導かれし者は今
最初のページには、大学進学で地元を離れるのだから日記をつけるように親から申し付けられたこと、ノート1冊分が埋まったら実家に送ること、このノートは3冊目であることが書かれていた。
意外にも読みやすい文字は、少し右上に上がりがちだがきっちりと整列している。
ページを捲ると、前のページの整然とした文字が途端に跳ねるように波打っていた。
眠気を抑えて、なんとか書こうとしたのが書かれた文字から察することができ、思わず天秋は笑ってしまった。
読み進めていくと、高見教授が顧問をしているサークルの内情を知った後から、サークルについての記載が増え始めた。
『昨日、今日とやたらサークルの話を振られる。しかも高見教授が顧問でお勧めって。単位取りやすいとは聞いてるけど、まじめに授業出たらガチ勢扱いになるから難易度上がるはずだが?』
『気になってたサークル、軒並みヤバい感じがする。半グレとツルんでそうなのがいる…軒並み、ってとこが引っかかるけど、関わらないのが吉か』
『オープンキャンパスで知り合った先輩にまた会った。高見教授のサークルにいるらしい。ガチ勢オブガチ勢じゃん。しかも蛇が鞄の中に潜んでても、誰も言及しない。都会ってすごいね? …史学部しか受からなかったから覚悟してたけど、ちょっと強引すぎんか??』
清司と再会したのだろう日の記述で、天秋の手が止まった。
鞄の中に蛇、というのは恐らくだが加巳之皓御霊が清司について大学に来ていた、ということだと推測はできる。
見えていたのが陽大だけならば、誰も言及しないだろう。
だが、「史学部しか受からなかった」「覚悟していたが、強引すぎる」とは、どういうことか。
怪訝に思いながら天秋がページを捲っていくと、そのことに触れている記述が現れた。
『清司さんから、学部の志望動機を聞かれた。ここしか受からなかったって言ったら、入院でもしてたのか、だって! 受験できなかったって受け取った人、初めて。だから清司さんもそういう人なのかと思ったら、違った。周りを蹴散らして、自分の行きたいとこに行った人だった。根っからのガチ勢じゃん!』
『清司さんとこの蛇が、周りに見えてないのをいいことに、授業の雑談ネタで即席ダンスしてオレを試してくる。つまり、進路弄ったのとは違う神、ってことなんだけど、笑うの我慢し過ぎて腹痛い。黒板が見えなかったから、蛇の動きを書いといたら、清司さんに遊ばないって叱られた。貴方の神のせいですが?!?!』
清司と行動することが増えたのか、日記の内容に清司と蛇神が頻出する。
蛇が神であることを疑っていないが、神よりも友人に近い気安い態度に、慣れのようなものを感じる。
少なくとも、大学進学は多大に神からの干渉を受けたと陽大が考えていたことは間違いない。
今、天秋がそう感じているように。
またページを捲っていくと、何枚かページが切り取られていた。
閉じているギリギリの部分をカッターで切り、丁寧に外している。
衝動的に破いたのとは違い、ある程度書いたものを後になって処分が必要になりページごと葬った。
そんな印象を受ける切り取り方だった。
『清司さんから卒論の資料探しを依頼された。専攻は蛇神信仰。地元含めた蛇神信仰がどう変遷してるかを研究して、卒論にするんだって。ただ、その蛇神信仰に絡んだ地元の因習をやめさせたい、その因習で人生狂った人が沢山いるから』
『手伝うのは良い。オレも話聞いて、破綻しかかってるヤバいコミュニティだなって思うから。…気になるのは、大学に蛇神が来てることに、清司さんが気付いてなかったこと。関係性が一方的で、蛇神が清司さんのこと気に入ってるから、大事になってないだけに見える。オレみたいに』
『実家に置いてきたのに、閉架記録庫の入館証がなぜか手元にある。使わなきゃいけなくなるとしたら…』
『後悔しないように、過ごさないと』
後悔を避けようとする記述が、不安を呼ぶ。
『ミシロの末裔』の映像でもそうだったが、陽大の行動は自分の命よりも他者の命を優先している節がある。
神に干渉されることが影響しているのだろうか。
そうしてページを捲る度に、清司との研究が進んでいく様が日記で明かされていく。
時折、天秋や咲紀、そして帆菜実と過ごしたことも書かれ、「楽しかった」「良かった」という言葉で締められていく。
生きていることを噛み締めるような記述に、天秋は唇を噛んだ。
清司と陽大が最初に立てていた計画は「閉架記録庫で紙代村の過去を探りながら、情報の除籍を進める」というものだったようだ。
陽大の専攻が都市伝説だということを知り、加巳之皓御霊が清司に閉架記録庫について教えたことが発端で、ゆっくりと因習を消し去ろうとしていたという。
「天瀧家の呪いがあるのに?」
思わず、疑問が口をついて出た天秋は、その後に続いた「熟成通り越して腐り始めた因習の後始末」という表現に苦笑した。
