ミシロの末裔7
一時停止させた映像から目を離した天秋は、小さく息を吐いた。
今見ている映像は、全て過去なのだ。
だからこそ、この後に起きるだろうことが予想ができてしまい、奥羽越列藩同盟と共に戦い北上していく新選組の戦歴を辿っているような感覚になっていた。
フィクションなら良かったのに、と呟いた声は再生ボタンを押した音にかき消された。
『4月29日深夜。紙代神社奥宮にて』
白文字が浮かぶ。背景は完全な黒ではないようで、薄っすらとだが、動く影が見えた。
小さく何かを擦る音がした後、ぼんやりとオレンジの明かりが灯る。小さな炎は、四隅に辿り着く度に己を分け与えるように蝋燭へと移っていき、屋内を照らす。
昼間のうちに運び込まれたのか、薄い布団が室内の中央に敷かれ、その上に真っ白な単衣を着せられた陽大が横たわっている。
腹の上に乗り上げていた白い蛇が、陽大の顔を覗こうとするように長い体で滑るように移動し、起こそうとするように彼の鼻先を己の鼻でつついた。
陽大の瞼が震える。
『…ん、だよ…また…か…?』
掠れた声で陽大が蛇に向かって笑う。
起こされるのが初めてではないような反応だった。
『なに、ハラ、へった…? せ…じさん、さがしな』
『ちがう? …なら、なんでかむの…』
『…きゅ、あ…? はぁ…? ちょ、いたい』
意図が通じないことに焦れたのか、びたん、と蛇は尾をしならせた。
画面の外から清司が現れ、主人の傍に控える従者のように、膝をつく。
蛇は神であること、陽大への接触は求愛であること、それに応えることで命が繋がることを、蛇神に代わって話す。
『神の妻になるといっても、特別なことはする必要はない。ただ傍に侍るだけでいい』
表情は平素と変わらないが、声に僅かな懇願の響きがあった。
どうか、受け入れてほしい。そんな思いが滲んだ声だった。
だが、陽大は了承しない。
加護を与えるなら、同じく身の危険がある帆菜実に。彼女を助けると約束している、約束を破りたくないと。
陽大の腹の上で2人の問答を聞いていた蛇神が、大きく口を開いて体を揺らした。まるで笑っているような動きだった。
陽大は怪訝な顔で、清司は諦念を滲ませた顔でそれを見つめる。
『ならば、その帆菜実という娘の生が紙代の者に脅かされなければ受け入れる、ということだな?』
清司に酷似した、だが威圧感と悪意が混ざったような声が響く。
清司が深く頭を下げる。その表情は窺うことはできなかった。
『紙代の者から、帆菜実を始めとした深山の者が害を受けぬようにしてやろう。縁を断てば自ずと、解放されるであろう』
『なん、か…たくら…でる?』
『企みがないとは言わぬが、お主には直接関係のないこと。知りたくば、呼ばいに応えることだ』
どうする、と面白がるように蛇神が陽大に問う。
ケホ、と小さく咳をした陽大は、蛇神ではなく天井へと視線を向けた。
視線を向けるために、頭を浮かせ続けるのが辛くなったのだろう。表情は苦しそうだった。
『…しはら、う…は…? ある…だろ…』
『そうさな。縁を断つにあたり、帆菜実からは記憶を。陽大、お主には帆菜実へ恋情を向けることを禁ずる』
『つま、に…なるから…か…』
『お主の身を守るためでもあるのだぞ? 我の本性は蛇である故、他の雄を排除しようと食い殺すこともある。女子に恋情を向けていると、自然と敵対する雄と見えてしまうのでな』
『そ、う…わか、た…』
陽大の言葉を聞いた蛇神は、鎌首を擡げて清司の傍へ移動していく。
頭を下げたままの清司に体を巻き付けた後、トントンと彼の肩を口元でつつく。
合図を受けたように清司が顔をあげた。
『では、成立だな。今、この時よりお主は我らミシロの妻だ』
ニタリと嗤った蛇神とは裏腹に、清司は安堵とそれ以上の罪悪感を抱えた表情をしていた。
カチ、という音とともに、映像が動きを止める。
一時停止した蛇神と清司の表情を、天秋はじっと見つめた後、首を捻る。
清司の表情に何か違和感を持ったのだが、それが何かわからない。
(加巳之皓御霊が見えてる…そもそも依代だし、気に入られてるみたいだから、見えることにおかしさはない。…罪悪感? いや、午前の馬奈木との会話で腹は括ってたように思える…)
低く唸りながら、映像を思い返す。
