ミシロの末裔4
父である神主の破滅願望に染まっていくように、幼い清司にも僅かに厭世的な雰囲気が滲むようになっていた。
巫の死後、周囲の人間たちは各人の思惑をもって彼に取り入ろうとしたが、清司がそれらを全て黙殺しているうちに、「天瀧家の呪い」という単語とともに、周囲から少しずつ人が離れていった。
数年して、清司が中学への入学準備が進む頃、神主が若い女を招き清司に紹介する。次の巫になる女性だ、と。
愛想のない自己紹介をした清司を見て、最初、女は呆気にとられたような顔をした。
しかし、その顔はすぐに怒りに染まった。
強く願われたはずなのに、跡取りがいる。更に願ったのは彼女を招いた男ではなく、仲介した者の方だったと気付いたからだ。
新しい天瀧家の空気は凍えるようだった。
巫の「末期の採取」の後は、ダイジェストのような映像で、天瀧清司という人間がこうやって出来上がっていったのだ、と説明するような淡々としたものだった。
特に年相応に笑ったり怒ったりする姿はどこにもない。
唯一救いのようなものがあったとすれば、清斗が生まれた後は、清司が庇護するような行動をとることが増えたことだろうか。
(なんか、境界みたいなところがあって、踏みとどまったんだろうな…清斗がいたから)
先代神主と清司の違いは、その境界を越えたか否かの違いのように、天秋には思えた。
中学最終学年に進級した清司の周囲はあまり変わらなかったが、その静けさを打ち破ろうとする者達もいた。
頻繁な交流をしていたわけではないが、一応は幼馴染みと言える馬奈木肇と大耕智史を中心とした数人がそうだった。
『清司、来月頭は何か用事はあるか?』
『特にない』
『よし、それならそのまま予定を空けておいてくれ。俺と肇と他数人でサイクリングに行こう』
『今、急に弟と遊ぶ約束が出来た』
『…お前なぁ…』
『雑に断ろうとするなよ、無精者め』
軽口を交わしながらも、誕生日を祝う計画を立てていく。
前日に反故にするなと釘を刺された時は、「次は半月前じゃなくて、半年前から抑えておいてくれ」と返し、笑いあう姿は誰から見ても楽しみにしていることが見て取れた。
放課後の予定を楽しみにしながら床につこうとした清司の前に、加巳之皓御霊が現れる。日付を越え成人したとみなされた彼は、依代にされた。
黒かった髪は白銀に変わり、夜行性の蛇のように縦に割れた瞳孔と相まって、切れ長の目は酷薄さを感じさせるようになった。
翌日、登校した清司の周りにいたのは、彼を肩書で扱う人々だけだった。
信奉者の人垣の向こうに、放課後を約束した友人たちの唇を噛む顔が見えた。
清司は友の名前を呼ぼうとして気付く。
彼らは誰も、清司を見ていなかった。
キュルキュル、かしゃん。
哀しげな音を立てたディスクは映像の再生を終えて、沈黙する。
力尽きました、と泣き言を言っているように聞こえた。
(違う。力尽きてるのは、俺だ…)
映像を見続けるのが辛かった。
立て続けに映像を見て、生命エネルギーが減った。それは間違いない。だが、それだけが理由ではなかった。
(確かに、姿が変わった。多分、依代になって雰囲気がもっと近寄り難くなったんだろう。…でも…知ってたんじゃないのかよ…)
少なくとも、馬奈木と大耕は、どう変わるのか予想できたはずだった。幼馴染で、親も懇意にしている。直接ではなくても親戚だ。
代々の神主達の姿が変わることを知っていてもおかしくない。
(変わった姿に驚いて…手を離して。それで後悔して、陽大と帆菜実を巻き込んででも助けようとしたって言うのか…?)
