ミシロの末裔3
人間は判断の多くを視覚に頼っている、という。
各感覚器から脳へ送られる情報は視覚が8割ほどあるらしいが、これは情報の転送量がそれだけある、という古い論文からの説で、人の認知がその割合で成り立っている、というわけではない。
しかし、目に映るものが他の感覚から「存在しない」と判断できたとしても、完全にないものとして扱うことは困難だ。反射で「在る」と判断したものを己の意思で「無い」と否定することになるのだから。
天秋も自身の感覚や経験から、この説は細かな数値が違ったとしても大筋で正しいものだと思っている。
だから目の前の映像で、神主と巫が威嚇をされても気にせずに白蛇を蹴散らし、存在を無視して上から物を置いて押し潰そうとする行動をしていることに驚愕した。
相手は超常の存在で、映像を見ている限りでは深刻なダメージは受けていないようだった。
それでも多少は衝撃を受けているだろうし、ついには距離をとって被害を抑えようとしていた。
(やっぱり、見えていないって考えないと、この反応は不自然すぎる。…だけど、俺達には見えてる。見えてることは問題じゃない、神が相手なんだから。見えている理由、見えていない理由、そこに意味があるはずだ)
今わかっているのは、紙代村の関係者の中で白蛇の姿を視認出来ていると思われる者はほとんどいない、ということだけだ。
映像は、神主、巫それぞれのインタビューに移るようだ。
最初に見たディスクのように、紙代神社の由来を尋ねられると、神主はスラスラと来歴を答える。
『加護のおかげで、加巳之皓野菜は非常に美味ですね。土地の者は外で売り出すためのものだから、とあまり食べませんがね』
『神の加護が強すぎるから、常食できるのは限られた者だけなのですよ。例えば、祭神ミシロ様の依代となられる神主様のような方とか、ね』
神主の言葉に、馬奈木青年が取り繕うように補足する。
それを何度か繰り返して、神主のインタビューは終わった。
神主の発言は、補足がなければ加巳之皓野菜の評判に傷がついてもおかしくないものだった。
終いには馬奈木青年から「言葉を選んでいただきたい」と苦言を呈される程だ。
面従腹背、とまではいかないが大人しく言いなりになっているようには見えなかった。
次いで画面が巫へのインタビューに切り替わる。
切れ長の目をした涼やかな印象のある美しい女性だが、つまらなそうな様子を隠そうともしない。
はて、と天秋は首を傾げる。
末期の採取の時に取り乱していた女性とは別人のようなので、清司の生母にあたる女性なのだろう。
『私が巫のお役目を頂戴したのは、18歳になった時です。短大に合格はしてたんですけど、お役目を頂戴することが決まったので結局行きませんでしたね』
未練が滲む声で、女性が話す。
神主と出会ったのは親戚からの紹介だった、巫が果たす役目は思っていたものと違うことが多いこと、幼い息子がたまに何もない場所を指さしていて、心配なこと。
『前代までの巫様はどなたも、神が宿ったことを感じられたそうですが、奥様はいかがですか?』
『婚姻の儀の時にはよくわからなかったですけど、息子が生まれた時にはなんとなく』
女性は一瞬だけ不気味なものを見た、というような顔をしてすぐに取り繕う。
『まあ、あの子は特別なんでしょうね、きっと』
その「特別」は良い意味ではないのだろうと、感じる声と言い方だった。
巫のインタビューが終わると、カメラが窓越しに境内で遊ぶ幼い少年を映し出した。
玉石を眺めるようにしゃがんでいた少年は立ち上がり、少し周囲を見渡してからトテトテと歩き、またしゃがむ。
『次代の神主、清司くんですね。何をしているんでしょう?』
『さぁ…? あぁ。主人が、何か探すように申し付けていた気がします』
