蠢く文字は世界を造る
天秋の家に持ち帰られた追加資料『加巳之皓縁起』によれば、紙代村の作物は「神の血肉から作られた神力の源」とされている。
清斗のいた大耕家に限らず、紙代村の古参と言われる村人の家では天瀧家の当主夫妻と長男を除いて常食はせず、食べる時期が厳密に決められていた。
これは、土地神である加巳之皓御霊の身が含まれた野菜は経済的に村を潤す為に与えられたもので、最小限で食べるのは神との繋がりを保つ為だと言われている。
(新しい住人は0から繋がりを作るために野菜を多く食べなきゃいけない。でも、加減を間違うと、神の力に耐えられなくて、死んでしまう。…こうやって祟りであることを隠していたのか)
依代と次代である長男は神の器であるが故に、神の力に耐えられる。妻である巫は、神の子を宿すので同様に。
それ以外の者は耐えられないので、天瀧家の者は新しく来た村人と婚姻を結ぶことで力を分け与え、村に迎え入れーー
ページを捲った天秋は「落丁?」と呟いた。続くだろうと予想していた説明が途切れており、ページは白いままだ。
「それ、僕が持ってきた資料ですか?」
「ああ。5ページ分くらい、何も書かれてないんだ。元からかって分かるか?」
「来る前にパラ読みしましたけど、気付かなかったです。内容自体は読んだことがないので…」
「そうか。まぁ、娯楽として読むには難易度高いもんな」
地元史や神話というような分野に興味がなければ、娯楽本として読むには文字が多く、古語に近いような体裁で読みにくい。
そんな意図で難易度が高いと表現した天秋を、清斗は信じられないという顔で見ている。
清斗は「興味があれば読める」と思っている時点で専門家側に足を踏み入れているという考えらしい。
「兄に聞いておきますね。返事はすぐに返ってこないと思いますけど」
「ありがとう、助かる。紙代神社の電話番号って、全然繋がらないし」
「紙代神社の番号? 残してたっけ…?」
「え? 高見教授から教えてもらったやつなんだけど、これで合ってるか?」
清斗の反応からすると、既に使われなくなった電話番号を教えられているかもしれない。
天秋が携帯電話に登録していた番号を見せると、眉間に皺を寄せた清斗が不可解そうに間違っていないことを保証した。
「ただ、この番号は10年くらい前に使うのをやめてます。なんでこの番号を連絡先にしてたんだろ…」
少年の呟きに、ふと脳裏にある可能性がよぎった。
除籍された記録は消える。何かが消えたことを認識していることもあれば、それすら忘れてしまうこともある。
では、どこから消えるのか。そして、消えたことで辻褄が合わなくなったら、何が起きるのか。
バイト仲間が亡くなった時、彼の死の因果は「起きうる最も高い可能性」に置き換わっていた。
ならば、閉架記録庫から消えた記録に関連したことも、同じように改変されるのではないか。
携帯電話の画面がノイズが走るように乱れて消灯した。
「私の記憶も、天秋の記憶も、かなり現実の記録と食い違ってるね…」
記憶だけでなく現実の記録も改竄されている可能性がある、と天秋から連絡を受けた咲紀は、それぞれの知っていることと実際の記録の内容を対比した資料を作った。
それを見比べた彼女は、驚愕を隠せない声をしていた。
例えば、紙代神社は自治体や地図上の口コミサイトでは廃社と紹介されており、清斗が言っていた通り電話番号も現在は使われていないと表示されている。
しかも、旧紙代村の合宿所に行く前に調べ、清司との連絡確認用にと印刷した紙面の情報も変わっていた。
電話番号の横に「現在は使われていません」という但し書きがあるが、蛍光ペンで電話番号にのみ下線が引かれていて不自然この上ない。
この改変と思しき現象を見た天秋は頭を抱えた。
「紙に印刷した情報まで変わるなんて、想定してない…!」
「デジタルデータは変わることあるから気にはしてたけど…物理データが変わるのは、ね…」
「陽大が残した資料ももう書き換わってるかもしれないってことだよな…?」
「あると思う。それに、私、陽大のこと思い出しにくくなってきてる」
「え?!」
まだ陽大のこと自体は覚えているが、エピソードや特徴を聞いても、彼と結びつかなくなっているものが多いらしい。「特定できない誰か」の話として覚えている状態であるため、そのうち思い出せなくなるだろうと咲紀は予想していると言う。
「だから、加巳之皓御霊に記憶が消えるのは関連してるのか、聞いたのか」
「うん。嘘はないだろうけど、黙ってることはあるんだろうなって」
天秋にとって、かの神と直接言葉を交わした時の印象は良くない。人間を小馬鹿にしているような態度もさることながら、死ぬかもしれないほどの強さで陽大を絞め上げていた事も、人の記憶や心を粗雑に扱うことを当然とすることも、その印象を補強していた。
今や天秋の中では、人間を絞め上げながら高笑いをあげる蛇型邪神というイメージになりつつある。
口汚く罵りそうになるのを、神への僅かに残る畏敬の念と目の前の幼馴染への恋慕による自身のイメージ保持と言う打算で、なんとか噤む。
