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思考路開通は誰が為に

 閉架記録庫から何かを持ち帰ったのは初めてのことだった。

 ノートにタイトルはなく、パラパラとページを捲ると見覚えのある文字が並んでいた。

 陽大(あきひろ)の文字だ。ただし、癖のない普通のもの。

 日付の下に並ぶ文章が、日記であることを表している。

 それを認識した瞬間、天秋(たかあき)はノートを勢いよく閉じた。

 閉架記録庫に限らず、数多の日記や手記を読んではいるものの、存命の人間の日記を読んだことはない。

 更に親友のものとなれば、気軽に読む度胸は天秋にはなかった。


「…そういや、咲紀(さき)は帰ってるよな?」


 バツの悪さを誤魔化すように、敢えて声に出す。

 咲紀が閉架記録庫で渡された記録は、分厚い1冊だけだった。

 何本ものDVDを延々と見続けた天秋よりも、早く帰っていてもおかしくない。


 メッセージアプリで、閉架記録庫から戻ったことを伝えると、すぐに既読マークがついた。

 彼女も異界の図書館から戻ってきているのだと天秋は安堵する。大丈夫だろうと思っていても、心配だった。

 特に、死の危険が潜んでいる場所だと判明したばかりだ。

 陽大の日記を手に入れたことも伝えようとすると、咲紀からの着信音が流れ出した。


『天秋? 今、大丈夫?』

「あぁ、大丈夫。さっき戻ってきたばかりなんだ。咲紀は? 怪我とかしてないか?」

『…うん、してない。えっと、ね? もし、違ってたら教えて欲しいんだけど。私、天秋とその閉架記録庫? に行ったんだっけ?』


 咲紀の訝しむような声がスピーカー越しに響く。

 心臓が一瞬跳ねたような心地になりつつも、天秋は努めて平静を装おう。


 閉架記録庫は、戻れば忘れてしまう。

 そういう都市伝説だ。

 忘れ方にもバリエーションがあり、訪れたことすら忘れてしまう場合もある。

 天秋も自覚はないが、訪れたことを忘れたことは何度もある、と不機嫌な司書から指摘されている。

 咲紀もきっとそのパターンだと思いながら、それでもと頭の片隅にこびりついた考えが顔を覗かせようとする。


「閉架記録庫は、差し出された記録を見終わるまで帰れない都市伝説だ。戻ってくると、忘れてしまうから、覚えてなくても仕方ない」

『あ、そうなんだ。…ってことは、私、都市伝説に遭遇した、ってことだよね?』

「そうだな」

『そっか…なんか、あんまり実感わかないものなんだね。天秋は、どこで知ったの? ネット?』


 咲紀の反応に、天秋は唇を噛む。

 いつかは訪れると認識していた。どうやってその時を遅らせようかと思案してもいた。

 だが、今この時なのか、という思いが拭えなかった。


「陽大から教えてもらったんだ」

『……ごめん、アキヒロってどんな人だっけ』


 咲紀から、陽大の記憶が消えていた。



 情報共有のため、日を改めて直接会おうという話になった。

 元々、天秋との言葉足らずな予定登録が複数入っていたことから確認の必要がある、と思っていたらしい。

 陽大のように「自分だけが読める文字」を使うのではなく、「必要最小限の情報で疑問を持たせて調べる」という方法をとっていることに咲紀らしさを感じた。


「俺も方法考えとかなきゃいけなかったんだよな…咲紀と陽大に助けられてて必要なかったけど」


 こんな事件に携わることはそうあることではないはずだが、自分なりの方法を持っていてもいいのではないか。

 幼い子供が必殺技を考案するようで気恥ずかしさもあるが、天秋は素直に楽しさを優先した。

 ピロン、と携帯電話が短い通知音を鳴らしたのは、1時間ほど経ってからだった。

 嬉々として「ボクの考えたサイキョーの思い出し方!」を考案しようにも何も思い浮かばず、発想力が足りないと打ちのめされていた天秋は、ノロノロと通知を確認する。

 スケジュールアプリからの通知だ。

 2時間後に多賀良(たから)教授の補習がある、と表示されている。

 それを見た瞬間、猛スピードで思考の舗装路が繋がり大きな道路のようになっていく。

 へこみもひび割れもない、出来立ての道路だ。


「シロマナの不正利益を暴くためのピース、なんとかなるかも…?」


 閉架記録庫で見た記録の中に、シロマナの決算報告書と銀の市場相場の推移表、それから人名とグラム数が記載された帳簿があった。

 この内、帳簿に関しては馬奈木(まなき)から清司へ、清司から大耕(だいさく)へという流れはあったものの、大耕が外へ持ち出すタイミングを見計らっているうちに、ということなのは間違いない。

 だが、決算報告と銀の市場相場推移表は公的な記録だ。

 原本はなくとも、官報か新聞をみれば確認ができる。

 しかも「長月の晦の沙汰」で社会的な制裁をと望んでいる加巳之皓御霊(かみのしろのみたま)や司書となった馬奈木や大耕が閉架記録庫にいるうちは、内容が改変されてしまう可能性も低い。


「見方がわかっている人間が見れば、決算報告書と銀相場の推移表だけでも、誤記載の可能性に目がいく。大耕さんのICレコーダーの音声データも合わせれば、不正への疑惑に繋がる…」