『いつも1人で遊んでいるのでしょうか? お友達は?』
『危険ですから、神社から出ないように主人が言い聞かせていますし、ここに遊びに来るような子供もいませんから』
『そうなんですね。彼にも少しお話を聞いても?』
『主人が許可しているのでしたら、どうぞ』
幼い清司に興味を示すインタビュアーを、趣味が悪い、と思っていることを隠さない視線が、巫から投げられた。
場面が切り替わり、境内で1人遊ぶ清司の姿が映し出される。
少年は玉石の中から、何かを拾いあげると小さな手のひらに乗せてしばらく眺めた後に、ズボンのポケットに入れた。
立ち上がってキョロキョロと周囲を見て、数歩進んでまたしゃがむ。
『これは? ちがうの?』
誰かと話しているようだが、周囲には誰もいない。
インタビュアーが清司に声をかけ、何をしているのかと尋ねた。
『とうだいさまのおてつだい、です。おにわにおとしものがあるかもしれないから、ひろってきなさいって』
『落とし物? どんなものかな』
『ちょっとぴかぴかしてる、いし。まなきさんのだって』
『ピカピカしてる、石? 見つけるのは難しそうだね』
『ちょっとむつかしいけど、みしろもいっしょだから、だいじょぶ』
ミシロ? とインタビュアーが首を傾げていると、話は終わったと判断したのだろう。
じゃあね、と手を振って少年は境内の奥に向かって走っていってしまった。
境内の奥には本殿とは別に天瀧家の者のみが立ち入ることを許されている奥宮と呼ばれる建物があり、清司を追いかけることはできなかったと弁明していた。
朗らかで希望を持たせるようなBGMが流れ始め、スタッフロールが画面の上へと滑っていく。
神主と馬奈木青年の会話の不穏さや、巫が見せた息子への無関心さや嫌悪の様子を無視して、ナレーターが清司のことを「才気溢れる次代だ」と褒めそやし、紙代村の未来は明るいと締めくくる。
BGMが終わると同時に、映像の再生が終わった。
(天瀧清司は、幼い頃からあの白蛇…ミシロ様を認識していた…? 両親には見えず、辛うじて感じ取れるだけの存在を、彼だけが見て言葉を交わしていた?)
生みの母親は清司を不気味な存在と見做して、育児放棄していると言っても過言ではないように見えた。
3歳か4歳の幼い子供に「当代」と呼ばせていることから、父親の方ともいい関係を築いているとは想像しにくい。
だが、外部の大人達は少年の置かれている環境を疑問視することなく、彼には才能があるのだ、特別だ、と持ち上げる。
清司の生い立ちを思い出して天秋は、顔をしかめる。
「…まだ苦境の入り口、なんだろうな。これって」
ため息をつきながら、天秋は再生の止まったディスクを再生デッキから取り出した。
薄いパッケージを開くと、「未編集」という文字が飛び込んでくる。
これまで天秋が見てきた幾多の映像は後味が良いとは言い切れないものだったが、それでも見るに耐えるように編集されていた、ということだ。
少なくとも今までは一切映っていなかった映像ーー例えば、天瀧家の呪いが発効した状態ーーがこのディスクには含まれている、ということだ。
ぎしり、と心臓が軋むような感覚がした。一瞬脳裏によぎったのは、白蛇が遺体の横で寝そべっていた姿だ。
天秋はゆっくりと息を細く吐き出してからデッキにディスクをセットし、再生ボタンを押した。
紙代神社と刻まれた石の柱の前に、黒いランドセルを背負った少年が立っている。
姿は映っていないが男の声が少年に向かって久しぶりと挨拶した。
『お久しぶりです』
『今、小3だよね。学校どうだい? ここからだとちょっと遠いだろ。疲れない?』
『バスがあるので、それほどは…今日って、本殿の中で撮影ですよね?』
