ミシロの末裔6
殺意をかろうじて抑えているのだと容易に想像がつくほどの獰猛な笑みを浮かべた陽大を見た清司は、僅かな間だけ目を閉じた。
次に目を開いた時には、それまで揺れ動いていた感情をなくした顔で陽大に向き合う。
『俺が彼女と婚約を結んだとして、お前に関係があるのか? 彼女と交際はしていなかったと記憶しているが』
その反論を聞いた瞬間、陽大が威嚇として浮かべていた笑みに苦いものが混じった。
外野から見た陽大と帆菜実は交際しているように見えていたが、肝心の2人の認識は交際一歩手前だった。それを指摘された上で口を出せる立場なのか、という問いは言外に糾弾が筋違いのものだと断じるものだった。
指摘そのものは否定せずに、陽大は「深山家は婚約に同意していない」と返した。
『双方の合意が成り立ってないのに一方的に婚約話を進めて。そんなことしたら、オレが乗り込んでくることくらい、アンタなら想像つくだろ』
『そうだな。…だから連絡を絶っていた。理由としては十分では?』
『…そう。じゃあ、アンタも敵ってわけだ。誘拐犯の1人として警察に突き出すしかねぇな』
陽大の言葉に物騒なものが混じった。
誘拐という穏やかでない単語が出たことで、清司の対決姿勢が僅かに崩れる。
陽大が机を迂回して清司の横に立ち、機を見逃すことなく畳み掛ける。
10月末頃からシロマナの野菜を大量に大耕からお裾分けとして受け取っていたこと。
大耕からはシロマナの知名度向上をかねており、帆菜実との関係を深める小道具として使ったらどうか、とアドバイスをされていたこと。
それを料理が苦手な彼女に代わり、陽大が調理し、共に食べていたこと。
年末が近づいた頃、帆菜実は頻繁に体調を崩し、悪夢に悩まされるようになっていたこと。その悪夢によって不安感が増したことで、彼女は錯乱に近い状態に陥っていたこと。
『彼女を巫に仕立てて、手にいれるために婚約を画策。彼女とその家族が婚約に同意しないため、業を煮やして誘拐に至る、と。…オレには紙代村の調査を手伝わせて、彼女を巫に仕立てさせていることを隠してた。そういうことで良いんだな?』
『……あぁ。それでいい』
陽大からの最後通牒に、清司は頷いた。
おもむろに、陽大が清司の襟首を掴む。「歯を食いしばれ」という言葉と共に、陽大の右拳が唸る。
『何が、それで良い、だ。やってもいないこと、認めてんじゃねぇよ。清斗がどうなるのか考えてねぇだろ!? 世界は広いから見せてやりたいって言ってたのに、自分でそれを反故にすんじゃねぇ! ここで流されて、それで清斗に会わせる顔があるとでも思ってんのか。踏ん張り切れないってんなら、助けてって、周りに手を伸ばせよ!!』
清司は殴られたまま動かない。
陽大が思いの丈を吐き出す間、どんな表情を浮かべていたのか。
殴った本人が焦れたような顔をしていたので、驚きでも、怒りもなかったようだ。
『今まで誰も手を掴まなかったって言うなら、オレが掴む! 掴んで引き上げる、だから』
『引き上げられなかったら? 手を離すのか?』
『離さないし、引き上げる』
『根性論か。お前はやり切ってしまいそうで、変に説得力があるな。…なぁ、陽大。助けてくれないか?』
『いいぜ。次からはオレが殴る前に言ってくれよ』
カメラが切り替わると、清司と陽大は給湯室に移動していた。
丸椅子に清司を座らせた陽大がどこから探し出してきたのか、湿布で応急手当をしていた。
『思ってたより腫れてないな。手加減してくれたのか?』
『…あの状態のオレがそこまで冷静なわけないでしょ。全力だよ、全力』
もごもごと悔しそうにしている陽大を見ながら、清司がふと自分の手を見た。
感じた違和感の正体を探ろうとしている様子なのを確認した陽大は救急キットを片付けている。
『清司さんが関わってるとは思ってないんだけどさ。帆菜実、どこに連れて行かれたのか心当たりない?』
『…大耕家が所有している施設のどこか、が高い。ただ、シロマナの研修施設の可能性もある』
『シロマナだと、関係ない人もいそうなのに?』
清司が言うには過去にも同じことをしでかしたことはあったが数日して居場所が発覚した際に本人が希望して同行した、と発言していたらしい。そのせいで嫌疑不十分になってしまった、ということだ。
本人がそう言った発言をすることを見越して、シロマナの研修施設に連れていった過去事例も数件あるらしい。
『…やっば…』
『だから、清斗を外に出したいんだ。…ところで、シロマナの野菜を調理していたのは陽大だったと言っていたよな。お前も食べていたなら、影響が出ているはずだろう。今は』
違和感の正体に辿り着いたようで、清司が陽大の体調を確認しようとした瞬間だった。
ケホ、と軽い咳がすぐに重い咳に変わり、口元を押さえた手の隙間から赤黒いものが溢れた。
慌てて近くの流しに陽大を移動させると、流しの中が赤黒く染まっていく。
それが表すことが何を意味しているのかは清司にははっきりわかったのだろう。激しく咳き込む陽大の背をさする手が震えていた。
『あー…ご覧の通り。さっき、あれだけ啖呵切ったのに情けねぇの…』
『シロマナの野菜食って、健康被害出た後に回復したって情報なかったんだよね。生きてる間は原因不明の体調不良、死んだら腹の中から銀の塊がゴロゴロでてくるんじゃ、流石に祟りだって思うよな』
『あとのこと、高見教授に頼んできたからさ…遠慮しないで頼って』
『あ…帆菜実のことは、警察に…通報、よろし…く…』
流しにしがみつくようにしていた陽大の体がずるずると沈み込んでいく。
清司はその体を後ろから支えつつも、座り込んでしまった。
耳障りなノイズ音のあと、映像が一瞬だけ止まって消えた。
映像が消えて暗転した画面を凝視したまま、天秋は服の上から胸を押さえる。
手のひらから布越しに、ドクドクと早く脈打っているのが伝わってくる。
沈み込んでいく時の親友の顔は、口元を汚した赤黒さが際立つほどに白かった。
漂白されたような白は、死人特有のものだと感じるほどだ。
(いや、俺はこの時よりも後に陽大に会ってる。だから少なくとも、ここから回復してるはずだ。……だけど、その記憶が…既に歪められてたら…? 俺が見ていた陽大は、実は…)
閉架記録庫の司書として存在する馬奈木と大耕と同じ存在となっている、という可能性が脳裏に浮かんでくるのを必死に抑え込む。
既に手遅れなのではないかという恐怖が拭えない。
ガタガタと体が震える。
(手を伸ばしても、掴める手がないんだとしたらーー)
ーー手ぇ伸ばしといて、引っ込めんなよ。掴めないでしょ?!