友人達を見た清司の表情が、瞼の裏から消えない。
足を踏み出そうとした瞬間に足場が崩れ去ることに驚き、足場が存在することを信じようとした己の浅はかさを悔やむ、そんな表情だった。
胸の中で荒れ狂う感情が、怒りなのか悲しみなのか、あるいは寂しさなのか。天秋は区別をつけられなかった。
ぐったりと頭を机につけて感情の嵐が落ち着くのを待っていると、デッキがまたキュルキュルと鳴きだした。
画面がぱっと白く光ってから、続きの映像が再生され始める。
もう見たくない、と浮かんだ泣き言を瞬時に意思でねじ伏せ、歯を食いしばって顔をあげた。
映像は天秋の心を反映するように、時折乱れるがそれでも止まらない。
親友を助け出して、殴ると決めた。
何よりここは閉架記録庫、指定された記録を見終わるまで帰ることができない場所なのだから。
「未編集」と書かれたディスクの再生が終わると、未視聴ディスクは残り1枚になっていた。
鼻をすすりながら、最後のディスクに手を伸ばす。
ディスクをデッキにセットしてから、滲んだ視界を手の甲で拭った。何度も擦っていたせいだろう、ピリピリとした痛みが残った。
「ラスト1枚。…現依代の意図、見せてもらう」
震える指先を内心で叱咤して、天秋は再生ボタンを押した。
見覚えのある部屋が画面の中に映る。高見教授の研究室だ。
ガタガタと画面外で大きな音がしてから、聞き馴染みのある声がした。
『…一応、セットしましたけど、マジで録画するんです?』
『読めない字で資料を書くお前が悪い』
『高見教授は読めるじゃないですか。…本当は清司さんも読めるんじゃないんすか?』
『確かに読めなくはない。だが、労力と時間がかかる。…この調査、俺の卒論の一部だってわかってるか?』
『わかってますとも』
学生の会議用にと置かれたテーブルの席に、対面するように清司と陽大が座る。
テーブルの上には、プリントアウトされた資料や本、パソコンが置かれていた。
なぜか銀色の缶と個包装の豆菓子も大量に。
チラリと清司の視線がそちらに向いてから、陽大に向かう。
自身のレポートを朗読させ、その様を記録に残すことを恥辱と言い放った陽大は銀の缶に手を伸ばし、プシュッと空気の抜ける音をさせると、コトリと清司の前に置いた。
『読み上げるのオレだけじゃないし、清司さんもどうぞ』
『…そういうことならご相伴に預かるとしよう』
乾杯、と新しく持ったビール缶を清司のものに軽くあてて笑う陽大は、天秋の記憶にある通りの姿だった。
清司も多少の陰はあるが、どこの学部にも数人はいる少し気難しいだけの先輩に見える。
2人の日常がこの光景なのだと、自然と理解する。それほど、馴染んで見えた。
『どれから読みます? オレのやつだと、閉架記録庫のやつが多くなりますけど』
『そうだな…ミシロ様への請願と当時のミシロ様についての小説に関してはまだ現物で読めるからいいとして…』
『じゃあ、現物がなくなったものからが良いか。100年くらい前の当主の手記とか』
陽大が読み上げたのは、依代の不在と巫の追放を経て案山子に成り下がった最初の神主の手記だった。
村人達に「良い神主とは良い依代、村の利益を第一に考え、神を御することができる者」という考えを刷り込まれていたこと、巫である母は「神に支配されており、神主である父のことはなんとも思っていない悪妻」と教えられ憎く思っていた。
母が自害した後、村人達が「うまくやれた」と嗤っていたことで、自分が傀儡になってしまったことに気付いた、と後悔している。
そういった内容を簡潔に聞き取りやすい調子で読み上げる声とは裏腹に、その表情は思っていることがありありとわかる。声と表情が連動していないのは、一種の技術かもしれないと思う程だった。
『陽大は、見てて飽きないな』
『…褒めてるって知ってますけど、バカにされてるみたいでフクザツ』
『陽気な柴犬みたいで、良いと思う』
何で犬に例えるかな、とぼやく陽大の頭を清司が撫でて褒め、それに対してまた陽大がぼやく。そんなことを繰り返しながら2人は互いの調査内容を共有していた。
その日持ち寄ったものを全て共有しきったのだろう。お開きにするようで、録画をとめるために陽大がカメラに寄って来る。
『あ、そうだ。清司さん、10月の頭ってなんか用事あります?』
『特にない』
『んじゃ、酒盛りしましょ! ちょっといい酒用意するんで』
『…今、弟と遊ぶ用事が出来た』
『断り方、雑!! 面倒になったからって、清斗をダシにしないの』
清司は苦い顔で時期を指定したことを尋ねると、当たり前のことのように「誕生日だから」と陽大は返した。
清司がした表情の意味を、この時の陽大は知らなかったのだろう。
