丁寧な暮らしの料理〜加巳之皓野菜編〜
表紙を開いて、最初に天秋の視界に飛び込んできたのは、どこか見覚えのある風景の色褪せた写真だった。
一部だけ地肌が露出した青々とした木に覆われた、さほど高くはない山。その手前には少し濁った大きな湖があり、滝を経て川へと流れていく。あまりにも色が抜けているので、湖も滝も川も、白い塊のように見えた。
特徴があるようでない、類似の多い風景だと自身でも思うのに、何故か見覚えがある。
これまでに天秋が訪れた場所だっただろうか。
脳内のアルバムを検索してもこれだと得心できる情報は浮かんでこなかったので、首を傾げながらページをめくっていく。
料理集には地域の特産野菜を使ったレシピと、食事処や料理教室で提供されたその料理を食べた複数人の感想と取材時に撮られたのだろう写真が掲載されていた。
発行されてからの保管状態によるのか経年劣化によるのか、紙は黄ばんでいるというより褪せて茶色くなっている。当然写真も辛うじてカラー印刷だったと判断できる程度にしか色はなく、白黒だったと言われても信じてしまいそうな程だ。
(これ、かなり前に発行されたみたいだな。内容的に40年くらい前か?)
丁寧と題しているので内容もそれに沿っているのかと推測していた天秋だが、レシピの中に出てくる調理器具や表現が、親から聞いた家庭科の教科書の内容に似ている事に気づく。例えば、メニューの麺類に必ず「びっくり水」が用意されているが、最近のレシピにはほぼ載っていない。茹でた麺にコシを出す効果があるとされていたが、現在は科学的に否定されている。
あるいは、パンの材料の中にあるイーストフードという記載。現在のように成分表示の原材料名に載らなくなったイーストフードも、40年ほど前であれば健康問題が話題になって表示が消えるより前に編集されていたなら、レシピに記載されていることがあっても不思議ではない。
このあたりの知識は、大学入学直前に自炊を始めたばかりの俺に陽大が自信たっぷりに教えてくれたことでもある。使われている材料や手順は時代によって改良されていくものだから、記載内容で大まかに年代を推測できることがあるのだ、と。
色褪せていても美味そうな野菜料理の写真に胃が動くのを感じながら、ページを何度かめくっていく。
そのうちに1つの単語が目につくようになった。
『加巳之皓の根菜で作った煮しめはお正月の定番! ご利益ばっちり!!』
『加巳之皓野菜の天ぷらは、絶品。1口食べるごとにご利益が積もる』
『品数に困った時の一品として、加巳之皓のにんじんで白和えを良く作ります。家族もご利益がいっぱいで嬉しいって』
どの料理の紹介文にも、食べた感想にも、必ず「ご利益」という単語が入っている。
美味しい、健康に良い、というニュアンスのように受け取れるが、明らかに使われている頻度が多い。
(流行語だった…? いや、時代背景的に努力量に応じて報われるような世相を反映した言葉が流行していた、と聞いたことがある。局地的なもの、か? だとしても…)
仮説を立てては打消す要素に気づき、却下する。その間も、ページをめくり、写真に目を通していく中で、ふと見覚えのある人物の存在に気付く。
自身が直接親しくしていたわけではない。だが、確かに親友から「同じサークルの先輩達」として紹介され、夏の一時期、寝食をともにした人達。
彼らとそっくりな人物達が、写真の中で加巳之皓野菜の特産化に貢献したスタッフとして紹介されていた。
(本人…?! いや、いくら陽大の先輩で歳が離れてたとしても、40年前に同じ姿で写ってるわけがない。親か、あるいは親等の近い親戚ならあり得るかも、しれない)
余りにも似た人物を見つけて混乱したものの、現実的にあり得る可能性の存在に気づくと、すっと思考の中に道が現れたような気分になった。
そして、その道筋の両脇に整理された情報が1つ1つ並んで貼られたポスターで掲示されているようだ。
時折、こうしてごちゃごちゃとしていた情報や感情が1つのきっかけで綺麗に整理されて舗装された道のように脳裏で視覚化されることが、天秋にはある。こうした感覚が楽しくて、何かを深く調べる事に興味があったのだが、この感覚に共感してくれた人は陽大だけだった。
