ミシロの末裔5
『12月10日午前。高見教授研究室にて』
黒い背景に、白文字でそれだけが表示されていた。
椅子を引く音の後、衣擦れのような音がする。どうやら音声のみのようだ。
最初に話しはじめたのは、高見教授だった。
清司の提出した卒業論文の内容を褒めるものだったが、提出期限は年明け1月末であり、本当に最終版として提出するのか、これで成績が確定することになるが良いのかという確認を兼ねていた。
対する清司は、問題ないと答える。残る必修単位は卒業論文による成績だけで、単位数も足りている、と。
意思の撤回はなさそうだと判断したのだろう。高見教授が話題を変えた。
卒業論文で調査協力という単語を見るとは思わなかった、と。
『当の本人に名前が入ってること伝えてないの?』
『はい。教える必要はないと』
『絶対喜ぶのに』
『教えられるよりも自分で見つけることを好む奴です。すぐ見つけて跳ね回りますよ』
確かに、と高見教授が笑いながら同意する。今後の予定は、という質問に、清司は卒業式に出ずに実家に戻ると答えた。
1人分の椅子を引く音がして、靴音が続く。
失礼しましたという退出の声と、扉を閉める音がした。
はぁ、と低いため息が高見教授から漏れる。
『結局、手を伸ばしてはもらえなかったか…高平くんと一緒にいるうちに相談してくるかと期待したんだけどな…』
無念さを滲ませた教授の声は、清司の取り巻く環境の過酷さを把握しつつも改善のために動くことができなかったことを示していた。
画面から白文字が薄くなり始めたところで、一時停止の記号が表示される。
天秋が考えをまとめるために、一時停止ボタンを押したからだ。
(高見教授は気付いてた…実家が神社、見た目も家系特有なもののせいで目立つ。何より、他の学生と比べたら、生来のものじゃなさそうな気難しさが、あの人あるし)
1度毎の密度が濃いとは言え、数えるほどしか対面していない天秋ですらそれを感じたのだ。高見教授なら況やを、だ。
その上で行動に移せなかった、というのは大学という教育機関がほぼ成人のみで構成されていることが大きいのだろう。
例えば未成年が結んだ不利な契約は親の申し出で無効にすることができるが、これは未成年が「責任を負うに相応しい主体的な判断能力をもたない者」、親が「成年であり後見として保護、監督する者」と見做されているからだ。
不利な状況にあるからと、同意もなく改善に乗り出すことは、その意図がなくても「判断に伴った責任を負うことが出来ない者」と扱うことになってしまい、差別やハラスメントに繋がる。
(…だから、本人からの相談が必須、なのかな。そして、天瀧清司からの相談を待っていた…)
この記録を聞く限り、天瀧清司は高見教授に助けを求めていない。助けを求めていれば、きっと高見教授は解決に必要な場所へ天瀧清司を繋いだことだろう。
(卒業したら疎遠になるよな、この流れ。…天瀧清司は、救済を求めていなかったことにならないか?)
だが、天秋の元に紙代村の因習についての資料が残され、更に加護と祟りを悪用したシロマナの不正利益に繋がるだろう情報も手に入っている。
そしてこれらの情報を高見教授に渡し、然るべき社会的制裁に繋げることが陽大から天秋に託された役割だ。
では、陽大が勝手にこれらの行動をとるか?
