牙をむく大蛇
鳥居をくぐり、参道を歩く。
既に陽はほとんど落ちていて、薄っすらと暗かった。遠くでカラスの鳴く声が、不気味に響いた。
手水舎を過ぎて、2本目の鳥居が見えてきた頃、数人の男達が周囲を窺うように境内に入っていくのが見えた。
時間もそうだが、コソコソとしていて参拝客には見えない。
天秋が訝しく思っていると、男達は小声で話しながらそそくさと能面をつけ始めた。
「なんで、こんなお面つけるんです? 視界狭くてしょうがねぇ…」
「そりゃ、顔を覚えられねぇようにだよ」
「この神社で、人の顔を覚えようなんてヤツいないでしょ」
「人間はそうでも、ミシロ様は覚えるんだよ。先代の時とか、面倒がって面つけなかった奴が、祟り殺されたりしたんだぜ?」
何人かの名前が挙げられると、懐疑的な態度だった男が怯えだし、さっさとやることやって帰りましょ、と拝殿を通り過ぎていった。
神の祟りを恐れるような者が、本殿に向かい、参拝などするはずがない。
(奥宮か…? でも、天瀧家の人間以外立ち入り禁止なんじゃ…幼馴染達でさえ、天瀧清司が一緒じゃなきゃ、近付こうとしてなかったのに)
何をしているのかが気になった天秋は、少し迷った末に距離をあけて着いて行くことにした。
社務所にいるだろう清司を呼びに行っている間に見失ってしまうかもしれないと思ったのが大きな理由だが、もしかしたらシロマナの不正を暴く追加の物的証拠を得られるかもしれない、という期待もあった。
本殿も通り過ぎた能面の男達は、「私有地のため、関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板と張り巡らされた黄色のロープを無視して奥へと進んでいく。
小屋のようなものが遠目に見えた。
罪悪感が湧いてくるが、ロープを跨いで追いかけると、男達は小屋の中に入っていく。
天秋が後を追っていることに気付いた様子はなく、小屋の扉も開けたままだ。
(閉架記録庫の映像だと、角度と照明の問題でよく見えなかったけど…あの奥、階段になってたのか)
そっと中を覗き込むと、以前見た通りの何もない小屋であることが分かる。
入り口から真っ直ぐ進むと扉があり、その扉を開くと地下に続く階段がある。
地下の神楽殿に繋がっているのだろう。
(流石に暗いな。スマホのライトで…流石にバレるか?)
他に光源になるものは、と探すと小屋の隅に蝋燭立てがあった。
蝋燭本体もなく、火をつけるための道具もない。
諦めて、携帯電話のライト機能を使うことにした。
暗い階段を、地下に向かって下りる。
まるで、黄泉平坂を行くイザナギのようだ。
この階段が黄泉平坂なら、シロマナの野菜を食べるのはヨモツヘグイだろう。
(神の肉から作られた作物を食べるんだし、間違っちゃいないのかもな。あぁ、帰りは振り返らないようにしないと)
せっかく手を掴んでも、振り返って正体を見てしまったら同じ世界に帰ることはできなくなってしまう。
途中に桃の実がなった木があれば、帰れる可能性はより高くなるだろう。
そんなことを考えていると、少し先でオレンジの明かりが漏れていた。
どうやら神楽殿はすぐそこにあるようだ。
天秋は携帯電話のライトを消して、そっと足を進めた。
階段の終点は、山の中をくりぬいたような空間になっていた。
その空間の中央に神楽殿がある。中は塗り潰したように白い。
最初は大量の白い箱が天上まで積まれているように見えていたが、よく見れば微かに上下していた。
まるで呼吸しているように。
(…生き物?! …そう、か…)
かつて宣言した通りに、待っている。
長月の晦である9月30日を。
契約破棄と、違約への沙汰を下すその瞬間がくるのを加巳之皓御霊はここで待っているのだ。
先に神楽殿にたどり着いた能面の男達は、神楽殿の下から、大型のアルミ製スーツケースを引っ張り出している。
能面の男達の1人が、ケースの蓋を開いた。
中には、大小の銀色の塊が、発泡スチロールのブロックに埋もれるように収められている。
(カメラ…!)
