平気と嘯く友を迎えに
天秋が咲紀との情報共有の会合場所として指定したのは、かつて大耕に呼び出された喫茶店だった。
大学から近いが、人は少ない。そして何より、ここには紙代村に関わった者たちの記憶がある。
来客を知らせる鈴が、カランカランと主人を呼ぶ。
扉を潜って現れたのは、天秋の待ち人である咲紀だ。
「遅くなってごめん、天秋! 待たせた?」
「いや、大丈夫」
「…なんか、落ち込んでる?」
訝しむ咲紀の言葉に、そうかも、と力なく笑う。
紙代村の不正利益享受の中核となるシロマナの社会的制裁は、神の導きらしきものもあって、確実に成されるだろう。
必要な証拠は既に天秋の手を離れて、然るべき場所にたどり着いた。
掻い摘んでそのことを咲紀に話せば、良かったね、と微笑んだ。
天秋がやりきるべきことは、終わった。
「でも、天秋は何かまだやり残したことがあるって思ってる」
「そう、見える?」
「見えるよ。…何に悩んでるの?」
咲紀に1冊のノートを手渡す。
陽大の日記だ。天秋が手に入れた時にはなかった付箋が幾つかはみ出ている。
付箋のある部分を中心に読んでほしいと頼むと、怪訝な顔をしながら咲紀がノートを受け取って開いた。
時折くすりと笑ったり、眉を寄せたりしながら読み終わった日記を閉じた咲紀は、表紙を撫でてから天秋に返した。
それを受け取りながら、天秋が咲紀にどう感じたかを尋ねた。
「咲紀は、この人を助ける?」
「……助けない、かな。今、この瞬間を助けることはできると思うよ。でも、この人多分ほとんど自力では生活できないよね? 残酷だと思うけど、私は、この人の将来に寄り添うことはできない」
「回復して、この人が支えてくれるようになるかも」
「体はそうかもね。…でも、心はどう? 期間は?」
「…わからない」
天秋の返答を聞き、じっと咲紀が天秋の顔を、探るようにしばし見つめてから、はぁ、とため息を吐いた。
「冷静に考えたら、共倒れになっちゃいそうだから助けない方がいい。貴方に、この人の一生を支える義務はない。そんなの、わかってるよね。わかってて、助けたい」
天秋の心の裡を整理するように、咲紀が指摘する。
彼女は、自分の幼馴染が如何に引っ込み思案で、自信がないのかを良く知っていた。
相手のためにこうしたい、と思うことがあっても、相手の都合を想像し過ぎて、動けなくなってしまう悪癖があることも知っている。
だから指摘しているのだと、天秋にもわかっている。
「やりたいことは決まってるのに、どうしてやらない理由を探そうとしてるの?」
諦める理由を探している、と咲紀は問うていた。
咲紀に問われた「陽大の救出を諦めようとする理由」について、天秋は自問自答する。
諦めるのは、陽大が助けを求めていない、ととれる言葉を残したからだ。
「覚えていなければ、沈むことを選ぶ」とは蛇神と共にこの世を去る、つまり死ぬことを選ぶと解釈できる。
その意思を蔑ろにしてでも助けるなら、天秋のエゴでしかない。
だが、身体的にも、精神的にも、健常な状態とは言い難い状況で生きていくのは、救った天秋ではなく救われた陽大だ。
誰かの多大な支えがなければ、生活ができないのに、助けた張本人が支えられなかったとしたら、何故死なせてくれなかった、と恨み言を言われるかもしれない。
「陽大さんは責める人なの?」
「…多分、責めない。そう思うことがあったとしても、俺に見せようとはしない」
「それがわかっていても、不安なの? 嫌われちゃうかもしれないから?」
嫌われたくない。
咲紀の口から出た言葉が、ストンと胸の中に落ちた。
そうだ。嫌われたり、憎まれたりしたくない。
そして、落胆もしたくない。憧れているから。
今まで互いに積み重ねてきた信頼が崩れる、かもしれない。それが嫌なのだと気付く。
「嫌われたくなくて、がっかりもしたくなくて。格好良い兄貴分のままでいてほしい。だから、大丈夫、平気って言葉に縋りたい。…すごい、わがまま言ってるな」
「でも、そういうわがまま、聞いてくれちゃう人なんでしょ? 兄貴分だから」
天秋がこくりと頷く。
しばらく沈黙が落ちるが、どちらからともなく笑いが溢れた。