ふ、と「ただ傍に侍るだけで良い」という清司の言葉が浮かぶ。
それは「帆菜実を想うことを咎めない」ということだったのかもしれない、と思い至る。
(そう、か。陽大が頷かないこと、分かってたんだ。どんな条件なら陽大が受け入れるか、その上で、巫に求めることをさせるかを了承させるか…それを隠してたのか)
清司の罪悪感の理由に得心した天秋は、再生ボタンを押す。
蛇神の声にずっと悪意が乗っていることに、僅かな疑問を感じながら。
暗転した後、映像は早送りをしているように動き出す。
ドラマや映画で空模様を倍速で流すことで時間の経過を表現するようなものだ。
『8月16日午後。紙代神社社務所にて』
白抜き文字が浮かんで消えた。
祈祷待機室の札が掲げられた部屋の中で、大耕が、ぐったりと机に突っ伏していた。
それを清司が邪魔だと邪険にすると、大耕は回復した陽大を女性と見間違えたことにショックを受けたと嘆く。
誓約を守っていても、誤って神が食い殺そうとすることが頻発したため仕方なく女性ホルモンを投与して回避している、とは清司の言だ。
ただ、体の変化が不可逆になってしまう前にやめる予定であるらしく、祝言前にまた同じ状況になってしまうのではないかと大耕が指摘する。
『早まるから平気、だそうだ。どういう根拠かわからないが…ただ、ミシロ様も同じように言ってる』
『神がそういうなら、なんとかなるのか…?』
『多分、な。で、お前は?』
用事がないなら帰れ、と言葉にこそしないが清司がじとりと大耕を睨む。
睨まれた大耕は軽く肩をすくめたあと、おどけた仕草はやめて真面目な顔に戻る。
『順調に進んではいる。深山帆菜実の件も、すぐに帰したからか静かだしな。…が、肇がコミュニティ側から疑われているかもしれない。馬奈木の家でのシロマナ野菜の消費量が増えている。…肇には伝えてある』
『…わかった。お前も気をつけろよ』
清司の言葉に大耕は頷くと、待機室から出ていった。
画面がぱっと切り替わる。
早朝の駅のロータリーが映し出され、大きなワゴンの前でそれぞれ荷物を持った若者達が談笑している。
清司、大耕、馬奈木、陽大、咲紀、帆菜実、そして天秋の姿があった。
彼らを乗せたワゴンは音もなく、走り出した。
『8月29日深夜。紙代神社地下神楽殿』
木の扉が開く音とともに、馬奈木、大耕、陽大が扉の内側へと体を滑り込ませる。
彼らの手には、灯りが消された懐中電灯が握られていた。
『まさか、紙代合宿所の地下倉庫からこんな場所に出るとは…』
『敷地面積と洪水で流されないために地下にあるらしいです。神楽殿でやる儀式ってほとんど秘事になってますからね。知らない人の方が多いみたいです』
『知るのは中枢の者のみ、か』
神楽殿の周りには、黒いスーツ姿の能面をつけた男達が護衛のように立っていた。
乱入者が現れるのを警戒するような様子だった。
神楽殿の左手寄りには、白無垢を着た帆菜実がぼんやりとした様子で座っており、彼女の前には銀の塊と縁起物が置かれていた。
逆側には巨大な白蛇が蜷局を巻いて鎮座しているが、不機嫌な様子で尾をバタンバタン、と床に叩きつけている。
蛇神の不機嫌さが視線を集めていたせいか、3人が忍び込んだことはまだ気付かれていないようだった。
『結納金として、銀1貫。結納品として縁起物。どちらもお受け取りいただきました』
「中将」の能面を着けた男が白い封書を白木の台の上に載せ、しずしずと白蛇の前に差し出す。
シュー、という噴気音がして、白蛇の体が平たく膨らむ。
『ミシロ様、巫となる娘からの結納の品となりーーっ!?』
男の言葉は、ガシャン、という大きな音にかき消される。
苛立たしげに上下していた尾が、白蛇の前に置かれた白木の台を吹き飛ばし、近くに並べられていた縁起物に当たり、今度は帆菜実に向かって跳ねた。
『危ないだろ! 帆菜実に当たっちゃうでしょうが!!』
帆菜実に当たる寸前で、彼女を庇った陽大が怒声をあげた。
『そんなに村が用意した巫が気に入らないなら、オレが代わりになってやるよ』
『だぁれ…?』
『帆菜実、わかる? オレ、陽大だよ。今だけでいいから思い出して』
ぼんやりとしていた帆菜実が顔をあげ、陽大を見つめる。
しばらく見つめた後、彼女はボロボロと涙を零しながら、訴えた。