(説得はするだろうけど、天瀧清司の意思に反して勝手にやるってことはしないよな。帆菜実の場合は、陽大が惚れてた上で、命を最優先にしたって感じあるしなぁ…)
天秋は首を傾げながら、再生ボタンに手を伸ばした。
『12月10日午後。天瀧清司の自宅にて』
再生が再開された画面は、また黒背景に白文字で日時と場所が表示され、すぐに清司の自宅内が映し出される。
没個性だった部屋には、幾つも段ボールが積まれていた。
側面には「服」、「雑貨」、「食器」と書かれており、引越しの準備中だとわかる。
ドサリ、という音がして、シングルベッドの上に陽大が突然現れた。眠っているのか、身動ぎもしない。
靴も履いたままで、まるで外出した先から移動してきたような姿だ。
リュックサックと上着を引きずる白蛇が、画面の外から入ってくる。ベッド脇にそれらを放置すると、今度は陽大の体を仰向けにしようと、彼の体に巻き付こうとした。
ガチャ、と解錠の音に続いてドアの開く音がする。
清司が帰宅したようだった。
『ただいま戻りました。…また、陽大を閉架記録庫から連れてきたんですか? 本当に気に入っておられるのですね。でも巫の条件に合わないのはお分かりでしょう?』
『おっしゃる通り、俺も傍に置いておきたいですが、紙代に根付かせたくありません。だから、想い人のところに帰してやってください』
『え、そんなことが? …確かに血を拭いた跡が…』
陽大の右袖が茶色く汚れていることに気付いた清司が眉根を寄せる。
汚れ具合と陽大の顔色から病院に連れて行くか、迷っているようだった。
白蛇が、どこからか白く乾いた紐のようなものをくわえてきて、陽大の口に押し込もうとする。
それを阻止するように清司が白蛇の体を持ち上げて、画面の外へと移動していった。
『意識のない人間の口に物を詰めてはいけません、死にます。…栄養があってもダメです』
『あちらの文字を読むと破裂…?! そんな危険な場所だと…?』
『陽大には、閉架記録庫に行ったら差し出されたものだけ読むように言い聞かせます。あいつの大丈夫は時々外れるし、なにより遊園地だと思ってそうですから…』
清司の疲れたような声と共に、映像はゆっくりと暗転していった。
『1月25日夜。居酒屋にて』
暗転しきった画面に白文字で日時と場所がまたも浮かび上がる。
卒業論文提出の映像から、映像が切り替わるたびに日時と場所が表示されていた。
一時停止ボタンを押して再生を止めると、天秋は腕を組んでそこにある意図を考える。
(日時と、場所…今まではっきりと時間や場所を意識させるような提示をしてこなかったのに、卒論のところから連続で出してきてる。つまり、天瀧清司にとって重要だったってことだ)
まるで、自身の記憶を整理して情報や感情を仕分けたかのように感じた。
誰がいつ何をしていたのか。
それを自分がいつ知って、どう感情が動いたのか。
(そうやって仕分けないと、自分を保てなかった?)
破滅願望に身を委ねてしまいそうになったのだろうか。
それを確かめるために、天秋は再生ボタンを押した。
『1月25日夜。居酒屋にて』
ファストフード店やカフェで空席状況を確認するカメラを模倣したような映像だった。
店員に案内されて、大耕、馬奈木、そして清司の3人は半個室になった席に現れる。
3人分のビールと幾つかの小皿料理が運ばれてきた後、馬奈木が清司に問いかけた。
在学中に気になった女性はいなかったか、と。
器用に片眉だけあげた清司はいないと答えながら馬奈木を探るように見やり、何かに思い当たったのか特に希望もない、と付け加えた。馬奈木の眉間はますます深い皺を寄せた。
『史学部に進学を決めた時から、村の老人どもの思惑に乗る気はないと思っていたが…』
『あぁ。それでも卒業が確定したから、すぐに紙代に戻って務めを滞りなく果たしている。見合いでもさせる気か?』
『8月には結納、年内に祝言のつもりで進めると老人どもが言っている。お前にその気がなくても、だ』
『好みくらいは考慮してやるぞ、ということか。で? 何が不満なんだ』
『…あのやり方が気にくわない』