自分で作った資料と、天秋に託された資料を見比べていた咲紀が、不意に声をあげる。
「ねぇ、この紙代村の資料って陽大から高見教授に送ってるけど、そもそも蛇神信仰は陽大の専攻じゃなくて、天瀧さんの専攻で、多分資料も元々は天瀧さんのだよね?」
「あぁ、多分。…なんか、気になるとこ、ある?」
「つまり、陽大にとっては手伝いってことだよね」
「…確かに、清斗も『陽大が手伝ってる』って言ってた。…つまり陽大の本来の研究対象は違う?」
「そう! しかも、『閉架記録庫』の噂発生源は、うちの大学なんでしょ? 学内の論文データベースに先行研究があるかも」
「対処方法が掴める可能性がある、ってことか!」
咲紀の言う論文データベースと言うのは、公に発表されている論文を先行研究の資料として閲覧できるようにしてあるデータベースシステムだ。所属する講師や院生、卒業生のうち、公開に同意しているものに関しては専用回線でアクセスしていれば無限に閲覧できるというものである。
論文としているが、過去の課題レポートも閲覧できるため、試験対策ツールとしても運用されている。
道が拓けるような気持ちで、論文データベースにあたる。しかし、キーワードでの検索でも検索結果にそれらしいものは含まれなかった。
「公開に同意してない?」
「陽大の学籍番号で他のレポートでてくるよ」
「ホントだ…あ。これ、高見教授の授業じゃないか? 朗読させられたってやつ」
「手書きレポートをそのままスキャンしたんだ…天秋、解読できる?」
「えーと…かいいた、んの…『怪異譚の書庫に見る記憶の変遷』」
読み上げたレポートタイトルに、ハッとして咲紀と顔を見合わせた。
暗号と化したレポートを読める文字に置き換える作業は、苦行と言わざるを得ない。
咲紀に応援されながら、レポートの翻訳内容をノートに書き込んで行く。
時折、顔を上げて体を解すことで僅かに休憩を挟み、A4用紙1枚につき1行30文字かつ40行が5枚分で構成されたレポートを翻訳しきった天秋は無性に苦味のある破裂するような刺激飲料ーー要するに発泡酒が飲みたくなった。
ぐったりと椅子の背もたれに体を預けた天秋は目を閉じる。頭の中で象形文字のような何かが踊りながら浮かんでは消えるのを、うんざりした気持ちで追い払おうとするが、うまく行かなかった。
頬にヒヤリとした感触がして、ノロノロと目を開けると咲紀がペットボトルを天秋の頬に当てていた。
「お疲れさま。お酒じゃないけどあげる」
「わぁい、やったぁ…ありがとう」
「陽大文字の暗号解読家になれそうだね」
「履歴書に書いても効果ないやつ」
ペットボトルを受け取り、蓋を開けて一口含む。レモンの風味と舌を叩くような刺激が、ぼんやりとしていた頭のモヤを少し取り払う。
咲紀が翻訳したレポートを手にとって読み始めるのを眺めながら、天秋は陽大がなぜ「他者が辛うじて文字と認識できるような状態」でレポートを書いたのかと考える。
レポートの内容自体は「怪異譚において本を始めとした記録物の中に入り込みその内容を体験することは何を示唆しているのか」を資料やその体験談から類推する、と言うものだった。閉架記録庫につながるものがあるとすれば、「異界の書庫の記録を読む、あるいは体験する」というものだけだ。
しかも、紹介されていた体験談については「体験談として語られているが、夢の内容を語ったと思われるものが散見される」と触れていたくらいだ。
「体験談の中にある『ゾンビが司書をしていて記録を読ませようとする』ってもともとは夢なんだね」
「ゾンビが、司書…?」
「ほら、ここ」
「俺、書いてない。…原本の方にもないぞ、そんな記述」
咲紀が指差した箇所をみた途端、ぐにゃぐにゃと文字が蠢いて動き回る。
まるで、文字に擬態していた虫がその存在に気づかれて慌てて逃げようとする動きのようだった。
小さく悲鳴をあげて咲紀が翻訳したレポートを放り出そうとするのを拾いあげた天秋は、原本の同じ箇所を見る。
象形文字は蠢く様子はなく、行儀よく収まっている。
「陽大のレポートは、変わらなそうだね」
「俺達が内容を容易に認識できるものが、閉架記録庫の影響を受けるのかもしれない」
「それをわかってて、わざとこうやって書いた…?」
「確証はない。でも可能性は高い。…それにわざとだとしたら、高見教授は2人の協力者ってことになるよな?」
「それは…でも、なんで?」
「…社会的制裁に繋げるためかも。学生が『祟りで企業が不正な利益を得てる』って騒いでも信用されないだろうけど、教授から然るべき機関に繋げる方が信用度も高いし確実だ。レポートの提出時期が一昨年の10月頭。この時点で陽大が高見教授への繋ぎ役ができない状態になってたなら…」
依代も巫も「紙代村の土民達の意思に追従する者」ではある。だが、彼らは神の側に立つ者でもあるのだ。
神が下す罰を確かなものにするため、行動していてもおかしくない。
ようやく何を求められているのかに手が届いた。
2026/08/16 大作→大耕 に修正 (名前を間違えてました…)