シャッター音で気づかれないことを祈りながら、天秋は急いでその様子を写真に収めた。
そのまま、タイトルもつけずに高見教授と多賀良教授、そしていつかの外部講師へのメールに添付して送る。
男達はやはり天秋に気づいた様子はなく、天秋がほっと息を吐いた瞬間だった。
グニャと白い物体が歪み、動き出す。
それに気付いた男の1人が、悲鳴を上げる。次の瞬間には、白い壁の中にその姿は消えていた。
すぐ真横でその様を見た男から、能面が滑り落ちる。
能面で隠されていない顔には、恐怖が張り付いていた。
あっ、と思った瞬間、恐怖に引き攣った声が響く。
「たすけ」
最後の一音は、蛇の口に吸い込まれて聞こえなかった。
白く膨れた部分が、下へ下へと移動していく。
『…む。2人、取りこぼしたか。まぁ、良いか』
「ミシロ様、本当に依代なしで顕現されてよろしいのですか? もう役を降りるとはいえ…」
『流すには、依代の憑かぬ方が都合が良いのだ。それより、陽大をしかと抱えておれ。閉架記録庫に入れば直に起きるだろうが』
「承知いたしました」
『不用意にあちこち見るでないぞ』
ズルズルと白い蛇が神楽殿の中から這い出て、反対側にある木の扉に向かっていく。
閉架記録庫の映像通りであれば、あの扉の先は紙代合宿所の地下倉庫に繋がる道のはずだ。
蛇神が振り返る。
反射的に天秋は、その身を隠そうとして階段を数段駆け上がった。
「ミシロ様?」
『なんでもない。…ときに清司よ。やり残したことはないのか?』
「…時間を作って、『諸国風俗問状淡路国答書』あたりは見に行けば良かったかな、とは思います」
『なんじゃ、それは』
清司が貴重な郷土資料なのだ、と歩きながら説明しているが、蛇神の呆れたような様子から、恐らく聞きたかったのは違う方向のことだったのだろう。
死して未練となるようなことはないのか、と。
2人の会話が遠くなり、姿がなくなったことを確認してから、天秋は神楽殿へと向かう。
神楽殿を通り過ぎた瞬間、天秋は気付いた。
「…隠れる必要なかったな、多分」
行き先は、恐らく同じなのだから。
木の扉を潜り抜けると、足元はリノリウムに変わっていた。
天井は遠く、灯りは遠く薄暗い。
閉架記録庫だ。
だが、今までとは違い、天井まで続く本棚の上数段分しか本が収められていない。
天秋の手が届く範囲には何も置かれていなかった。
『ふむ。もう準備は終わっておるようだの』
「はい。よろしくお願いいたします」
カウンターの前には、大量の本やDVDなどの記録が積まれている。
全て、廃棄となる記録なのだろう。
小山になっている記録の傍に清司と陽大が立っていた。
やはり自力で立つことはできないのだろう。寄りかかる陽大の体を清司が抱き支えるようにしている。
陽大の目には感情はなく、それを清司が心配そうに見ていた。
2階の踊り場に集まった司書達が、蛇神に向かって頭を下げる。
馬奈木と大耕も司書の中にいて、頭を下げるその瞬間、唇を噛むのが天秋には見えた。
『では、始めるとしようか。…陽大、良いな?』
「…いつでもどうぞ」
『そうか。……して、谷縞天秋よ。お主はそこにいて良いのか? 一緒に流してしまうぞ』
「陽大を返してくれたら、すぐにでも退避するさ」
『吾妹子を渡すには、相応の代価が必要だが、何を差し出す? あぁ、物は要らんぞ。神でなくなれば、我はただの蛇だ』
蛇にとって価値のあるものを差し出せ、と言いたいようだ。
加巳之皓御霊の姿を改めて見た。
白く長い胴体には不自然に膨れている場所があり、時折それが蠢いて尾の方へと動いていく。
「…何か、食べるものは」
『要らんな。もう、たらふく喰った』
閉架記録庫に来る直前に、それなりに体格のいい成人を2人ほど丸呑みにしているのだ。満腹と言われれば、その通りだろう。
天秋が返答に苦心していると、ジワリと足元が濡れる感触がした。
ぎょっとして床に目をやると、足首近くまで水が溜まっている。
加巳之皓御霊を中心に、水が湧き出していた。
『供物はないのか? ならば、お主に渡してやれるものはないな』
ニヤニヤと笑いながら、加巳之皓御霊が宣う。
湧き出して溜まった水は、本棚や壁にぶつかるうちに流れを作る。
プールの中で同じ方向に動けば、渦ができ、それに抗い続けるうちに波ができるようなものだ。
記録が、瓦礫として流れに混ざっていく。
その間も水は増え、瞬く間に水位は天秋の腰にまで達していた。
水量のある流れは、天秋の体を翻弄しようとする。
それに抗ううち、身動きが取れなくなってしまった。
どこか遠くで、鉄扉が開くような音がした。
波打って渦となっていた流れが、一方向に向かって動き出す。
(水が…どこかに流れ出した?! ヤバい、流される…!)
水の動きは速度を増し、記録を押し流そうとする。
否。記録だけでなく、その場に残された人間も、だ。
「アンタの…依代と巫まで流す気か?!」
『流されるモノは、我には不要なもの。流されたなら、それまでよ。あぁ、そこの中からなら、好きに持ち去るが良かろう。お主自身が無事であれば、だがな』
水の中に沈む間際に聞こえた蛇神の声は、意地の悪い笑みが浮かんでいることを隠さないものだった。




