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消えゆく繋がり

 天秋(たかあき)と咲紀(さき)が高見教授の元へ訪れた時、研究室の扉は完全には閉められておらず、笛、鈴、太鼓からなる音楽が微かに聞こえていた。

 そっと開いた扉の隙間から中を覗くと、室内中央に置かれたダイニングテーブルーー学生達との面談や複数人での会議に使われているらしいーーに置かれたディスプレイを、高見教授が眺めていた。


「気にせず、入っておいで」


 高見教授がディスプレイから視線を外すことなく、扉の前で様子を伺っていた天秋達に声を掛けた。

 覗いていたことに気付かれた2人が少しバツの悪い思いをしながら研究室の中に入ると、ディスプレイには白黒の映像が映っていた。微かに聞こえた音楽は、この映像のものらしい。

 映像自体は、屋内の祭殿で篝火を前に幣束を振る狩衣姿の男が何かを諳(そら)んじているようだった。


「紙代神社で執り行ってきた豊穣祈願の儀式だそうだよ」

「これ、古いものなんですか? ノイズが酷い…」

「そうだね。小型フィルムカメラで撮ったものや、オープンリール式のものを、VHSにダビングしてあるらしいから」


 儀式に関しての資料が多いのは、過去に途絶えかけたことが何度もあったかららしい。儀式の様子を残すことで、後世の準備で困らないようにしよう、という心積もりのようだ。

 白黒の映像の中では、狩衣姿の男が面をつけようとしていた。

 その面に見覚えがあった天秋は体が強張るのを感じた。


(あの蔵面(ぞうめん)…やっぱり、あの動画は本当に儀式の切り抜きだったんだ…)


 脳裏に、かつて見た映像が浮かび上がる。


 白衣を脱ぎ捨て、体を震わせる巫女。

 その巫女の肌を、愛撫する宮司と白い蛇。

 骨を砕く鈍い音と嚥下の音でかき消されたくぐもったバイト仲間の悲鳴。

 そして、ぐったりとして、白い蛇に埋もれて眠る親友の顔。


 喉の奥から何かがせり上がって来るような感覚に、ぐっと口を引き結んだ。

 当時感じていた恐怖は、自身が終わる可能性への漠然としたものだったと、今更だが気付いた。

 神の怒りをより強く向けられた者がいて、見逃された。

 神の怒りを和らげてくれる者がいて、手打ちにしてもらった。

 誰かが払った犠牲が今になって見えて来たことが、胃の奥がひっくり返るような気持ち悪さになって襲ってきていた。


「天秋、大丈夫…?」


 服越しの左腕に、咲紀の手が触れていた。小声で尋ねてくる咲紀は酷く心配そうだ。

 じんわりと広がる熱に、自分の体が恐怖でかなり冷えていたことに気付く。


「大丈夫。ありがとな、咲紀」


 咲紀は少し疑うような視線を向けていたが、またディスプレイへと視線を戻した。

 白黒の映像は白く塗りつぶされたような箇所が多く、かなり劣化していることが伺える。天秋が見た動画ほどはっきりと細部を見分けることはできそうになかった。


(…あの動画。手順や様子をわかりやすく残すため、って建前で最近撮ったんだろうな…)


 かつて陽大が煮え滾るような怒りを持っていたのは、動画撮影者に他者に害を与えてでも利益を得ようとする態度が見えたから、だろう。清司(せいじ)が置かれていた環境だけでも不愉快に思っただろうし、更には帆菜実(ほなみ)に実害が出る可能性があったのだから言うまでもない。