『気が進まないのはわかるが、そこまでか? 特産品をアピールして、印象をよくしようというだけだろ』
大耕は首を傾げながら、馬奈木に尋ねた。
そのうちすぐに後悔するさ、と馬奈木が吐き捨てた。
『恋路に協力してるように見せて、横から掠め取ろうとしてるんだ。後味が悪いのは同意するが、このくらいのアピールで心変わりされるくらいの仲なら…逆にいいんじゃないか…?』
『馬だけじゃなくて、黒柴にも蹴られたらいい』
『…特産品アピール…コミュニティ外で探してるのか。よくやる…』
『俺の担当はダムができた時にコミュニティから外れた家の娘だ。第1候補じゃないし、相手もいるから選ばれることはないと思うんだがな。引っ掻き回した分、規格品込みで5年分くらいだったらセーフじゃないかと思うんだが…』
大耕の言葉を聞いた清司が、ギョッとして彼の顔を見ると同時に馬奈木が「智史はまだ知らない」と小声で呟く。
それを聞いた清司は、画面越しでもわかるほど青ざめていた。
『智史、嘘をついてでも巫候補への接触役はすぐに降りろ。絶対に後味が悪い程度じゃすまないレベルの後悔をする』
『俺の予想通りだっただろ。清司も反対してるんだから、お前は降りろ』
『そうは言っても、だな。清司は気を悪くするかもしれんが、俺はお前の友として、少しでも良い未来を進んで欲しいんだよ。あまりゆっくりしてられないのは事実だろ?』
『それは俺も同意だが、狸爺どもの策略だからな。まともなはずがあるか』
『肇は…降りられないか』
『だから不満なんだ』
馬奈木が言い捨ててビールを一気に煽った。
空になったジョッキが乱暴に机に置かれると同時に、再生中に電源を切ったモニターのようにぶつりと音をさせて画面は暗くなった。
『4月28日夜。紙代神社社務所にて』
一呼吸あけて白文字がゆっくりと浮かび上がり、消える。
祈祷待機室と札が下げられた部屋の中で、清司と陽大が向かい合って座っていた。
画面の端に映った窓の外は、塗りつぶされていたように真っ黒で、完全に陽が落ちていることがわかる。
『こんな時間に訪ねてくるのは非常識じゃないか?』
『こちらからの連絡には返信がなく、電話も着信拒否。神社の電話番号にかけても繋がらない。訪ねる日を郵便で知らせたら、代理の人しかいない。確実に会おうとするなら、絶対いるだろう時間に押しかけるしかないと思いませんか』
感情が全く乗らない、平坦な調子の声で話す陽大は無表情だった。ただし、清司に向ける視線には怒りが篭っていた。
バツが悪そうに清司が視線をそらすと、陽大が言葉を続けた。
卒業を祝う言葉とともに、公開された卒業論文を読んだこと、そして「調査協力」として自身の名があったことを嬉しく思う、とまるで初対面であるかのような調子で話す。
『…喜んでいるようには、見えないな』
『当時は喜びました』
取り付く島もない様子に、彼の怒りの理由を聞き出すことを一旦諦めて、清司が本題を促した。
すると、加巳之皓御霊の巫に関する資料を探している、という回答が返ってきた。
意外に思いながら、情報は在学中の調査時に共有済みだと伝えると、全てではなかったはずだ、と剣呑さの増した視線とともに返された。
『例えば、巫の候補は元紙代村コミュニティの中でも比較的新しくリーダー的な役割を負う家の娘が選ばれる傾向がある、とか、巫になるにあたり加巳之皓野菜、今はシロマナの野菜を常食させる習慣がある、とか。シロマナの野菜を常食した場合、平均半年ほどで健康被害が出て、その原因はわかっていないこととか。あぁ、最後は巫には限りませんね』
『…陽大、お前…』
『閉架記録庫の記録も警告のための創作話じゃなくて、実話だったと。まさか祟りをうまく扱って本当に利益に繋げているとは思いませんでした。あぁ、そういえば。近々、婚約されるとか』
ずっと無表情だった陽大が、笑みを浮かべた。それを正面から見た清司の肩が揺れる。
『お相手は深山帆菜実さんだそうで。まさか3年ほど付き合いがあるのに教えていただけなかったなんて残念です』
陽大の笑顔は、相手を噛み殺す一瞬前の獰猛な狼を思わせるものだった。