不意に、陽大の声が脳内に響く。
出会ってすぐの頃か、少し経ってからだったか。
バーベキューをしようという話が出て、川辺にあるバーベキュー場に陽大を始めとした同じ講義を取った数人と出かけた時に、言われた言葉だった。
その時は、川の中で転んだ陽大に向かって手を伸ばそうとしたら、他の同行者達が水の中に引っ張り込まれたのが視界に入って、陽大が手を掴もうとした瞬間に手を引いた。それで更に盛大に転んだ陽大が悪戯に失敗した、と文句を言ってきたのだ。
(…手を伸ばすって決めたんだから、引っ込めるなってことだよな…)
まだ、掴む手がないと決まったわけではない。
自分の想像を怖がっているだけだ。
薄っすらと目尻に浮かんだ涙を拭いて、呼吸を整える。
まだ心臓はドクドクと激しく脈打ってはいるが、手を伸ばしなおすために、暗転していた画面に目を向けた。
『4月29日午前。紙代神社奥宮にて』
白文字が浮かび上がりながら、清司が誰かと通話していた。
その声には、深い疲労が滲んでいる。
『…村が用意した巫は、深山帆菜実なんだな? 忠告したはずだ、智史。後味が悪いどころじゃないくらいの後悔をする、と。それでも、お前は自分の都合を優先して役を降りなかった。だから、その後悔は抱えていくしかない』
『いいか、これ以上は絶対に手を貸すなよ。既に、外の警察に深山家から捜索願が出されている。…あぁ、陽大が手配していた』
『…肇が? わかった、奥宮にいると伝えてくれ。社務所の方は閉めておくから声はかけなくていい』
通話が終わると、玉砂利を踏む音が続いた。
足音が止まると鈍く重い扉を開く音とともに、暗転したままだった画面に光が指す。
陽大を背負った清司がフレームの中に入ってくる。
『陽大を連れて参りました、ミシロ様』
清司が陽大を下ろして、壁にもたれかかるように床に座らせる。
屋内には、大きな白い蛇がいるのみで、何もない。陽大の苦しげな浅い呼吸が響いた。
音もなく白蛇は陽大に這い寄り、顔を覗き込んだ。
『…夜を越せるかどうか、ですか。気に入っておられるのに、助けようと思わないのですか』
『確かに根付かせたくないと申し上げました。それは、所縁のない土地で搾取されて死んでくれと願うのと変わらないことだから』
『ええ、おっしゃる通りです。…ミシロ様は紙代の鎮守。土地の者でない陽大に加護を与える義理はなく、今の状況は…我々、紙代の者が犯した罪の結果。ですが、どうか慈悲を賜れませんか』
『…陽大を巫に…? 以前から望まれておられましたが、なぜそこまで…そもそも条件に合わな…』
契約を重視する神がなぜ条件に合わない者を望んでいるのかがわからず、清司が首をかしげる。
清司が頭を悩ませているのを尻目に、白蛇は陽大の膝の上に乗り上げていた。
のんびりとした様子で、清司が答えを出すのを待っているようだった。
『…人間側の違約を理由に契約を破棄するため、ですか?』
『確かに先代までは村が選出した巫を受け入れていましたが。あぁ、全ての約定に反したことになるから…』
その時、玉砂利を蹴る音が画面外から響いた。
馬奈木が息を切らせながら、現れた。
ぐったりとした様子で壁にもたれて座る陽大を見つけた馬奈木が、まさか、という顔で清司を見る。
『今夜が峠で…越えられないだろう、というのがミシロ様の見立てだ』
『社長から。死後は献体として引き取りたい、だそうだ』
『無茶を言う。相変わらず強欲だな』
力なく返された清司からの冷笑から逃げるように、馬奈木は陽大から視線を逸らした。
『…コイツは煩くて、悩みもなさそうな顔でお前や智史の隣にいるのが気に食わない。それでも、惚れた女を自分の手で他人の妻に仕立てさせられて、挙句、死後に腹を捌かれていい奴じゃない。…いい加減、愛想も尽きた』
『そうか。…もう名実共に紙代は消えるべきかもな』
そう呟いた清司の声は、郷愁を振り切ろうとしているようだった。