騒ぎたいだけだろうと清司が指摘すると、それを肯定した上で、準備は自分がするから、と陽大は言い募った。
じっと陽大を見つめていた清司は、これ見よがしにため息をついて、返事を返さずに研究室から出ていく。
尻尾が必要なのは、犬扱いされた己ではなく清司ではないのか、と呟いた陽大の声を最後に残して、画面が切り替わった。
白い壁紙と、ベランダへと続く大きな窓を覆う青灰色のカーテン。壁際にはシングルベッドが1つ。
よくある8畳ほどの部屋には個性らしいものがなかった。
唯一住人の特性を知らせるものがあるとすれば、高さ1メートル程度の本棚に和綴じの本が積まれていることだけだろう。
『…その大荷物は何だ』
『何だ、って…酒盛りしましょって、言ったじゃないですか。だから、ちょっといい酒、持ってきたんですよ。使い捨ての食器も』
画面の外で呆れ返っている清司と、不思議そうな陽大の声がした。
言葉通り、少し高価格帯のテーブルワインやウィスキーの瓶と、紙皿やプラスチックのカップが入っているビニール袋を掲げながら、陽大が画面の中に入ってくる。
酒盛りに同意していないと清司が咎めると、拒否もしていないのだから、やることをやれば問題ないはずだ、と返した。
ドアの閉まる音と共に画面に入ってきた清司は、陽大の手からビニール袋を取り上げ、ため息を吐きながらまた画面の外へと移動していった。
カチャカチャと音がするので、陽大の要求を受け入れることにしたらしい。
『…気が済んだら、帰れよ』
『帰りますよぉ? 気が済んだら』
ニヤリと笑って見せた陽大を、画面の中に戻ってきた清司が軽く小突いた。
その後、2人は3時間ほどそれぞれの持ち寄った情報を披露していく。
天秋にとっては既出の情報だったが、「類似の話が他の地域にもあり、初出はそちらの方が早い」という知識から「その地域での話を持ってきて、システムとして組み込んだのでは?」といった考察に繋がっていくのは、純粋に面白い。
『紙代神社って、紙代村だけで信仰してる割にはデカいですよね。オレの知ってる地元の神社は、小高い丘の上にあって、鳥居から参道兼ねた階段を上がったら境内、本殿だけって感じで』
『かなり小規模なんだな』
『ほぼ無人で、悪ガキと変質者の溜まり場になってましたよ。…もうちょい大きいと、手水舎はあるけど境内の一部だったり、社務所が小屋みたいなとこもあって。だから、手水舎、狛犬、拝殿があって社務所も人が住める大きさ、しかも別棟の奥宮があるのは意外ですね』
『奥宮はミシロ様がいらっしゃるし、天瀧家の者しか立ち入らないけどな』
よくある神社の構成と比較して、御神体がある本殿とは別に、奥宮にもいる、というのは少し特殊だと陽大には思えたらしく、奥宮に関しての質問が続いた。
『奥宮が気になるか?』
『そりゃ、まあ。山自体が御神体で、山の中に祈祷場を持ってるから別に必要、とかあったり?』
『ないよ。奥宮が必要な信仰上の理由はどこにもない』
『えー…じゃあ実運用上の理由ってことかぁ…神主一家以外は立ち入り禁止ってことは、なんか後ろ暗いもんでも隠してたりす…る…?』
清司が浮かべた笑みが深くなるのを見て、陽大の言葉は尻すぼみになり、勢いを失っていく。
まっすぐに向けられた視線から逃れるように、陽大の視線がウロウロと彷徨い、腰を浮かせて逃げの体勢に入る。
陽大の手が荷物に伸びようとした所で、清司がその手首を掴んだ。
悪い顔をしていた、と涙目になって逃げようとする割に掴まれた手を振りほどこうとはしない。
悪ノリだったと種明かしするよう促すが、清司がそれに乗らないと見ると、陽大は項垂れた。
『お前が持ってきたワインを開けよう。美味いヤツなんだろ』
『聞かせる気満々だ…』
『俺の気が済んだら、帰っていいから』
『こっくりさんか何かでいらっしゃる??』
『ハズレ。俺は狐じゃない』
胡乱げな目で陽大が清司を見る。遊ばれていると思っているようだった。
その後、持ち込んだ酒を空にしたところで陽大が眠気に負けてウトウトとし始めた。
画面の端から白い蛇が現れて、小さな擦過音と共に陽大に近づいていく。
『気に入られたんですか、ミシロ様』
『み、しろ…さま…? へび…?』
ボンヤリとしたままの陽大の頭の傍で、白蛇が蜷局を巻く。頭を乗せろ、というように尾の先で陽大の頭をつついていた。
ひんやりとした蛇の体に、頭ではなく手を乗せた陽大が清司に声をかけた。
『せいじさん…たんじょうび、たのしかった…?』
『…あぁ、楽しかった』
『そっかあ…よかった…』
満足そうな声が寝息に溶けるように、画面もフェードアウトしていった。




