ミシロの末裔1
今回から数回に渡り記録視聴のパートが続く予定です。
へのへのもへじ。
目・鼻・口・顔の輪郭を平仮名で表したものを言い、江戸中期頃には確認されていた文字絵で、案山子の顔として描かれることがある。
画面の向こうで、辿々しく舞う男がつけた布にはこの文字絵の顔が書かれているのを見て、天秋は思わず眉を顰めた。
『豊穣祈願の神楽を舞うのは、紙代神社のーー代神主。950年続く鎮守を祀っている』
ナレーションは紙代神社の由来や、加巳之皓御霊に簡単に触れた後、馬奈木という中年の男の活動を紹介した。
撮影の2年前に大洪水が発生し、村の7割が流されるという被害を受けたという。
そんな壊滅状態から、神主とともに村人達を励ましながら村の復興に尽力したとして、神主の右腕的存在だとされていた。
『馬奈木が残った財産をほとんど投じてくれて。おかげでこうしてまた加巳之皓野菜を作ることができています』
大耕と紹介された馬奈木よりも少し年上に見える男が、再興された村の畑にカメラを向けて話す。
農協に属しながら、肥料の改良として化学と有機のハイブリット化を目指していると語る姿は、地元農業に熱心に取り組んでいる者のそれだった。
(裏でしていることを知らなければ、「村の復興を真摯に願う青年会幹部」に見えるのは、皮肉だな)
映像は、『ミシロの末裔』と銘打たれたシリーズで、紙代神社の神主、つまり天瀧家の当主とその家族を扱ったドキュメンタリーだった。
天秋が見ているものは、清司の祖父が神主を務めていた頃に撮られたもののようだ。
天秋はこの映像を見始めた時、新米神主が水害で壊滅した地元地域の復興に取り組む姿を残したものかと思っていた。冒頭に映し出された神楽はどこかぎこちなく、舞に慣れていないのかと思ったのだ。
しかし、着けられた蔵面の紋様を見て、「それっぽく見えるように取り繕っているだけ」と気付き、認識が変わった。
水害で備品も過去の資料も失われたので作り直した、とされているが、公表されている年間スケジュールにある儀式の頻度を見れば「元の蔵面の紋様が分からず、へのへのもへじで代替とした」とは考えにくい。
舞う者も、舞わせる者も、「豊穣の儀式」に見えればいいと考えていることが透けているようだった。
『…えー、紙代神社の祭神は、約950年前にこの紙代村に鎮守として降臨されまして。…要するに、土地神様です。それでですね、えー、大地に加護を、えー…賜りまして。えー、加巳之皓野菜は、その加護によって、美味しく育つようになった、と…』
インタビュアーから紙代神社とその祭神の来歴について聞かれた回答は、一夜漬けで暗記したことを思い出しながら話しているように聞こえる。
視線はチラチラとカメラから離れ何かを確認している。
インタビュアーが「神職が妻帯しているのは珍しいのでは?」と尋ねると、不意に画面外から回答が返ってきた。
ぐるりとカメラのアングルが変わり、馬奈木が答える姿が映し出される。隣には大耕の姿もあった。
『確かに珍しいかも知れませんが、紙代神社の神主としての責務なのです』
『責務、といいますと?』
『紙代神社の神主様は、祭神ミシロ様を降ろす器であり現人神です。そして奥方は巫としてミシロ様に嫁ぐ。それがミシロ様から村が加護を賜るための契約なのです』
その後も馬奈木と大耕が、インタビュアーからの質問に回答していく。そして、神主はそれが当たり前のことのように、インタビュアーの隣で黙って見つめている。
へのへのもへじの蔵面をつけていた神主の姿が、ふと水田に傾きながら立っている案山子と重なった。
(前に読んだ手記の当主の頃と比べると、完全に力関係が逆転してるのか。…テキトーなことしてるって思ったけど…『お前は案山子だ』って含みもありそうだな…)
案山子は獣毛を焼いて鳥害対策とする「嗅がし」が語源ではあるが、一本足で立つ人形であることから、田畑を守る神ーー古事記の久延彦がその由来らしいーーの依代とも言われている。
神の依代でありながら、立っていることだけを求められる人形であれ。
