんなに、ツボにハマるとこあった? 本当にムカつくヤツってだけで面白いとこ、何もないよ」

『だって…、偉そうにしてんのに、天秋の一挙手一投足、観察してんでしょ? 音読しないと読めない人間か、貴様、とかさっ…不機嫌なフリして読書経験、確認してんのよ? あっはははは、親切じゃん』

「…単純に黙って読めってことじゃないの? ウルサイって顔に書いてあったって」

『いやいや、親切にすんの恥ずかしがってる不良仕草だよ、多分! 鉛筆削ってなかったら、鉛筆削り差し出しながら不備があるなら早く言え、とか言いそう、いや、言う、きっと!! 読むのに困ってたら辞書とか持ってきてくれるって』

「何でそんなにツンデレへの解像度高いの…身近にいるの、そんな尊大ツンデレ人間が?」

『尊大、ツンデレ、ッ人間……っヤバ、息辛っ』


 更に笑いの波に襲われた陽大の様子に、なるほどいるんだな、と天秋は呆れた。

 ひとしきり笑って気が済んだのか、ようやく息を落ち着けた陽大がそれで、と切り出す。


『渡された本読んで、戻って来たってわけね。やっぱ、噂通り、どんな本読んだか覚えてない? 司書がどんな本出してきたのか気になるんだけど』

「いや、覚えてる。『丁寧な暮らしの料理〜加巳之皓(かみのしろ)野菜編〜』だよ、古いやつ」

『へぇ、古い料理本。……てか、覚えてるんだ? 閉架記録庫って、読んだ本は覚えてないもんだと思ってた』

「コメントにご利益あるとか羅列されてて違和感強かったし、極めつけに蛇出てきたりしたら忘れないよ、噛まれるかって怖かったし」


 野菜が肉に見えてきたことや、写真にいた人物のこと、そして1年半前の旅行で見聞きしたことを伏せて話す。

 カタン、と小さな物音がスピーカー越しに聞こえた。

 幾度となく通話をしてきたが、この半年ほどは全く環境音が聞こえなかったので、珍しいと思った。 


『ご利益ねぇ…どんなご利益があったんだか…』


 ズルリ、ズルズル


 何か大きなものが床を這っている。雑草を踏み躙ったような湿った青臭さを感じてぎょっとする。

 周りを見渡すが見慣れた自室が広がっているだけで、何もない。何かが這った跡も、緑と茶色が汚く混ざってすり潰された汁も、何も。

 ーーならば、この這う音は、陽大の側で起きている音だ。

 しかし、それに反応することもなく陽大は「ご利益」の内容について話しつづけている。

 本から蛇が現れ噛まれそうになった、と聞けば彼の過去の言動から天秋にケガはないかという心配の言葉が出てくると思っていた。ましてや、自分の背後でその蛇が蠢いているなら、考察している場合ではない。


「陽大、後の音、何…? まさか、なんか蛇関連で俺に隠し事してる?!」

『うしろ? あー…』


ごめん、もう少しだけ待って。

すぐ終わるから、な?


 遠くなった陽大の声と、やり取りを返すようなシューシューと言う音が、微かに聞こえる。

 柔らかく甘やかな陽大の声は、帆菜実(ほなみ)と話していた時のそれと同じーー否、それ以上のものだと気付き、背筋がぞわりと泡立った。

 火から下ろしたばかりのキャラメルのように、耳の奥にゆっくりジワジワと流れ込んで、触れたものを砂糖のように溶かして焦がすように、甘ったるくて苦い。そんな声で話す陽大は少し熱に浮かされているようでもあって余計に恐ろしかった。


 まさか、陽大には帆菜実が傍にいるように見えているのか?


「陽大……?」

『悪い、早く構えってさ。蛇さ、怪我してないって言ってたし、噛まれてないんだろ? 毒ないし、軽い威嚇だっていうから、大丈夫かなって』

「俺より陽大の方が大丈夫なのかよ?! 誰もお前に会ってない、行方不明って言われて! 帆菜実にだって何も」

『あ。帆菜実、復学したんだよな。元気そうで、安心した』

「元気って言ったって、お前に会えなくて心配してる! だから、会ってやれよ」

『わお、オレ愛されてんじゃん。嬉しい』

「ふざけんな!」

『ふざけてない』


 まともに取り合おうとしない様子に苛立ち、声を荒げた天秋を制するように、ピシャリと陽大が言う。


『ふざけてないし、帆菜実には会わない。……天秋に頼みがあるんだ。高見教授の講義とってるなら、研究室にも入れるよな? 大学に残してたオレの私物、教授の研究室に置かせてもらってるんだ。回収して、処分しておいて欲しい』

「陽大っ!」

『天秋も、心配ありがとな。オレは平気だから。じゃ、頼み事よろしく。また連絡する』


 畳み掛けるような別れの挨拶とともに、通話が終わる。天秋の手から携帯電話が滑り、足元に落ちた。


「平気って、なんだよ……」


 真っ白な鱗を持つ蛇が青年の腕から首へと見せつけるように巻き付く映像が一呼吸の間だけ映る。待受画面に変わってすぐ消灯した。

 落ちた衝撃でヒビが入った暗い画面は、天秋の気持ちを表したようだった。




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