忘却を受け入れたもの
若い男性の緊張を孕んだ声がイヤホンを通して流れてくる。会計報告をしているのか、時折耳慣れない桁の数字が飛び出してくる。
レコーダーは服のポケットの中に入っているのだろう、報告者の声とその報告を受ける者の声に混じって衣擦れの音がしていた。
(ICレコーダーに残ってたファイル、部外者が聞いちゃいけない類の会話っぽいんだけど…まさか、盗聴じゃないよな…?)
大耕が残したICレコーダーに入っていたファイルをクラウドにアップロードした天秋は冷や汗を流していた。
作業に不備がないか確認のためにファイルを再生してみたが、企業の内部情報としか思えないものだった。
清斗によれば、元々の持ち主は馬奈木肇という人物でシロマナの営業部門に勤めていた、社長令息らしい。
幹部候補として、営業部門の報告をしていた時の録音なのかもしれない。
『資産の部に記載されている銀資産に関して伺いたい。昨日の純銀の終値は暴落に近い値になっていたかと記憶しております。資産額はこの報告書より少なくなるのでは?』
『いや、その数字であっている』
『…追加で買い付けをされたのですか? 取引記録はありませんでしたが』
『先代ご当主と大奥様、それから大耕の御大より寄贈いただいたものだ』
ひゅっと息をのむ音が、イヤホンと己の口元から同時に聞こえる。
それは祟りの不正利益を得ている、という告白に他ならなかった。
報告者もそれに気付いたのだろう、小さく悪態をついていた。
その声に天秋は既視感を覚えた。どこかで聞いた記憶がある。鈍間だの愚図だのと罵っていた声が追いかけてきたような気がした。
『ご寄贈いただいた量とお名前の控えは? この寄贈分はミシロ様の祟りの産物なのでしょう』
『…当代から聞いて、義憤にでも駆られたか?』
『少なくとも、何も知らない小娘を生贄に差し出すようなやり方はしなくても良いんじゃないかとは思います。清司も望んでない』
『子を得なければ、滅びるのだ。望む、望まないというものではない』
『せっかくのガチョウが死に絶えるのは困るってことか。…大方、寄贈者リストは財務部長あたりに管理させてんだろ。内部告発されないといいな?』
叩きつけるような扉の開閉音がして、再生が止まる。
聞いた内容もさることながら、天秋は報告者ーー肇の声をどこで聞いたのかに思い当たり、呆然としていた。
「閉架記録庫の…あの、司書じゃないか…」
死者であることは察していた。閉架記録庫の司書は屍人なのだから。
この会話を聞く限り、彼は紙代村コミュニティのやり方には賛同していないことは明らかだ。
だから、どの神が天秋を招いたのかも教え、サポートしてくれたのだろうか。それとも別の思惑があったのか。
紙代村の関係者が閉架記録庫で司書となっている意味を考えるが、これが真相だと言えるほどの情報は天秋にはなかった。
肇の最後のセリフが、不意に耳に蘇る。内部告発という単語が、途切れた道を繋ぐはずだった材料だったのだと気付く。
「あぁ…大耕さんが渡されたあの帳簿みたいなやつ、寄贈者リストだったのか…」
清斗は言っていた。
肇は一昨年の9月末に亡くなった。そして、大耕の葬式が終わると部屋の中には何もなかった、と。
内部告発を企んだ者とそれに親しい者は亡くなり、遺品は何も残っていない。あるのはこのICレコーダーだけだ。
寄贈者リストは処分されてしまった、と考える方がいいだろう。この会話記録は疑惑を持たせることはできるが、確たる証拠と言うには弱い。
「物証がない状態で、どうやって社会的制裁のきっかけにつなげれば良いんだ……?」
天秋は、絶望的な気持ちで天を仰いだ。
ガラガラとキャスターが転がる音をかき消すように、列車の到着アナウンスがひっきりなしに流れる。
盆の特別運行列車が出ていることで特別ダイヤで運行していることが繰り返し放送されるのを聞きながら、横に立つ清斗にそれとなく視線を向ける。
緊張からか、それとも何か思うところがあったのか。布団の中に入ってはいたが、深夜まで起きていたようだった。今も少し眠たげにしている。
手の中の携帯電話が震える。
「多賀良教授、予想より道が混んでて30分くらい遅れるってさ。結構待ちそうだし、店入って待つか?」
「そう、ですね。…話しておきたいこともありますし…」
天秋が偶然目についたコーヒーショップを指しながら清斗に聞くと、少年は意を決したように頷いた。
その様子は「故郷とその地を由来にしたコミュニティから距離を置くことに対する緊張」とは別のものに見えた。
(なんでこんなに緊張して…うちの居心地悪かったってことか? まさか、今からダメ出しか?!)