それ以上の能力は要らない。
何代も経て力関係が逆転し、そんな考えが刷り込まれるようになったのかもしれない。
天秋が思考に没頭していると、映像は場面が切り替わり、引きつったような笑顔が張り付いた表情の女性が映し出された。
ナレーションの説明によれば、神主の妻だと言う。清司の祖母にあたる女性で、巫として焦点が当たるようだ。
着物を纏った細い体に白く太い蛇が巻き付いている姿は、歪な笑顔という表情と相まって、出来の悪い作り物のような印象を与えた。
『私が巫のお役目を頂戴したのは18歳の時でした』
鬱々とした低い声で、女性は話す。
幼い頃に紙代村へ越して来たが馴染めなかったこと。
馬奈木の紹介で神主と出会ったこと、そして婚姻の儀で神が宿ったことを実感したことを。
『今もこの身にミシロ様が寄り添ってくださっているのを感じます』
そっと巻き付いた蛇を撫でるように腕が持ち上がる。だが、その指先は蛇の胴体のすぐ脇を通って触れることはなかった。
体に巻きつかせていたとしても、爬虫類を苦手とする女性は少なくないので、触れる振りで済ませたのかも知れない。
しかし、天秋はその仕草に違和感を覚えた。
以前見た「例の動画」では、巫女は己の体に巻き付く蛇を愛しげに撫でていた。
その時は背中しか見えなかったが、それでも愛慕の情を向けているとわかった。
巫女と彼女の行動はほぼ同じだが、何かが決定的に違う。
画面の向こう側にいる女性の視線は、カメラから外されない。
視線に感情が宿っていないからか、とも考えたが得心できない。
シークバーで再生位置を蛇を撫でようとしたシーンに戻して見るが、結局、違和感の正体には辿り着けなかった。
(それにしても、この女性、全然感情見せないな…声も同じ調子で話し続けてる)
平坦に続く声にも、カメラに向けられる視線にも、読み取れる感情がない。
笑顔は本心を隠す仮面、と実しやかに言われることもあるが、まるでそれを体現しているようにも見える。
『巫となって誇らしかったこと、にございますか…強いて言うなら、ミシロ様にお仕え出来たこと、でしょうか。今の時代、神の存在を感じられるというのは稀有なことでございましょう。……ええ、巫のお役目を頂戴する前は、私も神の存在を積極的には信じておりませんでしたよ』
ふ、と。
微かに吐息が漏れるような音と共に、浮かべられた微笑みはそれまでのものとは違い、視線を捕らえて離さないようなものだった。
『ミシロ様がいらっしゃらねば、私はどこにでもいるただの小娘で、ありきたりな人生を送ったことでしょう』
無感情だった目は青い炎を宿したようにギラリと光り、奥歯を噛み締めて叫び出すのを堪えるような笑顔だった。
まるで、ずっと無表情だったキャラクターが灼熱の中でどろりと樹脂の皮膚が溶け、その下で悍ましい嘲笑を浮かべていたのが露わになるような衝撃を感じた。
『私はシンデレラのようなものです。旦那様は王子で、馬奈木さんは魔法使いでしょう』
彼女の言葉を文字通りに受け取ったように、朗らかで希望をもたせるような明るいBGMが流れ出す。
スタッフロールが流れ、ナレーションは村の復興が順調に進み、今ではブランド野菜化に取り組む農業先進地域となったと持ち上げ、映像の再生が終わった。
神主とその妻にも焦点を当てる。だが、彼や彼女が語る内容には価値を見出すことなく耳を傾けない。
そんな考えが最後まで反映された、映像記録だった。
ロマンチックな夢を叶えてやろう、と魔法使いに寄越されたガラスの靴を履いたら、虚飾の権威と栄光で出来たドレスを着せられ、お飾りの王族に祭り上げられた。
ドレスは魔法という名の呪いがかかっていて、彼女の体を金の卵を産むガチョウに変える。
見目麗しい王子は、同じく呪われている上、正体は蛇だ。
彼女の怒りを堪えた笑顔が向けられたのは、王子か、魔法使いか。あるいは、両方へか。
どちらにせよ、彼女が報われることはなかったのだろうな、とディスクを取り出しながら天秋はぼんやりと考えていた。




