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不機嫌な司書

「俺の記憶違い、なのか……?」


 帆菜実(ほなみ)と別れ、大学図書館のフリースペースに移動した天秋(たかあき)咲紀(さき)にも陽大(あきひろ)が所属していたサークルと、旅行に同行した先輩について問い合わせてみた。

 咲紀から返ってきたのは、旅行には行っていないのでわからない、サークルについても知らない、という回答だった。

 天秋の記憶では彼女も旅行に参加していたし、サークルはあの高見教授が顧問をしているもので知らないはずはない。

 サークルについてはその事実を指摘すると、「陽大が所属していたことを知らなかった」とのことだった。

 あまりにも周囲と自身の記憶が食い違っている。天秋は自分の記憶が間違っているのかと不安に襲われた。だが、今ある情報からではどちらが正しいのかーーあるいは、どちらも間違っているのかは判別できなかった。

 ため息をついた瞬間、視界の片隅を青白い何かが通り過ぎた。

 ぎょっとして視線を向けると、いつの間にか見慣れたはずの大学図書館の内装とは全く違う光景が広がっていることに唖然とした。


「ここは……何処だ……?」


 煌々としていた照明の光が届かないほど、天井は遠い。天秋の鼓膜を叩いていた学生達の控えめな会話の声は消え、静寂に包まれている。

 何より、遠い天井まで埋め尽くされていると確信できるほど高く、背表紙が整然と隙間なく並べられた棚が連なった壁は、過去に訪れたことのある如何なる図書館とも似つかない。

 人の気配はないが、本棚には本の分類記号が書かれた分類版が付けられていることに気付く。

 フリースペースから移動してはいないはずだが、無意識に歩いて閉架書庫に迷い込んだか、と疑った天秋はすぐに自身の考えを打ち消した。

 大学図書館の自動ドアを潜ったのはそれほど前のことではない。いくら思考に没頭していたとはいえ、関係者以外の立ち入りが禁止されている閉架書庫に迷い込んだなら、途中で図書館職員に声を掛けられていてもおかしくないだろう。

 だが、誰に声を掛けられたという記憶がない上に、閉架書庫であることを差し引いても、建物の造りとして開架スペースやフリースペースと同一の建物内だと思えないほどに天井が高い。

 居場所の手がかりを探そうと周囲を見回していると、3列ほど先の本棚の奥にカウンターらしきものがあることに気付いた。

 カウンターがあるなら、職員とているはずだ。

 例え中座していたとしても呼び出すための何かはあるだろうと天秋は本棚を横目にカウンターに向かって進んだ。


 カウンターには、1人の真っ赤な上着を着た若い男が行儀悪く座っていた。

 男が座っているパイプ椅子の隣に同じ型の椅子がもう一脚あり、その座面に長い脚を投げ出している。その姿は「偉そうにふんぞり返っている」という表現の模範例のようで、天秋は思わず掛けようとしていた声を飲み込んだ。

 手にした本に視線を落としているが、男は天秋の存在に明らかに気付いており、眉間に皺を寄せて不機嫌そうに舌打ちした。


「そこの紙に名前を書いて、横の本を確認しろ」

「…紙?」

「ここにあるのは、鉛筆だけだ。さっさと書いて、読め」


 唐突な男の指示に、天秋は困惑した。

 音にこそなっていないが、男の醸し出す雰囲気が「愚図め」と主張している。苛立ちが多分に含まれた視線が、手にしていた本から離れてカウンターの上に置かれた葉書サイズの紙に向かった。

 あまりにも刺々しく向けられる怒りに慄きながらも、視線を追って紙と本を見つけた天秋は、おそるおそる備え付けのペン立てから鉛筆をとる。


「紙に貴様の名前を書いて、そこの本を読む。それだけのことに、どれだけ時間をかける気だ。さっさと行動に移せ、鈍間め」

「す、すみません」


 見つけた瞬間から不機嫌な男の指示に従っているだけなのに、愚図だの鈍間だのと言われる筋合いはない。

 という言葉を飲み込んで、天秋は紙に自身の名前を書き込み、隣に置かれた本を手にとる。


『丁寧な暮らしの料理〜加巳之皓(かみのしろ)野菜編〜』


「かみのしろ、野菜…?」

「音読しないと読めない人間か、貴様」

「…ごめんなさい…」

「閲覧席は向かって右側だ。さっさと読んで、さっさと帰れ」


 しっしと追いやるように手を振った男は、手元の本に視線を再び落とした。天秋への興味はもうないらしい。

 案内された閲覧席に向かいながら、内心で決意を固めた。不機嫌さで上乗せされた迫力に負けて唯々諾々と従ったが、読み終わったら絶対に文句を言ってやる、と。

 だが、閲覧席に座り料理集の表紙を開くと、吸い込まれるように天秋の視線はページに固定された。

 まるで一字一句を自身に刻みつけるようで、端から見れば異様なほどの真剣さだ。


「どうせ読み終わったら覚えていないんだから、刻みつけても無駄なのにな」


 鬼気迫る集中具合を見せる天秋の姿を一瞥した後、男は小さく呟いた。


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