出奔を企む代替品
前期の試験が終わり長い夏季休暇が本格的に始まろうとした頃、天秋は高見教授から研究室へ来るように連絡を受けた。天瀧清司の名で、天秋宛の荷物が届いたらしい。
大荷物になるから、と言われた天秋は咲紀と共に高見教授の研究室に向かった。
「え、大耕さんと連絡とれてないの?」
「メッセージ入れたんだけど、既読もつかないんだ。色々確認したいのに…」
「清斗くん、だっけ。せめて、彼と連絡が取れれば、ね」
「本当に。…それとも、高見教授を通せって、ことか?」
はあ、と大きくため息を吐くと咲紀が励ますように肩を軽く叩く。
気を取り直した天秋は研究室の扉をノックしようとして、中から話し声が聞こえることに気付いた。
来客中のようだ。
咲紀に出直そうと囁こうとした瞬間、部屋の中の会話が止まって足音が近づいてきた。
「あの! 谷縞さんと岩久さんですよね?」
扉が開き、ひょっこりと顔を覗かせたのは天瀧清司を少し小さくしたような、黒髪の少年だった。
研究室の中に招き入れられると、本や巻物といった資料が詰まった段ボールの他にVHSビデオテープや、DVDが詰まったプラスチックの大きなケースが置かれていた。
「お、ようやく来たか! 谷縞くんも岩久さんも、VHS触ったことあるかい? 今の学生は知らない子多いんだよねぇ」
ホクホクとした様子の高見教授は、埃を被っていたビデオデッキを天秋に渡してくる。天板は薄茶色に変色し、少しベタついていた。雑に扱われていた精密機械を抱えたまま、天秋は室内を見渡す。
先程、室内に天秋と咲紀を迎え入れた少年の他に、何度か学内で見かけた男性がいることに気付いた。
天秋の視線に気付いたのか、彼は笑みを浮かべながら天秋と咲紀に会釈をして、高見教授に声を掛けた。
「高見くん、楽しそうなところ悪いんだがね。紹介をお願いできるかな?」
「ん? あ、あぁ。初対面か。多賀良くん、2人は私の弟子の谷縞くん、岩久さんだよ」
「おや、新しい弟子なんだね。天瀧兄とワンコくんが独り立ちしちゃったから、かな?」
それまで多少おざなりではあったが、ニコニコとしていた高見教授が一瞬だけ不思議そうな顔をする。だが、すぐにそれを隠して、男性の紹介をした。
彼は高見教授の友人で多賀良と言い、経済学部で教授をしているのだそうだ。
「それから、そちらの子は天瀧くんの弟の清斗くん。資料を持ってきてくれたんだよ。8月下旬から多賀良くんのところに行くんだよね?」
「はい。ーー天瀧清斗です。兄からは、専攻領域が近いと聞いてます。あと、8月の2週目まで泊めていただけると智史さんから聞いてるんですが…連絡は受けてらっしゃるでしょうか?」
もしやと思い、大耕のことかと聞き返すと、清斗が頷いた。
「泊めるのは大丈夫。ただ、詳細な話を詰める前に連絡が取れなくなってしまったから…」
「やっぱり…兄も、もしかしたら伝わってないかもとは言ってたので」
「伝わってない?」
「智史さん、亡くなられたんです。2週間前の夜に」
2週間前。
それは、大耕と最後に会った日を指していた。
高見教授の研究室から大量の資料を咲紀と手分けしながら運び出した天秋は、清斗を連れて自身の部屋へと連れていった。
高く登った太陽がギラギラとした日差しで3人を照らしていたため、汗だくになった彼らは荷物を置くと、慌ててエアコンをつけて部屋を冷やし、水分をとる。
「天秋の家の冷蔵庫、水しか入ってないんだけど」
「買い出し間に合わなかったんだよ。とりあえず今日は外で食べるにしても、明日行かないと」
「他にも足りないものあるかもだし、車あった方が大きいとこ行けるよね? お父さんに車使って良いか、聞いてみる」
「頼んだ。無理そうなら、レンタルするよ。……どうした?」
天秋と咲紀のやりとりを、興味深そうに清斗が見ているのに気付いて、問いかける。
「なんだか兄と陽大さんみたいな会話だなぁって」
清斗が言うには、5年前に大学祭で会ったのだそうだ。その頃はまだ陽大も高校生で、大学受験の下見を兼ねて参加しており、キャンパスツアーという大学施設の案内ツアーで一緒のグループになったらしい。
陽大が清司の研究を手伝うようになってからは、長期の休みの時に顔を合わせることも多かったという。
その時に彼らがしていた会話は天秋と咲紀がしていたものと似たようなもので、清斗にはその類似性が興味深かったようだ。
「打てば響くって感じで。そういう人が側にいるって心強いんでしょうね」
「そうだな、俺は咲紀が隣にいてくれると頑張れる」