陽大にも似たような感覚があり、それが意気投合したきっかけだった。
(そうか、このスタッフの人が、サークルの先輩ーー確か、セイジさんーーで、その故郷だとすれば、中表紙の風景写真って紙代村のあの湖か)
1年半前の8月末に行った旅行先のことを連鎖して思い出す。
紙代村は土地としては広めだが、山と湖と畑が大半を占めていて人口は数百人程度の小さめの村だ。そこの農協が野菜のブランド化に成功したことで「紙代野菜」として、村の経済を支えているらしい。
特に肥料の改良に力を入れている、と当時宿泊した施設の職員が話していた。
(確かに野菜、美味かったな。出されたラタトゥイユはゴロゴロしたナスとかズッキーニの食べ応えが良かった。結構肉厚で、大きかったから肉がなかったのに、すごく満足感があったもんな。水分が旨味といっしょにジュワって広がって、さっぱりしてるのに砂糖とは違う甘さがあって…)
手元の料理集に視線を落とすと、丁度スタッフへのインタビュー記事が終わりラタトゥイユのレシピが書かれていた。大きな写真は、他の写真と同様に色が抜けていたが、記憶の中の鮮やかなラタトゥイユの色彩が補完しているようだったが、唐突に脳裏によぎった映像で、心臓がドクリと跳ねた。
紙代村の滞在最後の夜のことだ。
喉の渇きで目がさめた天秋は、襖の奥の廊下で陽大と誰かの話す声が聞こえることに気付いた。
相手の声は僅かに聞こえるだけで、廊下も灯りはなく、輪郭がぼんやりと見える程度だった。
『気持ちはわかる』
『他のじゃ、ダメか? 今は、っづ…!』
鈍い何かを齧み割く音と、低く落とされた小さな陽大の苦悶の声に驚き、数cm開いた襖に目を向けた。
僅か数cmの隙間の奥には、真っ赤なーー
(…違う。違う、ちがう! にくじゃない! だってあきひろはケガなんてしてなかった! 今のはっ…今のは、ただ見間違えただけだ…俺は、食べてない、にくなんて食べてない、野菜だったんだ!)
ぼんやりと輪郭が見える程度だったのだから、色とて本当ならわかったはずはない。
だが、陽大の尋ねる声はどこか切羽詰まっていて、何故か彼が「喰われた」と誤解してしまい、何故かその赤い塊が、色褪せた写真のナスに、重なってしまった。
どこだったかは思い出せないが、モノクロ調に編集した肉料理の写真を野菜料理と見間違えることがある、なんて逸話を読んだことがあった。それが、今この瞬間、何故か繋がって連想してしまった、それだけだ。
跳ねてドクドクとうるさい鼓動を落ち着けようとしながら、天秋は避けるようにページを捲った。
最後のページだったのだろう、中表紙にあった風景と同じ写真がまた掲載されていた。
そこに1枚のモノクロのポラロイド写真が挟まれていた。
旅行の間、ラタトゥイユをご馳走された時に、記念にと撮られたものだった。
ふざけた陽大に、ゴロリとしたナスをスプーンで食べさせられている天秋と、それを笑って見守る同行者達。
当時はただ悪ノリした先輩と戯れあっているのを切り取っただけのものだった。なのに、今はそう見えない。
枠外に書かれたたった1文が、先程の光景と相まって違う意味にしか捉えられなくなっていた。
『美味かっただろう』
ポラロイド写真の奥にある風景の白い塊が、ぞろりと動いた。
大きな湖と滝を経て、川へ。
そんなありきたりな風景の中で、白い水の流れは姿を変えていく。
静かに滑るように。眠りから目覚め、蜷局を崩して獲物に忍び寄る白い大蛇は、天秋に向かって鎌首を擡げ、大きく口をーー
「ッうあッ!?」
頭を腕でかばいながら、声を上げた。
自分でも驚くほどの大声が出て、瞬時にあの尊大な赤い上着の男の罵声が飛んで来ると更に身構えた。ーーが、痛みも怒声も襲っては来なかった。
腕を下ろしながら、ソロリと目を開く。
目の前に広がっていたのは、天井まで聳える本棚の壁でも、小洒落て拓けた大学図書館でもない。
寝起きのため以外の機能に乏しい、面白みのない自室だった。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
続きは6/24あたりに投稿予定です。