結局、天秋は陽大に手を伸ばさずにはいられないし、咲紀もそんな天秋を止めたくはない。
悩んだところで行動は変わらないと気付き、笑いがこみ上げてきた。
「全く、手のかかる弟分なんだから。平気って強がるしかなくなっちゃうじゃない」
「強がりにしか見えないのはそうだけど、本当に平気な時あるんだよ、陽大は」
「そういう時は大丈夫、って言ってるよ。使い分けてて、我慢してやり過ごしてる時は『平気』なんだよ」
「え?」
「ちょっとだけ思い出したの。陽大さんにナンパされた時に助けてもらったことがあるんだけど、質悪そうな人が相手の時は大丈夫って言わなかったな、って」
「気付かなかった…俺、何回かその話聞いてるし、見たこともあるのに…」
「お兄ちゃん研究が足りてないね。連れて帰って、もっとかっこいいところ見せてもらわないと」
「そうする」
ひとしきり笑ってから、天秋は立ち上がった。
「陽大を迎えに行ってくる。咲紀は残っててほしい、遅くなりそうだし」
「……ちゃんと、帰ってきてね?」
「…万が一の時は、咲紀を目指して帰ってくる」
リュックを背負った天秋が、店を出ていくのを見送りながら、咲紀は小さな声で「いってらっしゃい」と呟いた。
電車に揺られながら、天秋は紙代神社までの道順を地図アプリと乗り換えアプリを行き来しながら確認していた。
最初は、車をレンタルしようとした。
しかし、近場でのレンタカー営業所では配車の都合がつけられないと断られてしまった。
高速バスは、1番近い便は既に出発しており、次の便は日付が変わる頃に出発となっており、紙代神社にたどり着くには明日の夕方頃になるようだった。
操られているような感覚のまま、なんとか紙代村最寄りの駅まで行ける電車に飛び乗り、今揺られているというわけだ。
(紙代神社に着く時間まで操作されてたりするのか?)
まさかな、と思いながら、カタン、カタンと規則正しい揺れが眠気を誘う。
瞼が重くなるのを感じながら、少しくらいいいかと天秋は眠気に身を委ねた。
『聞いたか? 紙代の蛇が、神を辞めるらしいぞ』
『今頃か!? あんなに何度も腹を立てておったのに、まだヒトノコのお守りなんぞしとったのか』
『ヒトノコといえども神主は血筋の者だからなぁ…今代とその嫁は特に、可愛がっておる。子を任せられる相手をようやく見つけた、あとはキレイさっぱり流すだけと笑っておったわ』
『流す? 今の世で洪水なんぞ起こそうもんなら、面倒なことになるじゃろうて』
『そこは、閉架記録庫でザバァ、と行く気らしい。司書どもも除籍ついでだからと』
『なんと。流されたらかなわん、今宵は行かぬが良さそうじゃ』
『入館証がなければ、入れんだろうよ。今宵は元々閉館の日じゃ』
ケラケラと高い声が笑う。
どうやら、加巳之皓御霊は洪水を閉架記録庫内で起こして、情報を除籍し、現実が辻褄が合うように改変されるのを利用して紙代村を名実共に消してしまうつもりらしい。
そして、やはりというべきか。
加巳之皓御霊は、清司のことも陽大のことも気に入っているようだ。
だというのに、何故あれほどまでに印象が悪くなるような態度をとっていたのか。
(洪水の時に自分と袂を分かつことを選ぶかもしれないから…? 心中なんて、冗談じゃないって)
過去の紙代村の者は、そういう態度をとると離れていったのかも知れない。
だが、天秋には2人が加巳之皓御霊を嫌うとは思えなかった。
清司も、陽大も加巳之皓御霊とそれぞれ楽しそうに過ごしていたことを思い出していた。
「お客さん、着きましたよ」
かけられた声にハッとして、天秋は顔を上げる。
停車したタクシーのドアが開くと、反射的にクレジットカードで会計し外に出た。
無意識で電車を降り、タクシーに乗り換えていたようだ。紙代神社に着いてから、意識がはっきりしたのだが、どうにも危うい。
(咲紀にバレたら、叱られるヤツだ…)
途中、異形の者たちが会話するのを聞いたような気もした。とはいえ、それがこの後、どう繋がってくるかはまだわからない。
最後の山場だ。そんな気持ちで、紙代神社の鳥居を天秋は見上げた。