清斗の様子に不安が襲ってくる。
今更だが、初対面でやりとりもしたことのない人間の家に2週間近く宿泊することになって、気を遣わないはずがないことに気付く。
天秋の前では清司のことも「兄」と呼んでいたくらいだ。家主に対して不満があったとしても言えなかったのかもしれない。
ついに我慢の限界に到達し、別れる前に憂さを晴らしておきたいということか。
店内に入り清斗には席の確保を頼み、自身は注文をしに店員のいるカウンターへ向かう。
内心でこれからどんな不備を指摘されるのかとガクガク震えながら、注文したコーヒーを受け取り店内を見回した。
店の奥にある周りからは少し見通しの悪い席で清斗が座っていたのが見えた。
「はい、清斗」
「ありがとうございます…」
コーヒーを受け取った清斗は、口をつけることなく黙って俯く。
対面に座り、コーヒーを一口飲んで清斗が話し始めるのを待つが、静かに時間が過ぎるだけだった。
「えーと…単刀直入に聞くけど、なんか嫌なことあったか…?」
「いえ…嫌なことは、ないです。ただ、不安で…」
「不安っていうのは、このまま紙代村から逃げることに対する?」
「はい。兄や智史さんと相談して逃げるって決めた…はずなのに、これで良いのか分からなくなってきて…」
「状況から考えたら逃げるのは賛成だ。…俺はただの大学生だから、安全なところを保証するのは難しいけど」
「ええ、僕もそれでいいから手を貸してくださいってお願いしました。……それは覚えてるんです。なのに、谷縞さんと話すのやめたら、兄や智史さん、肇さんの顔も声も思い出せなくなってきて…」
つい最近、咲紀と検証したばかりの現象だ。
今まで清斗にその兆候はなかったように見えていた。
だが、四六時中行動を共にしていたわけではなく、清斗も天秋も互いに出かけて顔をほとんど合わせないという日もあったので、気付かなかったということか。
(いや…清斗は中心にいなくてもかなり近い関係性はあった。閉架記録庫の除籍が進んで、現実が辻褄を合わせるように変わるなら、清斗にとっては改変の範囲が広くなる。
…もしかして、離れる直前に改変が一気に反映されてる?)
「…うちに来てから、大耕の家とか紙代村コミュニティの人から連絡ってあったか? 俺のとこにはそれらしいのはなかったけど」
「そういえば、なかったですね…事前に伝えてはいましたけど、今まで通りなら1度は連絡があったと思います」
『神が赦した忘却を受け入れればいい』
旧紙代村合宿所で、清司が言っていた言葉が脳裏に蘇る。
今にして思えば、あの言葉は掛け値無しにそのままの意味なのだと分かる。
加巳之皓御霊が忘却することを赦しているのは、契約者として瑕疵はないと見做しているからだ。瑕疵があるなら、忘却できない。
天秋があの動画を見てバイト仲間を失った一部始終を忘れられないように。
(清斗は「意思を等しくする者」でも「追従する者」でもない、だから罰の対象じゃない。そういうことか…)
何もないのに家族や家族同然に思っていた人達のことが思い出せなくなったとなれば困惑するのも当然だ。
安堵する気持ちが湧く一方、どう忘却を受け入れてもらうかと思案する。
天秋に合わせる形で記憶の改変の速度と範囲が決められていると仮説は立てられる。そして、忘却への対応策もないわけではない。
「…どうしても忘れたくない? 一応、忘れないでいる為の方法はある。だけど完璧じゃないし、何より紙代村から逃げるなら、忘れてしまった方が安全かもしれない」
「どういうことですか?」
「…俺達は以前、ミシロ様と会ってる。その時に、帆菜実が紙代村の巫に関する記憶を忘れさせられた。彼女にとってその記憶を失うことは、大事な人を失うことと同じで…でも、帆菜実は今平穏に暮らしてる」
天秋の言葉を吟味しているのだろう。しばらく出口を探すように清斗の視線は動いていたが、目を閉じ、ゆっくりとまた目を開いた。
手に持ったままだったコーヒーの温度が体温と馴染んだことに気付いた清斗は、少し苦笑して一気に飲み干す。
「初志貫徹します。切らなければいけない縁だった、そう思うことにして。…それに、僕があの人達を慕っていたって記憶はきっと残る」
「…そうか」
「そうだ。兄から、お暇する前に渡すように言われてたメモがあるんです」
はがきサイズの紙に、URLとランダムに並ぶ英数字が書かれていた。
その紙を天秋に渡しながら、清斗が「実は兄の名前が思い出せないので、ナイショにしておいてください!」と笑うので、「OK、密告しておく」と答えておいた。
飲み終わったカップを片付けてコーヒーショップを出ると、多賀良教授と共に品の良さそうな女性ーー夫人が共に現れた。
これから一緒に暮らすのだからと、夫妻揃って迎えに来てくれたようだ。
渋滞自体はやたらゆっくりと走っていた車両がいて発生したものだったらしく、お盆だから精霊馬のナスの方に乗っていた、ならきゅうりはカルストンライトオだのと話しながら清斗の荷物を多賀良教授の車に積んでいく。
「ご家族のことは残念だったけれど、これからは私たちが貴方の家族になれるよう、そばにいるわ」
多賀良夫人が清斗に向かって話す。
どうやら現実は、「事故で家族を失い天涯孤独になってしまった清斗が、紆余曲折を経て多賀良夫妻の養子になった」という形に改変されるようだ。
天秋は一瞬だけ清斗に視線を向けたが、彼に動じる様子はなかった。
「ありがとうございました、谷縞さん」
「どういたしまして。…元気でな」
神の下から離れ、新しい縁で繋がった人生を踏み出すことになった少年を天秋は見送った。