 懸念としては、この2つでは足りない場合だが、それに関しても天秋には思い当たる場所がある。


 結納の映像には、銀の塊が映っていた。

 1貫、つまり3.75kgの銀の塊は文庫本を2冊重ねた程度の大きさだった。

 「末期の採取」で得られた銀の塊はもっと大きい。

 天秋はハンドボールの大きさだと思ったが、あのサイズであれば20kg近い重さがあってもおかしくない。

 人目につかずに保管できる場所があるなら、そんな重量のあるものを移動させたりはしないだろう。


「紙代神社の地下神楽殿か、紙代合宿所の地下倉庫。どちらかにはあるはず」

 

 ようやく見えた道筋に、天秋は安堵と肩の荷が下りるような思いを感じていた。




「確かに計算は合わないから、何かしらの不整合はありそうだね」


 補習が終わった後、プリントアウトしたシロマナの貸借対照表と決算時期の銀の市場相場推移表を見た多賀良教授が唸る。

 それを特別講師として招かれた人物が、好奇心に満ちた顔で資料をのぞき込む。

 税務に詳しいとのことで、補習中は起業家がやりがちな税務失敗談を話していた。


「もし、書類に間違いがないんだとしたら、保有量が増えたってことになるけど、この辺は然るべき手順をふまないと調査できないかな」

「保有量が増えたかどうかって買い付けの取引記録が要る、とかですか?」

「そうそう。寄贈を受けた証明とかね。ねえ、この資料さ、ちょっと預かってもいい? 詳しく見てみたくて」


 2人に見せた資料の他、シロマナについて調べた資料やノート、そしてICレコーダーもまとめて封筒に入れた状態で渡す。

 受け取った外部講師の目が、一瞬ギラリと光って、取り繕ったように調べたねぇ、と笑った。

 獲物を狙っている猛禽のような目だ。


「なるほど、全部、外から手に入れられる資料なんだね。このレコーダーは?」

「それは…シロマナに勤めてた方のものです」

「中身、聞いた?」

「…はい」

「なるほどねぇ…」


 チラリと外部講師が多賀良教授に視線を向けると、高見くんに伝えておくね、と多賀良教授が答える。


「谷縞くん、だっけ。多賀良教授のお部屋で、もうちょっとお話聞かせてね」


 ニコニコと笑みを浮かべた男に促され、天秋は多賀良教授の研究室に向かうことになった。


 多賀良教授の研究室に着くと、扉の前で高見教授が待っていた。


「やあ、谷縞くん。企業の脱税疑惑をタレ込みするんだって? そんな面白いこと、除け者にしないでよ」

「…面白いですかね?!」

「ははは、冗談だよ。私も君に確認したいことがあったから、同席させて貰うよ」


 笑って高見教授が、室内へと入っていった。

 それを見て、天秋は不安が芽生えてくるのを感じる。


 多賀良教授に資料を見せれば然るべき手順でシロマナ告発に繋がるだろう、と確かに期待していた。

 税務に詳しい外部講師がたまたま招かれていて、資料に興味を持った。そこへ、高見教授も現れて、シロマナ告発の話に乗ろうとしている。

 経済の面、文化の面でシロマナの社会的制裁への道筋が、完璧な形で敷かれている。

 告発に必要なピースが揃ったからこそ、この道筋が出来上がった。狙った通りだ。


 だが、咲紀は陽大のことを忘れていた。

 それは、高見教授も、多賀良教授も、陽大や清司、もしかしたら接点があったかもしれない馬奈木や大耕のことを忘れている可能性の方が高いということでもある。

 陽大は後を任せてきた、と言っていたが、それが今も有効だとは思えない。


 まるで、誰かに用意されたルートに、自分が無理矢理連れてこられたような感覚だ。

 背中に氷塊を落とされたような気持ちになりながら、天秋は多賀良教授の研究室に入っていった。




 多賀良教授の研究室を辞し、自宅に戻ってきた天秋は鞄とともにベッドへとその身を沈めた。


 研究室では、渡した資料についてかなり踏み込んだことを聞かれ、天秋は嘘にならない範囲で正直に答えた。

 ただ、閉架記録庫で見た資料や、祟りの有無については話さなかった。

 体験していなければ、都市伝説にまつわる事象は信じにくい。

 まして、閉架記録庫から失われた記録は、現実をあり得る形で改変していく。

 天秋の発言が信用できないと思われることを避けるためには、話すわけにはいかなかった。


「……やっぱり、高見教授も、多賀良教授も、覚えてなかった」


 天秋が予想した通り、既に紙代村の関係者に関する記憶は、「長月の晦の沙汰」の対象とならない人々からは消えていた。

 高見教授は、各地の風習や習俗を研究していると稀に聞く現象だと言っていた。

 特定の記憶が消えて違う事柄に置き換わることも、導かれるような感覚になることも。


 はぁ、と大きくため息をついた天秋の視界に、免許証サイズのカードが入ってきた。

 閉架記録庫から戻ってきた時に、陽大の日記とともに手に入れたものだ。

 表には「入館証」とだけ書かれていて、どこの施設なのかは書かれておらず、裏側は無地だった。

 凹凸も特になく、つるりとしたカードだった。


「やっぱり、読まないといけないんだろうな…」


 導かれている、と言えば聞こえは良いが、操られている、とも見える現状へのヒントがあるとすれば、陽大の日記にあるのだろう。

 体を起こした天秋は、ピシャリ、と頬を両手で叩く。


 あと少しで、手が届く。

 そう信じるしかなかった。

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