『そうだよ。豊穣祈願の儀式の、あの…布! 新しくしたんだよね? それを撮ろうって』
『蔵面、ですね。…正直、新しいのになって嬉しいです』
『わかるよ。宴会芸じゃないんだからって思うもん』
雑談をしながら、少年と撮影者は参道を進む。言葉遣いは敬語交じりで大人びていたが、時折楽しそうに笑う清司の姿は、年相応のものだった。
手水舎が見えて来ると、神主が手水舎の傍で掃除しているのに気付き、清司が帰宅の挨拶をした。
だが、神主は挨拶を返すことなく、早々に奥宮へ移動するように指示を出す。
不思議そうな顔をした清司は、チラリと社務所の方角に向けられた神主の視線に気づくと、すっと表情が消えて、神主の指示に従った。
会釈して去っていく小さな姿を映したあと、カメラは神主の方へと戻った。
『では、よろしくお願いします。…巫様は間もなく?』
『彼女は遅れるよ。来客中でね』
『そうなんですか。では、早速! 新調されたという蔵面のお話を…』
カメラは神主とともに本殿へと進んでいった。
新調された蔵面ーー図形で顔を抽象的に描いた実に一般的なものになっていたーーとその経緯についてのインタビューが終わろうとした時だった。
『と、当代様ッッッ! 大変です、巫様が…!』
慌てふためいた中年の女が、神主のもとへ飛び込んできた。
彼女は定期的に加巳之皓野菜を供物として納めにくる氏子だという。何事かと問えば、野菜を届けに社務所に行くと、巫と見知らぬ若い男がぐったりと折り重なっている、とカメラを気にしながら動転した様子で答えた。
『なるほど。ミシロ様に見限られたのだな』
『え?』
『自分の妻が他所の男と懇ろになった上、托卵を企てたのだから当然だろう』
神主の嘲るような言葉を残して映像はブツリと切れ、黒い背景のまま、ジィーと無機質で耳障りな音が響く。
刹那、砂嵐が映った後、見覚えのある和室が映る。
鯨幕で覆われた、不祝儀敷きの間だ。
能面をつけた男達の壁の合間から、赤く塗れた女性の手がチラリと見えた。
神主の前には白木の台座の上に、小ぶりな銀塊が載せられている。
『…これにて、当代巫様の末期の採取を終わらせていただきます。当代巫様はミシロ様の元へ』
『ご苦労』
能面の男達は白木の台座と戸板を持ってしずしずと退去していく。
『…当代様。なぜミシロ様の元へ巫様をお連れするんですか?』
『依代も巫も神の器となった者だから、葬儀の時までミシロ様にお守りいただくのだよ。そして、同時に評価もいただく』
黒いスーツを着せられた少年が、声を潜めて神主に尋ねた。
神主が言うには、依代として、巫として身を捧げた者たちは、人ならざるものにとっては、垂涎の的なのだそうだ。死して魂が肉体から離れると、悪しき怪異がその身を貪りに現れる。
生涯を賭して身を捧げたのであれば、その肉体が正しく弔われるまでミシロ様が守ってくださるが、そうでなかった場合は、守られない。
『…それって…』
『ミシロ様の本性は巨大な白蛇らしい。…きっと、お前が想像した通りのことが起きるのだろうよ』
神主は事もなげに言い、喉の奥を震わせて小さく笑う。
少なくとも今代の依代と巫は見放されている。だから自分も次の巫も空の棺で送られるのだろう、と。
清司が次の巫という単語に反応する。
『お前の新しい母親だよ、清司。どんな女が連れてこられるのかは知らんがな』
『要らないです』
『飼い主達が欲しがっているのだから仕方ない。お前が継いだら、好きにしたらいい。破滅の仕方だけは選べる』
『…当代様は、どんな破滅の仕方を望まれるのですか?』
『私か? 私は、惨めな蛇になって、這いずり回るつもりだよ。ククク、迷惑だろうな』
人生の、そして神主としての先達である父親に、清司は侮蔑の視線を向けた。