加巳之皓御霊と清司の関係が主従に近いことを案じていた陽大だが、清司をおざなりに扱うことはないと判断していたようだった。
それ故に弟の清斗を含めて、周囲の援助を受けられるように、と紙代村以外の関係を築こうとしていた。
そうした日々の中で、大耕の名前が出てきた。
『語学の授業で一緒になった大耕さんが、内定が決まったそうでめでたい。ブランド野菜用の肥料作ってる会社で、規格外品がたくさん手に入るんだと。帆菜実にも、ともらった。でも、帆菜実に包丁を持たせたくないので、オレが作る。ケガしたら危ないからね!』
『糖度が高いのか甘い? 美味いのは確かだけど、なんか気になる』
甘く感じられた野菜を不思議に思う記述の後、読んでいた天秋は眉を顰めた。
帆菜実が体調不良と悪夢を訴え、陽大も蛇の夢を見たと書いていた。
恐らく加巳之皓御霊だろう、と。
閉架記録庫での調査や日常の生活の合間に、帆菜実と会えば彼女に罵られる、否、はっきりとは書かれていないが殺意を向けられ、怪我もしていたようだ。
サラッと書かれているが、刃物を没収し、時には病院に行っている。
かなり危険な状況だっただろうに、弱音は書かれていない。
最終的にシロマナの野菜を食事から排除したことで帆菜実の容態が安定したとある。
年明け以降、清司と連絡が取れなくなっていることも書かれており、かなり焦れていたようだった。
天秋は無言でページを捲った。
既に天秋は知っている内容だったが、陽大から見た時の状況は、綱渡りをしているようだ。
帆菜実が安定したかと思えば、反比例するように陽大の体調が悪くなっていく。
夢の中では加巳之皓御霊が現れ、己には帆菜実を奪う権利があるのだから譲れ、と宣う。
まるで、陽大の憎悪を煽るように。
「あれ? 陽大、気に入られてたよな…? 栄養足りなさそう、って抜け殻食わそうとしたりしてたし」
蛇神の言動が一致していないように見える。
しかし、弱音こそ吐いていないが、苛立ちが滲んだ文字からかなり余裕がなくなっていたのだろう陽大はそのことに気付いていないようだった。
帆菜実を彼女の家族に引き渡す寸前で、紙代村の者に攫われた時には、怨念が染み込んでいると錯覚するほどで、経緯が簡潔に書かれた後に、怒りに震えたような「明日、紙代神社を訪問。許さない」という文章は赤黒く汚れていた。
この後は、閉架記録庫の映像で見た通りの流れだろう。
ノートを閉じようとした天秋は、まだ数枚ページが残っていることに気付く。
巫となった後のことも書いてあるのか、とページを捲った。
『巫になることを了承したら、死ぬんじゃないかってほど辛かった体が、なんともなくなった。なんか吐き出したっぽかったけど、覚えてない。覚えていたくない』
『帆菜実が言ってた、イマジナリー姑ってこの人か。いいぜ、かかってこいや。内心の自由は勝ち取る。絶対に譲らねぇ』
『イマジナリー姑、改めオトメさんから背の君って呼べと怒られる。なお、背の君=旦那様=清司さん。更に清司さんがこの図式を否定し、ミシロ様は肯定したのでオトメさんが混乱した。見解を統一してから、またどうぞ』
『ミシロ様に捕食されかかった。…祝言まで五体満足でいるために、一計。大耕さんと馬奈木さんに、すっごい微妙な顔をされた。ミシロ様も。オレも好きでやってるわけじゃないよ、命掛かってるからだよ?!』
『女性ホルモンが多くなると、オトメさんが張り切ることがわかった。ダメだな、避ける方向でなんとかしよう』
『天秋に色々頼むために連絡しようとしてるんだけど、送ったものは戻ってきたし、電話繋がらない。…天秋に任せちゃダメってこと? アイツ以外に首突っ込んで生き抜ける知り合いはいないんだけど…』
『狼が天秋を酔い潰しやがった。困るんですけど?!』
1日にほぼ1文。
そんな単位で書き連ねられた日記は短いながらも陽大らしい、と感じる文章だった。
新しくページを捲り、天秋の手が止まった。
『左手喰われた。あるけど動かない。痺れてるみたいだ』
『右脚喰われた。やっぱり動かないから、歩くのがキツイ。喰われた後から、帆菜実の声が思い出せなくなった』
『オトメさんが今日も元気。はいはい、背の君かっこいいね。オレはあのこの方がいいけど、あのこの名前が出てこない。まだ顔は思い出せる』
『左脚、喰われた。立てなくなっちゃった』
『背の君が、泣きそうな顔してる。平気だよ、オレ。そう言ったら、わかってる、だって。…平気、だよ。あと、ちょっとじゃん』
『久しぶりに、日記見返したら、ヤバいことになってる。そりゃ、清司さんも泣きそうなツラするわ。あと、通話履歴見たら、天秋に電話してた。…覚えてない。オレ何話したんだ? ちゃんと頼めてるといいけど』
『ミシロ様が、まだ覚えてるのか? だってさ。今は覚えてる方のオレだけど、晦の時はどっちだろう。…覚えてないオレだったら、沈むの選ぶだろうな』
かつて、己に向かって伸ばされた手を掴むことを躊躇わなかった男は、疲弊し限界を迎えつつあった。