「清斗くんにもそういう相手、いるんじゃない?」
「僕にはまだ。…でも、心を預けられる相手がいたら、死ぬのも少し怖くなくなるかもしれないな」
まだ16年しか生きていない少年から小さく落とされた言葉を、天秋と咲紀は聞かなかったフリをした。
食事を終え咲紀と別れた後、天秋は清斗と共に自宅へ戻ろうと歩いていた。
自宅まであと十数メートル、というところで清斗が不意に立ち止まった。
「谷縞さんは、紙代村のことも、天瀧家の呪いのことも、ご存知ですよね?」
「あぁ、大耕さんからだけど、聞いた」
「もし僕が紙代村から逃げたいと言ったら。あなたは、手伝ってくれますか?」
「手伝う。…でも、結果は保証できない。俺は、どこにでもいるただの大学生で、ものすごく頭がいいわけでも運動ができるわけでもない、金もコネも特にない」
清斗が投げかけた言葉に、そうだよな、という思いで天秋は答える。
薄々感じてはいたが、本来は陽大が担うはずだった役目を天秋に回したのだろう。
紙代村の祟や、因習とそれを利用した不正利益の構造。これらを残された資料から読み解いて状況証拠に変え、精神的な解決を図り、社会的解決に繋げる。
必要に応じて、人と人を仲介し、逃がす算段をつける。
それが陽大に求められていた役目で、巫になったことは、想定外だったはずだ。
ふと、脳裏の舗装路が中途半端な形で過去に作られたものと繋がった感覚になった。工事途中で、片側車線だけアスファルトで、残りは砂利道。そんな、中途半端さだ。
「…僕は、紙代村の人達のこと、嫌いじゃなかったんです。確かに天瀧家は呪われてますけど、祟なんて信じてなかったし、不正な利益だって『正攻法じゃない』ってことだと思ってた。だから、兄が村の人達を嫌悪してるのを、随分と潔癖なんだって思ってた」
「…祟を、信じてなかった?」
「はい。今も、シロマナに勤めてないコミュニティの人は、信じてないです。…シロマナの野菜を食べ続けて迎える最期の姿と、葬儀の時の遺体からは内臓が抜かれてるって、知らないので」
「それは、内臓の中にあるものを、取り出したから?」
当たってほしくない、と思いながら投げた問いに、清斗は頷く。
古参も新参も、食べ続ければいずれ銀塊が育ち、そのせいで苦しんで死ぬ。例外は依代と巫だけだ、と。
「依代と巫だけは、銀塊がある程度育ったら吐き出すんです。神の加護と言われてますけど、多分死なれたらつまらないから。それを都合よく利用して、『金の卵を産むガチョウ』として大事にする。…このことを一昨年の10月まで、僕は知らなかった。しかも、陽大さんを犠牲にすることになんの呵責もないなんて思ってませんでした」
ふと、何かがおかしい気がした。陽大は帆菜実を助ける為に、神を騙して巫になった。その過程で、陽大もシロマナの野菜を食べて体調を崩していたことは、複数人から聞いている。
確かに陽大は紙代村に関係のない人間だった。だが、清司と出会い、その研究を手伝った。帆奈実と出会い、共にシロマナの野菜を食べた。帆菜実より、よほど接点が多いのではないか?
「帆菜実は…? なんで、帆菜実にシロマナの野菜を食べさせるのに呵責はないんだ?」
「彼女はご両親が紙代村のコミュニティに属したことがあるので。流石に完全に外部の人だとミシロ様が反対されるので、巫は元住民から仕立てるみたいです」
「仕立てるって、本人の意思は無視してるのか?!」
「尊重するわけないじゃないですか。神に見放されて呪われるような人達が率いているんですよ」
当たり前のことを話すような清斗の態度に、ぞわりとした。もう、彼の中に故郷に対する愛着はなくなっているのかもしれない。
「兄の友人だった人達は、コミュニティ中枢の次世代として期待されていました。でも造反したと見なされて、資産になりました。陽大さんは帆菜実さんを繋ぐ縄にされ、今は金の卵を産むガチョウに変えられました。反抗的な態度をとる兄は扱いにくいし、5年以内に次の巫を持つことに頷くわけもない。だったら、猶予の長いスペアに変えてしまった方がやりやすい、と考えているのは明白です」
汚れることを意に返さず、清斗が地面に膝と手をつく。
「危険を承知でお願いします。結果の保証も要りません。僕の逃亡に手を貸してください」
手と膝がついたまま頭も下げられる。
天秋に断るという選択肢は、この状況において選べるものではなかった。
2026/08/16 大作→大耕 に修正 (名前を間違えてました…)