この場にいるのは何故なのかわからない、誰かを想うように言われるが、その誰かではない相手がいいのだ、と。
『私、巫になりたくない』
帆菜実の呟くような願いに、不機嫌そうな様子だった白蛇がニタリと笑う。
『その言葉、しかと受け取った。深山帆菜実。加巳之皓御霊の名に誓って、その者の手を離すと誓うか? 誓うならば、紙代からの離脱を赦そう』
待っていたぞ、と言わんばかりの提案に陽大が呆れたように顔を歪ませた。
もう少し茶番だと隠せ、と言わんばかりの顔だ。
それに気付いた馬奈木と大耕も、なんとも言えない顔をしている。
中将の面を着けた男が、認められないと叫ぶ。
それに対して、今までは依代側の反対がなく選択を尊重していた、今回は帆菜実を巫にしたいと神も依代も考えておらず「合議で選出する」という約定から外れている、と
意地の悪い笑みを浮かべながら、白蛇は返した。
能面の男が言い換えしてこないことを確認して、チラリと陽大に視線を向ける。
早く帆菜実から言質を取れという催促なのは明らかだった。
はぁ、とため息をついた陽大は、帆菜実に視線を向けた。
『万葉集の詠み人知らず、思い出せる? 防人のやつ』
『君を思ふ 心は常に あれどもな…?』
『そう、それ。…それを思い出せるなら、手を離しても帆菜実は歩いていける。オレがいなくてもね』
『でも、さみしい…あなたは…?』
『さみしくても平気』
『……わかった。私、手を離す…』
帆菜実が頷くのを見た白蛇は、口を開く。
『誓約はなされた。帆菜実をはじめ、深山家の者は紙代から離れたものとする。以降、紙代の者が接触すること能わず。また、合議により高平陽大を巫として迎える』
能面達がざわつく中、白蛇は満足そうにしていた。
『9月6日午前。紙代神社社務所にて』
また切り替わった画面に映ったのは、郵便受けから大きな茶封筒を取り出した陽大の姿だった。
肩から腕にかけて、白い蛇がゆったりと巻きついている。
封筒は封がされておらず、白蛇が楽しげに頭を封筒の中に入れようとするのを窘めながら、屋内へ戻る。
奥から少し顔色の悪い清司が、足早に向かってくる。
『清司さん、急ぎ? 顔色悪いけど』
『肇が死んだ』
『…は?』
『事故死、と聞いたが…おそらく…』
陽大と清司の視線が茶封筒に向く。
中身は、シロマナの決算報告書と銀相場市場の推移を表にしたもの、そして人名とグラム数が書かれた帳簿だった。
『10月24日夕方。紙代神社地下神楽殿』
篝火が焚かれ、薄っすらと明るくなった神楽殿には着飾った人ならざる者達が並んで座っていた。
泥の塊のようなものもいれば、真っ黒な影でできた狼のようなものもいる。
異形達に混じって、大耕と天秋も着座していた。
人の形をしているのは、大耕と天秋だけだ。天秋の隣にいる影の狼は、先程から芳香を漂わせた酒を流し込むように飲んでいる。
それに怯えながら、天秋は何故自分がここにいるのか、大耕に尋ねた。
『もしかして、何も聞いてないのか?』
『しばらく会えなくなるから、その前に面白いもの見せてやるってそれだけ』
『そうか。…全部終わったら殴れば良いんじゃないかな。その権利が君にはあるからな』
緋毛氈の敷かれた高台で、三献の儀を進める新郎と新婦に視線を向けたままの大耕が苦笑しながら言う。
隣にいた影の狼が同情のような視線を天秋に向け、そっと盃を滑らせた。
小さく会釈して、その盃を手に取った天秋はぐっと煽った。
画面がゆっくりと暗転していく。
ふと、芳しい酒の香りがして、急激に眠気に襲われる。
まだ、映像の再生は終わっていないというのに。
『ずっと下向いてるなって思ってたけど、酔い潰れてんじゃん』
『谷縞くんに何も説明してなかったんだって? 困惑してたぞ』
『…なんとかなるんじゃないかな、多分』
『多分、ってお前…』
『説明しておいた方が、より動けるんじゃないか? 碇にもなるだろうし』
『碇の件は、オレ納得してないんだけどなぁ?』
『最後の洪水に、お前まで付き合う必要はない』
『それは神の思惑に応えられるかどうかによるでしょ。…天秋が最後まで諦めなきゃ、思惑通りになるかもね』
陽大の声が、遠くなっていく。
体を覆うような温かさに負けて、天秋は意識を手放した。
自室で目覚めた天秋の手元には、1冊のノートとカードが置かれていた。