 その陽大からは、旧紙代村から戻ってきてからは1度も連絡は来ていない。天秋からも連絡しようとしたが、不通のアナウンスが返ってくるだけだった。

 既に帆菜実からは陽大の記憶は失われ、咲紀からも同様に失われつつある。天秋とて、既に失われた記憶があり、いつ思い出せなくなるのかわからない状態だ。

 目の前の不鮮明で劣化した映像が、それを示唆しているように思えた。


 映像を見ていた咲紀が、高見教授に他の神事に関する映像はあるのか、と問いかけた。


「豊穣祈願だけだね。資料にも他の儀式のことは婚礼の手順しかないし、やたら豊穣祈願の儀式だけ頻繁に執り行ってる。それ以外はどうでも良いっていうのが透けて見えるね」

「厄払いとかは日常的にやってるから、残さなくても良いって判断の可能性はないですか?」

「それならそれで、イレギュラーが起きた場合の記録が全くないってあたりに同じ空気を感じるね」

「確かに…」

「周りの軽視が強すぎて残せないのでは? 神主本人よりも氏子の方が実権持ってるみたいですし」


 大耕(だいさく)が話していた「姻戚家の方が名実共に名士として扱われている」ことを思い出しながら天秋がいうと、高見教授と咲紀が驚いた顔で見返して来た。

 天瀧家の呪いに関わることなので、咲紀には話したはずだと引っかかりを覚えたが、彼女の記憶から消えている可能性に気付いてゾクリとした。


「それ、どこで聞いた話だい?」

「大耕さんにお会いした時に聞きました。天瀧家はいまは名だけの名士だ、と。清斗(きよと)を預かる理由というか経緯というか…」

「なるほどね。じゃあ、ここにある資料は基本的に『氏子の検閲済み』ってことか」

「高見教授はご存知なかったんですか…?」

「……いいや、聞いたことがあるね。天瀧くん本人と結びついていなかったから、気付かなかったよ」


 高見教授が清斗の生活環境を知っていたことから、兄である清司を取り巻く環境として紙代村コミュニティ内の力関係も知っていると思い込んでいた。

 だが高見教授の返答は、彼もまた紙代村にまつわる記憶を失いつつあることを表していた。




 改めて咲紀に天瀧家の呪いと紙代村コミュニティ内の状況について伝えたが、天秋は持続効果のない抗いであることを骨身に染みて実感することになった。

 どうやら一度消えてしまった記憶は、話題にしている間しか持続されないようで、知り合いに声を掛けられたり、何かに気を取られて少し違うことを話したりすると、瞬く間に忘れてしまう。


「陽大が暗号使うはずだ…キリがない…」

「ごめんね、天秋…」

「いや、謝らなくていい。これはもう、忘れるのがデフォルトだと思うべきで、咲紀は何ら悪くない」

「でも…天秋の手伝い、これじゃできなくなっちゃう」


 項垂れた咲紀が、震えた声で呟く。

 何度も彼女の機転や観察眼に助けられてきた天秋としても、咲紀のそれを頼れなくなるのは痛恨の事態と言ってもいい。

 だが、このまま彼女の手を離して自分1人でこの後のことを進めていくことには、強い不安がある。


「…咲紀は時々、俺のこと『周りの人が傍にいるのは好意じゃなくて、相手の気遣いによるものってウジウジ1人で悩んでる』って叱るだろ。本当にその通りで、きっと、この後も俺はウジウジ悩むと思うんだ」

「…それ、悪い癖だよ」

「そうだな、悪い癖だ。直した方が良いんだよな? 何回も咲紀に叱られた。でもさ…まだ直ってないんだよ」


 触れる直前に躊躇ったが、天秋は咲紀の手を取る。


 悩んでいるなら協力したいと手を伸ばしてくれた。バイト仲間を亡くし親友と喧嘩した時は、喝を入れてくれた。危険な時は真っ先に駆けつけて、助けてくれた。

 自分に自信が持てなくて、彼女が傍にいてくれるのは幼馴染故の気遣いかも、と思ってしまう。それでも咲紀が隣にいない自分が真っ直ぐ立っていられるようにも思えない。


(俺は陽大みたいに、「忘れられても好きな人(さき)が無事なら良い」って吹っ切れられない)


 格好が悪いと情けなく思う。だが、陽大と帆菜実の別れという記憶を失ったことが関係を失うことに繋がった実例を知ってしまった以上、自身のそれに繋がる可能性が見え隠れする行動はとれない。

 保身と言われようが、手を離す選択肢はない。


「だから、俺がウジウジ悩んでたら指摘してくれ。これは咲紀にしか、頼めない。だからこれからも隣にいてくれ」

「…うん、わかった。ただ、それはそれとして、悪癖を直す努力してね」

「……はい」




 咲紀と別れ帰宅した天秋は、ふとこれまで受け取った資料の中に台帳のようなものが見当たらなかったことを思い出した。

 忘れていた一昨年の10月の記憶の中で、清司から大耕に「あとは頼む」という言葉とともに渡されたそれは、紙代村の因習と無関係であるようには思えなかった。

 大耕に渡されたことで、役目を終えたのだろうか。


(そういえば、ICレコーダーに、大耕さんと俺の会話以外にも何か録音してあったよな…)


 大耕が置いていったICレコーダーの中身を調べた際に、他の会話記録が残っていることは確認したが、会話の声に聞き覚えがなかったことから、すぐに再生を止めていた。

 ICレコーダー自体にシールを剥がした痕跡があり、薄っすらと「シロマナ 第三営業部」と読み取れたこともあり、返却を申し出ていたが返事は終ぞ返って来なかった。


「なぁ、清斗。このICレコーダー、大耕さんのなんだけど返すよ。遺品になるだろうし」

「智史さんの…? あ、肇(はじめ)さんの遺品か、これ」

「はじめ…?」

「兄と智史さんの友人で、シロマナの馬奈木(まなき)社長の息子さんで、シロマナの営業部門に勤めてました。でも、一昨年の9月末に…」

「そうか…それなら、やっぱり返した方が良いよな」


 寂しそうにしている清斗の様子から、大耕だけでなく肇という人物とも親しくしていたことが窺えた。

 清司の友人であったのなら、2人にも遊んでもらった記憶もあるのかもしれない。

 天秋から差し出されたICレコーダーに手を伸ばしかけたが、清斗は受け取らず首を横に振った。


「このまま谷縞さんが持っていてください。僕が持ち帰ると、大耕の家で処分されちゃうと思うんです。元紙代村の人達って、日記とか写真とか形見になるようなものを残さないんですよ」

「え? それは…寂しくないか?」

「そういう文化らしいです。智史さんも、お葬式終わったら部屋の中、何にもなくなってました」

「部屋のクリーニングしないといけなかった、とか…? 亡くなった時の状況によっては、そういう事あるだろ」

「肇さんの時はそういう事情があったかもしれないけど、智史さんは違うと…遺族が故人のことを思い出して悲しむと故人が安らげないから、って」


 清斗が聞いた話では、紙代村は昔から度々洪水が起きており、避難の際に遺品を持ち出そうとして被害にあってしまうということが多かったらしい。

 そのため、遺品自体を残さないことで避難がスムーズに行われるようにし、故人が安らげるようにという理由が後付けされたのだそうだ。

 ダムの建設地として選ばれる程度に水害の多い土地であることは事実なので、そういう文化として根付いたようだった。

 加巳之皓御霊(かみのしろのみたま)から聞いた話や色々な郷土資料を見た天秋は、嘘ではないが語られていない目的も絶対にあるな、と感じていた。


「そういうことなら持っておく。中身のデータもクラウドにプライベートで上げておくから、聞きたくなったらそこにアクセスしてくれ」

「ありがとうございます! そういうものだって思っててもやっぱり寂しいですし、肇さんや智史さんの顔や名前も忘れちゃいそうで不安でしたから」

「…スマホとかデジタルなデータだったら、残しておいても良さそうだよな」

「ホント、そうですよね。スマホとかのデータも初七日で消せって言われて、もう廃れていい文化だろって思いました!」


 笑顔で言い放ちつつも、清斗の顔には不安が見え隠れしていた。

2026/08/16 大作→大耕 に修正 (名前を間違えてました…)

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